輝きは剣の中に 13


 起きてみると、体の痛みが消えていた。
 前日までの火の出るような痛みが嘘のごとく。

「嘘……だろ?」

 自分でも呟いてみるが現実を変えることはできない。
 明らかに人外の力が働いたのだ。
『剣』の力が。

「神代も、本山も傷は治ったんだろうな」

 そう考えると身震いがした。
 兵藤花月は俺に「一週間」と期限を切った。
 だが怪我の具合を考慮してそのまま時間切れになるかもと期待したのだ。
 実際は、そう簡単にはいかないらしい。

「あと、一週間か」

 陰鬱だった。
 この一週間で、全てが決まる。


* * * * *


 神代は思わず医師の胸倉を掴んでいた。捕まえられ、身動きが取れない医師は驚愕を押さえきれずに顔を青ざめさせている。

「もう一度……言ってください」

 医師の恐怖があまりに伝わってきたので、神代は何とか自制した。
 神代が手を離すと、咳払いをして息を整えてから医師は同じ言葉を繰り返した。

「神代さん。妹さんは、あと一週間の命です」

 彼は信じたくはなかった。
 だが現実は残酷だった。
 いくら神に願っても、願いは届かない。
 いくら強大な力を身につけても、自分の本当に大事なものは消えていく。
 神代は巨大な絶望感に押し潰される自分が見えていた。

「体の衰弱が大分進んでいます。このまま眼を覚まさなければ、一週間後にはもう……。この一週間、そばに居てあげてくれませんか?」

 医師が気の毒そうに、本当に気の毒そうに神代へ言ってくる。
 しかし彼が欲しいのはそんな言葉ではなかった。
 哀れみの言葉ではなかった。

「そばに居て、俺に出来る事はないですから。陽子を、よろしくお願いします」

 神代にはそう言うのが精一杯だった。
 逃げ出すように彼は病室から飛び出していた。
 ナースが自分を注意する言葉も聞こえていたが、神代は全力で走り続けた。病院を出てからも走ることを止めずにいた。

「はぁ……はぁ……」

 気持ちが悪くなる。

(思えば朝に電話をもらった時からこんな気分だった……)

 神代は朝のことを思い出していた。担任に遅れていくと連絡するのも気が重かったこと。それは今の状況を予感していたのだろう。
 走り続ける中で、視界に公園が飛び込んできたとき、神代は素直に中に入った。
 幼児を連れた母親達が雑談をしているのを尻目に、ベンチに腰掛けた。

「ずいぶん顔色が悪いな」

 息を切らせて俯いている神代の前に、突如影が差した。
 顔を上げるとそこには黒い男。
 神代は、自分達の闘いに割り込んできた男だと気付く。

「名前を言うのは初めてだったな。兵藤花月と言う」
「その兵藤が何のようだ?」

 神代の殺気を含んだ声にも兵藤は動じずに言ってきた。

「闘え。妹の命を救いたければ」
「!?」

 次の瞬間、奴の姿は消えていた。



* * * * *



「……そうだったんだ」

 夏海はそれだけ言うと沈黙した。
 膝の上に載せた弁当箱に視線を固定したまま動かない。
 屋上の風は既に冷たくなっていた。
 すっかり秋だ。

 俺は兵藤花月とのやりとりを全て話した。
 奴が本当にこの『剣の闘い』をゲームのように操り、自分の思い通りにしようとしている事。
 そして、あと一週間でこの闘いを終わらせろと言った事を。

「でもどうしてそんな事を急に言い出したんだろうね?」
「それなんだよな。納得が出来ないのが」

 そうだった。
 花月の目的が俺達を闘わせる事ならば、自分の存在を感づかれているとはいえ俺達の前に姿を現す必要はなかったんだ。
 それなのに奴は姿を現した。

「わたし達……隼人は闘いたくないって言ってたけど、結局闘っていたわけでしょ? 別にあの人が闘えなんて言わなくても闘ってたじゃない。それでも足りないのかしらね。あの人には」

 俺は何となく夏海の口調が気になっていた。

「なあ、どうして花月の事を『あの人』って言うんだ?」
「……なんで、だろ?」

 夏海は心底不思議そうに首をかしげる。俺もとりあえずその話題は置く事にした。考えるのはこれからの事だ。

「花月はおそらく神代や本山にも闘いをあおる。なら、この一週間は全力で襲い掛かってくるだろうな……」

 俺は一呼吸置いてから夏海に切り出した。

「一週間と期限を切ったのなら、一週間耐えしのげば何か変わるはずだ。夏海、狭山先輩と力を合わせて、乗り切ろう」

 夏海は深く頷くと俺の手に手を重ねてきた。
 心臓が高鳴る。

「必ず、生き残ろうね……」
「ああ……」

 自然と俺達の距離が縮まり――

「いた! 隼人、夏海ちゃん!」

 突如かけられた声に反応して俺達は離れる。声のした方向に眼を向けると笑顔で寄って来る光が見えた。

「里山君、どうしたの?」

 平然と夏海は光に問い掛けた。こういう時って女のほうが冷静なんだなぁ。

「もうすぐ授業だよ。次は移動教室なんだから、早くしないと」
「分かったよ。光」

 俺は光をそう言って先に返した。俺と夏海も立ち上がって出口へと歩き始める。
 いつもの日常。
 いつもの風景。
 それが、一週間の間にどう変わるのか……。

「守る、さ」

 俺は心からそう呟いた。




 その日が過ぎるのは早かった。
 神代もいず、本山もいなかった学校での一日は期限が切られたこの時でも、久しぶりに訪れた安息だった。

 自分で決めた『守る』という事。
 自分一人の力ではなく、狭山先輩と、夏海と共に闘っていく事。
 覚悟さえすればこんなにも気分が楽になることを今更ながら知った。

「隼人、かえろー」

 夏海はいつもと変わらずに声をかけてくる。
 それを見てクラスメイトが冷やかす。
 そんな日常は崩れない。
 俺達が日常を見失わない限り。

「そうだな。まあ狭山先輩には明日会って、また話をしよう」
「先輩、また生徒会の仕事なんでしょ? 凄いよね〜」
「本当だ」

 普通の会話。
 どんな事があっても崩れない物。
 そう、思っていた。
 だが俺は、俺達はどこかで油断していたかもしれない。

 幸せな日常の崩壊は既に傍に迫っていたんだ――――――


* * * * *


「ふう……」

 思わず、溜息が出ていた。
 狭山は誰もいなくなった生徒会室を何となく見回す。
 命のやりとりをつい先日までやっていたとは思えないくらい平凡な日常。
 命をすり減らそうとも生徒会の仕事は溜まっていく。
 そして狭山はそれを処理していく。
 何とか終わらせて時計を見ると、すでに八時を指していた。

「もうそろそろ……帰るか」

 一人呟いて席を立つ。
 その時、彼にあの感覚が襲ってきた。
 化け物が接近する感覚が。

「出た、か」

 狭山は腕時計に意識を集中した。
 風が巻き起こり、腕を包む。
 瞬時に腕時計は『剣』へと変化して、彼は位相を超えた。

「しばらく化け物と闘ってなかったな」

 この頃は神代や本山達とばかり闘っていたのだ。それとは違った緊張感が彼の体を包む。
 しかし、狭山はそれ以上に体温が上がっているのを感じていた。

(どうした? 何が俺を焦燥させる?)

 さっきから多かった独り言。
 何かが狭山の中に恐怖を浮かばせ、不安を取り除くためにしゃべらせている。
 だがその答えを探す前に化け物は出現した。

「何だよ……この、数は……」

 化け物達は窓の外。
 グラウンドにいた。
 校庭を埋めつくす程に……。


 

 幸せな日常の崩壊はすでに傍まで来ていた……。




「旋陣!!」

 狭山の周りに発生した風はそのまま広がり、彼を中心に近づいてきた化け物達を斬りさいた。
 痛みによる絶叫が辺りに響き渡る。
 狭山はそのまま風に乗って屋上へと飛んだ。
 見下ろすと二十は下らない数の化け物が自分を見ていることに気付く。

「行くぞ……」

 狭山は意識を剣先に集中した。
 体中の力が《風華》に集まっていく。
 そして――咆哮する。

「風塵!!」

 グラウンド全体を竜巻が包んだ。
 巻き上げられる砂。そして、化け物の血。
 化け物達の体が切り裂かれていく様子が狭山の目に映る。
 だが目は逸らさなかった。
 何故か逸らせなかった。


 ……数分後、グラウンドは化け物達の血の海と化した。


「見事だな」

 狭山は極力驚きを表情に出さないように振り向いた。
 そこにはいつの間にか、兵藤花月の姿があった。

(いつの間にいた? さっきここに上がった時は確かにいなかった)

「別に。さっきからいたよ。君には見えなかったようだがな」
「俺の考えが読めるのか?」

 狭山は素直に聞いていた。それによって今後の対応を決めるために。

「いや、どんなに上手く隠しているようでも、綻びはある」
「……なるほどな」

 狭山は剣を花月に向けた。

「何のつもりだ?」
「俺はお前を倒す」
「馬鹿なまねは止める事だな。俺とは最後に闘え」

 狭山は花月の言葉を聞かずに歩を進める。
 自然と意識は冷やされていく。

「俺はずっと考えていた。黒幕のお前が出てきて、一週間という期限を切ったことの意味を」

 狭山の言葉に一瞬、ほんの一瞬だが花月の表情に変化があった。

「最初に考えた事は俺達の闘いをあおるためにあえて姿を現した事だ。だがそれも今の段階でしなくていいと気付いたよ」
「何の事だ?」
「お前は化け物達を操れる。そうだろう?」

 花月は答えない。だが狭山は続ける。

「あの化け物達はお前が操って俺にけしかけたんだろう? いつもよりも統率されていたからな」

 狭山は剣を降ろして、その代わりに花月を睨みつけた。
 心底殺意を抱いて。

「今まで古文書を見て、そして新しい事実、憶測によって俺が導き出した結論を言ってやろうか」

 次の瞬間、狭山が言った言葉に花月は笑みを浮かべた。
 それは解答を得た子供のようであり、問題を解かれた教師のようにも見えた。





BACK/HOME/NEXT