輝きは剣の中に 21


* * * * *


 雲一つない、すがすがしい朝だった。
 朝の、まだ眠気の残る気配の中を港夏海は歩いて行く。ふと気がつくと、晴れ間から雪が降り始めていた。

(こんな気分の日は良い事が起こる気がする)

 夏海はそんな幸福感に包まれ、少しスキップを踏みながら進んでいた。そして前に見知った人影を見つける。

「隼人〜」

 声をかけられた隼人は気だるそうに夏海へと視線を向けた。

「おはよう、夏海……」

 欠伸を噛み締めて言ってくる隼人が可笑しかったのか、夏海は笑ってしまう。
 隼人は夏海の仕草が気に入らなかったのか、顔をしかめていた。

「夏海。お前良く元気だよなぁ。今日は実力テストだぜ」
「わたしはいつも勉強してるもん。隼人はいつもぎりぎりにしかしないからそんな焦るんだよ。でも一夜漬けで学年十番入るんだから、毎日やれば苦労しなくてすむのに」
「今は剣道だけでいいよ。勉強は三年からでも――」
「間に合わない!」

 隼人はちぇっ、と呟くと夏海から顔をそらして歩き出した。
 そんな隼人の仕草を可愛く思い、夏海は微笑む。

 本当に穏やかな日々が流れていた。
 もうすぐ十二月。冬休みももう少し。
 あの『闘い』からすでに一月経っていた。
 闘いに関わった者達は何事も無かったように日々を生きている。

「お? 生徒会長だぜ」

 隼人がそう言って指し示した場所には狭山鷲が立っていた。
 どうやら誰かを待っているらしく辺りを見回している。そのうち、狭山に走って近づいていく者がいた。

「わりぃ、遅くなった」
「早くしないと遅刻だ」
「たまには遅刻しろよ優等生」

 狭山と――本山大樹が笑いながら歩いて行く。その光景が、夏海には眩しい。
 彼女にとってとても仲良さそうに歩く二人がとても新鮮だからだ。

「俺達も遅刻するぞ。早くしないとな」
「そうだぞ」

 二人に自転車のブレーキの音と一緒に声が聞こえてきた。その声の主に隼人が反応して言い返す。

「神代! お前だって彼女を乗せてる時点で遅刻だろうが。その娘、うちの学校じゃないだろ!」
「もちろん送ってから学校には間に合う。じゃ、部活で」
「クラス同じだろ!」

 神代雅也が笑いながら手を振って自転車を進めていった。背中には奈々枝吉野が同じように笑っている。幸せそうに。

 夏海はその光景をとても嬉しく見ていた。
 一月前まではありえなかった光景。
 それは、あの日に遡る――




 光の柱が昇っていた。
 炎と雷が入り混じり、青白い光の柱になって空を貫いていた。
 夏海は揺れる屋上に這いつくばるように、それでも昇る柱を見ていた。

「は……や……」

 あの光を生み出す原因になった、神代と隼人の激突。
 少し離れただけでこれだけの威力が体に伝わる。
 なら、直接威力を浴びた二人は――

 その時、空から風の音が聞こえた。

「え?」

 空を見上げる。それが少しでも遅かったら、夏海は怪我を負っていただろう。
 目に入ってきた物を避ける。
 夏海が一瞬前まで居た場所に、剣が突き刺さった。
 ボロボロになった剣。あれだけ闘いに費やしても壊れなかった剣。
 それは――隼人の物だった。

「隼人!」

 光の柱が弱まる。
 そして、見えたのは倒れている隼人だった。
 夏海は平衡感覚をなんとか取り戻して走った。
 一刻も早くその場所へと向かおうと。

「隼人!」

 隼人の全身は焼け焦げ、素人の目から見ても致命傷だった。夏海は一度目をそらしたが、すぐに目を向ける。

「な……つ、み」
「隼人! 気をしっかり持って! わたしが治してあげる!」

 夏海は涙眼になりながらもは《水聖》を取り出した。
 この剣なら、隼人の傷も治せるはずと信じて。

「かみ……しろ、は?」
「だ、大丈夫だよ……神代君は気を失ったよ。隼人は神代君を止めれたんだよ!」
「そうか……よかっ……がはっ!?」

 隼人の口から血が吐き出される。
 夏海の顔にかかる血の熱さが、隼人に忍び寄る死の影に現実味を帯びさせる。

「嫌だよ……しんじゃ、嫌だよ……」
「な、つ、み……」

 隼人の手が夏海の頬に触れた。夏海はその手を必死に掴む。

「もうひと……つの約束……守れなかっ……たなぁ……」

 その言葉はさっきまでの弱々しさとは違って、はっきりと夏海には聞こえた。

「ごめん」

 隼人の目が閉じた。
 頬に添えられていた手の力が抜けて、夏海の手をすり抜けて床に落ちた。
 目の前の現実があまりにも非現実的で、夏海は何が起こったのか分からなかった。

「え?」

 動かない体。
 夏海を見ない瞳。
 息を、しない口。

「隼人……隼人ぉお!」

 夏海には信じられなかった。
 何もかも、今まで起こった事全てが嘘であれば良いと思った。
 でも――これは現実。

 久坂隼人は、死んだのだ。

「いや! いやだぁ! 隼人!!」

 泣き叫ぶ夏海。
 それをどこか遠くで見る『夏海』
 まるで二人に分裂したように、『夏海』は泣きじゃくって隼人にしがみつく自分を見ていた。

「……『火の剣』の保持者、久坂隼人死亡」

 急に聞こえてきた声に夏海は意識を一つとし、視線を移した。
 そこには黒い影。
 信じられなかった。でも、確かにその影は立っていた。

「あ……な、たは……」
「そして、また一人死ぬ」

 首の無い兵藤花月の持った剣が、夏海に振り下ろされていた。
 体の奥から来る虚脱感。
 隼人の死というものが信じられず、でも認めるしかない事実。
 その狭間で夏海は動く事を忘れていた。
 しかも迫る黒い剣を見て、夏海は安らぎを感じてさえいた。

(隼人のところに行ける)

 隼人のいない世界など、彼女には考えられなかった。
 そして死なないと約束したにも関わらず、隼人は死んでしまった。
 約束を――破った。

(嘘つき。死んだら、文句言ってやるんだから……)

 その考えは甘美だった。
 そんな思考が剣が迫るまでの一瞬に流れる。
 思考が遮られたのは、黒い剣が途中で止まった時だった。

 甲高い音が鳴り、前にいた男の剣が空中で止まる。

「なん、だと?」

 首なしの男が驚きの声を上げた。夏海は、驚愕に動くことができない。

「お前は、もう消えろ」

 神代がそう言うと、男の体全体に電撃が走った。
 絶叫を上げて悶える。
 夏海の目から見て、神代はかなりの傷を負っているように見えた。少なくとも、ここまでの電撃を放出できるとは思えないほどに。
 でも神代は歯を食いしばって必死に攻撃している。
 その内に、兵藤花月の体が崩れていった。

「ぐぞおぉぉおぉお……し、にだぐ……」
「斬!」

 最後に神代が放った一撃。そして、花月は塵になって消えた。
 耳に残る絶叫を叫んで。
 夏海は何も言えず、神代を見る事しか出来ない。

「やけにあっさり殺されると思ったが、このためだったか」

 そして神代君は深く息を吐くと、夏海と隼人へと視線を向けた。
 夏海は反射的に隼人の亡骸を抱えて神代を凝視する。
 どうして自分を助けてくれたのか? その気持ちが顔に出ていたのだろう。
 神代は少し苦笑いしてから言った。

「……望み、だったからな」
「え……?」

 次の瞬間、神代は崩れ落ちた。
 それまで原形をとどめていた剣が、一気にボロボロになって崩れさる。
 神代が倒れ、剣も床に落ちた時に完全に破壊された。

「神代君!」
「あいつの、望みだったからな」

 神代にはもう夏海の声は聞こえていなかった。
 独り言、うわ言のように呟き続ける。

「久坂は、あんたを、守るために……たたか、た……。あいつが勝ったなら、あんたは、生きな……」

 神代の言葉が止まった。
 夏海は見る事しか出来ない。
 人が死んでいく事を、ただ見ている事しか出来なかった。

(二人とも死んでしまった。わたしだけが、のうのうと生き残ってしまった)

 深い後悔の念が夏海を覆う。しかし絶望に沈む前に、目の前で起こった光景が現実へと引き戻す。
 神代の剣、そして隼人の剣が――宝玉に変わった。

 瞬間、空が光に覆われる。
 夏海は眩しさに耐えながら見ると、空に大きな扉が見えていた。
 神代の体から落ちた二つの宝玉。
 そして隼人と神代の『剣』が変化した宝玉。
 四つの宝玉が空へと昇っていく。その先には大きな『扉』

「あ……」

 夏海の『剣』が水色の宝玉へと変化し、先に昇った宝玉を追いかけるように昇っていく。
 そして『扉』を取り囲むように空中に静止した。
 五つの宝玉から光が放たれて、『扉』を囲んでいく。全ての光が繋がり、光が輝く。

 夏海が眩しさから閉じていた目を開いた時、扉は開かれていた。

「あれ、が……」

 自分達がわけも分からずに闘って、最後に辿り着いたもの。
 開いた扉の向こうから少しずつ姿を現していくモノ。
 夏海は涙を流していた。隼人の亡骸を抱きながら。

『最後の勝利者よ。汝の願いを叶えよう』

 背中から四枚の羽を生やした男は夏海へと言った。
 静かに夏海の前へと下りてくる。その様子は神々しくて、内から感動が溢れてくる。

『我が主が作った剣。その闘争の勝利者よ。お前には権利がある。望みを叶える権利が』

 夏海は数分は放心していた。
 その『人』は黙って夏海の言葉を待っている。ようやく我を取り戻した夏海はしどろもどろになりながらも何とか言葉を発しようとした。

「あ、あの……」
『三つの願い、だ。お前の望む物が手に入る。さあ、言うがよい』

 夏海の中に、この時初めて怒りが生まれた。
 自分達を勝手に闘いに巻き込み、それが終わった後は願いをかなえてすぐさま消える。そのような物に対する怒りが夏海を支配していく。
 しかし夏海は怒りを押さえた。
 自分の怒りをぶつけるよりも、まず言うべき事があったからだ。
 隼人や狭山の願いを、叶えなければならない。

「願いを叶え終わったら、『剣』をこの世界から消してください。もう闘いはたくさんです!」

『彼』は少しだけ躊躇したように見えたが、すぐに言葉を発した。

『分かった。今の全てを終えたら、『剣』を消滅させよう』

 夏海はほっとした。これで、自分達の闘いは意味をなせるはずだと。多大な犠牲を払ってしまったとしても。
 そして、夏海は次の願いを言う。

「二つ目の願いです……。みんなを、『剣の闘い』に関わった人全てを、関わる前の状態に戻してください。記憶も、何もかも」

 使者は頷くと軽く手を振った。何かが変わるような感覚。
 あまりにもあっけなかったが、これで皆は元に戻るはずと、夏海は思う。神代の妹も死んでしまった他の皆も、全てが救われるはずだと。
 でも、夏海は終わらなかった。
 本当の、最後の願いを口にした。




 放課後、夏海は屋上に来ていた。
 あと少しもすればこの場所は雪に閉ざされて、立ち入り禁止になる。
 今の時点でも夏海の感じる温度は少し肌寒いのだから、自然と誰も来なくなるだろう。
 夏海には、今でも視線を向けて眼を閉じるとあの時の光の柱が見える。
 ここであって、ここではない場所で行われた死闘を。

 夏海は手首につけてあるリングをおもむろに見る。
 そこには金色の輪に五つのビー球が付けてあった。『剣の闘い』の名残が。
 そう、夏海は。夏海だけは記憶を失う事はなかった。自分から言ったのだ。

 記憶を消さないでくれ、と。

 何も出来ないでみんなが死ぬのを見ているしかなかった自分に対する罪として、夏海は全てを覚えている事を選んだ。
 あの兵藤花月が永遠の命を得られなかったように、今回も神は不完全な約束を守ったらしい。
 願いを叶えた次の日、結局『剣』に関わった者達――隼人や神代、狭山、本山は病院で目が覚めた。
 自分らがどうして運ばれたのか全く分からず、困惑していた。
 医者達もどう診察したのか良く分からずにしばらく混乱状態だったようである。

 神代がこちらに転校してきたこともそのままになっていたようで、結局彼は何故転校したのかも分からないまま――おそらく何か自己完結させている物があるのだろうが――久瀬高校に通っている。
 夏海から見て、隼人とはもう親しすぎる関係となり、彼女でも二人の間には入りづらい。
 神代の妹も病状は回復していた。隼人と共にに見舞いに行った時、自分達に可愛い笑顔を見せてくれたのが夏海には印象的だった。

 狭山も傷が回復した頃にはもう生徒会を引退し、大学受験に向けて勉強を更に進めている。本山は過去の傷までがなくなったのか、いきなり親しくなったようだが、その経緯はさすがに彼女には分からない。

 誰もがあの闘いなど何も無かったように未来へと歩いて行く。
 そして、夏海は――

「誰かが、覚えていないと……意味がないよね」

 リングを見て夏海は呟く。
 力があったのにも関わらず、何も出来なかった自分。
 だから、夏海は自分に出来る事を選んだ。
 あんな意味のない闘いなど二度と起こってはいけない。でも、誰も覚えていなかったら、本当に意味が無い。

(痛みそのものは忘れたいけど、痛みの重さはけして忘れてはならないんだ)

「わたしは、覚えてるよ」

 決意を確認するように、夏海は呟く。
 二度と同じ事が無いように、夏海は自分なりに頑張っていこうと思う。
 それが、夏海の新しい『闘い』

(出来るよね、隼人)

「おーい、夏海」

 かけられた声に視線を向けると隼人が入り口に立っていた。寒そうに辺りを見回してから夏海へと言ってくる。

「こんな所に居ると風邪引くぜ。さっさと帰ろう」
「なによ。隼人の補習につきあったんじゃない」

 夏海は笑いながら隼人に近づく。そして隼人が訝しげに辺りを見回している事に気付いた。

「どうしたの?」
「ん……いや」

 隼人は少し躊躇ってから、自信がなさそうに言った。

「なんか、見覚えがあるんだけどな……屋上」
「屋上なんて何回も来てるでしょ! 行こう!」

 夏海は内心の動揺を押さえながら隼人を押して屋上を後にする。
 隼人に気付かれないように屋上を振り返りながら思った。

(まさか記憶が甦るわけじゃないだろうけど、しばらくは近づかないほうがいいかな……?)




 そして彼等は今日も帰っていく。
 隼人と夏海は共に歩きながら帰っていく。
 あの闘いの中でお互いが強く願っていた普通の日常の中を。


 ――ずっと、この日常が続けばいいと願いながら――


『輝きは剣の中に』 完
 



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