突然背後に現れた男に美琴は声も出ない。しかし手に持った刀がまがい物などではなく、

真に人を殺せる気配を発していることは分かった。

 夜の中に煌く一筋の光。そしてその光と共に美琴の横を通り過ぎていく男。

 向かう先には、俊治がいた。

「やめ――」

 美琴が静止の声をかける前に、男へと俊治が駆け出していた。両手は肩幅に開かれ、走

る勢いに逆らわずに後ろへと流されている。美琴には、俊治の両手に何か得たいの知れな

い物が宿っていると感じられた。

「消えろ――」

「『風林火山』」

 男の声は静かに呟いたような声だったが、美琴の耳にははっきりと入ってきた。その瞬

間に俊治の周りに突如刃が現れ、四方から俊治を切り刻む。

「いやっ!」

 美琴は飛び散る鮮血を見て意識が遠のきかける。しかしギリギリのところで自分の意識

を保った。このまま気を失ってしまっては最悪の結果が待っている気がしたからだ。

 美琴の内心の動揺を他所に、俊治と男は激闘を展開していた。

 俊治の左手が突き出されると同時に炎が噴出し、男は躱しながら懐へと飛び込む。しか

し振った刀は俊治の右手によって受け止められ、次いで出される右腕を男は飛びのいて躱

す。互いに攻めきれずに間合いが開いた。

「大した物だな……お前は『完全体』なのか、それとも『サクリファー』なのか……?」

 男は呟き、剣を肩へとかつぐように構える。両手で柄を握り、半身になって俊治に対し

た。一方の俊治は両手をだらりと下げ、自然体で立っている。

「――ふぅ」

 男が静かに息を吐いた。そして男の周囲に圧倒的な圧力がかかる。重力が反転でもして

いるのか男の周囲のコンクリートが中空へと舞い上がる。男が危険な一撃を放とうとして

いることは美琴にも良く分かった。

(俊治君が死んじゃう!!)

 美琴は咄嗟に叫んでいた。

「やめてぇえええ!!!」

 殺気の満ちた空間に響いた絶叫。その瞬間、男は構えを解いた。そして俊治もそのまと

っていた異様な気配を消し、その場へと崩れ去る。何が起こったのかと美琴は思わず男の

ほうへと視線を向けると、男は刀を納めて歩き出していた。

「あ――」

「今夜の事は忘れろ。死ぬだけだ」

 先日、俊治へとかけたような台詞を美琴に言い、男はその場から瞬時に姿を消した。

 あれだけの死闘がいきなり終結してしまったことに美琴は呆気に取られていたが、我を

取り戻すと俊治へと駆けていき、体を揺さぶった。

「俊治君。起きて、俊治君!」

 美琴は心配していたが、俊治が眠っているかのように唸る様子を見て、どうやら無事だ

と分かると視界が急に暗くなる。安堵感から緊張の糸が切れたのだ。

「よか――」

 美琴は俊治の上に寄りかかり、気絶した。





「やけにあっさり引いたんだね」

 上月恵美華は前を歩く男へと不思議そうに言った。男がどれだけ『サクリファー』を嫌

い、抹殺したがっているのを知っているだけに、その可能性があったさっきの相手をほぼ

無傷で見逃すのは信じられなかった。

 ここに来たのも、自分の能力である『シーク』を使って『サクリファー』の居場所を突

き止め、抹殺するためなのだから。

「やっぱり一般人がいたから?」

「違う」

 男はそう答えたきり何も言わずに目的地を目指して歩いていた。この大学に、この土地

に来たもう一つの目的を果たすために。恵美華は自分の質問をはぐらかされた事に少しだ

け不満を感じ、再び男へと問いかけた。

「ねえ、隆。どうしてあの『サクリファー』候補を殺さなかったの? あの特殊能力は奴

等の物とみて間違いないよ?」

 隆と呼ばれた男はしばらく無言のまま歩いたが、星陵大学の入り口へと辿り着いた時、

口を開いた。

「姉に似ていたのさ。あの女が」

 隆はそう言ったきりまた言葉を発さずに大学構内へと歩を進めた。その後ろを恵美華は

ついて行く。

(……いつまで経ってもシスコンなのかしらね……)

 それも仕方のない話だと恵美華は思い、この話題を頭の中から消した。これからもう一

つの目的を果たすためには余計な思考は厳禁。もしかしたら自分達は危険な場所へと足を

踏み入れているのかもしれないのだから。

 しばらく階段を使って上がっていく二人。そして、最初から行く場所を分かっていたか

のように明かりの点いている部屋へと歩みを進めた。隆はドアに身を寄せて集中する。中

から聞こえる物音から、男が一人だけ残っていると察する。

 隆は恵美華に合図を送ると静かにドアを開け、中に入る。恵美華も続いて中へと入ると

すでに隆は刀を中にいた人物へと突きつけていた。

「探したよ。石原正嗣。まさか、始まりの場所に帰ってきているとはな」

「君も、よく生きていたね……都築隆。二年前に君は死んだと聞かされていた」

 そこにいたのは俊治達の講座の教授である石原だった。無機質な感じのする部屋の中で

静かに隆へと視線を向けている。自分の命が握られているにも関わらず、その態度は堂々

としていて些細な動揺も見えない。

「お前に聞きたい事がある」

「わたしも聞きたい事があるな」

 隆はしばらく刀を突きつけていたが、やがて刀を下ろした。そして手近な椅子へと腰を

降ろす。恵美華もその横へ椅子を持ってきて座った。

「やけに大人しいんだな。お前を殺すかもしれないのに」

「お前が憎んでいるのは『サクリファー』だ。わたしは確かに彼らを創ることに加担した

が、わたしを殺しても仕方がないのは分かっているだろう」

 隆は返答しなかったが、その沈黙が肯定していることを示している。

「ここに来たのは知りたいからか? 九条真司の行方を」

 その名前を聞いた隆から一瞬だけ殺気が洩れる。有り余るそれを抑えきれない様子から

も九条という人物が隆に取っては重要な人物なのは明確だった。猛る怒りを抑えるのに必

死な隆を横目に恵美華は質問した。

「あなたがもう『プロジェクトアルト』に関係ないことは分かっています。ですから、あ

のプロジェクトの全てのデータを持っているはずの九条を見つけないと、『サクリファー』

の犠牲が更に増えますよ」

「わたしはもう何も手助けできない」

 石原は呟き、俯いた。全てを諦めた瞳は恵美華を失望させるには充分だった。

「……自分の過ちを直視しようとしない、か。なら二度と日の目を見ようと思うな」

 隆はそう言って部屋から出て行った。その後を恵美華がついていく。しかし部屋を出る

直前に振り返り、石原へと言った。

「でも九条がここに来たら、あなたは殺されますよ?」

「それも運命なら仕方がない」

「……運命なんて言葉、嫌いです」

 恵美華は嫌悪感を隠そうともせずに言葉を吐き捨て、部屋を出て行った。一人残った部

屋の中に流れるのは溜息。それによって空気の質が微妙に変わる。無機質な部屋は少しだ

け色に染まった。

 後悔という色に。

「過ちは繰り返される。しかし、それを止める手立ては既にわたしは持っていない。それ

が、何より……」

 石原は机に頭を抱えて突っ伏した。



* * * * *
 俊治はうっすらと目を開けた。最初は天井の光源の眩しさによって目に痛みが走ったが、 すぐにゆっくりと目を開け、完全に視界を開く。一目見ただけで病院だと分かった。そし て自分の腕に包帯が巻かれている事も感触で分かる。俊治は体を起こして周囲を見回した。 「気付いた?」  横には美琴が座っていた。その後ろにあるベッドには昭英。その隣には隼人が眠ってい る。自分が置かれていた状況を思い出して、俊治は身震いする。 「そうか……俺達……化け物に襲われて……」 「うん。でも化け物はいなくなったよ」  美琴の口調の中にある不自然な緊張に、しかし俊治は気付かずにその言葉自体にほっと して息を吐いた。ようやく緊張の糸が途切れたと言わんばかりに笑顔を見せる。 「そうか! 良かったぁ……俺、いつの間にか気を失っちゃって……美琴さん大丈夫?」 「あ……ええ! 大丈夫だよ。俊治君のおかげ」 「俺の?」  俊治が不思議そうに聞き返したが、美琴は結局その後は何も言わなかった。聞こうにも 医師が突然部屋へと入ってきて面会時間の終わりを告げたのだ。時刻は午後十時。大学を 出た時間から一時間以上経っている。 「外傷による後遺症はないのですが、安静を取って今日だけ入院していってください」  白衣に身を包んだ男が優しい口調で俊治と美琴に言う。昭英と隼人は意識がまだ戻って いないようだったが、とりあえず安心なのだろう。それ以前に医者に言われては反論でき るはずもない。俊治は肯定の返事をするだけだった。 「では、佐々木さん。退室してください」 「はい」  美琴は俊治に名残惜しそうな視線を送ったが、俊治はそれに気付かなかった。美琴は残 念そうな顔をして部屋のドアを閉める。しかしちゃんとドアが閉まった後、俊治はベッド に寝ずに体を起こしたままにしていた。考え事をしているらしく、視線が中空に留まって いる。 「なんだったんだろう……」  自分の両腕を眺めながら呟く。  覚えているのは自分の意識が薄れるところ。そして度々体の中へと入ってくる熱い感覚。 それに伴って体の底から湧きあがってくる衝動。  コロセ  コロセ……  殺せ!  こ・ろ・せ――! (怖い……自分が自分でなくなる……)  俊治は震えの止まらぬ体を抑えていた。自分の内から生まれる破滅的な破壊衝動。  徐々に甦っていく記憶。  化け物を簡単に屠る自分の手。 (……―――!!)  俊治は声にならない絶叫を上げた。  その様子を病室の外から見ている人影がある。俊治の無言の苦しみがまるで聞こえてい るかのようにその人物は顔に笑みを浮かべ、心を躍らせている。 「遂に見つけた。『完全体』を。『プロジェクトアルト』の完成形を」  男は病室から離れ、自分の机がある部屋へと向かった。途中ですれ違う看護婦達から放 たれる、会えた事が嬉しいという感情を隠さない言葉。その一つ一つに男は丁寧に答えて いく。そして自分の部屋へと着いた男は内側から鍵をかけ、机に向かう。男は机の上にあ った写真立てを手にとり、眺めた。 「父さん。遂に見つけましたよ……あなたが創った、究極の進化者を」  男は渾身の力を写真立てを持つ手に込める。すると写真立ては破壊への音を奏で、すぐ にバラバラに砕け散った。床に落ちた写真を力の限り男は踏みつけ、バラバラに引き裂く。 「……俺の人生を、全てを粉々にした貴様ら全て……滅殺してやる」  男は憎悪の炎を瞳に浮かべ、写真を見据えた。そこにあるのは笑顔の父親に抱かれる幼 い子供。幸せの空気に包まれている、綺麗な写真。  コンコン。  ノックされる扉。男はドアへと近づき、ゆっくりと開けた。そこにいたのは看護婦。男 は看護婦の視界に床に落ちている写真を入れないように立った。 「あ、浅倉先生。急患です」 「分かった。すぐ行くよ」  男――浅倉龍二は部屋を素早く出ると看護婦を従えて歩き出した。


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