「……高町俊治が、『ファースト』を殺した、だと?」

「ええ。九条も自分なりの『私達』を生成していたみたいね」

「そうか」

 隆は自分の足元に転がる『サクリファー』を眺めながら、恵美華の報告を聞いて呟いた。

視線を移していくと、また三体ほどの『サクリファー』の亡骸。

 隆は刀を鞘に収めてその場から歩き出した。恵美華もその後ろについて歩く。

 先ほどまで微かに雲がかかっていた夜空も、今は澄んだように明るい。満月が歩く二人

の影を道路に映し出す。

 月夜の歩行。

 先ほどまで『サクリファー』を相手にしていなければ気持ちいいものだろうと、恵美華

は隆の背中を見ながら思う。

 しかし分かっていた。

 隆には十年前のあの日からずっと休まる時などは無かったのだと。

 自分を連れて、研究所から逃げ出した『サクリファー』を殺すための旅に出た時から。

(そして、八年前に自分の進む道を指し示した姉を殺されてから……)

 生き方が予め決まっている自分達の運命に、恵美華は腹立ちを感じつつも何も出来ず、

ただ隆の背中を見て歩いてきたのだ。だからこそ、恵美華は言葉を紡いだ。

「隆。しばらく休もう。私達が『サクリファー』を狩らなくても、あの高町俊治や浅倉龍

二がやってくれるよ」

「他人に任せられるか」

 隆は少しの間も置かずに言い放った。その声には怒気さえも含まれている。

「俺が姉さんから託された『願い』を、完遂する。それだけだ……」

 恵美華は歩みを止めて、自分から離れていく隆を見ていた。彼女には隆は歳相応の体躯

にはもう見えない。姉に手を引かれ、その背中を見て歩いている子供としか見えない。

(あなたは『正義』のためじゃなく、秋葉さんのために『サクリファー』を狩ってるだけ

なのよ……もし、その価値が失われた時、あなたはどうなるの?)

 恵美華は悪い予感を振り払い、隆の背中を追いかけた。



* * * * *
 どれほどの間、気絶していたか分からない。  俊治はぼんやりする頭を振りながらその場に立ち上がった。一瞬、自分がどこにいるの か分からなくなる。辺りを見回すとそこは星陵大学だった。どうしてこの場にいるのか、 俊治は完全に思い出すことが出来なかった。 (何だ……何か、大変なことを忘れている気がする)  俊治はとりあえずその場から歩き出した。何か、この場所にいてはいけない気がしたか らだ。それは俊治の精神の防衛本能から来た記憶喪失かもしれない。俊治は草薙のなれの 果てを乗り越えて大学の出口に向かった。  大学を出てからしばらく歩くと、ジーンズのポケットに入った携帯が震える。着信相手 を確認すると、隼人からだった。 「――もしもし」  俊治自身、驚くほど疲れきった声だった。その声に隼人も電話越しに驚いたようだった が、自らの用件を伝えた。 『大変だ。昭英にどうしても連絡がつかない!』 「……まさか」  俊治は最悪の連想に至り、隼人からの電話を切ってその場から駆け出した。その瞬間、 足が止まる。  急激に戻っていく記憶。  手に残る、熱い感触。  脳裏に甦る言葉。 「そう、か……」  俊治は一度大学を振り返り、そしてまた走り出した。もう後ろは振り向かなかった。 (俺は、人間を殺した)  その言葉は俊治の中に暗い影を落としていた。  昭英は大学から徒歩三十分ほど離れているアパートに住んでいた。安いために人ひとり がようやく住めるような部屋だったことからも昭英自身、ほとんど友人を呼ぶことは無か った。だから隼人さえも家の場所は知らない。  ただ、俊治は何度か昭英の家へと足を運んでいた。  二人で一杯の缶ビールを飲みながら昭英の好きな女性の話を聞き、アドバイスにならな いアドバイスをしたりするなど様々なことを語り合った。  そんな仲だからこそ、俊治は最悪の連想を思いついてしまったのだ。  アパートの階段を昇って昭英の部屋へと向かう。廊下を走っている途中からすでに昭英 の部屋は長い時間空いているのだと分かった。  俊治は部屋の前につくと、郵便受けに入りきらなくなって落ちていた新聞を拾い上げた。  今日の日付の新聞を見ながら俊治は暗澹たる気持ちになる。しかしドアノブを回してみ ると鍵がかかっていなかった。 「――昭英!?」  勢い良く扉を開き、中へと入る。しかし誰もいないことは明白だった。俊治は釈然とし ないものを感じつつも、郵便受けの新聞を全て取り、部屋の中心に位置しているテーブル の上に置いた。新聞四冊が無造作にテーブルの上に散らばる。  俊治は部屋の電気をつけて部屋の中を見回した。一週間ほど前に一度来たことを思い出 して何か配置が変わっていないかと探す。一通り見回した俊治だったが、特に変わった所 を見つけ出すことが出来ない。しかし、何か違和感があった。 (何だ? 何かが足りない……いや、増えてる……?)  自分の中の違和感に俊治は確信があった。何かこの部屋には違和感がある。しかしそれ がなんなのかは分からない。他人の部屋をそんなに物色するわけにも行かず、俊治は部屋 を注意深く見ながら後ろに下がった。と、背中に何かが触れた。 「後ろに注意を払わなければ怪我をするぞ、高町俊治」 「!!?」  俊治は咄嗟に右拳で裏拳を放っていた。気配を感じさせず突如現れた人物。それがアパ ートの管理人だとは考えられない。しかし俊治の拳は後ろにいた人物を掠る事なく空を切 る。反動で体を反転させた俊治は目の前に立つ人物を睨みつけた。 「お前は……誰だ?」  その人物は男だった。いや、男のように見えた。  目深に被った黒い唾広の帽子と、長く切っていないような髪の毛がその人物の顔を目元 まで覆っていて、顔の感じからは男かどうかは一瞬では分からない。しかしながら、その 身長が俊治よりも十センチほどは高いことや、声質からして男だと俊治は判断した。 「これはこれは申し遅れた。私は響恭治(ひびき きょうじ)。いわゆる『セカンド』と いう者です」  響と名乗った男は帽子を取って胸の辺りまで持ってくると礼儀良くお辞儀をした。俊治 は平然と『セカンド』と名乗った男に警戒感を隠さずに後ろに下がった。しかしその動き が突然止まる。 (な、なんだ?)  動かそうとしても動くことが出来ない。何かが俊治をその場に押さえつけていた。響の 持つ得体の知れない雰囲気、という物ではなく明らかに物理的な力が。 「私は『セカンド』ですから、少し変わった力を操れるのです。まあ、念動力みたいなも のですよ」 「……念動力とはまた古い言い方だな」 「サイコキネシス、ですか? 横文字は苦手なもので」  響は動けない俊治へと近づいて首に手をかけた。良く見ると響は黒い手袋をしている。 そして、うっすらと光が溢れていた。 「このまま首を締めてしまえば、君は死にますよ? いくら『完全体』でも空気供給が無 くなれば生命力は維持できません」 「……昭英をどこにやった」  全身の力を込めて俊治は動こうとした。汗が額から噴出し、血管が浮き出る。しかし体 は動く気配を少しも見せない。響は少しだけ首にかかった手に力を込めた。俊治の顔が苦 痛に歪む。 「さあ。私はあなたを追ってここに来ただけですから分かりませんよ。あなたの様子だと、 ここの住人が『サクリファー』になってしまったのでは、と不安なようですが……もしそ うなら可哀想ですねぇ」  響は更に力を加える。俊治の顔は徐々に赤くなってきていた。縛り付ける力に抗おうと したことと首を締められることによる酸素欠乏状態になりかけている。響は俊治の顔を見 て恍惚とした表情を浮かべて更に言い募った。 「あなたは、自分の手で友達を殺さないといけないわけですから」 「……消すぞ」  その瞬間だった。  響は俊治の首から手を離して飛びずさった。そして自分の行動に驚愕する。 (馬鹿な? 体が無意識に動いた? あの『完全体』に恐怖して?)  響は更に驚愕する光景を見ていた。俊治が自分の『力』を意に介さず近づいてくるのだ。 改めて『力』で縛りつけようとするが、その『力』は俊治の体表面まで行くとその気配無 く消滅してしまった。 (……『力』の無効化!?)  響は驚愕と共に見ていた。  俊治の瞳が緋色に輝いていることを。そして、自分が今まで思い込んでいた過ちに気づ く。それは―― (今まで、彼の瞳は緋色ではなかったのか!)  先ほどまで俊治の顔を真近で見ていたにも関わらず響は気付かなかった。彼等の特性な らば当たり前の事であるために、注意を払っていなかったのだ。  俊治は『アルトレイ』の『力』を発動させていたにも関わらず、瞳は緋色に輝いていな かった。  思考する響に俊治の拳が迫る。響は更に飛びのいてアパートの外に飛び出すとそのまま 逃走した。俊治が追ってくる気配が無いことに安心しつつ、響は今見た事実を整理する。 (今までの彼の力は……あくまで副産物、というわけか。なら、『完全体』の真の力とは 一体何なのだ?)  響は体全体を寒気が走ることを抑えきれなかった。それは、『セカンド』となってから 始めての恐怖の産物だった。  響が去ってから、俊治は虚脱感と共にその場に座り込んだ。いつも以上に力を消費した 原因は分からなかったが、何かが、自分の中で変わってきている気がしていた。 (……今は、昭英のことだ)  俊治はふらつきながらも外に出た。  目指すべき場所は分かっている。  ゆっくりと、着実に歩を進める。そのうちに体に力がみなぎってくることが感じられる。 『アルトレイ』の力が、俊治の体を急速に回復させていく。少しして、もう走れるほどに 回復したことを確認すると、俊治は道路を蹴った。  自分でも信じられないほどのスピードを一瞬で生じさせ、俊治は夜の街を走り抜ける。 目指す場所はただ一つ。この馬鹿げた物語の最後に立ち塞がる相手の所。  目的の場所を視界に収めて、俊治は一度行っただけであったにも関わらず、その場所を 覚えていたことに軽く安堵した。しかしすぐに気を引き締めてその場所の入り口をくぐる。 エレベーターで昇ることももどかしく、俊治は階段を駆け上った。目的の階まで一気に駆 け昇り、部屋の前に辿り着く。力任せにドアノブを掴むと、鍵はかかっていなかった。 「九条!」  俊治は怒りを隠さずに叫び、開け放った。しかし部屋の中にはすでに生活感が無かった。 まるでその場に元々誰もいなかったかのごとく。  先ほどの昭英の部屋のリフレイン。  またしても自分は遅かったのだと俊治は壁を殴りつけて叫ぶ。 「くそっ!」  その時、ふと予感がして部屋を出る。視線の先にはエレベーターがあり、ランプから下 に降りていっていることが分かる。  確信があった。  理由など無く、あのエレベーターに九条真司と笹川真が乗っているのだと。  俊治は部屋に戻るとベランダを開け放ち、下へと飛び降りた。隣り合うビルとの距離は 十分あるために、前の壁にぶつかることも無く、ほぼ一直線に落ちていく。暴風が体を叩 きつけるものの、今の俊治には気にする必要は無かった。  直前に迫った地面に左手を向けて、俊治は力を解放した。  放たれる炎。  放出された炎による反動は一瞬俊治の体を空中に静止させ、その一瞬で俊治は上空から 降りてくる際の慣性をほぼ完全に殺し、支障なく地面に降り立つ。隣り合うビルとの間だ ったために誰かに見られることは無く、そのまま俊治はまた駆け出して表通りへと出た。 視線の先には一台の車。安物のレンタカーであったが、中に乗っている二人を認識するに は充分であり、俊治は叫ぶ。 「九条!」  その瞬間、車は発車したために俊治は追いかけようと足を踏み出そうとしたが、急にそ の動きが止まる。見えない何かに縛られるような感覚。 (――響か!?)  何とか呪縛を解き放とうと体に力を込めるが、その束縛は一瞬で消え、俊治は反動で倒 れかけた。体勢を立て直して九条達の行方を視線で追うが、すでに車はどこにも見えなか った。響は九条達が去る時間稼ぎをしたようだった。 「――くそっ!」  俊治は自分の体を拳で打ちつけた。やり場の無い怒り。黒幕を逃がした自分への怒りが 沸いてくる。  次に思い浮かぶのは昭英の事だった。  ただ、実家に帰っていて何らかの理由から携帯の電源が入っていないだけなのかもしれ ない。そう信じたかったが、そうではないと疑う材料が多すぎる。 「昭英……」  俊治はそう呟くことしか出来なかった。


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