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俺達の終戦記念日

第七話【ある先輩の話】

 少し重たい扉を押して内側へと入った瞬間に、空気が違うと一瞬で恭平は感じた。
 市内大会の会場となったスポーツセンター。
 全地区大会での体育館。それぞれの場所で似たものを感じたことはあったが、そのどれよりも、重くピリピリと肌を焼く気配。恭平の中にある何かが反応して、胸に手を自然と持っていった。

(これが……全道の会場か)

 札幌の中でも特に大きな体育館。中心部から更に移動しなければならない辺鄙な場所にあるが、その分、面積は大きい。
 今、ここでバドミントンの全道大会が開かれている。全地区大会が終わった直後に庄司から応援にくるように言われていたとおり、恭平も電車に乗って札幌まで出てきていた。たった一人で。

(竹内のやつも本当に行かないとか、な……)

 竹内は当初から行かないと明言していたが、諦めずに何度か声をかけていた。しかし、最終的にはやはり来ることはなかった。同じ電車で札幌まで出てきたが、駅に着くとすぐに用事があると恭平から離れていったのだ。元々、買い物の予定があったらしい。三人いる三年男子のうち最後の一人は、家族と出かける用事があるからとこの場にはいなかった。女子は来ているのかもしれないが、恭平とは一緒ではなかった。
 時刻は朝の十時。菊池と寺坂の出番は十時半くらいからと前日に連絡があったため、誤差を考えて会場入りする。

(さて、やっぱり上で観戦、かな)

 靴置きに外靴を入れて、上履きとして持ってきたバドミントンシューズを履く。デザインが白と黒。そしてラインが赤という少し派手なもので、試合に出るわけでもないのに目立っていた。気恥ずかしさを覚えつつ、恭平は客席へと向かうのに二階への階段にあたりをつけて上っていく。アナウンスで呼ばれたのか、ユニフォームを着た選手が降りてくるところを逆走することになる。邪魔にならないようにと端に寄りながら上っていくと、急に見覚えのある顔が階上から現れた。

「あ! 田野!」

 寺坂は小走りで降りるのを止めないまま恭平の名前を呼び、恭平が何かを言う前にすれ違っていった。その後ろに菊池がついていく形で、恭平の姿を見た菊池が口を開くよりも先に、恭平は言葉を口にしていた。陰りはなく、透き通った水のように素直な言葉を。

「頑張れ」
「――うん!」

 菊池は笑顔で答えて、足を速めて寺坂へと追いついた。そのまま試合をするコートフロアへと続く扉を開けるのを見送って、恭平は階上へと足を踏み入れる。階段と客席への入り口の間にある広場には、準備運動のために体をほぐしている選手達が何人かいる。邪魔にならないように避けながら入り口へとたどり着き、ゆっくりとフロア内へと繋がる扉を開けた。

「うわぁ……」

 自然と口からため息と共に声が漏れる。
 まず、気温が外に比べて数度は高くなっていた。閉め切られた室内という理由以外にも、選手達の熱気によるものが大きい。試合が繰り広げられているフロアがまだ見えなくても、シャトルを叩く音やコートを駆ける足音から容易に想像がつく。恭平は逸る気持ちを抑えて、ゆっくりとした足取りで観客席から見下ろせる際へと移動した。

「ぉおおあああ!」

 唐突に聞こえてくる咆哮。そしてすぐ後に続いて炸裂するスマッシュ。シャトルは爆発があったかのような音を立ててコートに落ち、羽がぼろぼろに弾け飛ぶ。審判は得点を告げてすぐに新しいシャトルをサーブ権があるほうへと渡そうとするが、手持ちになかったのかその場から離れた。新しいシャトルを待つ間に両サイドの選手二人は次以降の攻撃の展望を話し合っている。恭平は見覚えのあるその顔を見下ろしながら笑うしかない。

(やっぱり桁違いに強いな、橘兄弟)

 自分達を完膚なきまでに倒した橘兄弟の試合が眼下で行われている。スマッシュを決めたのは空人。得点ボードには18対10と出ている。全道でも第一シードはそう簡単に負けないようだ。
 見渡してみると、男女全てダブルスが行われている。前日に貰った菊池からのメールには、初日はシングルス。二日目にダブルスがベスト8まで行われ、三日目は両方のベスト8から最後までという日程だと書かれていた。
 審判が駆け足で戻ってきてシャトルを渡すのを見送ってから、恭平は菊池達の姿を探す。すると、自分のいる位置のちょうど逆側のコートで試合が始まっていた。反対側の客席通路の柵にもたれて菊池達へと声援を送っている女子が何人かいるのが見えて、恭平はほっとしつつ歩き出す。

(さすがに来てたか。よかった)

 菊池達の同期の女子達だと遠目でも分かる。地区の予選であっさりと敗退してしまい、その後は部活にきていなかった面々。学校でたまに見かけても挨拶を交わす程度でしか交流ができていなかった。すっかりバドミントンから離れたと思っていたが、そんなことはなかったらしい。
 少し早足で通路を進んでいき、女子達の傍までやってくると恭平の側にいた一人が気づいて声をかけてきた。

「あ、田野。やっぱり来たんだ」
「当たり……前だろ」

 一瞬言い淀んだことには気づかなかったのか気にしなかったのか、女子はすぐに視線を試合へと戻す。恭平も身を乗り出すようにしてまずは得点を確認する。
 スコアは6対0。寺坂のサーブ。今のところ、寺坂が試合前のじゃんけんでサーブ権を得てから、一度もサーブ権が移動しないままで試合が進んでいるらしい。

「調子、いいみたいだな」
「里香のスマッシュが凄いんだよ。誰かさんのおかげなんだろうね」
「大西……冷やかすなって」
「ふふ」

 同じ学年の大西恵理奈からの冷やかしの空気を避けながらも恭平はほっとする。相手に対して優位に立っているからこそ、こうして余裕のある会話が出来ている。油断はできないが、寺坂と菊池のプレイは応援する側もリラックスさせていた。

「一本!」
「いっぽーん!」

 寺坂がサーブ前に咆哮し、菊池が合わせる。シャトルをショートサーブで打ち出してすぐ前に構えた寺坂のラケット面に、プッシュで打ち返されたシャトルが当たった。ただ当てただけだったが、至近距離だったことによって打ち終わりで動けない相手の頭上を越えて落ちていく。後ろに構えていたもう一人がフォローに回るが、前衛の体に邪魔されてしまってロブを上げられず、シャトルはネットへとぶつかった。

「ポイント。セブンラブ(7対0)」
「ナイスショーット!」

 隣の女子達が声援を送る。恭平は横で聞きつつ、寺坂のリターンに心の中でガッツポーズする。ダブルス練習の間に寺坂にはとにかくラケットを掲げてシャトルの打たれる方向へと伸ばすように心がけさせた。前衛は当てるだけでヘアピンが打てるのだから、反応さえできれば守りは突破されない。現実にはそう簡単にうまく行かないが、プレッシャーは与えられるだろう。
 今、まさに寺坂がしたプレイは十分な牽制になっただろう。六連続失点にプラスしてこのラリーの勝利。もし寺坂の今の返しが運だとしても、一度崩れた歯車はそう簡単には戻らない。

「一本!」

 八点目に向けてのサーブ。次は低い弾道のロングサーブを放って左サイドへと広がる。相手は慌ててハイクリアを打ち上げて、同様にサイドバイサイドの陣形を取った。シャトルの下に入るのは菊池。

「はっ!」

 綺麗な流れによる腕のしなり。そこからのスマッシュは相手の真正面に行く。股下を通るような軌道に相手はシャトルを取ることが出来なかった。

「ポイント。エイトラブ(8対0)」
「しっ」

 女子の前で恥ずかしいために、小さくガッツポーズを取る。菊池のスマッシュを見ているとどこか自分のフォームと被る。恭平の一部が菊池の中に生きているのを見ると、まるで自分も一緒にコートの上に立っているかのようだ。

(俺も、連れてきてくれたんだな)

 心境を吐露して謝った後。菊池は今まで以上に恭平へアドバイスを求めた。ダブルス練習をした後でも。それ以外の時も。できるだけ指摘を吸収し、次に繋げようとしていた。今まで以上の気概に周りも、何より恭平自身も驚いた。それが今、試合の中に現れている。

(一緒に行きたかった、か。里香。ありがとう)

 試合はまたしても菊池のスマッシュが決まり、9対0となる。ここまでラブゲームとなるような実力差ではないはずだが、ノっている寺坂と菊池は今のところ止まる気配はない。恭平はそこで視線を前方に移した時、見覚えのある人物の姿をとらえた。

(あれは……)

 恭平は菊池達の試合にも目を向けつつ、移動を開始する。その人物は菊池達の試合を見ているようだが、最初に恭平が立った入り口付近から動こうとしていない。その場所へと恭平は自分から向かう。近づいて顔がはっきり見えるようになると思った通りの男で、恭平は逆に違和感を覚えた。自分の記憶の中では、こういう場所に試合でもないのに来るような男ではなかったからだ。
 お互いの顔が見える位置に来たところで、恭平は意を決して声をかける。

「杉田先輩。お久しぶりです」
「ん、おお。田野か。半年ぶりくらいだな」

 杉田と言われた男は恭平に手を軽く振ってから、崩していた体勢を整える。
 恭平以上の身長に整った顔立ち。体育会系の男子の中ではあまり汗くささを感じさせないような雰囲気を持っている。
 杉田隆人。
 一つ上の学年で、シングルスを主戦場として戦っていた男だ。浅葉中の一つ上の学年には全道、全国クラスのダブルスプレイヤーが存在したため目立たなかったが、少なくとも全道レベルの力を持っていた。
 中学を卒業してから会うのは初めてだが、一緒の部活でバドミントンをしていた頃と比べるとかなり大人びた雰囲気をまとっていた。傍を通る女子選手は一度は杉田に視線を向けて行く。杉田のことを声をひそめて話す声がかすかに届いた。

「先輩も、珍しいですね。こういうところで会うの。吉田先輩や相沢先輩ならともかく」
「あいつらはバドミントン馬鹿だからなぁ。俺は暇潰しだよ。ちょうど札幌に用事あったしな」
(それでもわざわざ試合見に来るって、バドミントン馬鹿だよな)

 思い浮かんだことを言えば話の腰を折りそうでひとまず胸に秘めておく。代わりにバドミントン馬鹿と評された二人を思い描いた。中学時代にずっと追いかけてきた背中。追いつくどころか放されて、二人は全道から全国へと歩みを止めず進んでいった。後輩の試合、というよりもバドミントンの試合ならば見に来ていそうだと恭平は思ったが、すぐに考えを捨てた。

(来ていないのは練習で忙しいからかな)

 物思いにふけりそうになった恭平を戻したのは杉田の一声だった。

「お前と竹内はダメだったんだな」
「あ、はい。橘兄弟に全地区のベスト8で当たっちゃって」
「そりゃ運が悪かったよなぁ」

 ちょうど自分達のいる側の下で、橘兄弟が試合を終えた。相手に得点を一桁しかとらせず、第二ゲームはさらに早く終えて、どのコートよりも短い時間だった。文字通り、敗者には桁違いの強さだったのだろう。
 勝者としてスコアにサインを書いている空人は特に何かを感じているということはないらしく、無表情だ。元々全国が目標で戦っているのだから全道大会の二回戦など通過点に過ぎないのか。

「先輩は、高校でもバドミントン続けてるんですか?」

 話す話題が途切れたことで、次に繋げるためにとりあえず振ってみる。一つ上の世代が卒業後の進路は何となく把握している。バドミントンの推薦で他県に行った人もいれば、高校からはバドミントンから離れた人もいる。だが、杉田がどちらなのかは恭平にも情報が今まで入ってきていなかった。

「まあな。でもあまり部活には力入れてないみたいだから、練習もそれなりだよ。市内大会で勝ち抜けばいいところさ」
「そう、ですか……やっぱり、バドミントンから離れるのは寂しいですか?」

 そう口にしたところで自分が何を言っているのかと恭平は青ざめる。考えるまでもなく失礼なことを言ってしまったと頭を抱えるが、杉田は笑って返してきた。

「ま、次への繋ぎかな。別にバドミントンだけが人生じゃねぇし。ただ、高校でいまいちピンとくるのがなかったからバドミントンしてるだけだな」
「そうなんですか」
「ああ。田野は、離れるのが寂しいか?」

 聞き返されて少し考えた後に、恭平は口を開く。

「……はい。バドミントンというより、浅葉中バドミントン部から、ですかね」

 自分の中の気持ちを素直に話す。あまり普段関わることがない先輩だからかもしれないが、菊池や同期に話すよりはすんなりと口にできた。

「もう中学でバドミントンの公式戦はないこともやっぱり残念です。こうやって、試合していたかったです。でもそれよりも……副部長として皆と一緒に部活をしていけないのが寂しいです。情けないですけど」
「そりゃ、そういうもんだろ」
「え?」

 返された杉田の言葉が意外でマジマジと顔を見る。恭平からの視線を嫌そうな顔をして手を振りながら「顔見てくるな。キモいし」と突っぱねる。恭平が謝ると杉田は続けてくる。

「中学で大半の時間使って打ち込んだんだ。それが一気になくなると寂しいだろ。別に変なことじゃないし。そんな当たり前のこと言われてもな。情けないとも思わん」
「じゃあ、杉田先輩もやっぱり寂しかったんですか?」
「そりゃそうだ。でも、そうやって寂しいと思っても前には進まないとな。きっと、もう何年も経ったら俺とお前なんて接点なくなるぜ。ここで話したことが最後かもしれない。バドミントン部のOB会なんてやるなら話は別だろうけど」
「そう、なんですかね」

 杉田の言葉に恭平は寂しさがこみ上げてくる。永久に続いていくものはない。出会いがあればいずれは離れることになるのだから。
 
「当たり前だろ。だからよ、お前もその場その場で後悔すんなよ。なっ!」

 手のひらで背中を叩かれて恭平は顔をしかめる。さほど痛くはなかったが息が詰まった。それでも、心に残る杉田の言葉に笑う。

「ありがとうございます」
「いいってことよ」

 会話を終えて、杉田と並んで手すりに寄りかかる。
 フロアには試合が間断なく続けられている。自分と違って、まだ挑戦し続けている選手達。
 その中に、菊池と寺坂がいる。

(俺も、まだ挑戦していくか)

 その場で後悔しないように。恭平はまた一つ、決意を固めた。
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