「ねえ、お願い聞いてくれる?」

「なんだい?」

「肩の手、背中にしてくれる?」

「……」

 肩に静かに添えられていた手がびくりと震える。言われた意味が分からなかったという

ことじゃなくて、やっぱり分かった事で動揺したからだろう。

「腕は、背中に回して……明人」

「……分かったよ。美緒。ずっと、ずっとこうしたかったんだ!」

 明人が感極まった声で叫び、腕を身体に巻きつけた。その締め付け具合がいかに強いか

を傍から見ても分かる。

「明人!」

 こちらも同じような声色で叫んだ。そのまま二人は横にあるベッドになだれ込む。

 と、あたしの肩が急に叩かれた。

「なに?」

 振り向いたと同時に頬に指が突き刺された。構わずに視線を向けるとそこには明人が笑

ってる。してやったりと言ったところなんだろう。

「明人〜。今、テレビドラマいいところなんだからさ」

「もへ〜でもでも! 美緒、そんなドラマ不純! 俺達まだ高校生だぞ!」

「別にもう高校生よ。じょぶじょぶ〜」

 あたしは明人の指を頬から離してテレビに視線を戻した。テレビの中で『美緒』と『明

人』はベッドの中で愛を語り合っている。いつの間にか二人は裸で、鎖骨が見えていた。

 それにしてもまさか同じ名前のカップルのドラマをやっているとは驚いたなぁ。思わず

自分達を投影しちゃうけど、やっぱり違う。

 この『美緒』はあたしよりも控えめだし、『明人』は明人よりも積極的だ。本物の明人

もこれくらいアグレッシブならあたしももっとドキドキするんだろうけど。

「……どうしたの?」

 いつの間にかあたしの視線はドラマじゃなくて明人を見ていた。それに対して疑問符を

浮かべたんだろうけど、あたしはそれに答えずに明人を伴ってソファから立ち上がった。

 疑問符が本当に浮かんでいるかのように首を左右に傾げている明人を一気に抱きしめて

みる。明人が動揺して身体を震わせた。

「み、みみみみ美緒?」

「ねえ、お願い聞いてくれる?」

 さっきテレビで流れたフレーズ。同じ言葉を同じ状況で紡いでみる。唯一違うのは抱い

てる人が本物の明人で、抱いてるのが本当のあたしだということだ。明人はさっきのテレ

ビを思い出したのか、戸惑いながらも言葉を返してくれた。

「な……なんだい?」

「肩の手、背中にしてくれる?」

 明人は焦りながらあたしの肩に手を置いて、少しだけ握ってきた。あたしの格好は水色

のキャミソールに黒目のハーフパンツだったから地肌に直接明人の手が当たる。その手が

緊張に汗ばんでいるのがすぐ分かる。

「腕は、背中に回して……明人」

「……分かったよ。美緒。ずっと、ずっとこうしたかったんだ!」

 明人は感極まった声で叫ぶとあたしの背中に腕を回してきてくれた。その力は強くて、

なんだかその強さが明人の愛の大きさのように感じた。

 とても気持ちいい。

 まるで溶けてしまうかのようだった。思えば明人もおじいさんがなくなったり、最近だ

と酷い熱で寝込んだりあったから、気を張ってたのかもしれないな。だって、いつも以上

に力が……

「? 明人?」

 あたしはそこでやっと明人の変化に気付いた。さっきまではドラマのリフレインをして

いたにも関わらず、今はその気配がなくなっている。明人は動かずにあたしを抱きしめて

いて……急に背中に回した右手をあたしのお尻の方へと滑らせた。

「キャ――」

「よっと」

 あたしは一瞬で明人に両膝の後ろを右手に抱えられ、左手に胴体を抱えられた。

 ……つまりこれは、お、お姫様だっこ!?

「明人! ちょっと恥ずかしいよ〜ていうか重いよ!」

「重くない重くない。ちょうどいいよ」

 明人は笑ってから居間を出て二階を目指していた。

「危ないよ。下ろして下ろして!」

「大丈夫だって。それよりもそう思うなら電気つけて」

 明人は電灯のスイッチのところまで来てあたしを近づけた。しばらく明人を睨んだけど

全然堪えてない……。

 しょうがないから階段の電気をつけてあげる。

「よっし。行きますか」

 明人は一度あたしを持ち直して階段を上っていく。最初は恥ずかしかったけど、慣れる

と意外と好きかもしれない。お姫様だっことはよく言ったものだ。確かに何か高貴な感じ

がしてくる。

 階段を上りきってドアが開いていたあたしの部屋に明人は身体を滑り込ませた。

 暗い部屋の中、微かに見えるベッドの傍まで来ると、明人は微笑んだ――ようだった。

「美緒」

「……」

 暗闇だから分からなかっただろうけど、あたしの顔はタコのように赤くなっていた。

 とうとうこのまま明人と結ばれるんだろうか? 怖い気がする。でも嬉しい気もする。

 初めてって痛いって言うし……前にねだったことあったけど、今更ながら覚悟がない自

分を自覚しちゃう。

「あき、と……」

 それでも一線を超えてみたい衝動が勝った。あたしは暗闇にはっきりしない明人の顔に

キスしようと腕を明人の首の後ろにかけて、顔を近づけた――。

「はい、終了」

「……はい?」

 明人はあっさりとした言葉を言って優しくあたしを床に下ろした。そして電灯の紐を捜

しあてて電気を付ける。あたしが疑問符全開の顔を向けているとにんまりとした顔を向け

て言ってきた。

「ドラマ再現はここまで。というか、明日の宿題やらないと駄目だろ」

「あ……しゅくだい」

 あたしは明人の言葉によって宿題を思い出した。一週間前からの数学の宿題。でも、あ

たしは一問も手をつけてはいなかった。やる気が出なかったこともあるし、あたしには少

し難しめだったこともある。思えば今日、明人を招待したのはその問題を解くためでもあ

ったんだ。

「あーあー、本当に一問もやってないよ……嘘じゃなかったんだ」

「そんなので嘘つく理由ないよ!」

「偉そうに言うな!」

 机の上に置いてある宿題の問題集をぱらぱらめくる明人の隣に行って叩かれる。軽い痛

みがさっきまでの何となくやりきれなさを緩和していた。こういうところは明人は上手い

と思う。何かいい様にされているって感じだけど。

「というわけで今日は徹夜も辞さないぞ」

「ふえ〜。……わかりもうした」

 あたしは諦めて椅子に座って問題集を開いた。明人は壁に立てかけてある折畳式の椅子

を持ってきて、あたしの隣に座る。

「……ねえ」

「なに?」

 不意に思いついたことを実践しようと明人に声をかけたけど、実際にするにはやはり勇

気が必要だった。恥ずかしさと期待に挟まれながらもお願いを口に出す。

「後ろから、抱きしめてくれないかな」

「……ドラマの続き?」

「違うよ。あたし自身がしてほしいの」

 本当はさっきのもあたし自身がしてほしかったんだけれど、今更言い直すのも変だし、

あたしは明人に不慣れなウィンクをしてねだってみた。

「お願い!」

「ふーむ……しょうがないなぁ」

 言って明人は椅子と共にあたしの後ろに移動した。そして優しく、腕を前に回してくれ

る。胸の上。鎖骨のあたりに触れる明人の両腕。あたしはなんとも言えない心地になって

熱いため息を吐いた。

「はふぅ」

「……やけに色っぽい吐息だね」

 明人の声に照れが混じる。あたしは無言で頷いて問題集に向き合った。これなら全て簡

単に終わらせられる気がする。実際に一度やり始めると実は対したことなかったみたいで

すらすらとペンが進んで行く。明人も「やればできるじゃない」と耳元で囁いてくれた。

 その声の優しさに心臓が跳ね上がるのに……。

 やがて最後の問題を解くと時刻は十二時だった。二時間くらい集中できたのって珍しい

と本気で思う。

「後は風呂入って寝るだけだな。勉強道具鞄にあるから、今日は泊まっていっていい?」

「いいよ」

 明人はお風呂に入る準備をするためかあたしから腕を放そうとした。

「待って」

 あたしは言葉と同時に明人の両腕を掴む。急な事で明人は驚いたようだったけど、その

まま腕をあたしの前に回してくれる。

「どうしたの?」

「……背中に手を回されてるより、前に回されたほうが好き」

 素直な感想だった。

 確かにぎゅっと抱きしめられて明人の胸にうずまるのもいいけれど、こうして背中から

抱きしめられるほうが、なにかこう、守られてるって感じがして良かった。

 とても安心できる。

 守られてる。

 愛を感じる。

「明人……大好き」

 口をついて出る素直な気持ち。まだ付き合って四ヶ月が終わりかけだけど、新しいドキ

ドキが生まれてくる。最初から好きだけど、どんどん好きになる。

「美緒。今日はえら子だったね」

「うん。頑張ったでしょ」

 あたしは笑って後ろの明人を見た。そのまま身体を乗り出して明人の口に口づけする。



 今日は良く眠れそうだった。





『06・了』





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