目覚めはいつもの通りだった。 うるさく鳴り響く目覚ましを止め、服を着替えて階下へと下りる。テーブルに揃っている家族に挨拶をして朝食。 「今日は?」 「今日は部活に出てくるよ。市内大会も近いから」 目の前に広がる純日本風の食事。白いご飯を食べながら味噌汁を啜る。 いつも以上にてきぱきと食べ終えて俺は席を立った。 「隼人」 その声に俺は何故か足を竦ませてしまった。視線を向けると声をかけた人物が鋭い視線を向けてきていた。 「な、何だよ、爺ちゃん」 「今日は儂との稽古も忘れるなよ?」 「――ああ。分かった」 それ以上は多く語らずに俺は二階へと駆け上った。そして予めそろえてあった勉強道具を鞄に入れて駆け下りる。そのまま玄関へと直行した。 出来るだけいつもと同じように振舞おうとしていたが、やはり不自然にならざるを得なかったようだ。爺ちゃんの洞察眼がかなりのものだ。こうしてそそくさと家を出ることも、今は爺ちゃんにはなるべくなら近づきたくなかったからだ。 何しろ道場の刀が無いのだ。昨日の、俺のほかに誰もいない時に無くなったのだから、怪しまれるのは俺に決まっている。 「行ってきます!」 そして俺は逃げるように家を飛び出した。 一度振り返って家をじっくりと見る。 昨日の出来事が嘘のように家にはなんの損傷も無い。 夢。 そんな単語が頭を過ぎるが、それは説得力など無い。 何より俺自身が、あの化け物を殺す感覚を覚えていたからだ。 ポケットに手を突っ込んで入れていたものを取り出す。 それは先に赤い玉が付いた、ペンダントだった。 (昨日のは……嘘じゃないんだ) 俺はペンダントを首にして、家に背を向けて歩き出した。 首を軽く傾けて空を見ながら歩いて行く。世界は何事も無く動いていて、この近辺も特に事件が多発していると言うわけではない。事件はいろいろな所で起こっているのだろうが、少なくともこの地区は平和だ。 昨日の事が無ければ素直にそう受け止めていただろう。 「おはよう」 静かに、遠慮がちにかけられた声に俺は振り向いた。そこには声の調子そのままに憂鬱そうな顔をしている夏海。 本人なりに気を使っているんだろう。俺はその気遣いが嬉しくて、気恥ずかしくなり、つい突き放した口調で言ってしまう。 「……おはよう」 俺はそのまま歩き出した。後ろを夏海がついてくる気配がする。無言でしばらく歩き続ける。なんだか、喧嘩したカップルが歩いているみたいだ。 「なんか、喧嘩したカップルみたいだね」 俺の思っていた事を夏海が呟いて、俺の前に回った。 「隼人。昨日、怪我しなかったの?」 「……」 俺は返答に困った。夏海はあの場を見ていない。化け物を倒すと、いつのまにか時間が動き出した。そして家の壊れた個所も直っていたのだ。 それまで激しい戦闘が行われていた痕跡など全く残ってはいない。 夢と言われれば納得してしまっただろう。 手の中にある物がなければ……。 俺は呟いて手の中にある、炎に包まれた刀を見ていた。 炎は徐々に小さくなっていき、やがて消え去る。すると刀はいきなり光を放った。目も眩むような光に俺は目を開けていられない。 (何だ!?) 光が消える。 改めて刀を見ようとして驚いた。 手の中にあったはずの刀がなくなっていたのだ。 その代わりに掌に収まっているのは一つのペンダント。 先端に赤い宝玉がついた、ペンダント。 俺は、結局何も答えを見つける事が出来なかった。 俺は制服の中に入れてあったペンダントを取り出して眺めた。 「あ……。そのペンダント何? 綺麗な宝石だね」 場の気まずさを紛らわそうと夏海はペンダントに話を振った。確かに悪くない繋ぎだろう。 これがただのペンダントならば。 「ん? これは、昨日俺が使った刀だよ」 「?」 夏海は意味がわからずに首をかしげた。俺は笑って早足になる。その動作が、俺がふざけていると夏海に感じさせて自然とぎこちない雰囲気は消えた。 (分からないなら、悩んでもしょうがない) 俺はそう割り切った。 何か違和感があるような気がしたが、あまり気にならないという事は、その程度の物なんだろう。 俺は考えるのを止めた。いずれ分かるだろう、と。 だが、まさか学校でその秘密の一端をを知る事になるとは思いもよらなかった。 その男は俺の後ろの席に座っていた。机の周りには女生徒達が集まっていていろいろと話し掛けているようだ。そのせいで俺が座る事が出来ない。 「なあ、あの男……」 「神代君? 転校生だよ。昨日、転校してきたんだ〜」 俺は夏海に適当に相ずちを打って、その男を見た。少し茶髪が入った髪に鋭い瞳。明らかにもてる顔つきだ。女子が目ざとく見ているわけだ。 特に気にする必要もないと思っていたが、夏海の言葉が俺にかかる。 「神代君、かっこいいよね」 「――そうか?」 内心、夏海がそう言った事に動揺したが押し殺すぐらいの自制心はある。確かにこのクラスであいつにかなうようなルックスの男はいないだろう。 と、その時、神代の眼がこちらを向いた。 瞬間感じる強い『殺気』 背筋がぞくりとし、思わず俺は後ろに下がっていた。 「どうかした?」 「いや……なんでもない」 ちょうど予鈴も鳴り、俺の机にもたれていた女生徒も去ったので俺は席に座るために足を進めた。 そして改めて神代と眼があう。さっき感じた殺気は何も感じず、普通の瞳が俺を見ていた。 「初めまして、久坂隼人君」 「どうして俺の名前知ってるんだ?」 俺が椅子に座りながら言うと神代は気さくに笑いながら言ってくる。 「俺も剣道をやっていてさ。久瀬高校の久坂隼人と言ったら高校剣道界の至宝とまで言われている男だろ? 有名だよ」 そんな恥ずかしい事を簡単に言ってくる神代に俺は顔が紅潮するのが分かってしまい、紛らわすために勢いよく椅子を正した。担任が教室に入ってきてホームルームが始まる。 「俺もここの剣道部に入るつもりなんだ。ご指導、よろしく頼むよ」 「人に教えられるような奴じゃないよ」 「またまたぁ」 俺はそこで会話は終わりとばかりに前を向いた。結局、すぐに授業が始まったから、神代の話はそこで終わった。 「そうそう、俺の名前を言い忘れてたな」 担任の教師がそのまま授業を始めて黒板に文字を書き始める。 「俺は神代雅也。よろしくな」 それが、神代雅也との最初の挨拶となった。 なんの変哲もない授業が終わり、放課後になった。 昨日の疲れからかほとんどの時間を睡眠に使ってしまい、さぞかし先生達の印象は悪い事だろう。 「悪いよ」 「やっぱりな」 小さなゴミ袋を持って横をついてくる夏海に対して、俺はさして重大さを感じないような口調で言った。 案の定、夏海は自分の事のように怒る。 「駄目だよ、隼人。そんなんじゃ、またテスト赤点だよ」 「赤点だったのは英語だけだろ。他の教科で稼いでるから大丈夫だ」 俺は内心、夏海との会話が嬉しかった。 昨日の化け物との闘い。 夢と信じたいが、れっきとした事実として目の前に現れた非日常的な物。 もしかしたら自分はもうこの穏やかな現実に戻って来れないのだろうか? と不安だったのだ。そう感じるほどの化け物だった。 でも、夏海はあの化け物を目にした今でも、普通に接してくれる。 それはとても嬉しくて―― 「どうしたの?」 「ん? なんでもない」 思わず笑みを浮かべてしまう。 夏海は顔を赤く染めて前を向いた。一体何故、夏海が顔を赤らめているのか分からなかったが、俺の抱いた感情を悟られなくてほっとする。 ゴミ捨て場でゴミを捨ててから教室に帰るために歩き出す。 (あれ?) その時、また違和感が頭を過ぎった。 昨日から感じている違和感。それが何なのか今だに分からない。 でもとても重要な事だという気がしていて、気分が悪くなる。 「久坂君」 不意にかけられた声に俺は自制心を総動員して驚きを隠した。 どこから声をかけてきたのか全く分からなかったからだ。 声の主は――神代雅也だった。 「あ、神代君」 夏海のほうはどこから現れたのか分からない神代に対してあまり不思議には思っていないようだった。 神代は笑顔を浮かべながら柔らかな口調で夏海へと話し掛ける。 「ごめん……港さん、だっけ? 久坂君借りていいかな?」 「うん。いいよ〜。じゃ、隼人、後でね!」 夏海が笑顔で去っていく。その様子を見ていた神代が俺に問い掛けてきた。 「久坂君達、付き合っているの? 悪い事したかな」 「付き合ってもいないし、別に悪い事はしてないさ」 付き合っている――恋人同士と言われた事に多少の気恥ずかしさを感じて、ごまかすために早口になる。 神代はふーん、と言ってからすぐに話題を変えた。 「ちょっと、ついてきてよ」 そう言って俺の答えを待たずに神代は歩き出した。 俺は何か釈然としない物を感じつつも後ろをついていくと、辿り着いたのは屋上だった。 誰もいない屋上。 神代は金網にもたれかかり、俺を真正面に見つめてきた。その瞳は、朝に感じた殺気を放つ瞳だった。 「何者だよ、お前」 二人だけになり、敵意をまるで隠さない神代に俺も戦闘態勢を作って問い掛けた。 神代は恍惚の表情を浮かべた。 |