それは夢だった。

 そうとはっきり理解するほど俊治の意識ははっきりしている。

 俊治の視界は揺らいでいた。それは自分の眼がどうかしているわけではなく、自分を包

んでいる液体による物だと、理解していた。

『もう少しで完成するようです』

『よし……五年かけたかいがあったようだな……』

『【プロジェクトアルト】はもうすぐ実現するんですね』

『ああ。究極の進化者だ!』

 口々に揺らめく視界に映る人々が言葉を発する。その言葉を俊治は少しも理解できない。

だが、その視界の中に見覚えのある人物が映っていた。

(石原……教授?)

 今、自分が知っている人物よりもかなり若い。おそらくまだ二十代だろう。それでも自

分が知っている大学教授の面影が確かに存在した。そしてその男が口を開く。

『しかし……これで良いのでしょうか?』

『何を怯えているんだい? 石原君』

 石原は顔面を蒼白にさせて呟いた。

『僕達は間違っているのではないでしょうか? 浅倉さん……』

 その時、俊治の意識は闇に包まれた。





(今、何の夢を見てたんだっけ?)

 俊治は自分の目覚めの悪さに不快感を隠せなかった。しかし病院の白い天井を見ている

とその不快感もなくなり、記憶も曖昧になる。ドアのノックの音が俊治の耳に入り、頭を

覚醒させた。

「はい」

 俊治が応じると一人の男性医師が入ってきた。自然と俊治の視線は医師の名札に集中す

る。そこには『浅倉』という文字があった。

「おはようございます。気分はどうですか?」

「あ……はい。普段通りです」

 浅倉龍二は俊治の変わらぬ様子を見て表だけの笑顔を向けた。その笑顔の裏にはどす黒

い憎悪が渦巻いている事を、俊治は知らない。

「なら、あとはお支度を。軽く検査してから午後には退院できますから」

「はい……あの」

 俊治は背中を向けた浅倉に対して声をかける。

「昨日、何か事件が起こったとか、ありませんでした?」

 浅倉は少しの間黙って俊治を見ていたが、すぐに首を振った。

「いえ。なにもありませんでしたよ」

 その言葉には嘘をついているような気配もなく、俊治は少し疑問に思いながらも信じる

事にした。浅倉が出て行った後で、帰り支度をする。時刻は八時。

 俊治はふと隣のベッドを見た。そこには隼人が眠っているはずだ。しかしそこはすでに

シーツがたたまれ、人がいた気配は消えている。後ろにいたはずの昭英もまたいない。

(二人とも……俺より早く退院したのか?)

 釈然としないながらも俊治は支度を再開した。





 俊治が病院を出たのは午前十一時を少し過ぎていた。これから大学に行くには少々面倒

に感じる時間だ。だが俊治の横にはちょうど見舞いに来ていた美琴がいた。

「これから大学……やっぱり行くんですね」

「そうよ。十月からは本気で卒論やらないといけないんですからね!」

 美琴についていくと、その先には車があった。それは美琴の車に間違いなかったが、俊

治は混乱して美琴に問いただす。

「美琴さん、あの車……」

「? ああ……お父さんに事情を説明したら、同じの買ってくれたの」

 あっさりと言う美琴に俊治は何かおかしさを感じながら、しかしその漠然とした違和感

を追求する気も起きずに次の質問を留めた。

(何だろう? 何か、周りがおかしい。嘘で固められているように思える)

 俊治は不安になってきていた。何か自分に得体の知れない事が起こったかもしれない。

しかし昨夜の記憶は曖昧で、自分でも自信がないことを他人に言えるはずもない。俊治は

美琴の車に乗り込み、発車してからしばらく街並みを眺めていた。

 何も変わらない街並み。

 昨日と同じように人々は歩き、自転車が通り、車が走っている。

(そうだ。何も変わらない。昨日の非現実的な出来事は、なかったんだ)

 俊治は自分自身を安心させようと繰り返す。美琴は俊治の様子を気にしたのか、ラジオ

のスイッチを入れた。ちょうどニュースを流しているチャンネルに合っていたラジオは午

後のニュースを告げる。俊治は窓を少しだけ開けて空気を入れた。入ってくる風が俊治の

顔を撫でる。

 その時だった。

 俊治は昨日の出来事はあったのだと確信した。

『――……』

「えっ?」

 俊治は窓を閉めてラジオのボリュームを一気に上げた。耳にうるさく声が入ってくる。

しかし俊治は耳に全神経を集中させた。ラジオからの声を一字一句聞き逃さないように。

『繰り返します。ただいま入ってきた情報によりますと、午前十一時五十分頃、星陵大学

六階の一部屋が原因不明の爆発を起こし、現在大学は一時閉鎖されているようです。多数

の怪我人が出ましたが、死亡者はいない模様。警察は事故と事件の両面から調査を開始し

ています――』

 その事件を、俊治は昨日の出来事と関係があると確信していた。何故かと問われればそ

れに答えることは出来ない。しかし、俊治は感じたのだ。

「美琴さん! 急いでください!」

「え、ええ!」

 美琴はアクセルを踏み込んで車を加速させた。窓を流れる景色も加速し、次々と流れて

いる。俊治は横の景色から前を見ようとした。そこで急に悪寒が体を駆け巡る。

(なんだ!?)

 俊治は再び窓を開けて外を見たが、加速している中で自分の感じた悪寒はすぐに消えて

いく。少なくとも自分に悪寒を味あわせた『何か』はすでに視覚外へと消えてしまってい

るだろう。俊治は諦めてすぐに窓を閉めた。

「どうしたの?」

 美琴が訪ねてきても俊治は何も言えなかった。

 そのまま重苦しい沈黙が続いたが、やがて大学が見えてくると人通りが多くなったため

に車で通ることが出来なくなる。

「これは……」

「ここから先は車では行けないわね」

 美琴は道路の端に車を止めて、二人は車外に出た。俊治は瞬間的に周りを見る。そこは

前日に俊治達が化け物に襲われた場所だ。しかしその形跡はどこにもない。

(何で? 誰かが片付けた……?)

 考えても答えは出なかった。俊治自身が持っている情報が少なすぎる。俊治は一度、そ

の事は忘れて目の前の問題を直視した。前からは続々と大学の生徒達が歩いてくる。その

顔に浮かんでいるのは疑問と不安。わけの分からない状況に対する感情が伝わってくる。

「俊治君!」

「は、はい!」

 俊治は美琴と共に走り出した。生徒の波を掻き分けてやがて二人は大学へと到着する。

そこにはパトカーが数台と救急車、消防車。そして多数の警官と生徒がいた。俊治も見た

事がある、六階に講座を持つ生徒達だ。警官は爆発した部屋について何か知らないかと、

生徒に聞いているようだった。

「――先生!」

 美琴が花壇の縁石に腰掛けていた石原を見つけて声をかける。石原は頭に包帯を巻いて

いたが、しっかりとした動作で立ち上がる。どうやら怪我は軽いらしい。

「どうしたんですか? 部屋が爆発って……」

「それが、わたしにも分からんのだ」

 美琴と石原の会話を聞きつつ、俊治は爆発した部屋がどこなのかを探した。すると、六

階の端の部屋から煙が出ている。すでに火は鎮火されたようだったが、その痕跡は残って

いた。

(あの場所は、昨日……気になった場所だ)

 俊治は自然と足を研究棟へと向けていた。警察や消防の人々が俊治を呼び止める。しか

し俊治の耳には言葉は届かなかった。一気に足を速め、走り出す。

「俊治君!?」

 美琴が俊治を呼び止めようと叫ぶが、それさえも聞こえない。俊治は全速力で研究棟の

中を進んだ。見えてきたエレベーターは一目見て電源が落ちている。そのために横にある

階段を使って六階まで一気に駆け上った。心臓が激しく動悸する。それは激しい運動のた

めだけではなく、目指す先にある何かを感じ取っているからかもしれなかった。

(あの部屋は何なんだ? なんでこんなに気になるんだよ!)

 六階へと足を踏み入れ、目的の部屋を視界に入れる。その部屋からはくすぶった煙がま

だ出ていたが、俊治は迷いなく駆け出し、部屋へと一気に飛び込んだ。

「これは……」

 俊治が見た光景は悲惨だった。

 そこにあったのは投げ出された本棚に黒く炭化した机。ほとんど全てがもう使い物にな

らない。

(何だ? 爆発で壊れたって言うよりも、何か高熱で焼けたって感じがする……)

 その時、部屋の中で何かが動いた。俊治は物音に反応して入り口まで跳躍する。しかし

次の瞬間には俊治の首に刀が突きつけられていた。

「お、前は……」

「……」

 右手の刀をまっすぐに俊治の首へと突きつけている男――都築隆は鋭い眼光で俊治を見

据えた。見えない力に抑えられているように俊治は動けなかった。

「お前が、やったのか?」

 ただ一つ自由に動く口で、なんとか言葉を紡ぐ。しかし隆は何も答えず、刀を納めた。

「……どうして?」

「俺ではない。そしてお前でもないなら、見当はついている」

 隆はそのまま俊治の横を通り過ぎた。俊治は動くようになった腕で隆の肩を掴んだ。

「待ってくれ! 何なんだよ、あんた? 一昨日や昨日の化け物は一体何なんだ? あん

たが闘っているのは、一体……」

「知らないほうが幸せだ」

 いつの間にか、俊治が気付かない間に隆の肩から俊治の手が外れている。俊治は一瞬呆

然としたが、すぐに隆の後を追いかけた。廊下に出ると既に隆はかなり離れた場所にいる。

俊治は最大限の声を使って叫んだ。

「あんたは! 何で闘っているんだよ!!」

 その言葉に拘束力があったとは思えない。しかし隆は実際にその場に留まった。俊治が

いぶかしんで見ると、隆は振り返る。そして一言、こう言った。

「願いのためだ」

 俊治が何も言えずにいる間に、隆は姿を消した。その後、階段から現れた消防隊に俊治

は保護され、共に研究棟の外に出る事になった。その間、誰も隆のことについては何も言

わなかった。隆は正に煙のように消えてしまった。

(願いの、ため)

 俊治の脳裏に、その言葉がはっきりと記憶された。





 結局、爆発の原因を解明するまで大学は休校となった。俊治は美琴の車で自分の部屋ま

で戻ってくるとすぐにベッドに横になった。前日からの疲れが一気に押し寄せたかの如く、

体が重い。しかしそこで携帯電話が鳴る。閉じそうになる眼を精一杯開いて着信を確認す

ると、そこには『自宅』の文字。電話を取ると、聞こえてきたのは母親の声だった。

『俊治、ニュースであなたの大学で爆発が起こったって言ってたけど……大丈夫?』

「大丈夫だよ。心配しないで、母さん」

 俊治はしばらく会話をしてから電話を切った。すぐにぬるま湯の中にいるような眠気が

襲ってくる。

(眠い……疲れた……)

 一気に俊治の意識は闇に落ちた。



* * * * *
 次に意識が戻った時、すでに周りは暗かった。俊治は傍にあった携帯電話を探し出して 明かりをつける。時刻は午後十時を指していた。 (寝すぎた……)  起き上がろうとした俊治の耳に、微かに声が聞こえてきた。  泣き声。不安でたまらないといった声が。 「ゆかりちゃん?」  すぐに声の主が隣の家にいる二歳のゆかりだと俊治は悟った。その泣き方が尋常じゃな いことに俊治は首をかしげた。いつもなら帰ってきている智子がゆかりをあやしているは ずだ。しかしいつまでも泣き止まないということは……。 「帰ってない、ってことだ」  俊治はジャンパーを着ると外に飛び出した。  予感がしていた。  智子が化け物に襲われているという、嫌な予感が。 (無事でいてくれ、智子さん!)  俊治は全速力で駆け出した。


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