次の日から、神代が俺に敵意を向けてくる事は無かった。 どういう心境の変化なのか全く分からない。 普通に、あの初対面のときの顔を俺に向けていてクラスメイトはあの顔の下にある修羅に気づかない。 知っているのは俺と夏海と……狭山先輩だけだろう。 最後の『剣』の保持者もこの久瀬高校にいると知り、俺は何となくだがその人物を探していた。 誰か分かっておかないと、夏海に危険が及ぶからだ。 結局、一週間は何もなく過ぎた。 「……どうした?」 「いや、なんでもないよ」 俺に声をかけてきた里中光は俺と夏海と一緒に中学時代からの友達だ。 同じ剣道部に所属してるから、多分放課後になってもこない俺を探しにきたんだろう。 「あと一週間で市内大会だろ! この頃覇気がないぞ!」 「うーん……」 部活には神代がいる。 気乗りはしなかった。試合の最中に命を狙われるのではと思った。 『剣道』という枠組みの中では負ける気はしない。 でもあいつはいつ、その枠組みをはみ出してもいいという覚悟を持っている気がする。 考え方が根本的に違うようだ。 そんな男に、勝てる気がしない。 「神代君さ、凄く強いんだ。このままだと市内大会で負けるかもよ!」 「そうだなぁ……」 俺はこれ以上、里中を困らせるのも気が進まなかった。 あいつが、俺意外を狙う卑怯者ではない事を祈るしかない。 俺の思っている事が間違っている事を……。 「隼人!」 「分かったよ」 俺は里中の後ろについていった。 ……嫌な予感が胸を離れなかった。 足をゆっくりと前に踏み出す。 それだけで相手には十分だったようで、自分から構えを崩した。 俺が一歩前に出た事で相手に焦りが生まれたらしい。 「メェエンンンン!!」 腹の底から吐き出される声と共に竹刀が向かってくる。 俺は竹刀で受け止めると左側にいなし、前のめりになる相手の無防備な面に竹刀を叩き付けた。 「メェエエエンンンン!」 竹刀の乾いた音が道場に響き、相手がその場に崩れ落ちた。 「そこまで!」 顧問の石橋が試合の終りを告げると周りの他の部員から拍手が起きる。 俺は防具を顔から取って顔を振った。 相変わらずこの防具は汗臭い。それは仕方が無い。 相手も起き上がって面を取った。まだ脳震盪に苦しめられている顔だが命に別状はなさそうだ。 ふと、視線を巡らせてみた。 神代は本当に感心している、といった顔で俺を見ながら拍手している。 本性を知らなければ確実に騙される顔だ。 実際、部活の女子部員はすでに神代にかなり好意を抱いているらしい。 何となく癪に障る。 「相変わらず見事だな、久坂」 「ありがとうございます」 「これなら、今度の市内大会も優勝だ」 「頑張ります」 割れながらそっけないなとは思ったが、特に言い直しはしなかった。 俺は石橋の誉め言葉に送られて競技場の外に出た。石橋が新たな競技者を選出する。 どうやら次は神代を指名したようで、神代と副部長が出てきた。 俺が倒したのは部長だ。 「やったな、隼人。これで来年の部長はお前だよ」 光が俺の横に寄って来て囁いてくる。俺は本当にけだるかったから答えた。 「運が良かったんだよ。俺は部長なんてなる気ないぜ」 それは本心だった。 倶叉火流は実戦を想定した古流剣術だ。 現代の、高校の部活の剣道じゃどうしても超えられない一線がある。 圧倒的な力の溝、というべきものがある。 それでも続けているのは、悪く言えば自己満足だ。 古流剣術なんて物に縛られるのが嫌で、ただ普通の高校生活を送ろうとして選んだのが剣道部だっただけの事。 だが、その古流剣術があの化け物達との闘いに役立っているとは……。 (やっぱり仕組まれてるとしか言えない……) そう考えた時、場を大きな声が支配した。 「はじめ!!」 試合開始の合図が出る。 それは次の瞬間に訪れた。 バシィインン! 一瞬だった。 俺が光と話すそうと顔を離したその一瞬で、勝負は決していた。 あまりの乾いた音に場は静寂に包まれる。 「何が、起こったんだ?」 光が唖然として俺に問い掛けてくるが、俺も分からない。 視線を戻した時、両者の位置が反対になり片方が崩れ落ちていた。 「そ、そこまで!」 石橋は終了の合図をかけるとすぐに副部長の下に駆け寄る。 「……軽い脳震盪、か? とりあえず、端に寝させておけ。長い間意識が戻らなかったら病院に連れて行くぞ」 そうして石橋は数人の生徒とともに端に副部長を運ぶ。 神代は位置を変えずに立っていた。面の中の瞳は、確かに笑っているように見えた。 背筋を悪寒が駆け上がっていくのを俺は無視できなかった。 「お疲れ様でしたー!」 三年の先輩が汗を拭きながら去って行った。俺はそれを見送ってから防具を再びつける。 この場に居るのは俺だけになった。 いつも一緒に残る光も塾があると言って帰ってしまった。 先ほどまでは何人もの人の汗の臭いが充満していたこの空間も、今は徐々に落ち着いてきている。 何も居ない空間を静かに見据えて、竹刀を振った。 何度も、何度も。 風を切る音。 鋭く、素早く空間を行き来する竹刀。 残像が俺の目に残った。 竹刀の軌跡は一つの軌道として空間に刻まれていく。 「――はぁ!」 俺は腹の底から気合を吐き出した。 一際鋭い音を発して竹刀はその動きを止めた。 音が空間に消え去るまでに少しの間を擁す。 音速に近い斬撃。 竹刀がぎりぎり耐えれる衝撃だ。 「……ふぅ」 俺は竹刀を板張りの床に立てた。 そして思いだす。 あの、神代の冷酷な瞳を。 「なんて目、しやがるんだ……」 あんな目の男がいるなんて。 あの目は自分以外の誰かがどうなってもいいと思っている目。 自分の目的を達するためには何者をも蹴散らす意志を持った目……。 (本当に、そうか?) 俺は以前から思っていた考えに何か違和感を感じた。 確かに神代の瞳は冷酷さを備えていたが、何かが違う気がする。 (何が……違うんだろう?) 「隼人〜」 俺はかけられた声に振り向いた。 道場の入り口には夏海が立っていた。 微かに髪が濡れているのは夏海も部活後で、シャワーを浴びた後だと分かる。 「ねえ、もう帰ろう?」 「……そうだな」 俺は防具を外した。 神代のあの瞳も、思考から外した。 今は何も考えたくはなかった。 男は柄を力一杯握り締めた。 そうする事で自らの中に力が入ってくることをを感じる。 立ち塞がる者を力で粉砕できる『力』 全てを―― 全てを壊す―― 男はそう教えられた。 その相手が誰かは覚えてはいない。ただ、自分が自分の欲求を満たす事の出来る力を手にした事は事実だった。 今、彼から少し離れて前に最も憎むべき男がいる。 辛酸を舐めさせられた男。 許せなかった。 自分の力不足を認めてもなお、あの男は許せる奴ではなかった。 いくら努力しても追いつけない才能。 自分が信じていた物を全て壊してくれた男に、復讐の刃を。 男は走り出した。 憎しみを全て前を歩く男――狭山 鷲へと突進していった。 後ろから迫る殺気に狭山は思わず振り返っていた。 学校を出てからずっとついてくる気配があったことを彼は理解していたが、これほどあからさまな殺気を放ってくるとは思ってもみなかった。 道路を走ってくるのは一人の男。 しかもその顔は見覚えがあった。 「本山!?」 「狭山ぁあ!!!」 男――本山大樹の手には一本の剣が握られていた。 紛れもなく、自分の持っている『剣』と同様の『剣』だ。 しかも現実世界で『剣』の持つ力を解放しようとしている。 「『剣』よ、出でよ!」 狭山は『剣』を取り出して掲げた。 光が『剣』から溢れ、狭山と本山を瞬時に異空間に連れて行く。そのままでは『剣』の力によってあの場は破壊し尽くされたであろうが、これで現実世界に影響する事はない。 「狭山! お前に勝つ!!」 本山が振り下ろしてきた剣を狭山は受け止めようとしたが、刹那、彼の背筋に悪寒が走った。 すぐさま体を捻って剣閃を躱す。 地面に激突した本山の剣は凄まじい爆音を響かせ、辺りのコンクリートを爆砕した。 飛んできたコンクリートが狭山の額を掠り、血が飛び散る。 その衝撃で思わず狭山は眼を閉じてしまった。 (しま――) いくら『剣』の保持者とはいえ、剣術や戦闘などに慣れているはずが無い。 まだ異形の者相手ならば躊躇はしないが、相手は人間であり、しかも自分が知っている人間。その躊躇からも招いた結果だった。 「これで終わりだ!」 本山の殺気が見える。 眼を閉じてもそれだけで肌を焼く殺気は狭山へと伝わっていく。 その殺気に合わせて、狭山は飛んだ。 「何!?」 視界が回復した狭山には驚いている本山が見えた。 確実に捕らえたと思えた狭山が本山の『剣』を躱していることが信じられないようだ。 「本山……お前が『土の剣』の所持者か」 狭山はいつでも迎え撃つ体勢を作ってから本山へと問いかけた。 「そうだよ! お前を倒すための力を俺は手に入れた!!」 本山は剣を振り上げると叫んだ。それと同時に起こる地震。 狭山はバランスを崩さないようにするのに必死になる。本山の持つ剣が徐々に光を増していき最高潮に達した時、力ある言葉が響いた。 「地裂!!」 道路へと『剣』を突き立てる本山。 激しい光を伴って、その場所から避けていく道路。 コンクリートの地面を難なく突き進んでくる破壊力。 狭山は地震のために逃げるのが遅れた。 「ちぃ! 風車(かざぐるま)!」 狭山は『風華』の力を解放し、風の防壁を前方へと張った。 本山から突き進んできたエネルギーと防壁とがぶつかり合う。 狭山は道路に膝をついて『風華』を突き立てていた。 こうすれば『剣』を掴んでいれば揺れに負ける事もない。 防壁を押し破ろうとするエネルギーを彼は力の限り支えていた。 「うおおお!!」 「がぁあああ!! 往生際が悪いんだよ!!」 本山の口調はさらに力を増すようなニュアンスだったが、その気配は一向にない。 どうやら今の状態で本山は一杯のようだ。 そのことに勝機を見出した狭山は意識を集中して言葉を紡ぐ。 「――旋風!」 狭山は防壁を張りつつ『剣』からさらに風を吐き出した。 吐き出された風は防壁の向こう側に立っている本山へと向かう。 狭山には手応えが――あった。 「ぐわ!!?」 本山の声とともにエネルギーが弱まる。その瞬間を狭山が逃すわけはない。 狭山は『風華』の力を使い上空高く跳躍する。 支えを失った防壁は本山の『剣』の力を受けきれずに崩壊した。 目標を失った破壊エネルギーはそのまま一直線に遠ざかっていく。 「ちっ!」 「本山。お前、まだ力を使い切れてないな」 着地して冷静に見てみると、狭山は本山の息の切れ方が尋常ではない事に気づいた。 疲労による疲れよりもさらに上。 肉体の疲労以上の疲労を感じる。 「ば……か、野郎が! 俺の心配よりも、てめえの心配をしろ!」 本山はさらに攻撃を加えてこようとした。それを制したのは狭山ではなかった。 「やめろ!」 本山と狭山が同時に視線をずらすと、そこには二人の影が立っていた。 久坂隼人と港夏海。 どうやら彼等も学校帰りのようだった。 「邪魔者が入ったか。狭山! お前との勝負は預けておく!!」 次に視線を戻したときには本山の姿は消えていた。 |