湯気が消えてしまったコーヒーを新たに入れなおし、龍二は俊治へと語る昔話を再開し

た。それはけして過去のことではない。

 彼らのような者が存在する限り、何度でも起こりうる現実なのだと、俊治は思った。

「実験には多大な犠牲が払われた。人間を進化させるというんだから、被験者が必要だっ

たんだ。被験者に使われたのは身寄りが無い老人やホームレス。彼らに開発した薬を投与

して経過を見る。大半が一時間もすれば発狂したがな。それから更に五年が経ち、次なる

者が生まれた。『セカンド』は人間以上の身体能力に加えて独自の特殊能力を得ることが

出来た。そしてその頃にはある結論が出ていた」

「ある、結論?」

 含みのある言い方に反応する俊治。龍二は顔を崩さず、無表情に言った。

「どうやら自分達の開発した薬は、母体の中にいる赤ん坊に投与すれば成功例の発生率は

高いということを」

「……そんな……」

「実際、生まれた後に薬を投与されて生き残ったのは俺しかいなかった。他はみんな発狂

した。全く運がいいんだか悪いんだか。俺もそんな奴等を何人も見てきて発狂する所だっ

たよ……切原智子がいなければ」

 不意に出てきた固有名詞に俊治は体を硬直させた。その様子がおかしかったのか、龍二

は笑う。

「智子の父親と俺の父親は親友だった。俺が五歳の時に智子が初めて俺の所に来た……そ

こで、彼女は俺を普通の人間として扱ってくれた。何も知らされていないから当たり前だ

が。彼女のおかげで俺は人間として『残れたんだ』」

 その言い回しは俊治に困惑を与えた。俊治の中に微か疑問が過ぎる。そしてそれは不吉

な予感に変わった。

 そうなのだ。まだ、大事なことが語られていない。

「……あの化け物の事、言っていないでしょ? 人類の進化と、あの化け物と何が関係あ

るんです?」

 龍二はようやくその話題にきたかと顔に笑みを浮かべた。俊治の思考が自分の意図した

ところに向いた事に満足しているのか、コーヒーを飲みきった。

「あの化け物達、『サクリファー』は文字通り『サクリファイス』。犠牲なのさ。新人類

を生み出すための犠牲。『アルトレイ』の……もう一つの姿」

「――まさか」

 俊治は恐怖に顔を歪めた。そして自分の考えを肯定しているだろう龍二を見る。体中が

震え、平静を保ってはいられなかった。

 認めたくない。認めたくなかった。

 自分が、人殺しをしていたなど。

 だが龍二は残酷な答えを平然と言ってのけたのだ。

「『サクリファー』は薬の投与によって変質した元人間だ」

 俊治は口を、体を抑えて何とか震えを押さえようと必死だった。龍二はそんな俊治に構

わずに話を続けていく。

「実験が『セカンド』の開発に入るとある事が起き始めた。生まれる前から薬を投与する

他にも以前のようにホームレスや身寄りの無い老人にも薬を投与していた。そして後者の

方で、性格が凶暴化し、最後には体が巨大化してまるで化け物のようになった……。それ

が『サクリファー』と呼ばれるようになった奴等さ」

 俊治は必死に震えを押さえようとしていた。ゆっくりと息を吸い、吐く。そうする事で

徐々にだが、精神と肉体のバランスを取るようにし、それは効果をもたらした。

 一つ、思い切り息を吐くと俊治の体の震えは止まった。そして聞かなければいけない事

を続ける。

「あの、刀を持った男は……『セカンド』とか言う人ですか?」

「隆の事か」

 俊治の脳裏に彼の緋色に輝く瞳が思い出される。どこか悲しみを含めた瞳。龍二は三杯

目のコーヒーを注ぎ、一口飲んだ。

「都築隆も生まれる前から薬を投与されて目覚めた『セカンド』だ。いろいろな能力があ

るようだが、奴の能力は生体エネルギーを物体にコーティングして強度を上げたり、実体

のある分身を作ったりできる能力だ」

 俊治は彼が『サクリファー』をその刀で切った時のことを思い出す。確かに、普通の刀

であの化け物達を斬る事は出来ないだろう。

 龍二はコーヒーを手に立ち上がると窓の傍へと歩いていき、外を眺めながら一口飲む。

「大体話す事は話したが……何か聞きたい事は?」

「俺の事、まだ教えてもらっていません」

「何言ってる。話しただろ。お前は俺達という失敗作の上に立つ『完全体』さ。実は、お

前の事はトップシークレットだったんだ」

「トップシークレット?」

 俊治も立ち上がって龍二の顔が見える場所へと近づく。龍二はいつの間にか煙草を手に

していた。俊治を他所にカップをテーブルへと置きに行き、俊治の傍へと歩いてくる最中

にライターで火をつけた。

 一吹きして、語る。

「お前が生まれたと言う話は聞いていた。そしてすぐにお前はお前の両親へと引き取られ、

俺達はお前がなんと言う名前で、どこにいるのかも知らされることは無かった。だから探

すのに苦労したよ」

「……俺が『完全体』って事は、それ以降には『完全体』ばかりじゃなかったんですか?

どうして俺だけを狙おうとするんです?」

「お前以外は死んだ」

「死んだ?」

 俊治は何度目になるか分からない驚きを覚えた。自分のような存在が他にもいて、そし

て死んでいるなんて信じたくなかった。

「二年前、その研究所が襲われた。正確には一人の男が反乱を起こしたとでも言うかな。

そして研究所にいた『ファースト』『セカンド』そして『完全体』と呼ばれた奴等はみん

な殺されたのさ」

「俺のような力を持っていても、殺されるんですか……?」

「研究所の中にいて襲われるなんて事は無いだろうと言うことで、誰もが油断していた。

その結果、すでに病院に勤めていた俺や他の少数の人間以外は死ぬ事になったんだ……何

か言いたそうだな」

「ええ。その反乱を起こしたって人も……『完全体』だったんですか?」

「いや……奴は、違う」

 龍二はその瞬間、苦虫を潰したような顔となった。やりきれない思い。

 自分がその場にいればまだ、違う未来があっただろうと思わざるを得ないという顔だ。

俊治はふと、龍二の言葉の中で自分が知っている言葉があることに気付いた。

『二年前』

 そう、二年前と言う言葉。

 自分は二年前と言う言葉を聞いている。そしてそれはほんの少し前の事だ。

「智子さんの、両親が死んでから……二年」

 流石にその俊治の言葉には龍二も驚いたのか、顔に少し驚きを示した。

「智子から、聞いたのか?」

「ええ。そう言えば、浅倉さんの両親も、二年前に亡くなったって聞きました」

 龍二はそうか、と呟くと煙草を灰皿へと押し付けた。ジジ……と炎が消える音が聞こえ

るほど、今居る部屋には雑音が無かった。

「二年前、研究所に関わるメンバーは数名を除いて全て殺された。俺の父親も、たまたま

訪れていた彼女の両親も。彼女はどうして両親が死んだのか知らされていない。警察もこ

の研究所のことはふせるように政府に言われていたからな。そしてその事件で反乱を起こ

した奴が、今回の事件の首謀者というわけだ」

「その男の名前は?」

「九条真司。奴も研究を手伝っていた博士を父に持つ一人だった」

 龍二は二本目の煙草をつけて、吸った。わざと大きな音で吹きだしているのか、勢い良

く煙が口から吐き出された。俊治は自分の中で今までの情報を整理する。

 三十年前に一人の男が馬鹿げた研究を始め、自分はその末の完成系だという。

 それまでには多大な犠牲があり、あの化け物――『サクリファー』はその結果だという。

 そしてその成果を記録すべき研究所は二年前にその機能を停止した……。

 ならば何故、今、『サクリファー』を暴れさせているのだろうか。九条真司という男は

一体何を考えているのか。人を殺して何か得があるのだろうか。

「何のために奴が『サクリファー』を生み出しているのかは分からない。一つ考えられる

事は、奴もまた『完全体』を作りたいんじゃないかと思っている。その実験の被害者があ

あいう風に暴れまわっているんだろう」

 龍二は窓を開けるとベランダに立った。外を見ながら龍二は言った。

「大体俺が知っていることは話した。お前がこれからどうするか知らないが、俺は俺のや

る事をする。お前はお前のすることをするがいい。この街の殺戮を止めたければ九条真司

を殺すことだ。それ以外に殺戮を止める手は無い」

「警察に突き出せば……」

「奴自身が殺人をしているわけじゃない。それに政府が奴等の研究を隠しているんだ。す

ぐに釈放されるだろう」

「そんな……」

 俊治は顔を青ざめさせる。自分が人を殺すところを想像しているのだろう。龍二はベラ

ンダから引き返してくると煙草を持たない手で俊治の胸座を掴み上げた。

「今更何を悩んでいる。お前の手はもう血に塗れている。『サクリファー』は確かにもう

人間と呼べる代物じゃない。だが、人間だろうと無かろうと、お前は命を奪っている」

 龍二の言葉は俊治に衝撃を与えた。

 体が硬直している俊治を龍二は更に上へと持ち上げる。

「お前がこの殺戮を止めたいと思うのなら、奴を殺せ。お前は、何をしたい?」

『願いのためだ』

 そう言った男の眼を思い出す。

 強い、そして悲壮な決意を秘めた瞳。自分が吸い込まれた瞳を。

 俊治は呟いていた。

「あなたは、どうして闘っているんです?」

 龍二は俊治を放すと煙草を吸い、笑った。ただの笑いではない。目は笑っておらず、隆

と同じような強い決意を秘めていた。

「あの都築……という人は言っていました。『願いのため』と。何も知らない俺がその決

意の強さを感じるほどに。じゃあ、あなたは何のために闘っているんですか?」

「『願いのため』か……隆の奴らしいな」

 龍二は笑みをなくすと俊治の目を見据えて言った。静かに、しかし強く。

「奴のように言うならば……俺は『約束のため』だな」

「『約束』……?」

 話はそこまでのようだった。龍二はベランダを閉め、二本目の煙草を灰皿に押し付ける

とコートを着た。俊治もジャンバーを着ると後ろについて部屋を出ようとする。そこで龍

二は立ち止まると背中を向けたまま俊治に言った。

「大事なことを言い忘れていたが、『サクリファー』も俺達と同じく夜になると力を発揮

する。だから奴等は今まで夜の間に人を襲っていたんだ」

「……なら、どうして今日は白昼堂々と?」

「それが分からない。何か、嫌な予感はするな」

 その言葉通りの感情を言葉に込めて、龍二は扉を開けた。





(俺はどうするんだ……)

 俊治は家路につきながら考えていた。自分が得たいの知れない実験の果てに生まれた規

格外の人間だということは分かった。自分の持つ能力がどのようなものかは結局分からな

かったが。そして過去が分かっても、今どうすればいいのかという事も分からない。

 だが一つだけ分かった事がある。

 自分が歩いて行く先から、子供が走ってくる。その笑顔が今までとは違い、とても眩し

く見えた。

「俺は……」

「あなたは、どうしますか?」

 俊治は足を止めた。

 確かに目の前を見ながら歩いていたのだ。確かに前には子供が走ってきているだけだっ

た。しかし今、自分の目の前には一人の女性が立っている。肩口にかかる程度の長さの髪

の先は左右にはねていて、目は少しきつい印象を受ける。顔の化粧気はあまり無いが、十

分彼女の含んでいる色気というものは出ていた。

 だが、その雰囲気は危険な物をはらんでいる。俊治は思わず後ずさりしていた。

 しかし、俊治は一度もその女性と会ったことが無いはずなのに、何故か以前会った事が

あるような気がしていた。外見も雰囲気も違う女に、誰かの姿を重ね合わせていた。

「あら。まだ日は高いのよ。あなたを襲おうなんて考えてないわ」

「やっぱり……あなたも?」

 女性は右手親指を唇に当て微笑んだ。その動作に俊治は背筋を震えさせる。

「始めまして、高町俊治君。わたしは笹川真。九条真司があなたに用があるそうよ」

 笹川真は瞳を俊治に向けた。俊治にはその目が一瞬緋色に輝いた気がした。





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