「あー、エッチしたい」

 ぷぱっ! と音が聞こえた方向を見ると、沙織が飲んでいたガラナを床に零していた。

全く、ちゃんと飲み物は口の中に入れなくちゃ……。

「思考回路がショート寸前のようね。今すぐ確認しましょう。中には何が入ってるの? 

月の王女と地球の王子でもいるのかしら?」

 あたしが注意するよりも先に、沙織が頭を左手で掴んで右手に息を吐きかけている。そ

れもやけに淡々と台詞を呟きながら。

 なんか、凄い嫌な予感がするんだけど……いつかのリフレイン?

「あ、あ、ああああ、瞳に星が見えるよ〜。瞳はダイアモンド!」

「冗談はさておいて」

 沙織が手を離して、おかずを口に運んでる。ちくわを一口サイズに切ったものにチーズ

を通したり、きゅうりを通したりしてるものを食べていた。あたしもさりげなく一口食べ

てみるとなかなか合う。おかあさんに作ってもらうのも良いかな。

「あんたがいきなり変なこと言い出すのは分かってたけど、今度はどうして?」

「うん。明人と付き合い始めてもう四ヶ月くらい経つのですが、体を触られるくらいでと

まっとるのです」

「スキンシップは大事よ。別にやりたい感じになればそのまま進むんじゃないの?」

 沙織はそう言いきってもう話しは終わりみたいにあたしから視線を外した。

 うーん、そうなのだろうか? と、ちょうどいい話し相手が来た!

「一紗ちゃーん!」

「? なあに?」

 とてとてという効果音が聞こえるような歩き方で近寄ってくる一紗ちゃん。

 ううー、可愛い。沙織が男らしい女と言うならば、一紗ちゃんは女らしい女だ。

 少しだけ栗色をしている髪がストレートに背中に伸びてて、物静かで、眼鏡がアクセン

トになっている。三人姉妹らしいけど、末っ子にありがちな甘やかされてるって雰囲気も

なくて、地に足がついてるって感じ。

 一度だけお姉さんにあったけど、雰囲気は似てたなあ。

「一紗ちゃん、年上の彼氏さんいるんだったよね?」

「え? え? え? ……片思いだよ〜」

 顔を真っ赤にしながら答えてくる一紗ちゃんにあたしは凄くドキドキした。思わず抱き

しめてほっぺたにチューしたくなる。お、女の子同士ならいいよね……。

 あたしは立ち上がろうと足に力を込めて――

「中村を汚すんじゃない」

 いつものように沙織はあたしの考えを読んだようだ。

 横手からチョップが頭に飛ぶ。ううー、見事な空手チョップ。力道山もびっくりだね。

 誰か知らないけど、力道山。

「話を元に戻すけど、明人、自分からなかなか来てくれないんだよ。だから、誘惑しよう

と思って」

「誘惑?」

「美緒ちゃんが?」

 む? 沙織と一紗ちゃんの反応が同じだ。何だよ、この『え? 象が蟻を持ち上げるほ

うがまだリアリティがあるよ』みたいな反応は! あたしが明人を誘惑するのがアンノド

ミニ分生きるくらい不可能だとでも言いたいのか!?

「言いたいのか!?」

「何を言いたいのかというのが分からないけど、そうだね言いたいね」

「美緒ちゃんには美緒ちゃんの可愛さがあるから、別に誘惑しなくても……」

 沙織は分かってくれたようではっきりと言ってくる。一紗ちゃんは流石に別の言い方を

してきた。

「例えばどんな可愛さなの?」

「うーんと……犬みたいな」

『犬!?』

 あたしと沙織が同時に声を上げる。その大声に昼休みにクラスに残っている数人は驚い

てこちらを振り向いた。一応、この話は秘密の話だし、皆の視線が集まってるとやりずら

いことはある。あたしは何でもないよとジェスチャーで伝えた。

 皆があたし達から視線を外すと一紗ちゃんへと尋ねる。

「あたしが、犬?」

「うん。なんか美緒ちゃんは犬に見えるよ。うちのごーちゃんみたいに」

 一紗ちゃんは自分の飼ってるゴールデンレトリバーとあたしを同列に見ていたというこ

とか!? 犬みたいとは沙織には言われていたけど、他の人に言われたのは初めてだ。

 一紗ちゃんに見えていたということは他の人もなんだろうか。一応明人があたしと似た

ような性格だということは秘密にしてるから、一紗ちゃんの前では話は出来ない。

 と、そこで一紗ちゃんがあたし達から少し離れた。

「あたしは用事あるから行くね〜」

 去っていく一紗ちゃんを見て沙織が呟くのが聞こえた。

「中村、実は侮れないよね」

「気も利くなんてお嫁さんに欲しい〜」

 あたしの正直な気持ちに沙織はため息を思い切りついた。

「……誘惑の話だったわね」

「うん。何かいい手があるの?」

 沙織はそして、凄くにこやかな顔をしていた。この時の沙織の顔は知っている。つまり

はいい案を思いついたということだ。

 おおむね、自分が楽しむためだけの案だけど。

「これをすれば永沢君もイチコロだよ」

「本当ー!!」

 あたしは沙織の案を聴くことにした。



* * * * *
「ただいま〜」  明人の声が聞こえて、あたしはほくそ笑んだ。  沙織から聞いた方法の準備は整っている。というか、とても簡単なことだった。それに しても男の人は本当にこんなことで喜ぶんだろうか。 「今日はカレーかなぁ――」  居間に入ってきた明人とあたしの視線が合う。明人は入ってきた体勢のままで固まって いた。口が何かを言いたいように動くけど、言葉にはならない。顔は思い切り赤くなって て、凄く可愛かった。  よかった。どうやら作戦は成功のようですよ、沙織隊長! 「み、み、美緒……そ、その格好は何?」 「うふ! これはねぇ『一撃必殺明人悩殺最終兵器』!」  あたしはキッチンから出て明人の前に姿を現した。明人は悲鳴を上げて顔を両手で覆っ ている。でもきっちりと指の隙間からあたしの姿を見ているようだった。  ううー、可愛い仕草しおって。それって女の子がする仕草だろう!? 「もへぇ〜ん。そ、そんな格好してないで、服着なさい!」 「えー、だって明人嬉しいんじゃないの?」  そう言ってあたしは自分の格好を見下ろした。  ブラとショーツにいつも使ってるエプロンを着ただけの格好。いつもあたしが着替える ところは見ているはずだから、下着を見る分には明人も抵抗はないはずなのに。  何をそんなに恥ずかしがる? 「それに、そんな格好って言っても下着つけてるほかにエプロンだけだよ? 一緒に寝る 前に下着姿は見てるじゃん」 「エプロンつけるだけでなんか違うの!? しかもなんか中途半端だし!! 誰からそん なの教わったんだよ!!」 「沙織だよ。裸にエプロンつければ明人は一発で篭絡できるっていうから。でもあたし、 流石に裸にエプロンだけなんて恥ずかしいし。これが譲歩」 「譲歩するなら最初の段階でしてくれ!!」  掌で顔を隠して――それでも隙間からちゃっかり見ているけど――明人は泣き声交じり で言ってくる。あたしはそんな明人を――思わず苛めたくなった。  背中に手を回してブラのホックを外す。その時にわざと大きな声でプチっと言った。  明人の顔が全部真っ赤に染まったのが掌の隙間から見えた。 「ななななななな」 「ほーらほーら、今、ブラを外しましたよ〜」  そう言ってあたしは明人に近づいた。右手の人差し指に外したブラを引っ掛けてくるく る回しながら。明人は後ずさるけど、すぐに窓に行き着いた。  あたしはわざと胸を張って、明人の胸に押し当てた。自慢じゃないが、あたしの胸はな かなか大きい。標準はクリアしてるしね。  明人の喉がひっ、と鳴るのが聞こえた。 「うふふ〜、お姉さんと一緒にいいことしようよ〜」 「――この逆セクハラ娘がぁ!!!」  次の瞬間、明人が顔を覆っていた手を勢いよく広げてあたしを抱きしめた。明人の頬が あたしの耳に当たる形になって、体温が耳を通じて伝わってくる。そして今は心臓の鼓動 がエプロン越しにあたしの体に伝わってきていた。どうやら思った以上に明人は緊張して いるらしい。  しばらく抱きしめるだけだった明人が、鼓動が弱まっていくと同時に呟いた。 「楢崎の奴……美緒に変なこと教えやがって……」  明人が溜息と共に言った言葉は心底落ち込んでいるようだった。どうしてだろう? よ ろこんでくれると思ったのに……。 「明人はうれしくないの? この格好」 「うれしいけ――げふげふっ! いや、嬉しいとかじゃなくて、つまりえーとだな……」  明人はあたしから体を離してラジオ体操第一の終わりみたいに深呼吸を何度か繰り返し てから胸に手を当てる。しきりに「オレハダイジョウブセイジョウセイジョウ……」と呟 いてから言ってきた。 「美緒。コスチュームプレイとは分かるかい?」 「? やっぱりいろんな格好すること?」  明人は一度頷いて腕を組んだ。どうやらあたしに何かを伝えようと、そして順序良く教 えていこうとしているらしい。あたしはしばらく明人の言葉を待った。 「……つまり、世の中には恋人にいろんな格好をさせて、そのまま――エッチなことに及 ぶ人がいるんだ。高校の制服とか、ナース服とか警官の服とかそんなの着せて、それを脱 がせて、あるいはそのまま――したりする人がいる」 「どうせ脱いでからするなら、どうしてわざわざ着せるの?」 「……そこはまあ、いろいろあるんだよ。美緒には理解出来ないよきっと」  むっ。そう言われるとなんか腹立つなぁ。でも明人の話の腰を折らないように黙ってる んだ。あたしは大人だ! 「それでまあ、今、美緒が着てたのは『裸エプロン』というコスチュームで、どうやら一 番男が萌えるものらしい」 「燃えるって、熱くなるの?」  明人は何か言いたげだったけど、何も言ってこなかった。何だろう? あたしはお子様 だと思われているんだろうか? むふぅ……心外だなぁ。 「ま、本来は美緒が……というか、楢崎が言った通りに裸にエプロンをつけただけで、ど うやらその姿に興奮して……エッチなことをする人が多いらしい」 「ふーん」  あたしはとりあえず納得した。つまり、沙織は男の人を誘惑するのに確率が高い方法を 教えてくれたようだ。その点では正しかったらしい。でも明人は誘惑されなかった。  恐るべし! 明人。 「とまあ、そんなわけで、俺はそういうプレイは好きじゃないから……」 「じゃあ明人はどうしたらあたしとエッチするの?」  明人はあたしの言葉を聞いて動きを止めた。その顔にありありと驚愕が広がっていく。 あたしがそんなことを言わないとでも思ってたんだろうか? 「あたしは明人が大好きだよ。あたしだって子供じゃない。恋人同士が何をするのかも分 かってるし、その相手が明人なら嬉しいと思ってる。でも明人はあたしとそう言うことす るのをどこか避けてる! 最初はそう言うのをただ怖がってるだけかと思ったけど――」  一気にしゃべって、喉が詰まった。咳を何度か繰り返した時に、明人があたしの背中を 抱いた。 「ごめんね、美緒。俺も美緒と……したい」 「本当! なら――」 「でもちょっと思うところがあって、ね。もう少し待ってくれる?」  そう言って明人はあたしの口を自分の口で塞いだ。理由を聞くタイミングを外されたけ ど……あたしはそれでもいいかなと思った。だって明人もあたしとエッチなことをしたい と思ってくれているんだから。  今は、それだけで充分だった。  唇を外してから笑いあう。やっぱり、明人はかっこいい。かっこかわいい。  そこで、ふと思いついたことを口にした。 「つまり明人は裸エプロンが好きなの?」 「違うわっ!」  やけに焦って言ってたのが何となく気になった。 『04・了』


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