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俺達の終戦記念日

第十二話【あるバドミントンプレイヤーの話】

 引退式の試合が次々と消化されていく。
 恭平は最初の試合の後、しばらく休んでから竹内と組んで男子の後輩のダブルスと対戦した。シングルスの要となる遊佐と共にダブルスの要となるペアとの試合。練習で最後に試合をしたのはインターミドルの全地区予選の前であり、もう二ヶ月は経とうとしている。その間に、後輩のペアは飛躍的に実力を伸ばしており、あわや負けそうになる展開になった。辛くも勝利した恭平と竹内だったが、二人にブランクがあるという以上に、後輩が成長したと言えることにまた、恭平は満足する。
 結局、最初に行った遊佐と朝比奈との試合の後は後輩男子とのダブルス。そしてシングルスと三回試合に出たところで恭平の出番は終わった。時刻も朝から初めて十五時を過ぎており、そろそろ引退式も終わる時間となる。壁にもたれかかって休みながら振り返ると、浅葉中バドミントン部最後の試合が終了したことになる。引退式の試合の流れですっかり意識が薄くなっていたことに恭平はため息をついた。

(まあ、仕方ないか……こういう印象に残らない最後でも)

 どの試合でも、後輩達はよく考え、行動していた。技術を伴う思考力。着実に二年も一年もそれを身につけ始めている。そう考えると、もう恭平にはこの部活でやることはない。

「考え方が変われば、いろいろ変わるよな」

 全地区予選が終わった時と比べたら、今の心境を過去の自分は全く理解できないだろう。中学での公式戦がないこと――次がないことに焦燥と嫉妬で溢れて、潰れそうになっていたのだから。この考え方も引き継げれば良かっただろうが、中学での試合を続けて行く遊佐達にはまだ分からないだろう。恭平自身、終わった後から時間が必要だったこともあるし、本当に分かったがどうか怪しい。

「よし、全員集合!」

 考えに一区切りついたのと同時に庄司から号令がかかる。立ち上がると停滞していた血液の流れがスムーズとなり、軽いめまいが襲ってきた。最初の試合以外の体力の消費はそこそこだったが、三試合も一日にやると体力も精神力も削られる。せいぜいが、あと一試合だろう。
 全員が自分の前に集まったことを確認して、庄司は口を開く。

「お疲れさん。一年も二年も、全員三年生と試合できたと思う。それで、なにかしら感じ取れたならば次から生かせばいいし、なにも感じ取れなかった者も明日以降、常に考えていてほしい。ここで、先輩達と打ったことで何か得なかったかを。そして何を今後得て行くべきかを」

 引退式も終わりに近づく。恭平が経験した過去二回の引退式なら、ここで全員に向けて何かメッセージを伝えることになる。試合以外で人前で何かを発言するなど前線に立つことはしないため、何を言うべきか言葉を脳裏に思い浮かべたその時だった。

「あと、二試合だけ試合をやってもらおうと思う。遊佐と朝比奈。次期エースとしてやっておきたいことはあるか?」

 次期エース。これからの浅葉中バドミントン部を背負うと公言された二人は一度黙り込む。やがて先に口を開いたのは朝比奈だった。

「私は、寺坂先輩と試合がしたいです。マイナス十五対十四から」
『おおー!』

 朝比奈の言葉に二年と三年の女子達は感嘆の声を上げる。一年はいったいどういうことなのか分からず、指名された本人は朝比奈の発言に口を開けたまま呆然としていた。

「ラリーポイントじゃなくてサービスポイント制で。でも時間がかかるので、今日じゃなくて別の日でもいいですけど。絶対やりたいです」
「……どうして、そんな点数で試合をやりたいんだ?」

 朝比奈の発言の意図が分からず、庄司は朝比奈へと尋ねる。朝比奈は笑顔で頷いて口を開いた。

「昔、寺坂先輩とその条件で試合をしたことがあります。そこで私は負けました。負けた後で、私は先輩にまた試合をしてほしいって頼んだんです。結局、その後はやる機会がなかったんですけど。だから、その試合は今のところ唯一の心残りなんです。先輩が卒業する前に、どうしてもやりたいです」

 朝比奈が饒舌に話すのを、恭平は初めて聞いた。
 寺坂との因縁の試合は昔、女子部の中で当時一年の朝比奈を中心として一悶着あった際に行われたものだ。今の二年と三年ならば記憶に残っているだろう。最終的には寺坂が十四点からで、朝比奈がマイナス十五点からという不利というより無謀な条件で試合が行われ、寺坂が勝利した。言葉にすれば当たり前であり、当時いなかった一年生はピンと来ていない。当時はそれでも朝比奈が勝つという下馬評だっただけに誰もが驚いたものだった。
 今回は、朝比奈がその条件で試合をしたいと申し込んでいる。それほどまでに当時の敗北が心の中に残っているのかもしれない。

「分かった。だが、さすがにその点差だと時間がかかるときはかかるから、この場でやるわけにはいかないな。どうだ寺坂。次の部活で朝比奈と試合をしてほしいんだが」
「あ……」

 寺坂は困った表情を浮かべていた。周りから集まる視線にどうしたらいいのか戸惑っている。しかし、うーんとうなりつつ少しの間だけ考え込み、最後には了承した。寺坂の最後の試合は次の日に持ち越しとなった。
 朝比奈の発言からの一通りの流れが落ち着いたところで、次に遊佐が口を開く。

「はい。じゃあ、俺は田野先輩と普通にシングルス……いや、五点先取くらいでいいので試合がしたいです」
「シングルス?」

 遊佐の言葉に自分が出てきて、恭平は聞き返す。シングルスで、しかも五点で良いという。庄司が先に恭平が聞きたかったことを問いかける。

「21点ゲームじゃなくてもいいのか? 普通のシングルスの試合なら、まだ時間はあるぞ?」

 庄司の言葉に遊佐は首を横に振る。明確な否定の後に、自分の意見を皆の前に広げる。

「今日は田野先輩も試合たくさんして、やっぱり疲れてるだろうし。だから、短い間で全力勝負がしたいんす。五点の間なら、いけるかなって思うんすよ」

 五点の間の全力勝負。遊佐の言い回しは、普通のシングルスをするならば恭平は疲れから自分には勝てない。しかし、五点の間ならば全力で良い勝負ができるだろうと言っているように恭平には感じ取れた。自分が恭平よりも強いことは分かっていて、それでもなお、恭平が実力を発揮して自分と勝負できるような状況を作りだそうとしている。
 他校の選手や他の部員なら不愉快になっていただろうが、遊佐が発言者ということならばと恭平は特に何も思わなかった。遊佐のバドミントンしか見えていないところは恭平含めて誰もが分かっている。天然で、バドミントンのことしか考えておらず、ストレートに物を言うために時には人に誤解を与えかねない。
 そんな彼を知っていたからこそ、恭平も含めて「遊佐だからしょうがないか」とこの場は収めた。

「分かった。じゃあ、本日最後の試合は田野と遊佐の五点先取の試合にする」
「はい! よろしくお願いします!」

 最初のはい、は庄司に向けて、そして次の言葉は恭平に向けて遊佐が言う。恭平は「はいはい」と呆れた顔で相づちを打ちつつも心の中では血沸き肉踊っていた。

 * * *

 時間短縮のために先に他の場所のネットが片づけられ、体育館のステージ前の一つだけ残される。コートの周囲には一年から三年までがバラバラになって座っていた。全員の目が自分達の試合を見ていると思うと、体が緊張して固くなっていくのを恭平は感じた。落ち着かせるためにガットの編み目の大きさを右手で一つ一つ整えていく。やがて綺麗に縦と横の線がまっすぐになったところで緊張がほぐれていた。遊佐は恭平の精神制御を待っていたのか終わると同時にじゃんけんをしようと手を掲げてくる。

「じゃーんけーん」
「ぽん」

 本来ならネット前に近づいて互いに握手をしてから行うが、今回は省略されて互いのサーブ位置で手を出す。結果、遊佐が勝ち、そのままサーブ権を主張する。恭平はこのままの場所を選び、試合が開始された。

(確かに、五点なら遊佐と良い勝負はできる。以前、言ってたなそういや)

 恭平は遊佐との実力差を分析する。遊佐が入部当初はよくシングルスで相手をしていた。やがてそれだと相手にならないくらいに遊佐が強くなっていったために、ダブルス対シングルスという変則的な練習試合へ変更した結果、更に遊佐の実力が上がり、代替わりした今ならば全道大会まではまず負けないだろう実力を身につけていた。
 やがて遊佐は、現状でシングルスの試合を他の部員と行うためにどうしたらいいかを自分なりに考えるようになったようだ。そこで行き着いたのが、点数制限。二十一点だと体力の配分など様々なことを考えてしまい、自力の差が出る。しかし、その前に勝負がつくならば自力の差は出にくいと考えたのだ。その考えを、インターミドルの直前に恭平は聞いていた。それならば自分もシングルスで勝負できるかもと答えた記憶はあったが、その後は予選に入り、実践する暇はなかった。

「じゃあ、ラブオールプレイで!」
「しゃ!」

 遊佐の試合開始の合図で恭平は短く吼えて身構える。遊佐はロングサーブでシャトルを飛ばしてシングルスの後ろのラインを狙ってくる。恭平は最初からアウトの可能性を消して、ラケットを振りかぶるとストレートにスマッシュを放った。シャトルの後を続くように前に出ると、遊佐がスマッシュの威力を完全に殺してネット前にクロスで返していた。恭平から離れるように打たれたシャトル。そこに恭平は全速力で飛び込んで、プッシュで押し込んだ。
 シャトルがコートを跳ねて転がっていく。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 遊佐は嬉しそうにカウントする。今のネット前へのシャトルは恭平も打てるかどうかはギリギリの距離だった。しかし、五点の間だけ全力を出せればいいという割り切りが恭平の体を前へと押し出した。短い間ならば、実力の差というのは埋められる。

(そう、だな……先輩から後輩へ伝えるものってのは、ダブルスで伝えられたよな)

 シャトルをもらい、構える。レシーブ姿勢を取った遊佐を確認して、恭平はすぐにロングサーブを放った。久しぶりのシングルスにサーブの飛距離感は鈍っていたため、出来るだけ高く遠くへと飛ばすイメージを持つ。その結果、垂直に近い軌道で遊佐の構える位置へと落ちていくシャトル。それを待ちかまえて遊佐は飛んだ。

「はっ!」

 ジャンピングスマッシュは一瞬で恭平の前へと落ちていた。反応してラケット出した時にはすでに打てる領域を侵していて、固い音を立てて床に激突し、転がる。
 得点を告げてからシャトルを返し、レシーブ姿勢を即座に取ると、自分の中の思いをはっきりさせる。

(ダブルスの時は、伝えたいことがあった。そして、長くあの楽しさを続けたかった。だから、今あるのは……強い相手に勝ちたい。それだけだ)

 先輩としての役目を終えて、残るのは一人のバドミントン選手としての思い。強い相手に勝ちたいという思いだった。

「しゃ! こい!」
「一本!」

 遊佐のロングサーブで放たれたシャトルを追い、クロスのハイクリアを打つ。遊佐が追いついて放ったスマッシュを今度は弾き返す。前に飛んだシャトルに飛び込んでくる遊佐を見て、恭平はコート中央へと腰を落とした。次の手を予測するために遊佐の一挙一足を視界に収め、打たれた瞬間に体を動かす。
 互いに技術と精神力をぶつけ、一つ一つ得点を取っていく。交互にコートへと落ちていくシャトル。示し合わせたわけではないが、お互いに自分のサーブの時は決められず、相手のサーブの時に得点していった。
 そうして4対4まであっという間に到達する。
 次の一点を取った方が勝利。サーブは遊佐。それまでの流れならば、恭平が勝つ。

「先輩。ここで、俺が勝ちます」
「……お前に勝って、終わらせる」

 中学バドミントンの、本当の最後。最も強い後輩と最後の一点を競いあう。遊佐から急に肌がしびれるようなプレッシャーを受けて、恭平は気を引き締めなおす。それは強者と対戦していつも感じていたもの。自分には最後まであったかどうか分からない、強者の証。

(こういう圧力を出せてたかとかは、関係ない。ただ、目の前の一点だけがほしい。それだけだ)

 圧力に負けないように背筋を伸ばす。ラケットを掲げ、どんなシャトルにも追いつけるようにリラックスして構える。遊佐は「一本!」と叫び勢いをつけてラケットを振り――ショートサーブを打ってきた。

「はっ!」

 腕の勢いに押されるように後ろに飛んだ恭平は、前に打たれたシャトルに追いついてロブを上げる。遊佐もそれで決まるとは思っていなかったのか、ロブが上がると予測していたのか迷いなく後ろに移動する。飛ぶように移動してシャトルよりも後方に移動したところを見て、恭平は背筋に悪寒が走った。

(ジャンピングスマッシュか!)

 遊佐の一点目の際に打たれ、反応できなかったスマッシュ。今度は出来なかったでは済まされない。しっかりと腰を落として、コースを予測して、ラケット面で捕らえなければいけない。

(でも、そう思わせておいてドロップで外してくるんじゃ。いや、一点目は決まってるんだ。二点目も狙ってくるだろう……でも、これで失敗したら五点目で、遊佐が負けるんだ)

 いくつもの可能性が瞬時に頭の中を巡る。スマッシュか、外してくるかの二択。点数が少ない時は実力差がでにくいかもしれないが、得られる情報量の少なさによって戦略が決めづらい。恭平は迷いを精神力で押しつぶす。

「うおおら!」

 遊佐のスマッシュの音と同時に目の前にラケットを出す。軌道はストレートのスマッシュ。予測を当ててそこにラケット面を出せば、特に力を入れなくても返るはず。
 だが、シャトルは恭平が差しだしたラケットのフレームに当たり、コートの外へと弾かれていった。ラケットを前に出した不自然な姿勢のままシャトルを見送り、恭平は息を切らす。何度か肩を上下させてしばらくそのままでいてから、ゆっくりと立ち上がる。シャトルを見てから遊佐の方を見て、静かに言った。

「ポイント。ファイブフォー(5対4)。ありがとうござました」
「ありがとうございました!」

 遊佐は心の底から嬉しさを表した笑顔を見せる。その顔に思わず笑ってしまう恭平。負けても清々しさしか残っていなかった。強い選手に勝ちたいと願い、叶わなかった。何度も繰り返してきたことが、最後まで繰り返された。

(結局、こうか。しょうがないよな。最後まで、一番にはなれなかった。俺らしいかな)

 喜び、コートから出る遊佐とそれを追って出る恭平。二人を拍手で迎える他の部員達。その中で、竹内は右手を挙げて恭平を迎えていた。

「田野」
「竹内」

 互いの名字を呼びあい、恭平は右手を竹内の右手へと叩きつける。
 乾いた音が小気味良く響き、それから互いに笑いあった。
 それは、引退試合の終わりを告げる音。
 そして。
 恭平の中学バドミントンが終わったことを告げる音だった。
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