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俺達の終戦記念日

第十一話【ある達成感の話】

「一本!」

 朝比奈の咆哮と同時の綺麗なショートサーブからのシャトルは、ネットの白帯ぎりぎりを通る軌道。とてもシングルスプレイヤーとは思えないほどに、ダブルスのショートサーブの要点を押さえていた。恭平は無理せずにロブを上げて後ろに下がると、遊佐のスマッシュを受けるために腰を落とす。

「俺が取るから前にいて!」

 恭平の声に従って押されるように前に出る寺坂。それを見ながら恭平は左右どちらに打たれても良いように、更にコート中央まで移動して次のシャトルの行方を目で追う。

(――今までの遊佐の打ち筋だと……左!)

 シャトルが空気の破裂音と共に放たれた瞬間に、恭平は左へと重心を移動する。そして自分の予想通りにシャトルがクロスで左サイドに突き進むのを確認してから足も伸ばした。バックハンドに持ち替えてシャトルをとらえ、まっすぐにドライブで打ち返す。だが、そこには朝比奈が既に詰めている。

「寺坂!」
「オッケイ!」

 恭平の声に導かれるようにして、寺坂は朝比奈の前に移動する。ラケット面を顔の前に立てて、シャトルの軌道に自分の体を入れていく。朝比奈はコースを変えることができなかったのか、ラケットの振りを弱くしてシャトルを弾いた。寺坂の頭上をふわりと越えて恭平の前に落ちていく。恭平はラケットを伸ばしてクロスに打ち、ネット前に落とした。寺坂がちょうどブラインドとなって、朝比奈の一歩を遅らせる。
 誰にも邪魔されることなく、シャトルはネットに沿って落ちていった。

「ふぅ……フォーティーンナインティーン(14対19)」
「一本です」

 寺坂のカウントに対抗するように朝比奈が呟き、自分の場所に戻る。寺坂は後ろ向きのまま自分の位置に戻った。

「なんで後ろ向きなんだよ」
「わっ!? 驚かさないでよ」
「俺が怒られることなのか?」

 恭平はため息をつきつつ手を挙げる。寺坂はそこに合わせるように左手を振り、乾いた音を立たせた。得点の差は開いている。寺坂のサーブで、試合の主導権を最初に握れるものの、次のラリーで押し負ければ二十点目。ラスト一点というプレッシャーが恭平と寺坂にのしかかる。
 しかし、寺坂は笑顔で恭平へと言う。

「ナイスショット」
「サンキュ。ここは止めよう」

 短いやりとりでも、恭平には寺坂の笑顔の訳が分かる気がした。自分もまた、頬は緩んでいる。追いつめられていても、勝ちを諦めていなくても。自然と顔が綻ぶ。

(楽しいよな、やっぱり。お前もだろ、寺坂)

 強い相手との試合。そして、それが自分達の後を継いでくれる後輩であること。自分達が卒業しても、安心して任せられるという確信が心の中に広がるからこそ、喜びを感じる。

「ストップ!」

 遊佐は前傾姿勢で構えを取る。寺坂はバックハンドの構えから短く手首のスナップを利用して、ドライブ気味のサーブを放った。遊佐は即座に反応してスマッシュでシャトルを打ち込み、寺坂はロブで更に奥へと打ち返して前に出る。シャトルを追っていくのは朝比奈。自然とスマッシュを取るのは恭平の役目になる。
 遊佐でなければ、いくら実力が自分よりも高い朝比奈だろうと女子。イレギュラーがなければ取れる。そう踏んでいた恭平は、そのイレギュラーが起きたことを悟った。

(まさか――!?)

 朝比奈はシャトルに追いついてから前方に思い切り飛び、高い地点でシャトルを捉えた。ジャンピングスマッシュによる急角度の軌道は、ちょうど寺坂と恭平の防御の隙間を狙われる。ラケットを差し出すことができたものの、届く前にシャトルはコートへと着弾していた。転がるシャトルを呆気にとられて見ている内に遊佐が二十点目を呟く。遂にマッチポイント。次にシャトルをコートに落とされれば恭平達の負け。逆に自分達は六点連続で取れなければ試合は終わってしまう。今が本当に首の皮一枚というところだ。シャトルを拾って羽を整えていると側に寺坂が寄ってきた。

「すまん。完全に考えてなかった」

 考えていなかったのはジャンピングスマッシュのこと。飛び上がってより高い位置で打ち込むジャンピングスマッシュは角度と速さを増大させる。武器として使えればかなり優位にゲームを運べるがそれだけに難しい。落ちてくるシャトルにタイミング良く飛ぶこともそうだが、体勢を崩さないようにするボディバランスや、着地後の隙をなくすための脚力強化など、肉体的な面で中学生女子が行うのは難しい。下手に続ければ怪我をする可能性も高まるだろう。それでも、朝比奈は強くなるために練習をしていたのだろう。インターミドルでも見せていなかったショットに、恭平の読みの上を行った。

「やっぱり、凄いよ朝比奈さん。一年前に出来なかった……ほんの少し前のインターミドルでもできなかったことを、今、やれるなんて」

 感動して泣き出しそうな寺坂の声音に、恭平は咳払いをして意識を恭平に向けさせる。

「マッチポイント。ここで、止める」
「うん。まだまだ二人と打っていたい」

 寺坂の言葉に頷いてシャトルを軽く打ち、遊佐へとシャトルを渡す。寺坂の言葉を心の中で反芻して、考える。

(俺もそうだ。もっと、二人と打っていたい)

 遊佐のサーブは次に恭平へと放たれる。サービスラインぎりぎりに立ち、遊佐からのサーブを待ちかまえる。ネット越しに伝わってくる遊佐の気迫。ここで最高のショートサーブを放ち、ロブを上げさせて、朝比奈に決めさせる。そんな流れが恭平の中に浮かぶ。不思議と、ロングサーブで外してくることは考えられなかった。今、遊佐の目の前にあるのはショートサーブの失敗。それにより、恭平にプッシュを打ち込まれること。それが壁となっている。恭平が知っている遊佐の性格ならば、この壁に必ず挑み、乗り越えてくるはずだった。
 ここで失敗してもまだ得点差もある。次以降のラリーで点差を詰められる前に、二十一点目を取ればすむ話だった。でも、それはある意味当たり前のこと。当たり前以上のことが出来なければ、地区から全地区、そして全道、全国へと歩を進ませることは出来ない。それだけ高い山がまだある。

(だからこそ、普段から目標を高く設定しないといけないんだよ、遊佐)

 先輩達から恭平が受け継いだこと。
 いつも実力者が身近にいて、一位に最後までなれなかったこと。その中でも、常に考え続けて上を目指すこと。
 諦めないことを恭平は受け継いだ。
 自分よりも数段階も上の領域で戦った先輩達もまた、さらなる強敵を倒すために試行錯誤していったのだ。

「ストップ」

 まだ続けたい。自分の願いを込めて呟く。今は、このサーブを返し、攻撃を退けて得点を重ねる。薄氷を踏んでいくような、一歩でも間違えば終わるとしても、まだ終わっていない。
 まだまだ続けていくのだ。肌がひりつくような勝負を。

「いっっっぽん!」

 遊佐は一秒ほど溜めて声を吐き、バックハンドでシャトルを打った。ショートサーブでシャトルの軌道はネットの白帯をかするように飛ぶ。一瞬だけネットに触れたが、それはシャトルをほんの少しだけ揺れさせただけ。軌道は理想的なカーブを描き出す。そこに、恭平はラケットヘッドを立てて飛び込む。ロブを上げずに、プッシュで叩き込む。ロブならば安全に返せるだろう。しかし、恭平もまた今回の遊佐の、おそらくは最も良いサーブをプッシュで返すことを目標に定めた。より高みに至るために。
 それは中学よりも先。高校や更に先に至る道。そのために、シャトルを打ち込む。
 ネットぎりぎりのシャトルをプッシュで打ち込むのは至難の技だ。だが、上のレベル同士の戦いになるとそんなことは日常茶飯事。恭平は先輩達のプレイを見て、実際に打つ方法を聞いていた。それを実戦で成功させることは出来なかったが、今、この時に恭平には確信があった。

(絶対、打てる!)

 自分を信じてラケットを下から上へとスライドさせる。下を向いたシャトルコックにラケット面を合わせ、速度はないながらも角度をつけて打ち返す技。微妙なラケットワークを駆使することで出来ること。

「はっ!」

 気合いの声と共に右足を踏み込む。強く立てた音を背にシャトルは遊佐の真正面へと返された。サーブを打った後に前に出た遊佐に対してカウンターで飛ばされるシャトル。打つための空間もなく、完全に詰んだ。
 恭平がそう思った時、遊佐はバックステップで後ろに体を流し、シャトルとの距離を強引に取る。角度があるため飛距離がなく、すぐにラケットを振るスペースが生まれた。

(だけど、遠い!)

 遊佐の腰は引けていて、強いショットを打てる状態ではない。だが、恭平は飛び込んだ際に前に流れそうになる体を右足で支え、前衛の真ん中へと陣取った。そこに、シャトルが低い弾道で跳ね返ってきた。

(うわっ!?)

 とっさに跳ね上げたラケットにシャトルが当たり、弾き返す。角度はなかったが、遊佐も打ち終わりで動くことが出来ずにシャトルを見送る。しかし、そこに朝比奈がカバーに入り、ハイクリアで体勢を立て直す。恭平も後ろに戻れずに、後ろへは寺坂がシャトルを追っていった。

(どうする。寺坂に後ろを任せるか、それとも俺が打ったと同時に後ろに下がるか)

 判断する時間は短い。どうしようかと頭に選択肢を浮かべた瞬間に、寺坂がシャトルを打った音が耳に届く。恭平は即座に左斜め後ろに飛んだ。寺坂が打った勢いのままで前衛に入ると確信して。その通りに寺坂は前に行き、恭平は寺坂の背中を見るように後ろにつく。そしてシャトルは寺坂めがけてドライブで打ち込まれていた。

「きゃっ!?」

 小さな悲鳴と共に舞うシャトル。返すのが失敗したのか中途半端に上がり、狙いを定めている遊佐が恭平の視界に入る。

「サイドだ!」

 恭平の言葉に反応して右後ろに下がる寺坂。諦めず、シャトルを取れる可能性が広がるサイドバイサイドの陣形になって遊佐の次のショットを待ちかまえる。

「おぉおおおあ!」

 遊佐は生まれた時間を利用して後方からタイミングを計り、前方に向けてジャンプする。前方に進む運動エネルギーを利用してのジャンピングスマッシュ。恭平と寺坂はその場にしっかりと腰を下ろしてどんな速いシャトルでも取ると気迫を込めた。
 だからこそ、炸裂音のような遊佐のスマッシュの音が聞こえなかった時に、二人とも動くことが出来なかった。
 遊佐の打ったショットはドロップ。ゆっくりと弧を描き、ネット前に落ちていく軌道。それはまるで影の中を進んでいく光のように恭平には鮮明に映ったが、取るために足を前に踏み出すことが出来ない。

(――ぁああ!)

 それはほんの数秒のこと。しかし、時間が引き延ばされ何分にも何十分にも感じる。それでも時間は変わることなく、シャトルはコートに落ちた。試合の幕切れにはあまりにも静かな音を立てて。

「……ポイント。トゥエンティワンフォーティーン(21対14)。ありがとうございました!」

 遊佐が着地した後で嬉しそうに言う。恭平達は切れている息をゆっくりと吸い、吐きながら構えを解いた。隣では寺坂も大きくため息をついている。二人で前に出ると遊佐も朝比奈も前に出てきた。そしてネットの上から握手を交わす。

「楽しかったっす!」
「ありがとうございました。先輩」

 感情をストレートに出してくる遊佐と、淡々と言う朝比奈。しかし同じくらいに喜んでいることは、朝比奈の顔に浮かぶ笑顔が教えてくれる。
 恭平の目に映っていた生意気な後輩はもういない。部活の中で、先輩や同期といった仲間達と共に実力を高めていくことに邁進する、浅葉中バドミントン部の部員だった。

「じゃあ、結果報告してくるっす!」

 遊佐は走って庄司の下へ行き、朝比奈も一礼してその場から離れた。残った恭平と寺坂は邪魔にならないように体育館の壁に寄りかかり、座る。火照った体に床の冷たさが気持ちよく、恭平は深い息を吐く。

「負けたな……」
「うん……でも……悔いはないよ」
「確かに」

 寺坂の言葉に含まれる、本音。今の試合に自分の持てる力をすべて使い、破れた。そのことに悔しさはない。単純に実力が足りないことへの悔しさはあるとしても、それはまた別の話だ。

(そうだな。全部、出せた)

 今の自分の実力を全て、朝比奈と遊佐へとぶつけることが出来た。橘兄弟との戦いの時も全力を出していたが、後に残ったのは虚無感と呼べるもの。ここで終わりという思いが強く、次からどうしたらいいのか分からなくなってしまった。だが、今は遊佐達の中に、自分達が伝えたかったものが全て込められていると感じることが出来た。
 シャトルが沈むまで諦めないこと。相手の動きや思考を読んで、弱点を突くこと。全てが詰まっていた。

「まだ……あるのかな……さすがに疲れた」
「私もしばらくは休むかなぁ」

 自分達は全力で壁にもたれているのに、すぐ動ける遊佐や朝比奈を見ると、やはりバドミントン選手としての実力差を感じる。今はもう、その頼もしさで心は満たされていた。
 今はひとまず休憩、と恭平は各コートで行われている試合を視界に入れていく。三年と一年、二年が試合をしていく様子を眺めながら、脱力感に身を委ねた。
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