「ケーキ、美味しかったよ」

「ありがと! 明人〜」

 明人の顔にいつも以上のほのぼのさが浮かび上がってて、とても幸せな気持ちになった。

 今日は明人の誕生日だ。

 夜から家族でご飯を食べに行くから、明人はお昼にケーキを食べに来ていた。

 実はあたしは、昨日が誕生日だと間違えてしまって、余計な悲しさを体験してしまった。

 そのことで、あたしはリベンジに燃えていたんだ。

 昨日作ったケーキはあたしの修練が結実したものだったのだ! あんなケーキは二度と

作れない!

 だからこそ、それ以上のケーキを目指して作ったんだけど……。

「……でも、やっぱり昨日のほうが美味しかった」

「ごめんね。俺がちゃんと言っておけば良かったね」

 明人は美味しいと言ってくれたけれど、やっぱり昨日のケーキは奇跡の産物だったよう

で、今日のケーキは普通――より少し下な味がした。昨日みたいに程よいふっくら感が出

てないし。

 やっぱりやけ食いなんてしなければ良かった!!

「ふに〜。元気出して?」

「……キスしてくれたら元気出る」

 あたしの言葉にすぐ明人はキスしてくれる。ほっぺたに明人の唇の柔らかい感触が触れ

ると、何かほわわん、とした気持ちになる。

 本当、明人の唇は柔らかい。

「なんでそんなに柔らかいんだよ!」

「も、もへっ!? な、何が……?」

 身体をびくつかせながら離れる明人。うーむ、可愛い……。

 今日、一つ歳を取ったというのに何故か可愛さが増している気がする。

「もへっ! じゃない! 明人も十六歳なんだから、もう少ししゃきっとしなさい!」

「うう……分かった……しゃき!」

 口に出して両腕に力を込め、力瘤を作り出す明人。言葉は可愛いのだが、いかんせん、

力瘤にもう少しで筋が入りそうだ。何か昔の漫画の筋肉キャラみたい。

「明人は本当、ギャップの塊だねぇ」

 顔はどちらかといえばかっこいい。美少年というほどではないけれど、磨けば光るタイ

プだろう。でも身体はたまにテレビでやる格闘の試合に出てくる人――ほどではないにし

ろ筋肉ついている。着痩せするから、外から見たら分からないけど。

 クラスでは中心になっていろいろ仕事をするしっかり者。

 家に帰ってきたら可愛い犬だし。

「明人と付き合えて、やっぱりあたしは幸せだなぁ」

「な、何、恥ずかしいこと言ってるの!?」

 明人は顔を赤く染めて驚く。本当、これは女の子の動作ではないか?

 これでずっと女の子っぽいなら何か嫌だけど、男らしいときは男らしいし。

 隙なし! 隙なし男明人!

「あ、もうそろそろ一回帰らないと」

「え〜。もう少しだけ駄目?」

 明人が家の時計を見て帰り支度を始める。あたしもつられて見ると、もう少しで四時に

なるところだ。夕飯を早めに食べに行くと言っていたから、仕方がないのかもしれないけ

れど……。

「やっぱり寂しいよう。折角、明人の誕生日なのに……」

 我侭だって分かってる。明人を拘束なんて出来ない。家族はやっぱり大切だもの。

 ……急に悲しくなったなぁ。

「ごめんね、美緒。でも夜にはまた来るよ」

「え?」

 明人の言葉が信じられなくて、思わず変な声を上げてしまった。

 だって、家族で食事して、終わったら家族団欒で一日を終えるんじゃないの?

 そう訊こうとしたら、明人が先に口をふさいだ。

 甘い、イチゴケーキの味が口の中に広がって、あたしの心臓がばくばく言ってる……。

 塞がれた口が解放されると、明人の声が耳に入ってくる。

「今日はちょっと……特別だからさ。美緒と一緒にいたいんだ」

「とくべつ……?」

 熱に浮かされたような頭に、明人の言葉の意味が入ってこない。

 特別って何の日だろう? いや、誕生日なんだけれども。

 明人の口調からしたら、誕生日以外に何かあるような口ぶりだ。

「まあ、分からないならいいよ。夜に驚くがいい〜」

 明人は支度を整えて、早足で玄関まで行く。あたしも後からついていって、靴を履いて

出て行く明人の背中を見送った。

「後でね〜」

「うん。いってらっしゃい」

 玄関のドアが閉まってからも、あたしはしばらくそこに立っていた。

 考えるのは明人が言った『特別』の意味だ。

 しばらく立って考えていたけれど……何も浮かばない。

「宿題でもするか」

 考えたって分からないなら、考えないに越したことはない。明人も驚け〜とか言ってた

し、なら夜にずっと明人のいちゃつけるようにやることは終わらせよう。

「まずは皿洗いか」

 あたしは玄関から離れていろいろし始めた。



* * * * *
「ただいま〜」  明人の声が聞こえて、あたしはソファにうずめてた顔を上げた。  時計を見ると、午後九時。  八時くらいから寝てたから、一時間意識がなかったことになる。 (ま、よく働いたしね)  明人が出て行った後にケーキとかを食べた皿を洗い、ご飯用意して食べて、宿題をして、 眠さに負けて寝た。  うん、充実した一日だった。 「美緒〜」 「あ! おかえり〜」  明人の声に反応を返していなかったことに気づいて、慌てて答える。明人はあたしの声 に即されたように現れた。 「ただいま! ちゃんといい娘にしてた?」  言葉と同時に頭に掌が乗る。何だろう……いつもの明人よりも優しい感じがする。  頭を撫でられるのは気持ちよくて、思わず言っていた。 「にゃーん」 「ふに? 美緒仔猫だ〜」  明人は頭を撫でていた手をあたしの顎に持っていく。そして猫にするように指で刺激し てくる。あたしも明人に合わせて、猫の真似をした。実際気持ちよかったし。 「ごろごろごろ……ふにゃーん」 「可愛い……美緒!」  あたしの顎から手が離れて、明人はいきなり抱きついてきた。唐突なことに驚いたけど、 抱き合うのは結構してるから、あたしもすぐに明人の背中に手を回す。  やっぱり明人と抱き合うのは幸せ――って!? 「明人……焼肉臭い」 「ふに。やっぱり? ごめんね」  明人は身体を離してから、手を合わせて謝ってくる。  どうやら家族で焼肉を食べたらしい。あたしは肉じゃがだったよ。 「まあいいけど。疲れた? もう寝――」 「――しようか」  あたしの言葉と重なるように、明人が言う。  一瞬、何を言ったのか分からなかった。いや、単語は知っていたけれども、いきなり告 げられたことで頭に入ってこない。  明人はあたしの沈黙をどう捕らえたのか、ご丁寧にも言い直してきた。 「セックス、しようか」 「…………え、えと」  顔が一気に熱くなる。  明人があまりにストレートに言ってくるからだ! あたしは恥ずかしさを怒りに変えて テンションを上げようとしたけれど、明人の顔を見たらその気持ちもしぼんでしまった。  あまりに真剣な顔で、あたしを見てる。  明人がそういう顔をする時は、嘘は言わない。  真剣に、じっくり考えて答えを出した時の顔だった。 「どうしたの? 急に」  そんな明人を見ていたら、あたしも混乱は収まった。明人が軽い気持ちで言っていない なら、あたしもそれに応えないと。  とりあえず疑問を口にする。だって、今までも何度か一線を超えそうになったこともあ るのにしてなかったし……。 「前にさ、美緒にどうしてセックスをしてくれないのか、と言われた時にさ、俺、思うと ころがあるからもう少し待ってくれる、みたいなこと言ったと思うんだよ」 「……いつ?」 「あ〜。裸エプロンの時」 「ああ!」  あたしは左掌に拳を作った右手を軽く打ちつける。そう言えば、裸エプロンなんてこと をした気がする。沙織に勧められて明人を落とそうとしたんだっけ。  で、その時に明人は―― 『でもちょっと思うところがあって、ね。もう少し待ってくれる?』  そうだ。そう言ったんだ。せ……セックスしたいけど、もう少し待ってって。 「じゃあ、思うところって言うのが解決したの?」 「解決したというかなんと言うか。美緒、今日が何の日か覚えてないの?」 「明人の誕生日以外覚えてないです」 「……そうか」  何か少し肩を落として残念そうに呟く明人。あたしは申し訳なくなって、なんとか思い 出そうといろんなイベントを口に出す。 「え、えとえと、誕生日は今日だし、あたしの誕生日は違う日だし、クリスマスは先だし、 バレンタインもホワイトデーも春分の日も海の日も夏休みも違うし――」 「六ヶ月」  明人の言葉にあたしは言葉を止める。  そうだ。どうして忘れていたんだろう? こんな大事な日を、明人の誕生日だからって、 どうして忘れていたんだろうか? 「付き合って六ヶ月目。今日で半年経ったんだ」  そうだった。  六ヶ月前の今日、明人に告白して、付き合ったんだ。すると今まで全然思い出せなかっ たのに、何の日か分かったとたんに今まで明人と過ごした日々が頭の中を流れる。  付き合う時に少し怯えたような素振りを見せた明人。見せている自分と実際の自分のギ ャップを自分で作り出して、悩んでいた明人。  あたしはそんな明人が好きだった。  確かに隙なし男だったけれど、そう見えた明人の中を、あたしだけが見ることが出来た。  この六ヶ月間は、とても大切な思い出になった。 「……でさ、こう、誕生日と六ヶ月が重なってるから……その日に一線超えたいなと思っ たんだよ。どうしてって説明できないけれど」  照れたように言う明人がとてもいとおしくて、あたしは無言で明人の身体を抱きしめる。 「美緒……」 「痛くしないでね」  あまりにいとおしすぎて、ちょっと意地悪したくなった。よく言われる台詞を言ってみ ると明人は身体を強張らせて焦り出す。 「にゅ、にゅにゅ……善処します」  あたしの雰囲気が変わった事が分かったのか、半分真面目半分冗談のモードに切り替わ ってる。やっぱり半年ともなるとお互いの癖とか分かるのね。 「じゃ……その前にお風呂入ってきてね」 「分かった」  明人を放してお風呂へと向かわせる。明人の姿が消えて、あたしは改めて心臓が跳ね上 がっていた。  明人がお風呂から上がってきたら……とうとう一線を超えてしまうんだ。  前に沙織にエッチしたいと言ったけど、いざとなるとやっぱり緊張する。  何か凄く痛いらしいし。 「うう〜。不安」  呟くと、少しだけ不安がまぎれる気がした。まあ明人が上がってからあたしもお風呂入 らないといけないから、その間に何とか落ち着くことを祈ろう。
* * * * *
 最初はアイスでも食べているような甘い感覚だった。  バニラアイスを食べて、あの甘さに満足満足な、感じ。  でも、次に来たのは自分の身体が自分じゃなくなるような感覚。  まるで自分の身体が、全てが別のものになったみたいに、あたしの意思とは無関係に反 応していた。  全てが終わってから、枕もとに置いておいた携帯電話を見てみる。  時刻は……十二時。ちょうど、次の日になったんだ。 「……気持ちよかった? 痛くなかった?」  部屋は電気を消していたけど、カーテンを開けていたから明かりが微かに入ってくる。  今までよりも何故か格好よく見える明人の顔と、優しい声に即されて、あたしは頷く。  声は出せなかった。  疲れて、息が切れてて、あまり言葉を話したくない。  何より恥ずかしい。  明人もあたしがあれだけ変になっていたなんだから、気づくだろうに。  痛みは……まあ覚悟してた範囲内だった。何かぬめっとした感触が太ももにあるけど、 やっぱり出てるのかな……。シーツ洗うの大変だろうなぁ。 「……あ、明人は気持ちよかった?」  考えていたことがまた恥ずかしくて、あたしは誤魔化すために明人に言った。 「うん。大丈夫」  そう言って明人は何かをテッシュに包んでごみ箱に捨てて、慌ててごみ箱につけておい たコンビニの袋を取り出した。 「何捨てたの? まだそれごみ袋に使えるよ?」 「今持ち合わせがないから。新しいごみ袋上げるから、今は我慢して」  そう言って明人はあたしに背を向けてなにやらごそごそしてる。何をしてるか見たかっ たけれど、下半身が痛くてあまり動きたくない。 「……明人」 「ん?」  明人はごみ袋の口を縛ってあたしに顔を向けた。 「――好き」  最小限のことだけ言って、あたしは笑った。 「これからもよろしくね」  明人はそう言って、あたしの横に並んでから抱きしめてくれた。少し汗臭かったけど、 やっぱり明人の体温を生で感じるのは嬉しい。  そのままあたしは眠気に身を任せる。完全に眠る前に、微かに明人の声が聞こえた。 「おやすみ、美緒」  抱きしめてくれる人がいる。  一線を超えて、また一つ明人との繋がりが深くなったような気がした。   『09・了』


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