「神代!」 俺は思わず病室のドアを開けていた。 そこには俺に背を向けた神代と、俺を視界に収める、涙ぐんだ俺と同い年くらいの少女がいた。 突然の侵入者に少女の方は唖然とし、神代は殺気を今度は俺に向けてくる。 「久坂……どうしてここにいる?」 一瞬即発とは正にこの事だろう。 神代の気配はすでに『剣』を抜くところまで来ている。 どうせ、抜いた瞬間に位相がずれた世界へと行くのだから、この病室の主や少女を危険な目にあわせる事は無い。 俺も同時に抜けるように神代の動きに注目した。 「こら! 病院で騒ぐ人は出て行ってもらいますよ!!」 そういう声が一番うるさい気がしないでもなかったが、俺は後ろから聞こえてきた声の主である、看護婦に従う事にした。 流石に俺が大声上げてこの病室に入ったものだから気付いたのだろう。 神代は殺気を霧散させて俺を押しのけて出て行った。 「もう二度と、ここにはくるな」 「……ああ」 俺はそうとしか言えなかった。 神代の様子は――俺が良く知っている気配。 大事な物に手を出される寸前といった、感覚。神代の姿が見えなくなってから、俺は緊張を解いて息を吐いた。 「俺は、ここにきちゃいけないようだな」 何故か寂しく思い、病室を出ようとする。 すると、後ろから引きとめられた。 「あ、あの……神代君を知っているんですか?」 「ん? ああ。クラスメイトだよ」 「じゃあ今、通っている学校の……」 少女は安堵の溜息を吐き、呼吸を整えてから俺に言ってきた。 「できれば話を聞いていただけませんか? わたし……神代君を助けたいんです」 何から、とも聞けない。 俺は神代と友達でも何でもないんだ。 「俺はあいつのプライベートに踏み込む場所にはいないよ。ここに来たのも失敗だったと思ってる。誰にでも犯されたくない聖域っていうものがあるんだ」 「神代君は……その聖域を守るために大事な物を失おうとしているかもしれないんです」 「君は、何か知っているのか?」 少女があまりに真剣で、俺はつい訊いてしまった。 「分かりません。でも、何かが起こっている。そうでしょう?」 どうするか迷う。 彼女ならおそらく『剣』の事を信じるだろう確信はあった。 しかし話せばやはり巻き込まれるはずだ。 「お願いです。大事な物を、わたしも守りたいんです」 それが、最後の一歩だった。 「話、聞かせてくれ」 少女の顔が笑みに変わるのに俺は気恥ずかしさを感じた。 その少女は奈々枝吉野と言った。 少女とは言っても、俺より一つ下らしい。 より年下に見えるのも少し大きめな瞳のせいのようだ。 「神代君は……陽子がこうなったのは自分のせいだと考えてる」 その声は悲しさに震えていた。 俺は感じる。 よほど、奈々枝は神代の事が心配なのだ。 「昔から陽子と仲良かったわたしは、ずっと神代君を見てきた。昔はもっと暖かくて……優しかった」 「今の様子が尋常じゃないのはわかるけど……」 俺はふと、いつも教室でクラスメイトに対応している神代を思い出した。 昔の神代の事を言った奈々枝の言葉。 その言葉のニュアンスは、その時の神代に重なる気がする。 男女ともに人気がある神代。 それはみんなに気さくに対応し、困っている事には積極的に助け舟を出すからだ。 俺や夏海、狭山先輩はあいつの本性は違うと思ってそれを見ていたが、実は違うのだろうか? 「あっちの神代が本当のあいつなのか?」 「え?」 「い、いや。なんでもない」 俺は何とかごまかして先を進める。 「陽子が……こうなったのは一月前くらいなんです。陽子と神代君が二人で歩いていた時、いきなり数人の不良に襲われて……」 「神代なら守りながらでも簡単に倒せそうだけどな」 「普通ならそう。でも、その時はおかしかったんです」 「おかしかった?」 奈々枝は椅子を座りなおした。 知らず知らずに体が移動していたらしい。心なしか震えているように見える。 「相手は三人いたんですけど、三人とも人間じゃないみたいな動きをして……神代君は陽子を守るのに精一杯だった。そして、何とか三人とも倒した時には、陽子の意識は無かったんです」 ……要領が得ない。 話を聞いただけではあまり分からないとは思ったが、これほどとは。 暴漢に襲われた妹を助けられなかったから自分を攻めている。 確かに理由はあるが……。 「陽子に外傷はなかった。どうして意識が無くなったのか全くわからなかった。わたしは陽子が病院に運ばれた夜に会いに行ったんです。そしたら神代君が」 奈々枝は体を完璧に震わせた。 「神代君の目は変わってた。まるで別人のように。わたしが知っている神代君の目じゃ、なくなってた。神代君は『陽子』は必ず俺が助けるって。わたし、意味がわからなかった。次の日に高校に転校届を出すまでは」 俺には奈々枝の不安が良く分かった。自分がいつもいた世界が異質な物に変わる瞬間。それは俺が初めて『剣』に関わった――あの化け物が始めて出てきた瞬間の空気とほぼ同質だったに違いない。 彼女にとっては恐怖としか言えなかったのだろう。 「神代君は言った。『俺は陽子を助ける力を手に入れた』って。そして神代君は久瀬高校に転校した。その事が何を意味しているのか、わたしには分からないけど……神代君が何か大事な物をなくしてしまいそうで………。神代君は両親を事故で無くしてからずっと頑張ってきたから、わたし止められなかった」 俺は奈々枝の独白を聞いて衝撃を受けていた。 神代の心のにある決意は絶対消せない事が分かったからだ。 この闘いを勝ち抜いた時、妹の命を救う事ができる。 それまでに妹が眼を覚ませば止められるだろう。だが、その可能性はなさそうだ。 (なら、今の神代は妹を助ける自信がなくなってるって事なのか?) あの覇気のなさ。 目的を失ったかのような表情。 神代の身に何が起こったのか分からないが、このままでは妹は救えないだろう。 そしてそれは、神代の破滅を意味している。 「神代君を止めることが出来るなら、止めてほしい。お願い」 「……俺にできるか分からないけど、やってみるよ」 今の神代はすでに奈々枝の望み通り立ち止まろうとしている。 しかし、止まり方が悪い。 このままでは奈々枝が望んでいる神代が戻ってこないだろう。 「やってやるよ」 静かに、俺は呟いていた。 奈々枝に聞こえないように、その焦燥を隠しながら。 「とは言ったものの、どうするんだ俺」 ため息をつかずにはいられなかった。 今日、病院に居合わせた一件でかなり神代と話しづらい。 明日からの学校での対応が気になるところだ。 病院を出て俺はまっすぐ学校に向かった。 時刻は午後五時過ぎ。 狭山先輩がまだ生徒会の仕事でいるはずだ。 一応、相談に乗ってもらったほうがいい。 (本当にいいのか?) これは完璧に神代のプライベートだ。 なら俺の他に知っている奴がいることはまずいんじゃないか? 結局、俺が何とかするしかないのか……。 「おっと」 「あ!」 考えすぎて、前から歩いてきた男とぶつかってしまった。 一瞬見えた足には、俺の足が乗っている。 「す、すみません。考え事をしていたもので……」 「いやいや。別にいいよ、久坂隼人君」 「え?」 次の瞬間、俺のみぞおちに相手の拳が吸い込まれた。 一瞬遠のく意識。 何とか持ち直して離れようと足を動かしたが、更に男は追いついてきて俺の顔面に膝蹴りがヒットした。 「がはぁ!」 地面に叩きつけられた反動は俺の肺を圧迫したらしい。 涙がにじんで、視界がぼやける。 息ができずに這いつくばるしかない……。 「てめえが『火』の剣の持ち主か。てんで弱いなぁ」 「……お、おまえ……」 「俺か? 俺は『土』の剣の所持者、本山大樹だ。よろしく。そして――」 俺のはっきりしない視界にも、本山が剣を出すところが見えた。 やばい……こいつ、殺る気だ。 何とか体を起こそうとするが、全く言うことを聞いてくれない。 「じゃあな!」 (駄目だ!!) 本山の剣が俺に迫った。 思わず目を閉じる。 だが、次にやってくるはずの痛みはなかった。 甲高い音が聞こえたかと思うと俺の傍から本山の気配が離れる。 俺は目を開いてみた。 そこには―― 「神代……」 俺の傍には神代が立っていた。 手に雷を纏わせた剣を持って。 その剣先を本山へと向けて。 「負け犬が!」 離れた場所で本山が叫ぶ。手には『土の剣』 正に臨戦体制が整っている。 「俺が負け犬かどうか、みせてやるさ」 神代は一歩前に踏み出した。 その顔には先ほど見た弱さなど微塵も見えなかった。 「迅雷!」 神代が剣を掲げると空から雷撃が降り注いだ。その合間を縫って本山が疾駆してくる。 「腰抜け野郎の攻撃なんぞ!!」 本山はアスファルトに剣を叩きつけた。そのまま力任せに振りぬく。 砕けたコンクリートが神代と俺のいる場所に降って来た。 神代はすぐにその場から本山に突進するが、俺はまだ動けない。 (マジでやばい!?) スローモーションで見えるコンクリート。 それを冷静に見ている俺。 だが破片が眼前に迫った時、それは巻き起こった風によって上空へと吹き飛ばされていた。 「久坂!」 「先……輩……」 何とか声にしようとするが、掠れて上手く出ない。 後ろから駆けつけてきたのは狭山先輩だった。 「ど、うし……」 「無理してしゃべるな。夏海君から君を探すように頼まれた。彼女に神代を変えてくれと頼まれんだな」 俺は無理せずに頷くだけにする。 狭山先輩は少し不思議そうな顔をしながら後を続けた。 「学校で彼女に会った時、やけに青い顔をしていた。お前が殺される夢を見たって言うんだ。それで心配になったから探してくれと頼まれたわけさ。おそらく彼女もすぐに来る」 俺は先輩の言葉を聞きながら視線を本山と神代に戻していた。 二人は俺達からは離れていたが、その戦闘の凄まじさは充分視覚的に掴める。 神代が雷撃を駆使して本山を追い詰めているのだ。 それは過去に見た中で、最も苛烈だった。 「い、けな……い」 俺は少しだけ回復した体をなんとか起こした。 それだけで鳩尾に激痛が走り、肺が圧迫されるような感覚が起こるがそんな事に気をかけている暇は無い。 「その体じゃあいつらの中に割って入れないぞ」 そう言って俺の前に出る先輩。 その目を見ると心底心配してくれている事が分かる。 でも、だからこそ行かなければいけないんだ……。 「このままじゃ、間に合わなくなる」 「何にだ?」 俺は真正面から先輩の顔を見返した。 ともすれば倒れそうになる体を必死で支えながら。 「神代が本山を殺してしまったら、もう戻れなくなるんだ。人を殺したら、もう戻れないんだ!」 俺の叫びと同時に今までで最大級の雷撃が落ちた。 はっとしてその方向を見る先輩。次の行動は素早かった。 「行くぞ、久坂!」 「――はい!」 俺達は駆け出した。 |