第五章『夜の果てに』





 奇妙な光景だった。

 闇に包まれた中に走った、一筋の光。

 遮る物を感じさせる事なく上から下へと微小な歪みもなく引かれた線は、一人の男の姿

を俊治の目に映し出す。

 断割れる闇。現れる男。

 それは新たなる絶望の始まりか、それとも絶望を終わらせる光明か。

 俊治の記憶の中にある光景とほぼ同じ光景を作りだし、都築隆は着地した態勢から立ち

上がった。緋色の瞳を光らせ、手には『サクリファー』の体液に濡れた刀を持ち、すぐさ

ま俊治に背を向ける。

「『風林火山』」

 隆が言い放ち、振り向き様に刀を振るうと、そこから生まれた不可視の刃が自分達へと

殺到してくる『サクリファー』達の首を切り落とした。刃から逃れたり、届かなかった彼

等は、隆の力に脅威を感じるだけの知能は残っているのか、足を止めて二人を取り囲む。

 刀を眼前の一体に突きつけつつ、周囲に気を配りながら隆は俊治へと言った。

「動けるか? 高町俊治」

「……ええ。ありがとうございます」

 俊治はふらつきながらも立ち上がる。体は急激なスピードで回復してきている。今まで

で最も早い回復に、俊治自身も動揺していた。

(『完全体』の本領発揮ってことなのか?)

 折れていた両腕を動かし、充分に回復している事を確認して、右手で口元についていた

血を拭う。乾いた血が顔から剥がれ落ちる。血塗れだった顔はその切り傷、打撲の後が完

全に消えているだろう。それは鏡を見なくても予想できた。尋常じゃないその力に、隆も

驚きを隠そうとせずに感嘆のため息をついた。

「どうやら『完全体』の本領発揮、というところだな」

(考えた事と同じ事を……)

 同じ言葉を使った隆に親近感を覚えた俊治だったが、体が完全に回復した瞬間に闘志を

復活させて昭英達がいた場所を睨みつける。すでにその場には誰もいなかった。隆が現れ

た時に姿を消していたのだろう。俊治の意識がはっきりした時にはすでに気配を感じる事

が出来なかった。

「とりあえず、ここを二人で突破しましょう。九条も……昭英もこの先にいます」

「いや、ここは一人でいい」

 隆の言葉に俊治は驚きを隠せなかった。いくら隆でもこの数の『サクリファー』を相手

に無事ですむはずがない。そして、俊治は隆の左腕が無いことに今更ながら気付いた。

「隆……さん。左腕が……」

「ああ。ないな」

 それがどうしたと言わんばかりに隆は俊治の動揺した声に言葉を返す。次第に狭まって

くる『サクリファー』の包囲網を見ながら、隆は更に言葉を続けた。俊治が何度も聞いて

きた無感情な言葉を。

「俺は俺の戦いをしてきた。後悔はない。そして、お前の戦場はここじゃない。だから、

俺が引き受けてやる」

 だが、その言葉は俊治が聞いてきた言葉とは少しだけ違っていた。

 言葉の形は同じ。しかし、言葉の皮に包まれている中身を少しだけ垣間見た俊治には、

それが今までとは違う物だと言うことが分かった。

「行け!」

「……はい!」

 もう俊治は迷わなかった。足に力を集中して何メートルも跳躍する。そして、昭英達が

いた鉄筋通路へと着地して眼下に広がる『サクリファー』を見る。工場全体に広がってい

る『サクリファー』を一瞥してから隆を見る。隆は一瞬だけ俊治に顔を向け、笑って見せ

た。笑顔を見せたことも驚愕に値したが、この状況でそこまでの余裕を見せることが出来

る隆の胆力に、俊治は尊敬の念を抱いた。

「行きます!」

 俊治が駆け出し、『サクリファー』が後を追おうと何体かが体の向きを変える。その瞬

間に、隆が元いた場所から跳躍してそれらの『サクリファー』の首を正確に斬り飛ばした。

倒れる『サクリファー』の中心に着地して、更に力を放出する。

「『天地咆哮』!!」

 隆を中心に『力』が放出された。隆を取り囲む『サクリファー』達の体に数百に及ぶ穴

が生まれる。不可視の力が散弾銃のように全方位に放出されたのだ。自分の傍にいた『サ

クリファー』は顔面に穴を空けて絶命。離れた場所にいたそれらも、体の大部分にダメー

ジを受けていた。

 隆は顔を上げ、俊治が工場から出て行ったことを確認すると『サクリファー』の群に対

して油断なく刀を突きつけつつ、声を張り上げる。

「いるんだろう! 九条真司!! もう隠れる必要はないだろう!」

 隆の声が中空に消えて時間が流れる。かすかに九条の気配を感じたことで、隆は半分勘

で九条の名を叫んだ。このまま姿を表さなければ『サクリファー』を全滅させてから俊治

の後を追うだけだが、それでは手遅れになる可能性もあった。

「……秋葉を殺した感想はどうだ?」

『サクリファー』への攻撃を再開しようとした瞬間に、九条が鉄筋通路の上に姿を表した。

俊治が先程駆けていった空間のどこに隠れていたのか隆には分からない。

 しかし、それこそどうということではない。

 隆の目的は一つだけだった。余計なことを知る必要はなかった。

「あれは姉さんじゃない。俺の愛した姉は、二年前に死んだ。そして、九条。お前も殺す」

『サクリファー』に対して突きつけていた刀を真司へと向け、隆は鉄筋通路へと跳躍しよ

うとした。その時、隆に対して一斉に『サクリファー』が襲い掛かる。その統制された動

きは明らかに隆の跳躍を妨害せんとする物。隆は跳躍を止めてその場に足をつけ、力を集

中する。

「『天地咆哮』!」

 全方向に放たれる不可視の弾丸。穴だらけになった『サクリファー』を踏み越えて跳躍

し、前に立ち塞がる『サクリファー』へと刀を振るう。

「『風林火山』!」

 幾本もの不可視の刃が前方の十体ほどを絶命させた。しかし着地と同時に死体となった

仲間を踏み越えて敵が迫る。

「『天地咆哮』!!」

 三度放たれる弾丸。真司は鉄筋通路の上から隆の戦い振りを見ながら哄笑していた。

「ははははは……そのペースで戦い続けるのか? 彼等を全て殺したら、私が相手をして

やろう」

 真司は自分の優位を信じて疑わずに、無謀な戦いを続ける隆に言い放った。眼鏡を外し、

取り出したハンカチでレンズを優雅に拭きながら隆の戦い振りを見る。

 改めてかけ直したところで、度が入っていない眼鏡は真司の視界を劇的に変えることは

ない。サングラスということで多少視界が暗くなる程度だ。それでも真司には眩しいくら

いだった。彼の力の代償として、通常の視覚を失った彼の目にとっては。

「……まさか、な」

 しかし時間が経つにつれて、真司の額に汗が浮かんでくる。本人もそれを自覚している

からか、矜持のためにあえて汗を拭かず、隆を凝視する。

 隆が戦い始めてから十分弱。無論、時計を見たわけではないので正確な時間ではないが、

その間に『サクリファー』の数は半分へと減っていた。真司の持つ情報では、確かに隆は

一対多数の戦いに力を発揮する能力を持っている。彼が『ナイトセーバー』として全国各

地で『サクリファー』を屠ってきた間の情報からもそれは確かであり、そして情報が正し

ければ、すでに彼は限界を迎えているはずであった。にも関わらず、眼下で戦い続ける隆

の力も気迫も尽きる様子はない。

(どういうことだ? 『セカンド』の能力では考えられない……隆は何を得た?)

「『天地咆哮』!!」

 隆を中心に爆発する力。

『サクリファー』を何体か屠り、更に衝撃波が真司の傍までも来る。力の流れが見えてい

た真司は少し後ろに下がって衝撃波を躱す。その時、真司の耳に軽い亀裂音が聞こえる。

 眼鏡が中心から左右に割れ、通路へと落ちた。無残に割れた眼鏡を真司は無表情で見つ

めた。その瞳が開かれ、顔が怒りに染まる。

「く、くくく……」

 覆うものがなくなった場所を左掌で抑え、指の間から隆の姿を見る。その俊敏な動きが

まるでスローモーションのようにゆっくりと映る様を見ながら、真司は笑い続けていた。



* * * * *
 工場から更に道を進み、山の上に存在する隠れ家の中から昭英は眼下を眺めていた。近 づいてくる俊治の力の波動を感じながら、心が高ぶることを抑えられない。先程生まれた 恐怖の感情を思い出し、苦虫を潰したかのような顔を作る。 「……伊藤君……あなたは、何をしたいの?」  後ろから美琴が問い掛けてくる。すでに拘束は解かれていた。ある程度の自由を認めた ものではあったが、逃げ出そうとすればすぐさま昭英は自分を殺すのだと、美琴は理解し ていた。だからこそ逃げることが出来ないならば、何が起こっているのかを何とか正確に 把握したいと美琴は思ったのだ。昭英は美琴を振り向き、何も言わないまま時間が流れる。  無言の重圧に耐え切れずに美琴が次の言葉を紡ごうとした時、静寂が破られた。 「どうして、俊治なんですか?」 「え……?」  美琴が改めてみた昭英の瞳は、先程まで殺意に満ちた物ではなく、悲しさが溢れていた。 このまま自分が何も言わなければ昭英は泣き出してしまいかねないという危うさまでも伝 わってくる。その瞳を見て胸が締め付けられる感覚を得た美琴は、何かを言おうと口を開 きかけた。  顔半分を右手で掴まれたことで、言葉が紡がれることはなかった。 「どうして……俊治なんだ! 俺はあんたのために今まで尽くしてきたつもりなのに!  あんたはどうして答えてくれないんだ! どうして俊治なんだよ!!」  自分の顎を掴み、潰そうとしてくる右手を何とか振り払おうと両手で抗う美琴。しかし 万力で締められるような力がかかり、軋みを上げる顎の骨。このまま折れてしまうのかと いう恐怖と痛みに、美琴の目に涙が浮かぶ。徐々に体が宙に浮かび、頭部が胴体から離れ てしまうかのような感覚に襲われる。それでも何とか抗おうと今度は足を振り回した。何 度か昭英の体に足が当たるが、昭英は意にも介さず罵声をぶつける。 「何をしたいだと! 俺がしたいのは二つだと言っただろう! 一つは俊治を殺すこと! そして!!」 「きゃっ!?」  勢いをつけて床に叩きつけられ、美琴は顎の痛みと背中の痛みに挟まれてうめく。それ でも昭英から視線を外さないことには成功した。直感的に美琴は思っていた。  今、目を離せば間違いなく殺されるということを。 「あなたを永遠に僕の物にする。あなたを、殺す」  昭英は右手を突き出す。その手が冷気をまとい、徐々にその冷気が自分へと向かってく ることを美琴は気付く。吐く息も白く染まり、空中でそのまま凍りついた。 「大丈夫。氷の彫刻にして永遠に僕の傍に置きますよ。永久に溶けることのない氷。意識 がその間あるのかないのか分からないですけどね」  美琴は立ち上がれずに後ずさりをしていく。しかしすぐに壁に到達した。左右に逃げよ うにも昭英の動きならばすぐに捕まえることが可能だろう。美琴の心に絶望が生まれる。 (俊治、君……)  意地もなく、ただ流れ落ちる涙を拭うこともせず、涙に滲む視界の中で昭英を捕らえな がら、美琴は俊治の顔を思い出していた。ようやく自分の思いを打ち明け、理想の関係と なれたのも束の間、予想もしなかった形で死が訪れようとしている。  しかし美琴は心のどこかでは冷静に昭英を観察していた。普通の人間とは違う、創られ た人間。そして、俊治もまたそうだと彼は言う。ここまでの非現実を見せられれば、昭英 の言うことも真実なのだと美琴は信じる。それでも、俊治への想いは変わらなかった。  だからこそ、美琴は言った。 「ごめんね、伊藤君」  昭英の動きが一瞬止まる。 「君の気持ちは嬉しいけど、やっぱりわたしは俊治君がいい」  彼の期待する言葉。美琴が伝えたい言葉。それは永久に交わることはなかった。  昭英は一瞬顔を悲しさに歪めたが、下を向いてすぐに顔を上げるとそこにはもう弱さの 欠片さえ見ることはなかった。 「死んでください」 「伏せろ! 美琴さん!!」  昭英の声に重なる第三者の声。驚愕して動きを止める昭英。対照的に美琴は声に即座に 反応した。頭を両手で覆い、床に寝転ぶように体を沈める。次の瞬間、美琴が体を沈める 前に頭部があった場所の壁が外から貫通し、破片が昭英に降り注ぐ。 「ぐわっ!?」  破片と炎の暴風に巻き込まれて昭英は吹き飛ばされ、反対側の壁に体を激突させた。美 琴はおそるおそる顔を上げ、そこに左腕が突き出されていることを確認し、先程までとは 違う涙が溢れる。自然と口はその言葉を、名前を呼んでいた。 「俊治君……」 「間に合ってよかった」  開いた穴から部屋の中に顔を見せ、俊治は美琴に微笑んだ。その笑顔に安堵し、そのま ま美琴は気を失う。体に外傷がないことを確認した俊治は、昭英へと視線を向けた。 「俊治……」  怒りに、そして『アルトレイ』の証として瞳を緋色に染める昭英。左手から炎。右手か ら冷気を発散し、俊治へと戦闘態勢を取る。  俊治は穴から部屋の中に入り、美琴を守るように立った。 「これで心置きなくお前を……殺せる」 「それは俺の台詞だ!」  昭英の咆哮が隠れ家を突き抜けて夜の闇を切り裂いていった。


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