その日、あたしは学校から急いで帰っていた。掃除も無くて、明人も部活だったから一

人、全力で自転車のペダルをこいでいた。

 明人がいないからこそ、一刻も早く家に帰って準備を終わらせなければならなかった。

「ぬふふ〜。明人、驚くだろうな〜」

 全力で自転車をこぎながらにやつく自分の姿を想像しないわけじゃなかったけど、心が

躍ってるあたしには関係なかった。

 家に着いて自転車を物置に押し込み、鍵を取り出して家に入る。

 全ての動作をいつもの二倍の速さでしている自信はあった。あたしは今、光速の壁を越

えているのね!!

「よっし! つくってやるぞ〜」

 家を出る時に調理道具は用意してある。

 あとは手順を追って作ればすぐに完成するだろう。

「明人……喜ぶだろうな〜誕生日だし」

 そう。今日は明人の誕生日だった。

 次の日は休みだし、そんな時は必ず家に来ていたから、部活から私の家に帰ってきたと

ころでクラッカーを鳴らすという算段。

 我ながらいい計画よ……。

「でも、このメインをちゃんと作れないとなぁ……」

 あたしは料理本を開いて、その全容を見る。

 そこにはでかでかとケーキが載っていた。よく誕生日ケーキとして食べられる、アレ。

 ここに書かれているのは四人分だ。

 何度か明人の目が届いていない時に練習はしたけど、成功したのは一回だけ。というか

成功した時にはもう練習期間が無かったと言うんだけれど。

 でも、徐々に上手くなって行った事だし、今度はもっと美味しい物を食べさせられるは

ず! 待っててね! 明人〜。

「さーて、キューピー三分クッキングの時間です」

 何となく呟いて、あたしはケーキを作り始めた。



* * * * *
 一時間半ほど経って……もうすぐ六時になる。あと三十分もすれば明人はここに来るだ ろう。あたしのケーキは―― 「もう少しで焼けるわね」  成功だろう。オーブンの中で膨らんでるケーキスポンジはいまだかつて無いほど整った 形で膨らんでいた。あれだね、あたし、ケーキを作る才能あるかもしれない。  次はクッキーとかに挑戦して、日曜の昼とかに軽く作って食べさせてあげよう……。  と、そこまで妄想してたら、ぶるぶると音が鳴った。見るとテーブルの上に置いておい た携帯電話が自己主張をしている。  手にとって見ると、着信は明人からだった。 「明人〜。部活終わった? 何時ごろ家に来るの〜」  嬉しさに飛び上がりそうになるのを堪えて、あたしは電話に出た。向こうはあたしのテ ンションに驚いたのか一瞬口ごもったけど、すぐに言ってきた。  申し訳なさそうな声で。 「ごめん。今日は美緒の家に行けそうもないんだ」 「――え?」  一瞬、何を言われたか分からなかった。明人は更に声を低くして――あたしへの申し訳 なさに一杯なのか――続けてくる。 「明日休みだから、部活の皆が誕生日を祝ってくれるって言うんだ……俺としてはありが たいから断るわけにも行かないし……」 「す、すぐに帰って来れないの?」 「不確定だし。――もし美緒の家に行くとしても、夜遅くになりそうだから、今日はやめ ておくよ」 「そんな、あ、明人、だって――」 「あ、ごめん。もう行かないと……本当にごめんね。この埋め合わせはちゃんとするから さ!」  そこで、明人からの電話が切れた。同時にチーン、とオーブンが焼き終えた事を教えて くれる音が鳴る。でもあたしはしばらくテーブルの傍から離れられなかった。  何も考えられない。浮かれていた反動からだろうけど、あたしの身体は動こうとしても 反応しなかった。  ただ、視界だけが揺れていた。 「……馬鹿みたい。泣いているなんて」  一人で勝手に浮かれてただけだ。別に明人が悪いんじゃない。  思えば部活でも人気がある明人の誕生日に、皆がお祝いしないなんて考えられないじゃ ない。外ではそれだけの存在なんだから。  でもショックを受けているのは……きっと明人が今日来ないことじゃないんだ。  あたしがショックなのは……明人があたしじゃなくて、他の皆を優先した事なんだ。  誕生日みたいな記念日に、あたしを取らずに友達を取ったことに対して嫉妬してるんだ。  確かに明人は大好きだけど、そこまで拘束する資格なんてないのに。  なんて卑しいんだろう、あたしは。  浮かれていた心は冷めちゃって、あたしはオーブンからケーキスポンジを取り出した。  このまま捨ててしまおうとも思ったけれど、これはこれでもったいない。 「……ようし」  あたしは自分の頬を叩いて気合を入れると、そのままスポンジにデコレーションをし始 めた。作っておいた生クリームを綺麗に付けて、買ってきておいたいちごを乗せて、十六 本蝋燭を立てて。板チョコの裏の平らになっているところに『誕生日おめでとう、明人』 と荒っぽく彫る。  出来上がったケーキは惚れ惚れするくらいの出来だった。おそらく、もうこれ以上の物 は作れまい。 「ふふふ……明人よ。あたしを優先しなかった恨みを、こいつに晴らしてくれる……」  悪役の台詞をやけに気取って言っていたら、気分が晴れてきた。そしてお腹が減ってく る。ケーキ作りのために夕食は作ってないから、今ある食料はケーキだけ。  やることは、一つだった。 「やけ食い、開始!! かーん!」  カーン、とどこかで鳴ったような気がする。いや、自分で言ったんだけれど。  そのままあたしはケーキにフォークを突き刺して、その部分を切り離した。そして口の 中に入れて、思い切り噛み砕く。 「むぐむぐ――んまんま!」  ほっぺたに食糧を蓄えるリスみたいに、ケーキが入ったあたしの頬は膨らんでいた。そ して予想以上に美味しい。空腹感を満たしてくれるのに充分だ。 「これで――んぐんぐ――太ったら――むしゃむしゃ――明人の――んっんっ――せいな んだから!」  喉の奥に飲み込んでから叫ぶ。そうすることで、いつの間にか明人への嫉妬の気持ちよ りも、ケーキの美味しさに対する感動が大きくなっていた。最初のうちはこれを明人に食 べさせたかったという思いがあったけれど、もう無くなっていた。 「んんうう! おいひ〜」  まるでむさぼりつくように、あたしはケーキを食べ続けた。
* * * * *
「――緒! 美緒! みーおー」 「ふにゅふにゅ……もう食べられません」 「ていうか、ソファで寝るな!」 「……はれ?」  目を開けると、そこに明人が居た。なんで? どうして明人がいるの? これは夢?  確か、あたしがケーキを食べて太って明人を押し潰したような……って、それこそ見て た夢の話だったのよ! 「つぶれてないもんね! あきと!」 「寝ぼけてないで、顔でも洗いなよ」  あたしははっきりとしない頭を振った。脳が揺さぶられて気持ち悪かったけど、効果が あったのか寝る前の記憶が甦ってきた。  確か、明人の誕生日だからってケーキを作ってて……。  で、明人が今日は来れないと言ってきて……。  そして余すのももったいないからとケーキ食べて……。 「ケーキ!!」  あたしのいきなりの大声に、明人は少し飛びのいた。 「驚かさないでよ……」  明人は不服そうだったけど、あたしはそれどころじゃなかった! 「明人! ケーキ! 明人が、誕生日だから! ケーキ!」 「誕生日……ケーキ?」  明人はあたしの言葉に視線を移動させた。あたしも明人の先にある物を見つける。  それはほとんど食べ尽くされた、ケーキの残骸だった。  思い出した。  あたしはケーキをほぼ全部平らげて、泣くのと食べるのとで疲れて寝ちゃったんだ。  時計を見ると九時。全然早いじゃない。 「なんか美緒の様子がおかしいから、早めに切り上げてきたんだ……ごめん。もしかして 美緒、俺の誕生日ケーキを作ってくれたの?」 「……うん」  明人は、ソファに座ったままのあたしを抱きしめてくれた。その瞬間、いろんな思いが 混ぜ合わさって、あたしな泣いていた。 「うう……」  嗚咽を堪えるのに必死で、明人の背中をぎゅっと握り締めて。  悲しい気持ちが治まるまで、二人で抱きしめあっていた。  しばらくして、ようやく落ち着いたところで明人の体を離す。 「ごめんね、美緒。でも俺のためにありがとうね」 「……うん。でも、食べてほしかった……冷やして明日まで待ってれば良かった。でも、 どうしても誕生日当日にあげたかったの」 「誕生日……当日?」  明人はそこで不思議そうにあたしを見た。その顔はあたしの言葉の意味を分かってない と言った様子で、あたしはある可能性に思い至る。 「まさか……明人の誕生日って」 「明日だよ」  ――なぁああんだってぇええええ!!  心の中で絶叫していた。否定してほしくて明人を見るけど、明人は困った顔をして顔を 横に振るだけ。あたしは何か言いたかったが、口をぱくぱくと金魚のように開け閉めする しかなかった。 「部活の皆は、明日が休みで会えないから、祝ってくれるって言ったんだ。部活も休みだ しね。美緒……俺は誕生日は家族と、美緒を優先するよ」 「あ……はは、はははは」  明人の言葉を聞いた瞬間、おかしくて笑いが込み上げてきた。力のない笑いだったけれ ど、あたしの中から嫌な部分が流されていく。  いつもの自分に戻る。 「明人! 好き〜」  あたしは明人に飛びついた。明人は咄嗟のことだったけど、ちゃんとあたしを抱きしめ てくれる。いつもの明人のように胸元で甘えるあたしを驚いたような顔で見ながら、明人 は口を開く。 「明日は夜から家族と食事なんだ。だから、お昼にケーキ、作ってくれる?」 「うん! 任せておいて! 食べたの、とても美味しかったんだ!」  あたしの心は再び躍っていた。  次の日のケーキは結局、あまり美味しくなかったけれど、明人は満足そうだった。  もっと料理上手くなるぞ〜! 明人、大好き〜! 『08・了』


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