寝覚めは悪かった。 昨日、本山が逃げてから家に帰ろうとした時に感じた嫌な予感が継続している。 一体なんなのか全く分からないが、知った時に後悔することだけは確かのようだ。 そして実際に、俺は後悔した。 「隼人。お前の高校の生徒じゃないか?」 朝の食卓で父さんがテレビを指差しながら言ってくる。 俺は嫌な汗が背中を流れるのを感じつつ、テレビを見た。 現場は俺が昨日、本山と別れた場所の近く。 そこに、一人の男子生徒が倒れていたらしい。 高校名は……俺の高校。 (まさか……) ちょうどそこでレポーターが被害者の名前を告げた。 「被害者は久瀬高校三年生、本山大樹君……」 俺は息苦しさに眉をひそめた。 どうやら自分から息を止めていたらしい。 やはりだった。 あの嫌な予感はこの事だったのだ。 (一体誰が? また花月が? それとも、まさか……神代が?) 思えば狭山先輩を襲ったのを、俺は心の何処かで花月がやったものだと思っていた。でも、そんな保証は何処にもない。 神代が二人とも倒した事も考えられる。 (じゃあ、もう無理なのか? 神代を止められない……) 俺は絶望に心が沈んでいくのを止める事が出来なかった。 「隼人。どうしたの?」 夏海の問いにも答える気力はない。それほど憔悴した俺の心情を分かってくれたのか、黙って夏海は俺の隣に腰を降ろした。 屋上から空を見ることももうそろそろ寒くなってきて出来なくなりそうだ。 いや、俺はこの空を全てが終わった時に見ていられるのだろうか? 「夏海。昨日、大丈夫だったか?」 自分に襲ってくる化け物を相手に手一杯で夏海の所へはいけなかった。 化け物達はこぞって夏海を襲っていたというのに。 「大丈夫だったよ。わたしの《水聖》は他の剣よりも化け物を寄せ付けないみたい」 夏海は笑顔で元気に言ってくる。 何となく、俺の気を紛らわせてくれてるのが分かる。 「ありがとう」 「? どういたしまして!」 素直に礼を言う。 前よりも気が楽になった事で、一つ手段が思い浮かぶ。 「そうだ。奈々枝吉野……」 「?」 夏海は俺が出した名前に戸惑っていた。 俺は構わずに走り出していた。神代を止める、最後の望みの下へ。 学校を無断で早退してきたのはこの際気にする必要はないと思えた。 俺の内心で言いようのない不安が浮かび上がってくる。 昨日はこの不安を蔑ろにしたために神代を止める可能性を減らしてしまったのだから、今はこれを信じるしかない。 そして、その不安は的中した。 「何あれ!?」 後ろから息を切らせながらも夏海がついてきている。そして俺の視界にも入ってきている光景を見て驚いているようだった。 もちろん、俺も驚いていたし、俺が答えられる疑問ではない。 「急ぐぞ!」 「うん!」 俺は夏海を叱咤して、速度を上げた。 黒い雲が今にも病院を飲み込もうとしている現場へと。 すでに病院の外には入院患者や医師、看護婦達が非難していた。しかし医師達が騒いでいるところからして、まだ意識不明の患者などが取り残されているようだ。 俺と夏海は剣を取り出して位相を越える。 瞬時にひしめいていた人々が消える。いや、消えたのは俺達か。 見ると黒い雲は徐々に病院の屋上から飲み込んでいく。 「隼人」 「ああ」 夏海と視線を合わせ、俺達は病院の中へと駆け出した。 病院の中はすでに化け物達が存在していて、俺達を見つけると襲い掛かってくる。 「焔!」 一瞬で数体を切り裂いて、俺達は歩を進めた。 目指すのは神代陽子の病室ただ一つ。 しかし近づく程に化け物の数が多くなっていった。 「くそっ! これじゃきりがない!」 エレベーターの電気が下りているので階段を使うしかなく、しかも通路には化け物達がひしめきあっている。 目的の病室まで後、一階。 しかし俺達は一つ下の階の廊下で足止めを喰らっていた。 「……隼人、窓から外に出て、昇るしかないよ」 「でもその間は無防備になる。化け物達が襲ってくるぞ!」 今の俺達の力なら、廊下の窓から外に出て一階分ならば飛んで昇るのは可能だろう。その間、化け物達が襲ってこないことが条件だが。 「わたしが足止めするよ」 「……無茶だ!」 夏海の提案に俺は首を振ったが、夏海は一歩も譲らずに言った。 「神代君を助けたいんでしょ! わたしを信じて!!」 俺達が話している間にも化け物が迫ってくる。 決断の時は迫っていた。そして俺は……。 「分かった。任せたぞ!」 「うん!」 俺は窓を開けて外に飛び出した。 一瞬訪れる浮遊感。 次にはすぐに体重が回復し、俺は一つ上の階の窓枠につかまっていた。 そこから体を上に持ち上げて窓ガラスを突き破る。 破片から顔を守りながら飛び込むと眼の前に神代陽子の病室があった。 左右から襲いくる化け物を躱すために勢いを殺さず、俺は病室のドアを破る。 「!?」 瞬間、膨れ上がる殺気。 俺はすかさず横によけた。すぐに壁にぶち当たり視界が振動する。 その間にも俺は反射的に移動していた。 目の前に無人のベットを飛び越えてより広い空間へと降り立つ。 そして急いで振り向いて剣を構えた。 「……花月」 「来てしまったか」 兵藤花月が黒い剣を持って俺に突きつけてくる。 それだけで凄まじいプレッシャーが俺を襲う。 「何故、神代陽子を襲おうとした!」 このまま位相を越えれば神代陽子の下へといけるはずだ。 花月は当たり前の事を言うかのように言ってのける。 「これからの闘いに邪魔な奴を殺しに来たんだ」 「なんだと……」 花月は俺が感じている恐怖を悟ったのか余裕の表情で語る。 俺は何とか、虚勢でも花月を牽制したかったが体が思うように動かない。 唯一動くのは口だった。 「今、神代陽子を殺したら、あいつは闘う目的を失うぞ」 「そして殺人機械になってお前達を殺すだろう」 花月は悪意を現した。 背筋に悪寒が走り、歯がガチガチと音を立てる。 「後四日、残っているが……ここで決着をつけてもいいかもな」 花月が剣を構えて俺に近づいてくる。俺はただ立っている事しかできない。 蛇に睨まれた蛙だ。 何も出来ないまま、俺は花月が俺の傍まで来るのを見ていた。 その黒い剣が喉下に突きつけられる。 それでも、動かない俺の四肢。 「そうだな。時間がないのは俺も同じだ。お前を殺すとするよ……」 (時間が、ない?) 花月にも時間がない? その意味を悟る前に、花月の剣が振り上げられる。そして躊躇なく振り下ろされるのだろう。 (この――野郎!!) 体に最大限の力を込めた。すると、剣を握っていた右手だけが動く。 そのまま振り下ろされてきた黒剣を何とか弾き、俺は床を転がった。 「往生際の悪い奴だな」 「兵藤……花月……」 俺は噛み締めるように、決意を込めるように、言った。 「お前を――殺す!」 「やってみろ」 俺の言葉に花月は冷酷に言い放った。 全く気にもしていないという含みを持つ言葉。 そこまで馬鹿にされて、黙っていられるほど俺はお人よしじゃない。 それにここでこいつを倒さなければ――殺さなければ俺達は大事な何かを失う事になるだろう。 「やってやるさ!」 動くようになった手足に力を込めて、俺は花月へと突進した。 「焔!」 無数に分裂した剣筋。 どれもが必殺の威力を持って花月へと向かう。 だが花月は顔に少し笑みを浮かべたかと思うと体を引いた。 次に起こったことは何か分からない。 ただ、俺は花月を通り越して病室のドアの前にいた。 「……え?」 目の前に花月が迫った時、奴の姿が消えた気がした。 そんなはずはない。 奴が素早く動いて躱されたんだ。 「俺が消えたように思えたか?」 後ろから花月が声をかけてくる。 絶好のチャンスにも関わらず、花月は攻撃してこようとしない。 「てめぇ……」 怒りで視界が滲む。 それに呼応するかのように俺の剣が纏う炎も大きくなる。 猛るように燃え上がる炎。 この空間で焦げるはずはないが、炎が天井まで届いていた。 「ほう? 怒りでパワーが上がるとはな」 「馬鹿にするなよ」 攻撃が当たらないなら当たるまで攻める! 「焔!」 素早い連撃。更に俺は踏み出しながら連撃を浴びせつづける。 奴の後を追うように。 今度は花月の姿は消えなかった。 やはりさっきのは目の錯覚だ。 「炎華!!」 超近距離での遠距離武器。 炎の飛礫は躱しきれない距離のはずだ。 実際に、炎は花月の体の数箇所に当たった。 (数箇所?) その事に多少の疑問は感じたが、今は考えている余裕はない。 俺は最大の一撃を放とうと力を溜め、解き放った。 「紅蓮!」 上段から振り下ろす渾身の一撃。 俺はそこで花月の顔が見えていた。 笑みを浮かべた顔を。 次の瞬間、俺の体は切り裂かれていた。 「な――」 自分が倒れる音が耳に響く。花月は勝ち誇るでもなく淡々と言う。 「俺は影だ。俺を殺せる奴など、いない」 「――隼人!!」 最悪のタイミングに聞きたくない声が入ってきた。 夏海は、何とか顔を向けると夏海が俺と花月を見て顔を強張らせている。 花月は夏海へと歩き出していた。 「な、夏海!」 俺は何とか声を絞り出した。夏海は俺の様子を見て固まっているらしい。 花月がこちらを向くのが見える。 足が俺の顔に振り下ろされた。 「がぁ!」 鈍い音と共に遠のく意識。 鋭い痛みに、揺れる脳。 駄目だ……気を失う……。 「気を失うことなど許さん」 急に目の前に花月の顔が見える。 俺は花月が俺の髪の毛を掴んで持ち上げているのだと気付くのにしばらく時間がかかった。 「隼人!」 「うるさい女だ」 花月は冷酷に言い放つと俺を無造作に床に投げ捨てる。動けない俺はその衝撃にまた顔をしかめた。 「や――やめなさいよ!」 「どうして俺がお前の命令を聞かねばならない?」 変だ。 何かが変だ。 今の花月は今までとは明らかに違う。 俺は動かない体を動かす事を放棄して、思考に回した。 それでも正常に動いている自信はない。 しかし今はこれしかなかった。 言葉で奴の核心に触れる事を言えば、奴の足が止まるかもしれない。 そして俺は一つの考えに突き当たった。 「……花月」 俺の声に花月は振り向いた。 その顔は無表情で何も映してはいない。 しかし俺はその奥にあるものが見えていた。 「お前……さっき言ったよな。『時間がない』って」 「……それがどうした?」 俺は奴の核心に触れた事を悟った。 「何の時間がないかは分からないが、お前にとってそれは、致命的なんだろ? 余裕がないぜ」 次の瞬間、俺に花月の黒い剣が振り下ろされた。 流石にこの反応は予想できてない。 眼前に刃が迫って覚悟した時、横から夏海が花月の剣を受け止めていた。 「邪魔するな、小娘」 「隼人が殺されるのに、黙って見ていられるわけ無いでしょ!」 力の限り振り切る夏海。 しかし花月は瞬時に夏海の懐に移動し、鳩尾に拳を叩きつけた。 「はうっ!?」 「夏海!!」 崩れ落ちる夏海。 花月の手の中にぐったりと寄りかかった。 それを見た俺は、内から湧き上がる怒りに任せて体を起こした。 「復活したか……。そうだな、お前には相応しい死に場所をやろう」 花月は夏海を抱えて廊下へと飛び出した。 俺は虚を突かれ、一瞬遅れて廊下に出るが奴の姿は無かった。 「な――夏海ぃい!!」 無力感。 脱力感。 俺の心を、包んでいた。 俺は――夏海を守れなかった。 |