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俺達の終戦記念日

第十話【ある引退式の話】

 瞼の上に細い光が射し込んできたのを脳が受け取り、恭平は意識が覚醒した。体を覆うけだるさを押し退けるようにタオルケットを剥ぎ、上半身をゆっくりと起こす。体を起こしきったところで次に来るのは痛み。前日の竹内との試合によって生まれた筋肉痛だった。

「いてて……こんなんで今日の試合できるのか?」

 迎えたのは三年の引退試合の日。
 ついに恭平がバドミントン部から去る日だ。
 試合ができるかと自分の体に疑問を投げかけるが、答えは「できる」しか返ってこないと分かっていた。現役時代の大会前も練習で疲れ、筋肉痛が残ったままというのはあった。だが、試合の中で筋肉もほぐれていき、痛みも感じなくなって最後には前日以上に調子が良くなった。今日の試合もおそらくは問題ない。
 むしろ問題なのはメンバーだった。

「三年男子は三人しかいないんだよな……」

 今では確認する必要もないほどの事実。
 現在の三年生は恭平と竹内。そしてもう一人だけ。他にも三人いたが、いずれも二年生の途中で辞めてしまった。勉強に集中するためという理由の裏に実力が思うように伸びなかったという理由を秘めて。
 引退試合は男子と女子それぞれ分かれて行われる。ダブルスとシングルス。年度によって部員数は増減するが、基本はダブルス二組、シングルス三組という高校の団体戦方式だ。
 これを満たすために三年は複数回試合に出て、必然的に多くなる一年と二年は出るプレイヤーを選んで考えたオーダーを出す。これまでは三年が多かったり自分達が少なかったりしたこともあり、同じ選手が一回出れば十分だった。だが、今回は三年が三人に対して二年は七人。一年生は六人。
 三人と十三人。どれだけ自分達が回せばいいのか分からない。

「そこらへんは庄司先生に任せるか……」

 引退試合は三年から二年と一年に何かを伝えるための行事。いつの頃からか始まったそれは、庄司が顧問になる前からあるらしい。恭平の先輩達も、自分達もいろいろと受け継いだ、と思っている。ならば、自分達は何を与えることができるだろう。

(ひとまず、着替えるか)

 引退式は昼の一時から。午前中は余裕があるため、のんびりしようと立ち上がり、背伸びをする。伸びを終えたところで机に目をやると、分厚い参考書が乗っていた。高校受験のために買った問題集だ。竹内と試合を終えた後に、衝動的に本屋に寄って買っていたもの。帰って食事をしてから開こうとして、眠くなって横になった後はもう手に取ることはなかった。

「お前は明日からな」

 今日はまだ、浅葉中バドミントン部の田野恭平。
 そう自分に言い聞かせて居間へと向かった。


 * * *


 刺すような日差しの中、すでにTシャツの中に汗をかきながら恭平は学校へと着いた。着替えるのが面倒なため、ジャージの下に上はTシャツという格好。ラケットバッグの中には着替えのTシャツを何枚か用意しているが、すでに一枚着替えたくなっていた。
 自転車置き場に自転車を置いてから、暑さから逃げるように早足で体育館へと向かう。その途中で歩いている後輩を追い抜かし、その際に声をかけた。

「おっす」
「あ、こんにちはー」
「こんにちはー」

 女子の後輩ののんびりした声を背に、恭平は玄関に速度を落とさず滑り込む。靴を履き替えて体育館の中へと入り、いつものように壁にラケットバッグを置いてから周りを見た。すでに後輩達がコートにネットを張り始めている。今回は他の部活はおらず、体育館のフロア全体がバドミントンのコートとなる。

「田野だ。久しぶり!」
「川岸。ホント、久しぶりじゃないか?」

 恭平は先にきていた川岸――三年の三人目――に答える。短髪の下の丸みを帯びた顔。体格も少し肉付きが多く、どことなく愛嬌がある体格。久しぶりに見た仲間の全身像を見て、恭平は顔をしかめた。

「お前、太ったんじゃないか?」
「うん。バドミントン終わったら五キロ太った……元々太りやすいからね」
「それを分かってるならちゃんと節制しろよな。高校でバドミントン始める頃にはまずダイエットからってなるぞ」

 恭平の言葉に川岸は笑って頷き、すぐに答えた。表情は変えず、ただ自分の考えを伝えるだけ。

「俺、高校じゃ多分、バドミントンやらないから」
「……そうなのか?」

 恭平にとっては意外な答えだった。川岸は小学生時代、全くバドミントンをしていなかった。それが小学校六年生の時、たまたま恭平と中学生の学年別大会を見に行き、そこで先輩達のプレイを見てファンになり、中学でバドミントン部に入った。そこからは恭平や竹内が軽く引くくらいバドミントンにのめり込んでいったのだ。結果的に実力はそこまで付かず、三年のインターミドルも二回戦で負けてしまったのだが。
 どれだけバドミントンにはまっていたか見てきた恭平だからこそ、高校でも当然続けると思っていたのだ。恭平の考えていたことが伝わったのか、川岸は笑って首を振る。

「俺もさ。最初は続ける気だったんだけど。インターミドル終わってから気が抜けちゃって。あれだけラケット握って振ってたのに。終わってから一度もラケット持ってなかったんだよ。今日の朝、久しぶりにラケットバッグに触ったよ」
「そうなのか……」
「俺はさ。相沢先輩達に憧れてバドミントン好きになって、入部してやってきたから……やっぱり先輩達がいなくなって気持ちが切れたのかも」

 憧れが強すぎたからこそ、喪失感に耐えられない。普通なら、経験を積んでいく中でその代わりになるものを得ていくのだろうが、川岸の場合は憧れの対象が大きすぎたのかもしれない。
 自分の一つ上の先輩の名前とバドミントンは、恭平の中にも刻まれている。先輩達の試合に魅了され、目標として目指してきた。形のない何かを、一年前の引退試合で恭平は託されたのだ。

「受験終わって高校入ったら、気が変わって、もしかしたらまたバドミントンやるかもしれないけど。だから、今日は思い切りやるよ」
「おう。期待してる」

 会話が落ち着いたところで体育館の扉が開き、三人目の三年生が現れる。恭平達を視界に収めると「よーっす」と大きな声で挨拶をしてきた。

「遅いぞ、竹内」
「遅くねって。お前等二人が早いだけだって! それに田野のせいで体がバッキバキなんだ」

 恭平と同じように筋肉痛で顔をしかめる竹内を見て恭平は笑う。痛みで体がガタガタになるくらい拮抗した試合をしたのだから当然だろう。恭平自身も驚くほどの接戦。フルゲームでの試合だったのだから。
 おそらくは公式大会でも一度か二度しか体験していないはずだ。
 竹内の言い回しが気になって、川岸は尋ねる。

「田野のせいってどういうこと?」
「昨日、シングルスやったんだよ」
「えー! マジ! 呼んでくれよ。どっちが勝ったん?」
「全員集合!」

 田野が川岸の問いかけに答えようとした時、第三者の声が体育館全体に響き渡った。腹に響く張りのある声。部活に来るのが久しぶりの恭平には、すでに懐かしいような気持ちにさせる声。庄司はしっかりと腹から声を出して全員を集める。
 恭平の記憶にある通りだからこそ、これが最後になるのだと思い、少しだけ寂しく思った。
 そんな気持ちを抱えながら、恭平は竹内と川岸と共に庄司が立つ体育館のステージ前に集まる。
 三年は女子五人、男子三人の合計八人。
 同学年の女子達も久しぶりに姿を見た。夏休み中で特に接点もないのだから当然だろう。菊池でさえ数日に一回のペースで図書館で勉強をする時しか会っていなかった。
 
「よし。じゃあ、これから三年の引退試合を始める。今回は男子が特に少ないから、混合にしようと思う」
「男女混ぜるってことですか?」

 恭平が手を挙げて尋ねると、庄司は頷いて手に持ったスコアボードを軽く叩く。そこにはスコアシートだけではなく、今日の組み合わせまで書かれているようだ。

「ああ。通常のシングルスやダブルスもあるがミックスも入れる。そして、今回は勝敗は特に関係ない代わりに、一年、二年全員が三年と対戦できるようにした。これは寺坂からの提案を採用した」

 名前が出てきて全員の視線が集まると、寺坂は肩をすくませて縮こまる。だが、庄司は「堂々としてろ」と言って先を続けた。

「ここ数年は団体戦方式で一年と二年がオーダーを考えて三年と試合をするという形式だったが、そうするとその団体戦であぶれた者が試合できなくなる。試合を通して、先輩から何かを伝えたい。寺坂はそう考えて俺に言ってきたんだ。寺坂らしい考えだと思うし、俺も同意見だ。三年は、試合を通していろいろと伝えてほしい。じゃあ、時間短縮のため俺が組み合わせを作ってきたから、その組み合わせで試合するように」
「はい!」

 庄司は返事を聞いてから試合をする一組一組の名前を読み上げる。早速と言うように男女のミックスダブルスで、恭平は寺坂と共に二年の朝比奈、遊佐のダブルスと対決することになった。事実上、浅葉中のトップ二人とのダブルスに恭平はいきなり手に力が入る。名前を呼ばれてコートを指示されてからすぐに移動すると、隣に寺坂が並んでくる。

「いきなりヤバい対戦だよね」
「……あいつらに勝てる自信が全くない」
「私も」
「やけに嬉しそうに言うな」

 寺坂の顔がほころんでいる理由が分からない恭平だったが、寺坂は笑顔のままで小さな声で告げてくる。

「あのツンツン朝比奈さんが、遊佐君と仲良いじゃない。一年前だと考えられなかったなーと思って嬉しくて」
「あー、最初の頃よりだいぶ棘取れたよな、朝比奈は。誰も友達にならないで強くなる、みたいな感じだったし」
「そうだよね……そんなこともあったって、振り返るほどに昔なわけでもないのにね」

 たった一年前の出来事。それでも、恭平や寺坂の中では今や遙かに昔の出来事。
 恭平にとって朝比奈美緒は、皆と強調しようとしない生意気な後輩として見えていた。事実、先輩が引退して自分達がメインの世代になった時に彼女を筆頭に部活をサボって市民体育館で練習していたという事件まであった。そんなこともあり、実力を求めて他者を頼らない朝比奈を、恭平は後輩として好きにはなれなかった。
 しかし、寺坂はそんな朝比奈を受け入れ、朝比奈に受け入れてもらうためにどうしたらいいか考えた。そうして、徐々に朝比奈は態度を軟化させていったのだ。

「大したもんだよ。寺坂は」
「そう? 誉めても何もあげないよ?」
「ちゃかすなって。素直に誉めてるんだからさ」
「……ありがと」

 恭平の言葉に、寺坂は顔をこわばらせてそっぽを向いた。その反応の意味が分からず、恭平は顔をのぞき込もうとする。それをさらにかわして視線を逸らす寺坂。

(ぬ……なんだよ)

 意地でも顔を見ようと恭平がどうしようか考えた時、後ろから声がかかった。正確には、コートの向こう側から。

「先輩ー。準備できたっすよ。早くやりましょー!」

 遊佐修平がラケットを振って恭平に呼びかけていた。話に夢中でいつの間にか試合をするコートに来ていたことに恭平は気づいていなかった。寺坂は気づいていたのか、足を止めた上で恭平の顔を見ないように顔を背けていたのだが。

「おー、すまん! 寺坂、サーブどっちからにする?」

 恭平は遊佐へと謝ってから寺坂に尋ねる。ミックスダブルスは遊びではやったことがあるが、実戦は初めてであり、恭平には勝手が分からない。

「どっちでもいいけど、私がファーストやるよ。そのほうがよさそう」
「おう。じゃあ、お願い」

 試合が始まるとなると寺坂はいつもの調子になって、恭平と会話を交わす。先程のことはとりあえず横に置いて、恭平は意識を切り替える。

(こいつら相手には最初から集中してないと……押し切られるな)

 まさかと思っていた相手とのダブルス。
 二人ともシングルスプレイヤーとして自分達が引退した後の浅葉中だけではなく、この地区のトップとしてこれから牽引していく存在に成長している。
 これも庄司が組み合わせを考えてのことで、何かしら意図があるのだろう。その二人を組ませて寺坂と恭平へと当てた意図が。
 だが、それを考えるよりも、恭平自身は沸き上がる高揚感に包まれていた。それは橘兄弟と試合をする直前にも感じていたもの。未知の強者と戦うこと。試合相手であり、勝利の一枠を競い会うのだがどれくらいの強さなのか肌で体感したいと思っていた。

「田野。サーブ取れた」

 寺坂がシャトルを見せながら傍まで歩いてくる。相手は朝比奈がファーストサーブ。セオリー通り、女子を前に出して後ろから男子が攻めていくスタイルになる。

「サインは普通にやって……って聞いてる?」
「ん、ああ。聞いてるよ」
「ぼーっとしないでね。あの二人相手だと気を抜いたらあっと言う間に点取られて終わるよ」

 自分と同じことを考えている寺坂に苦笑しつつ、了解と頷く。寺坂がサーブ姿勢を取り、恭平は後ろで腰を落とす。だが、寺坂はすぐに構えを解いてタイムを取ると靴紐を結びなおすために屈んだ。

「田野。全力でやろう」

 その声は恭平にだけ届いた。立ったままの恭平はもう一度聞こうと身を屈めようとするが、逆に寺坂が立ち上がる。

「頑張ろう」

 恭平を見て力強く言う寺坂。その瞳には勝つという意志がしっかりと見て取れた。勝敗は特につけないとは言ったが、今、この試合の中では勝者と敗者が決まる。寺坂は、自分達よりも強い相手に対して勝とうとしている。恭平自身よりも強く。
 勝つことで、何かを伝えられると信じている。

「よし、絶対勝つぞ。あいつら、多分勝てるって思ってるからな」
「だから頭を使うんだよね」
「ああ。俺達は、そうやってきた」

 自分よりも強い相手が常に傍にいた。だからこそ、市内で勝つことさえも至難の業だった。自転車を飛ばせば行けるような距離に、とてつもない壁がある。その壁に何度も跳ね返されながらも、恭平と田野も、寺坂と菊池も、挑んできたのだ。
 それが今は、目の前の二人になっているだけ。自転車を飛ばす必要もない、ほんの少し歩くだけで届くところにいるだけだ。
 そして試合も、今まで通りにするだけ。それがバドミントン部での最後の一日だとしても変わらない。

「フィフティーンポイント、ワンゲームマッチ。ラブオールプレイ」

 時間短縮のため、十五点の一ゲームマッチ。おそらく、この試合だけではなく自分はいくつか試合をするのだろう。それでも、この試合で全てを使い果たす気合いで、恭平は気合いを込めた。

「お願いします!」

 恭平の浅葉中バドミントン部での最後の一日が幕を開けた。
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