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俺達の終戦記念日

第九話【ある対戦の話】

 その日、恭平はスポーツセンターまで足を運んでいた。
 時刻は朝の十時になろうとしている。引退式までまだ少し日にちはあるが、菊池達の相手も終わり、部活へ顔を出すこともなくなった。そのため、本格的に受験勉強を始めようとした矢先にメールで呼び出され、朝食を食べた直後に準備をしてやってきたのだった。
 メールの差出人は竹内。タイトルは無題で文面には「シングルス勝負しろ!」という気合の入った言葉と、日時場所を指定する文言が並べられていた。
 スポーツセンターの一般開放の名簿を見ると、すでに竹内の名前でコートが一つ借りられている。ちょうどバドミントンに割り当てられた日であるらしく、他のスポーツは被っていない。朝九時から開いているが、一時間もしない内に何人か代表者の名前が記されて、利用されているようだ。

(こんな朝からどんなつもりなんだろ)

 竹内の意図が読めない。恭平は考えながらもとりあえずは更衣室へと向かう。着替えてから中に入り、竹内が待っているであろうコートへと行けばいいはず。そこで理由を聞けば分かることなのだが、無性に恭平には気になった。

(あいつ、こんなことするような奴じゃないだろうし)

 メールの文面とこのシチュエーションで判断すれば、引退するということで最後に純粋にシングルス勝負したいということだと考えられる。高校生と違い、中学生はシングルスとダブルス両方の公式戦には出られない。そのためダブルスパートナーというのは頼れる仲間であり、一方では戦う機会のないライバルでもある。練習の時にシングルスをやろうと思えばやれるが、それもあくまで「練習」という枠組みの中でのこと。
 練習と公式戦では引き出される力が異なるし、どこか本気の勝負となると意味合いが違う。
 無論、大会でもない休日に呼び出されてする試合というのも練習の時と大差はないのだが。

(……なんで呼び出されてるんだろ)

 更衣室へと入り、空いているロッカーを見つけると手早く着替えた。元からジャージに着替えればいいように下にはスポーツ用のTシャツを着ている。特に知っている人もいないはずだったので、中学で体育の時に着る指定シャツ。胸元に入っているのは浅葉中のロゴだ。
 だが、恭平はふと思い立ってシャツも脱いだ。そしてラケットバッグの中に以前から入れてあったユニフォームを取り出して、包んでいたビニール袋を勢いよく破ると、勢いよく上から被った。
 全地区大会で橘兄弟に勝てたならば、次の試合で着る予定だったもの。目的のために洗濯して、クリーニングから返ってきたビニールの袋に閉じられたままの状態でバッグの中へ入れてあった。結局、機会はなく、洗濯をする必要もなかったためにそのままになっていたのだ。
 白地にシンプルな青いラインが何本か入って模様となっているような、他の選手に比べれば地味なもの。一昔前まではほとんど白地Tシャツと変わらない地味なものでなければいけなかったが、最近では派手なユニフォームも増えている。恭平はそういった派手さで注目を浴びるのが苦手のため、あえて地味なものにしていた。

(本当にシングルス勝負したいだけなら、やっぱり気合いを入れるかな)

 ハーフパンツにも穿きかえてからロッカーに鍵をかけ、ゆっくりと更衣室を出て、フロアへと向かう。一つ一つの動作をこなしていくと、自分の体の細胞一つ一つが徐々にバドミントンの試合モードに切り替わっていくのが感じ取れた。
 フロアへ入るための重たい扉を全身で押して開くと、耳に聞きなじみのある音が届いた。シャトルを打ち合う乾いた音。親子連れやどこかの高校の学生など、自分が知らない一般利用の人間がいる中で、恭平は竹内の姿を探した。

「おーい、ここ! ここ!」

 突如届く元気の声に顔を向けると恭平が入ってきた入り口のちょうど反対側の入り口に近い場所に竹内がいた。コートの一面取っていてサーブ練習でもしていたのか、いくつものシャトルが片方のエンドに散乱している。

「あっちから行った方がいいか」

 恭平は一度出てから通路を通って逆側へと向かう。竹内以外に見知った顔はいなかった。自分に知らせていないだけで自分の世代の何人かも呼ばれていると心のどこかで思っていたが、そんなことはなかったらしい。
 そうすると、本当にここには二人だけ。
 メールの文面通りにシングルスの勝負を望んでいるようだ。

(なんでそんなの今更……いや。今だからか)

 引退式の前。だからこそ、試合。そんな柄じゃないことは分かっていたが、それはあくまで今までの竹内のこと。二年半ほど同じ部活で過ごして、ダブルスの相棒として過ごしてきたが、見えていた部分はほんの一部で、今の竹内は別の部分を自分の前に出しているのかもしれない。
 早足で逆側の扉にたどり着き、また全身で押し開ける。するとすぐ傍の控え席に竹内は座っていて「おっす」と声をかけてきた。

「おっす。ってこんな早くからどうしたんだよ」
「メールで書いたろ。シングルスで勝負だ! ってさ」
「勝負って……お前、そんな柄じゃないだろ」
「まあな」

 恭平の予想通りの答えを返してから、竹内は立ち上がってコートへと向かう。恭平は終わってしまった会話を続けようと控え席にラケットバッグを置き、中から一本ラケットを取り出して後を追う。竹内は恭平から見て向かい側に移動してから振り向いた。

「まあなって……そこで終わりか? なんで柄じゃないならこんな誘いしたんだよ」
「まー、まずは基礎打ちでもしようぜ」

 竹内は自分の足下に転がるシャトル達をコートの外へと弾いていく。一通り弾き終えてから最後の一個だけ拾い上げ、羽を丁寧に整えてから大きくロブを打った。何を打つかも知らされてはいないが、恭平はいつもの感覚でドロップを打つ。床と平行な軌道からネットを越えて柔らかく落ちていくシャトルを、竹内はバックハンドで高く打ち上げる。それは恭平が竹内のいる場所へと届き、再びドロップを打つ。何度か繰り返していくうちに恭平も全身でフェイントをかけながら打っていく。前に打つことは分かっているためレシーブ側は特に意識することはないが、実戦でフェイントをかけるためには普段からモーションを考えなければいけない。ラケットヘッドが頂点に達するまで同じ速度。インパクトの瞬間だけ力をゼロにする。他にもいくつかパターンを試した上で、恭平は打った瞬間に前に出た。

「次!」

 恭平の行動と言葉だけで竹内は前にきたシャトルをロブを上げずにヘアピンで落とし、自分は後ろに下がる。部活の時は、同じことを交代して行う際には止まらずに移動していた。前に移動した恭平はシャトルを跳ね上げて今度は竹内のドロップを受けることになる。

「はっ!」

 スマッシュのフェイントのようにして打つ竹内。その軌道はネットすれすれに落ちていき、恭平もネットに引っかけずにロブを飛ばすのは少し苦労する。

(竹内のやつ……上手くなったな、ドロップ)

 出会った頃や二年生の冬の大会くらいまで、竹内はそこまでドロップは上手くなかった。恭平とのダブルスでは主に前衛を守り、ドライブ気味のシャトルやヘアピンを取ることを主にしていたため、後ろからの攻めのパターンであるハイクリアやスマッシュ、ドロップはワンランク下のイメージが恭平の中にあった。しかし、今、打ち上げているシャトルの軌道はライバルや先輩達と遜色がない。

「試合じゃなけりゃ!」

 シャトルを打つと同時に竹内が言葉を発する。前に来たシャトルを打ち上げて、また竹内が打つと同時に続きを伝える。

「うまく行くんだけどな!」

 試合じゃなけりゃ上手く行く。
 その通りと思い、恭平は自然と笑みが浮かぶ。状況が刻一刻と変わる試合の流れの中でのショットと、繰り返し同じショットを練習で打ち続ける今の基礎打ち。
 根本的に状況が異なるために練習では上手くいく、が起こり得る。
 むろん、その状況を想定してわざと体勢を崩した状態からシャトルを追っていって打つなど、いつでも正しいフォームに近い状態で打てるように練習する。それを愚直に繰り返した先に試合での実演が可能となる。
 恭平も竹内も、先輩の練習を参考にしながら自分達なりに努力をしてきた。その中で竹内が成長に限界を感じて萎縮したときもあるし、逆もある。それでも互いに支えあって、先輩や後輩にも励ましいてもらったことで今、ここに立っている。

「ハイクリア!」

 ある程度数をこなしたと判断して、恭平は次のショットを指示する。コート奥までしっかりと打ち返すハイクリア。ダブルスでは相手へのチャンス球になるためにほとんど使うことはなかった。体をめいっぱい使って大きくラケットを振り切る。じわじわと背中に汗が浮かんでくるように恭平は感じていた。

「スマッシュ!」

 竹内が言ったと同時に力強くスマッシュを打ち込んでくる。恭平はとっさにバックハンドで受けて前に落とした。一瞬慌てた竹内は前に移動してシャトルをロブで奥へと飛ばす。恭平はシャトルを追っていき、真下よりも少し後へと移動してから前に高く飛びながらスマッシュを放った。

「はっ!」

 ジャンピングスマッシュ。筋力をかなり用いるため、体ができあがりきっていない中学生では実力者に使用者は限られている。逆に言うと、ジャンピングスマッシュを打てるようなレベルの者が実力者と言っても過言ではない。むろん、それだけが条件ではないが。
 ただ、小学生の時から背中を追っていた先輩はスマッシュを武器として活躍した。真似て恭平も打とうと練習したのだが、試合で成功したのは数えるほど。それも、ジャンプしたことによる利点を生かせないような、甘い角度のスマッシュのみ。

「とや!」

 竹内はシャトルを取り、前に落とす。先ほどの礼と言わんばかりにきわどいコースへ向かうシャトルに恭平は悪態をつきつつ突進し、すくい取った。飛んでいくシャトルにまた竹内が追いつきスマッシュ。それを返し、と繰り返す。心臓も適度に高鳴ってきて体中へと血液を急いで送るようになる。体が温まり、そろそろ準備ができたというところで、竹内は「ヘアピンー」と伝えて前に寄った。

「ドライブは?」
「省略。ここも時間の限りとれるってわけじゃねぇし」

 ダブルスで最も使用したドライブ――コートと平行に打ち、ネットの高さぎりぎりを越えていかせるショット――は省略。竹内の言葉には一理あるが、何かそれ以外の理由もあるように恭平には思える。しかし、それは特に詮索せずヘアピンに集中した。

(なんか、久しぶりだな。本当に)

 部活を引退し、菊池達のダブルスの相手も終えた恭平は、久々に打つシャトルの感触がたまらなく愛しいことに驚いていた。いままで当たり前のように傍にあったバドミントンから身を引き、最初は混乱した。だが、練習を通していく中で何かしら自分の役目を見つけていた。
 それも、菊池達のインターミドル終了とともに終わった。
 本当に、中学でバドミントンに触れるのはあと数回といったところだろう。

「いろいろと思い出してんのか?」

 ネットを挟んだ向かいから竹内が問いかけてくる。口は動いていても手はそのまま。ラケットを器用に操ってヘアピンを打っている。恭平はその様子を見て素直に驚く。

「竹内。ヘアピン上手くなったよな」
「あれだけ前衛でやんなきゃダメなら上手くなるわなー」
「確かに」

 前衛のポジションをより多く担当してきた竹内。その結果のスキル。

(ほんと、最後までいまいちだったけど……残るものは残ったんだな)

 恭平は過去から現在までを振り替える。
 中学一年の時。三年生が引退して新体制となり、自分が初めてメインで戦える学年別大会で、他の中学のダブルスに圧倒的な力の差で負けた。その差は縮まることないまま、そのペアは中学二年の代替わりの時期に解消され、今度は自分達より順位が下だったペアに追い抜かれた。
 いつまでも優勝できないシルバーコレクター。
 自分達でそう揶揄することもあった。
 それでも、先輩達に教えを請い、自分達で考えて、何とか勝とうと努力してきた。
 そして中学三年。最後のインターミドル。
 努力は見た目では実を結ぶことなく、試合を終えた。
 最初は終わったことを実感できずに混乱したが、時間を経て、菊池や他の仲間、先輩と会話していく中で混乱はなくなり、新しいものが見えるようになる。
 確かに目標には届かなかったけれど、次に繋がるものを手に入れた。その「次」とは中学の間ではなく、その後。
 高校から先の話。

「よし、じゃあやるか」

 竹内がシャトルを持ってコート中央に歩いていく。恭平はその背中に問いかけた。

「なあ。なんで試合やるんだよ」

 先ほどはぐらかされた理由を尋ねる。竹内は恭平のほうへと振り向いて、真面目な顔を作った。年に数回あるかないかと恭平が思うほどの顔のまま、竹内は言った。

「最後に。お前に勝って部活の中では一位になって終わりたいんだよ」
「……は?」
「だから。今の浅葉中バドミントン部で一番強かったって感じで終わりたいんだよ。そのためには、田野を倒さないと」

 竹内の言葉が恭平には理解できなかった。なぜそんなことにこだわるのか。更に根本的に勘違いしている。

「今、俺に勝ったとしても遊佐がいるだろ」

 シングルスとして活躍している一つ下の後輩の名前を出すと「だから雰囲気だって!」と竹内は話を終わらせた。じゃんけんのために手を振られて反射で手を出し、負けてしまう。

「じゃ、サーブな! コートは?」
「ここでいいよ」

 恭平はため息をついてからサービスラインまで移動し、身構える。竹内が試合開始の宣言をしてそのままサーブ体勢を取った。

(ったく。素直じゃないよな。結局、俺に勝ちたいだけってことか)

 竹内の心の内を見透かして、恭平は頬が緩んだ。理由を付けなければ癪に障って言えないこと。単純に、ダブルスパートナーとして対戦することがなかった恭平とどちらが上か白黒を付けたいだけ。それを素直に言うことがはばかられて、矛盾する理由を付け足しているのだ。

「一本!」
「……ストップ!」

 恭平は声を高らかに上げて宣言する。
 サーブが放たれ試合開始。
 中学時代、ずっと一緒に戦ってきたパートナーとの最後の勝負。
 自分の中に宿る思いに素直になり、シャトルを追う。

(お前を倒して締めくくる!)

 竹内のサーブをスマッシュで打ち返す。シャトルは小気味よい音を立てながら二人の間を行き交っていった。
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