俊治は力の限り走っていた。夜の道を疾駆するその姿は他の人から見ればかなり異常に

映ったであろう。俊治は今、常人が出せるはずのない速度で走っていたのだ。自分でも気

付かぬ内に俊治は自分の中の『力』を解放していた。それにより脚力が飛躍的の上昇し、

高速移動を持続して行う事が可能になっていたのだ。

(パートに行く道で、近道を使っているなら……こっちだ!)

 以前、切原智子に聞いた話だと、智子は正規のルートを通らずに公園を横切ってパート

の仕事に出向いているはずだった。ならば、その道筋を辿っていけば彼女と出会えるはず

――死んでいなければ。

 俊治は内に宿る暗い思いを振り払い、全速を保ったまま公園へと足を踏み入れた。その

時、頭の中で警鐘が鳴る。同時に視界に飛び込んできたものは予想通りの光景だった。

「おああ!!!」

 俊治は力の限り絶叫し、化け物――『サクリファー』へと飛び掛った。

 三メートルある巨体に一つ目に耳元まで裂けた口。黒光する巨体はまるで鉄の鎧をまと

っているようだった。

『サクリファー』は俊治のスピードについていけずに、振り向いたと同時に俊治の足が顔

面へと吸い込まれる。『サクリファー』は弾き飛ばされ遠くに倒れ、その間に俊治は気を

失っている智子を抱え上げた。

(間一髪だった……)

 あと数秒遅れていたならば智子の命は確実に散っていただろう。しかし安堵するのも束

の間、『サクリファー』が起き上がり、俊治の元へと歩いてくる。俊治は智子を近くのベ

ンチへと降ろすと右足を前に出し、両手に拳を作った。

「もう一度……あの時の力を……」

 自分の中にある不可思議な力。

 それが恐怖の力であるとしても、今、俊治が頼るのはその力しかなかった。

 大事な人を守るためならば、たとえ呪われた力であろうと構わない。

「俺は……智子さんを救いたいんだ!」

 俊治は咆哮し、『サクリファー』へと駆け出す。右腕に力を込めて『サクリファー』へ

と突き出す。『サクリファー』の突き出した腕と俊治の腕がぶつかり合い――

 俊治は紙のように宙を舞った。

 地面に叩きつけられ、俊治を中心に血が広がる。俊治は体を痙攣させながら何とか起き

上がろうとするが、体は言うことを効かずに全く動こうとしない。

(なんで……力が出ないんだ……)

 俊治は気を失いそうになるほどの激痛の中、『サクリファー』の動きを見ていた。体の

傷は徐々に治ってきている。だから力が失われているわけではない。しかし昨日見せた炎

を生み出す力やもう一つの力も発動しない。

『サクリファー』は俊治のほうを一瞥すると俊治よりも前の位置にいる智子へと足を進め

ていく。俊治は声を上げて『サクリファー』の注意を引こうとしたが、声を上げようとし

た時、胸に激痛が走り息が止まる。

(駄目、だ……智子、さ、ん……)

『サクリファー』の手が智子へと伸びる。研ぎ澄まされた爪が今、突き出されようとした

その時、その腕が千切れ飛んだ。

「え……」

 俊治はその光景を信じる事が出来なかった。千切れ飛ばされた腕が傍に落ち、青い体液

を撒き散らす。

 その液が動けない自分の視界を青く染め、俊治は込み上げる吐き気を抑える。

 だがそれはさほど困難な事ではなかった。目の前の光景があまりにも衝撃的だったのだ。

「誰だ……?」

 痛みに叫びながら『サクリファー』がよろよろと下がる。そしてその体に隠れていた人

影が俊治の視界に現れた。

 体にフィットした黒いスーツに身を包み、少し長めの黒髪を首のあたりで結んだ男が立

っている。その右手が『サクリファー』の血で濡れていた事からも、男が『サクリファー』

の腕を手でひき千切った事は明白だった。

「馬鹿が。自らの力を消耗しきっている事さえ気付かないなんて……」

 男が俊治を見て吐き捨てるように言う。俊治にはその声に聞き覚えがあった。

「あさ、くら……先生?」

 その男――浅倉龍二は俊治の言葉を聞き流し、『サクリファー』へと向かう。

『サクリファー』は咆哮し、龍二へと逆に駆け出す。突き出された『サクリファー』の腕

を龍二は躱し、右手をその腕へと伸ばした。その手が『サクリファー』の腕を掴む。

 そして、『サクリファー』の腕がひき千切れた。

「ギャオオオオ!?」

 両腕を千切られた『サクリファー』は地面に倒れ伏し、龍二は『サクリファー』の頭を

踏みつけた。『サクリファー』は叫びながら起き上がろうとするが全く龍二は動かない。

「死ねよ」

 冷たく言い放った龍二は足を振り上げ、そのまま振り下ろした。龍二の足は『サクリフ

ァー』の首を切断し、その首は倒れていた俊治の目の前に落ちた。

「……うううっ!?」

 俊治は耐え切れず、嘔吐した。自分の吐き出した物が『サクリファー』の頭へとかかる。

嘔吐物によって汚れた『サクリファー』の顔を動けない俊治はまじまじと見ることになる。

そして、それは突然だった。

『サクリファー』の顔が一瞬、俊治には人間の顔に見えたのだ。

「うわっ?」

 その顔は自分の顔。

 自分の顔が血塗れになって俊治の視界に入ってくる。

 俊治の精神は一気に限界を超えた。

「う――わぁあああ!!!」

 俊治の周りに炎が巻き起こる。『サクリファー』の残骸にその炎は燃え移り、一瞬にし

て黒く炭となっていった。龍二は俊治の炎の範囲から離れてその様子を見ていた。

「そうだ。お前の全てを解き放ってみろ。お前のために犠牲になった者達へとその成果を

見せてみろ!」

「ぐ――ぅおお!!」

 俊治の姿が一瞬消える。龍二は危険を感じてその場から思い切り飛びのいた。次には立

っていた場所にクレーターが出来る。

 龍二の視界には拳の周りに炎が噴出している俊治の姿があった。俊治の目は紅く染まり、

明らかに正気を失っている。充分に距離を取っているにも関わらず、龍二は滲み出てくる

額の汗を拭った。

「凄まじい熱気だな……これが、『完全体』か」

 龍二は拳を握り締めて筋肉をたわめる。俊治の殺気が龍二に向かった瞬間、その姿は掻

き消え、龍二は後ろに拳を放っていた。後ろに回りこんだ俊治の顔目掛けて拳が振り下ろ

されるが俊治は片手で受け止めていた。

「――!」

 しかし俊治の手から龍二の拳が離れ、そのまま俊治の顔面を強打する。俊治が地面に倒

れたところに龍二は覆い被さり首へと手を伸ばした。

「だが、まだまだだ」

 首を掴まれた俊治は何とか動こうともがくが、龍二は全く動かず、首を閉める力は徐々

に強くなっている。俊治の首に龍二の指が食い込み、俊治の顔色が青ざめていく。

「こんな奴のために……俺達は……」

 龍二が最後の一押しのために力を込めようとした時、急激に周りの温度が上昇した。

 危険を感じた龍二が手を俊治の喉から離そうとした刹那、俊治の手によって左手首を掴

まれる。

 そして龍二の手首に火柱が上った。

「ぐ――あ!?」

 龍二は強引に手首を引き剥がして間合いを取り、即座に手首に燃えている火を消す。

肉の焼ける匂いが鼻腔をついて龍二は顔をしかめた。俊治は息を荒げながらもその瞳は龍

二を捕らえ、離さない。

「そうこなくてはな!」

 龍二は激しい痛みと胸の不快感を闘争心で封じ込めて俊治へと駆け出した。俊治も両手

を腰溜めに構えて待ち構える。二人の闘気が視線上で交錯した。

「そこまでだ!」

 その時、ぶつかり会う二人の闘気を両断するように刀を振り下ろして黒い影が降り立っ

た。影――隆は龍二にその手に持った刃を向け、俊治には手をかざす。二人とも突然の来

訪者に驚いたわけではなかったが、何故か動けなかった。

 最初に動きを見せたのは俊治だった。

 俊治は体を覆う荒れ狂う炎が消えると同時に、その場に仰向けに倒れた。次に龍二が左

手首を抑えてその場に膝をつく。額から出る脂汗をぬぐうことすら出来ずに火傷を右手で

抑えていた。

「俺が来るのがもう少し遅ければ、お前は助からなかっただろうな」

「……それで俺に恩を売ったつもりか? 都築」

 龍二は苦しそうな顔をしながらも立ち上がり、その場から立ち去ろうとする。その背中

に隆は声をかけた。

「浅倉龍二。あんたまでこの街にいるということは、『プロジェクトアルト』の計画書の

行方を掴んでいるんじゃないのか?」

 龍二は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。しかし言葉を発しようとした口が驚愕の震

えに止まる。隆はいぶかしんだが、次の瞬間に自分を襲った殺気に驚き、刀を抜いて振り

返った。

「おやおや。『完全体』の気配を追ってきたら、『失敗作』二つに出会うとは」

 視線の先に立っていたのは黒いスーツに身を包んだ男だった。髪は灰色に染まり、短く

刈り込んでいる。尋常ならざる力を持つ二人の前に立つにはあまりに無警戒な気配を漂わ

せていた。

「九条――!」

「真司!!」

 龍二と隆は二人同時に地を蹴った。隆が刀を振り下ろし、龍二は右手を伸ばす。

 しかし男――九条真司は隆の刀を躱し、龍二の手をかいくぐって二人の後ろに立ってい

た。二人は自分の攻撃がいつの間に躱されたのかさえ理解できずに唖然としている。しか

しすぐに隆は第二撃を放とうと刀を振ろうとした。

「今は闘う気はないよ」

 しかし隆の刀を持つ右手を九条は掴んでいた。いつの間に隆の前に九条が移動してきた

のか隆も龍二も理解できない。気付けば、九条が隆の前にいた、としか言えなかった。

「今日は『完全体』を回収しようと思ったんだが、まだまだ観察しがいがあるらしい。も

う少し『サクリファー』をけしかけてみる事にするよ」

「き、さま――」

 隆が空いている拳を振り上げると同時に九条は再び二人から離れた所に姿を現した。龍

二は追撃をかけようとしたが、九条の姿はすでに視界から消えていた。

『君達二人も充分観察しがいがあるよ。特に隆。君はね』

「九条!!」

 隆が叫ぶ。しかし九条の気配は完全に消滅していた。しばらく佇んでいた二人だったが、

俊治が起き上がったことで動きを見せた。龍二は駆け出して一気に隆の視界から姿を消し

た。そして隆は刀を腰の鞘に納めて俊治を見る。俊治は頭を振りながらも立ち上がり、周

りを見回した。そして智子がベンチで無事に寝ていることを確認すると次に隆に視線を向

けた。

「……ありがとう」

「礼を言われるようなことはしていない」

 隆はその場を立ち去ろうとするが、俊治は駆け出して隆の肩を掴んだ。

「待ってくれ! あんたは! 俺の力が何なのか知っているんじゃないのか!?」

 隆は動かなかった。俊治はしばらく彼の答えを待ったが、隆は何も言わない。しびれを

切らせて俊治が続けて言葉を放とうとした時、隆が口を開いた。

「知らないほうが、いい」

「あんた!?」

 隆は肩を掴んでいた俊治の腕を綺麗に外すと一気に跳躍した。公園の明かりが届かない

場所に。そして隆の気配は闇の中に消え去った。その場には俊治だけが残された。

「……どうして、教えてくれないんだよ……」

 俊治は泣き出したかった。自分が抱えた力、誰にも相談できないような悪しき力の謎を

知りたかった。しかし今の隆の様子では聞くのは困難だろうと俊治は途方にくれた。

 しかし一つ、俊治の脳裏に映像が浮かぶ。それは先ほどまでいたもう一人の顔。

 それは明らかに自分の知っている顔だった。

「浅倉先生も、関係者なんだろうか……」

 糸が切れたわけではない。

 今、何がこの街で、自分の中で起こっているのかを知る糸はまだ切れていない。俊治は

そう思い直すと智子の下に向かった。とりあえず今起こったことをどうごまかすかを考え

ながら……。





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