黒い煙が昇っているのは病院の入り口付近だった。俊治が目をこらすと、そこには黒い

死体が燃えていた。その体躯からも死体は『サクリファー』の物だと俊治は理解できた。

(何故、夜にしか現れなかった化け物がこんな真昼間に現れているんだ?)

 疑問を慎重に吟味する時間などない。俊治が入り口に到達したと同時に三箇所から同時

に『サクリファー』が襲い掛かる。右左、そして頭上。

 俊治は後ろへと飛びのいて『サクリファー』達の攻撃を躱した。『サクリファー』達は

お互いを自分達の手によって貫き、よろけている。

 俊治は左手に意識を集中する。すると左手から炎が立ち昇った。

「おおおっ!」

 炎に包まれた左手を一塊になっている『サクリファー』達へと突き出す。すると炎は意

志を持って天空を駆ける龍の如く波打ちながら『サクリファー』達を焼き尽くした。

 絶命の絶叫を聞きながら俊治は病院の裏へと回る。病院の中では『サクリファー』達が

暴れている気配は全く無く、激闘の爪痕は裏手へと伸びていたからだ。

 そして奴達と闘えるとすれば、この病院では一人しかいないはず。

(浅倉先生が?)

 俊治は少し信じられなかったが、彼が囮になって入院患者を逃がしたとしか思えない。

 自分が彼のことを誤解している部分があることを認めるしかなかった。

「グギャオォオオオ!!」

『サクリファー』の叫び声が聞こえる。それと共に腹に響く音と共に地面が揺れる。

 間違いなく『サクリファー』が倒されたのだろう。

 病院の建物の横手を曲がった時、自分目掛けて『サクリファー』が一体飛んで来た。

「うわっ!」

 俊治が『サクリファー』を避けた際に見えた光景は凄惨な物だった。

 頭を潰された『サクリファー』達が広範囲に渡って倒れている。それはある点を中心に

して同心円状に広がっていて、その中心には白衣を赤く染めている男が立っていた。

「浅倉――さん!」

 一瞬、どう彼の名を呼べば言いか俊治は迷ったが、結局は一般的なものを選んだ。この

際呼び名などどうでもいいことだが。

 俊治から見て龍二は、かなり苦しそうに息をしていた。右肩は不自然にだらりと下がっ

ていて、顔の半分は血に染まっている。

 そして視線の先には一体の『サクリファー』――

「危ない!」

 俊治の声と共に龍二は『サクリファー』によって弾き飛ばされた。龍二の苦痛に満ちた

悲鳴が俊治にも聞こえる。

 得体の知れない力を持っている龍二でもここまでの『サクリファー』には対抗しきれな

かったと言うことか。

「う――おおおお!」

 俊治は『サクリファー』に向かいながら再び左手に力を込めた。しかし、今度は先ほど

のようには行かずに炎は上がらない。一瞬、焦燥が浮かんだが、俊治は右手を掲げて突進

していく。

『サクリファー』の手をかいくぐって俊治は右手を胴体へと押し付けた。

「灰に――なれ!」

 言葉と共に広がる力の波動。

『サクリファー』は叫び声と共に体は言葉通り灰と化していく。しかし、その灰化も下半

身を灰にしきった所で止まってしまった。

(どうして――!?)

 流石に俊治は顔を青ざめさせた。次の瞬間には『サクリファー』の腕が俊治を地面へと

縫いつける。内から込み上げてくる吐き気に耐え切れず、俊治は吐血した。自分の血に浸

かりながら俊治は考える。

(脱出しないと! このまま腕を突き刺されたら――)

 時は無情にもすぐに過ぎて『サクリファー』は残っている腕を振り上げた。

「ご苦労さん」

 俊治の視界の外で声がし、自分を捕まえる『サクリファー』の力が急になくなる。俊治

は『サクリファー』の腕をどけて立ち上がると、そこには『サクリファー』の顔だけを捕

まえて立っている龍二がいた。

 顔は失血のために青ざめていたが足はしっかりしている。俊治は違和感を感じて龍二へ

と駆け寄った。

「大丈夫……ですか?」

「大丈夫じゃないさ」

 龍二は俊治へと倒れこんだ。あまりに力のなくなっている龍二に俊治は動揺を隠せない。

「どうして? あなたなら、あの化け物達にここまで傷を負う事は――」

「何も……わかっちゃいない……んだな」

 龍二は苦しそうにしながらも必死に強さを保とうとしていた。俊治に弱い部分は見せら

れないといったプライドが見える。そのプライドでも体力の低下は隠せなかった。

「ここから、とりあえず離れろ。俺が言う場所へと……連れて行け」

「分かりました」

 俊治は龍二を背負うと指定された場所へと疾走を開始した。

 少し離れた場所まで来てようやく救急車とパトカーのサイレンが俊治の耳に入った。



* * * * *
 微かに体の線が見えるほどの暗闇。  俊治は龍二に指定された場所へと着き、共に暗闇の中にいた。最初は誰にも見られたく ないがために周りを闇に包んでいるのかと思っていたが、どうやらそれも違うようだ。 「浅倉さん……体が……」  龍二の周りをうっすらと光が包んでいる。そのために彼が見えているのだと俊治が気付 いたのだ。そして自分も彼のように光っているのだと理解する。 「ああ。光っているだろう? 暗闇に反応して傷が回復しているんだ。俺達の力は闇に呼 応して解放される。昼間のような光の中では半分ほどしか力は解放されない。そうでなけ れば、『サクリファー』にここまでやられるものか」 「……そうだったんですか」  俊治は心底驚いた。確かに先ほど力を解放してみても、初めて力を解放した時より威力 も持続力もなかった。自分の持つ力にそのような特性があるとは。 「お前は本当に何も知らないな」  龍二はどうやら笑ったらしかった。俊治が何も知らないことへの笑み。俊治は少し腹が 立ったが怪我人に対して怒りをぶつける気にはなれない。  怒りを紛らわせる目的で俊治は軽く言葉を発した。 「……当たり前でしょう。ついこの間まで普通に過ごしてきたんだから」  俊治は特に思う事なくそう言ったが、その言葉に闇の中の気配が動いた。急に俊治の喉 に手が伸ばされる。俊治は抗うことが出来ずに床に押し付けられた。 「……が……っ」 「普通に、生活してきた……か……」  俊治には闇の中に浮かび上がる龍二の顔が見えた。その顔はやりきれない怒りに満ちて いる。それは例えるなら運命という津波に飲み込まれ、ただ流されるしかない不条理さに 対して意味なく手を振り回しているだけの子供のようだった。  龍二ほどの強い男が、そのような表情をするということが、俊治には驚愕と言っていい ものだった。その俊治の表情が見えたのか、龍二は手の力を緩めて俊治から離れた。  その時、俊治には龍二の瞳が緋色に輝いているように見えた。 「その……瞳は」  それは刀を持つ男――都築隆と同じ緋色の瞳だった。龍二は吐き棄てるように言う。 「この眼か。この眼は……俺達に共通する呪いだよ」  龍二は歩いて部屋の隅まで行くと、そこにかかっていた漆黒のカーテンを一気に開いた。 差し込んでくる光は、暗闇に慣れていた俊治の目には眩しく、眼を閉じる。  一瞬後に眼を開いて龍二を見ると、その目は普通の人間の色と同じに戻っていた。 「俺達『アルトレイ』は呪われているのさ。お前という『完全体』を作るための礎として」 「……そこまで言うって事は、話してくれるんですね」 「ああ。今からコーヒーを入れてやる。俺の趣味でな」  龍二はそう言って台所へと入った。明るくなって部屋を見渡すと、龍二の部屋はかなり 整理されていた。テレビに専門書が入った本棚。その一角にオーディオが組み込まれてい て並べられたCDはクラシックが多いように思う。  だがそれ以上に思うことは―― 「生活感がない……か?」  俊治の心の中を読んだかのように龍二が台所から声をかけてくる。俊治は的を得ていた ために即座に返答できなかった。そのことが龍二も自分の言った言葉が正しかったことを 悟る材料となる。 「一応生活はしているんだぜ。ただ、俺は掃除好きでね。自分のいた痕跡まで掃除するの が好きなのさ」 (これじゃあ……まるで自殺する前の人みたいだ)  以前どこかで読んだ事がある本に書かれていた、自殺する寸前の人のように部屋を綺麗 にしている龍二の行動が読めず、俊治はただ困惑した。何か時間を繋ぐものは無いかと本 棚を眺めていると、一冊の本が俊治の目に入ってきた。それを手にとり、表紙を見る。 『あの日無くしたココロの欠片』  もう何年も前の本なのだろう。表紙は少し汚れていた。そしてそれは、この本の持ち主 が何度も、本当に何度もこの本を開き、読んでいることを示唆している。  俊治は軽くページをめくってみた。すると本はあるページを自動的に開く。  この本が何度もこの場所で開かれているうちに折り目でもついたのだろう。そのページ を目で追おうとすると、後ろから龍二が声をかけた。 「出来たぞ」 「あ、はい……」  俊治は本を閉じるとテーブルに向かい、椅子に腰を降ろした。目の前には良い香りを立 ち昇らせているコーヒーが入れられている。場を繋ぐために一口飲んだと同時に、俊治の 口から感嘆の溜息が出た。自分が入れるコーヒーが全くの素人だということが『一飲瞭然』 だったから。 「どうだ? 趣味にするほどのものだろう」 「ええ……こんなに美味しいコーヒーは久しぶりです」  俊治はしばしの間、ここに来た目的を忘れた。しかしそれも龍二の声によって現実に引 き戻される。龍二は一度天井を眺めてから、俊治へと言った。 「昔、狂った一人の科学者がいた」  俊治は身を硬くして龍二の話を聞く体勢を作った。龍二はその事で何か言おうとしたが、 すぐに話の続きを話し出す。 「地球環境は急速に悪化していく。今のままでは人間は絶滅してしまうだろう。隆盛を誇 った恐竜が絶滅したように。ならば、人間は更なる進化を遂げなければならない。そう言 って彼は一つの計画を実行しようとした」 「そんな馬鹿な……」 「そう。馬鹿な計画さ。実際に日本政府もほとんど耳を貸さなかった。そう、『ほとんど』 だ。少数だが、金のある奴等が彼の研究を後押しした。もしこの研究が成功すれば自分達 が日本を裏から操ることが出来るんじゃないかと踏んでな。もし失敗しても、彼らにとっ ては少々大きな損害で済むほどの金だったから、失敗を心配する必要は無かった」  一口コーヒーを飲み、遠い目をする龍二の顔は、俊治にはとても悲しそうに思えた。 「そして彼は三十年前から計画を進めた。その計画を『プロジェクト・アルト』。人間を 進化させる事を目的とする計画さ」 「その計画の結果が、僕の力なんですか?」 「ゆっくり聞きな。まだ、その間がある」  龍二は俊治にコーヒーを飲むよう勧めた。傍目から見ても俊治がかなり緊張している様 子が分かったのだろう。俊治は大げさに肩を回すなどリラックスして、龍二に従って口を つけた。  それを見てから龍二は先を続ける。 「与えられた金を思いきり使ってその博士は研究を始めた。人間のDNAを変質させて超 人類とも言えるだろう人間を作るための研究を。そしてたった四年で最初の実績を残した んだ。身体能力が常人の十倍ほどの力を発揮できる人間を作り出した」  龍二が自分の右手を見ながら震えていた。  やり場の無い怒り。  その気配を感じ取って俊治は理解した。 「それが、浅倉さんなんですね」 「……実験は三段階を想定して進められていた。身体能力だけを飛躍的に強化できる『フ ァースト』、身体能力は『ファースト』に劣るものの、そこを補う特殊能力を身につけさ せる『セカンド』、そして双方を得た『完全体』の三段階に。俺はその本当に最初の実験 体に選ばれたんだ」  突如、怒りの感情が吹き荒れた。  俊治の中に龍二のみなぎる殺気が押し寄せてきて、思わず椅子から立ち上がってしまう。 気付いた龍二は「悪い」と一言言ってから殺気を無くした。  俊治はその理由が何故かはっきりと分かったために何も言えない。 「お前の思っている通りさ。俺はその研究を始めた博士、浅倉豪の息子だったんだよ」  心の中に小波が起こる。  それは徐々に大波となり、俊治の心の中を荒れ狂う。  俊治はしばらく、何も言えなかった。  自分を、そして目の前の龍二をも、運命は弄んでいたのだ。 「俺は失敗作さ。お前を創るためのな」  その言葉は、どこか遠い所で聞こえる、全く無関係な事柄に思えた。


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