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俺達の終戦記念日

第六話【ある告白の話】

 恭平のスマッシュがコートに決まったところで、試合形式の練習は終わった。時刻も夜七時を過ぎて部活自体も終わりを迎える。インターミドル全道大会まであと二週間を切り、出場選手の一人である朝比奈は打ち足りないのか庄司へと残って練習できないかと提案していた。

(里香は……無理だろうな)

 恭平は菊池へと視線を向ける。
 練習の最初から最後までいいところがなく、試合をする度に調子を崩していった菊池。上り調子の朝比奈とは全く別の曲線を描いて落ちていく様は、もう竹内や寺坂だけではなく誰もが分かるほどに分かりやすい。寺坂も庄司も言いたいことはあるのだろうが、それが精神的な要因だと分かっているのだろう。簡単にはアドバイスはできないということなのか、話題に触れはしない。

(やっぱり、俺のせいだし、な)

 恭平は練習前から考えていたことを実施しようと決めた。
 結局、朝比奈の提案は受け入れられずに全員が帰ることとなり、その場は解散となる。男女共に更衣室へと向かっていく中で恭平は一足先に更衣室へと入り、ラケットバッグと一緒に入れておいた携帯電話からメールを打つ。送信した直後に竹内や二年生が入ってきたが、恭平はできるだけ自然にシャツ等を着替え始めた。

 * * *

 他の男子や女子の後輩が次々と自転車乗り場から去っていく。恭平はわざと時間を外して、皆がいなくなった後で自転車乗り場に向かった。メールをちゃんと見てくれていたならば、そこにいるはず。
 そう考えると、急に恭平は不安に苛まれる。

(俺からあっちのメールは全然見れてなかったし、返事もしてなかった。これで里香にメール見てくれってのも虫のいい話なんだけどな)

 自分の自転車へとたどり着き、サドルに腰掛けながら待つ。これで菊池が来てくれないのならば、それは自分のせいだ。自分が逃げまわった結果、大事な人が離れていったということだ。
 里香との彼氏彼女の関係も含めて諦めるしかない。そう考えかけた時だった。
 聞こえてくる足音に視線を向けると、外灯に照らされた通路を進んでくる菊池の姿が見えた。

「里香……」
「一緒に帰ろうか」

 そう言って菊池は微笑む。その表情にはまだ元気がない。今まで避けられていたのにこうして恭平から近づいてきた理由がよく分からないという困惑の表情。まずは最初の段階をクリアしたと恭平はほっとする。しかし、上手く自分の気持ちを伝えなければ意味がない。ゆっくりと、ちゃんと気持ちを菊池へと伝えなければ。

「ありがとう。一緒に、帰ろう」
「うん」

 菊池は自分の自転車の鍵を外して、駐輪スペースから自転車を引っ張り出す。恭平はすでに通路へと出していたため、手押しで歩き出す。菊池もそれが、しばらくは自転車を押しながら帰るというサインであると気づいて、隣に並んで歩を進めていく。
 一緒に歩いていても、会話はなかった。自転車のタイヤが回る音がやけに大きく響く。風もなく、空気が停滞しているのが感じ取れる。恭平はゆっくりと息を吸うと、普段通りの会話をしようと口を開いた。それに合わせるように菊池も話し出す。

「夏まで、もう少しだな」
「うん」
「今日の里香のスマッシュ……最後の方で打たれたやつ、良かったよ。コースとか威力」
「ありがと」

 会話はそこで止まってしまった。少し前の自分達ならもっと弾む言葉のやりとり。逆に一言も話さなくても間に生まれる空気を感じるだけで心地よかった。そんな感覚は今はなく、恭平の試みは失敗する。
 この時になって上っ面だけの会話は意味がない。自分が今までため込んでいた本心を伝えるつもりで一緒に帰ろうと誘ったというのに。どうしても心の準備がいる。
 気づかれないようにそっと隣に視線を向けると、菊池は少し俯き加減で進んでいた。タイヤの音がたまに不規則に震えるのが聞こえてきて、里香が緊張していることが伝わってくるようだった。今まで恭平の方から避けていたのだから無理もない。

(二週間か)

 以前に二週間も一緒に帰らなかった時があったかどうか考えてみる。結果は記憶を遡る必要もなく、存在しなかった。菊池と彼氏彼女となってから、せいぜい大会に出ている時やテスト期間でたまたま合わないなど、三日か四日くらいが限度だ。十四日間という日にちが、とてつもなく長い間のように恭平には感じられる。

(依存してるわけじゃないと思うんだけどな……)

 自分の中に他者への依存の想いがあるのか。悶々としつつ自転車を押す速度を上げる。目的地は決まっている。そこで、すべて話す。もうそれしか自分の中の靄を解消する手だてはない。そう考えると体が自然に動いていた。菊池は速度を上げた恭平に慌ててついていく。

「恭平君?」
「里香、ごめんな。全部話すよ。俺が思ってたこと、全部。だからもう少しついてきてくれ」
「……う、うん」

 菊池は困惑しつつも、恭平の「全部話す」という言葉に落ち着いたのか、少しだけ笑顔になって自転車を押す速度を上げる。
 やがてたどり着いたのは、市民ホールに隣接している公園だった。恭平達が住んでいる市の中央付近に立っている市民ホール。そこに併設する公園は広く、ベンチも各所に点在しているためにお金を使わず話したりするには格好の場所だった。その立地のため高校生や自分らと同じくらいのカップルの交流場所ともなっている。自転車も乗り入れて進んでいくと、今日は誰もいないらしくひっそりとしていた。恭平は表通りから少し入ったところで自転車を止めて、ベンチへと座る。それを追って菊池も隣に座った。
 恭平は座ってから少しの間、何を話すかを頭の中で考えていた。隣の菊池から緊張が伝わってくる中で、悪いと思いつつも順序立てなければ支離滅裂になりそうだった。

「――俺さ」

 五分ほど経った後、恭平はようやく口を開く。隣を無垢と菊池が背筋を伸ばして聞く体勢を整えていた。

「結論から言うとさ。切り替えられなかっただけなんだ」

 菊池は頭にはてなマークを浮かべるように困惑する。しかし、話を全て聞けば分かるのだろうと思ったのか、開きかけた口を閉じる。恭平はそのまま先を続けた。

「全地区大会でさ、橘兄弟と試合して、負けて。その時は負けたー! 次は勝ちたい! って思ったんだ。でも、俺達はもう引退だって言われて。ぜんぜん切り替えられなかった。小学校の時もさ、小六で試合が終わっても春休みまで町内会のサークルに出てたから、引退ってイメージがなくて……」
「……私の町内会は終わったら引退って感じで、たまに遊びに来てねって雰囲気だったなぁ」

 恭平の言葉の終わりを引き継ぐように菊池が呟く。小学校の時は町内会でまとまったバドミントンサークルで活動していた。寺坂や恭平は同じ町内で、菊池は違っていたため、サークルも無論異なる。サークル単位での違いに「そうなんだ」と納得して、恭平は続けた。

「それで。今後半年は受験に集中。バドミントンはなしって言われて。ぜんぜん感覚掴めなかった。そんな中で里香や寺坂のダブルスの相手を頼まれてさ。練習を一緒にしている間に、次の試合に向けての練習って錯覚してきたんだよ」

 練習の中で生まれてくる『次』への希望。
 菊池達の強化が目的の中で、自分達も更に強くなっていく。普段の感覚が次の試合へのステップとしていても、実際には『次』は中学ではもうありえない。練習で手応えを感じるほど、終わった後の「次はもう無い」という現実とのギャップを感じて、恭平の中のバランスが崩れていったのだ。

「そう思ったら、なんで俺、シャトル打ってるんだとか。それでも里香達の力にならないとな、とか。思って……でも俺達には次がないし、里香達にはある。羨ましいけど力が足りなかったんだから仕方がない。っていろいろ思ってたら里香の顔が見れなくなったんだ」

 ひとしきり自分の中の思いを吐露して、恭平は息を吐いた。公園の横の道路を走る車の音がやけに大きく届くことが、この場が静寂に包まれていることの裏返しだと悟る。菊池が次に何を言うのか、恭平が不安になってきたところで声が届いた。

「いろいろ言っててよく分からなかったんだけど。つまり私とトモに嫉妬してたってこと?」

 考えてもやっぱり混乱してしまった言葉。それでも何とか告げた言葉をさらりと否定された上での菊池の言葉に、恭平は口を開けてしまう。違うと否定したいと思ったが、考え直してみると否定できない。

「そうかもしれない」
「そうかもじゃなくて、そうでしょ。恭平君はトモと同じで考えすぎだよ」

 口元に手を当てて笑う菊池と比べて、恭平の顔は暗くなっていく。自分がいろいろ悩んだことが菊池にとっては嫉妬の二文字ですまされることに納得はいかないが、心のどこかでそれは正しいという自分もいる。

「……そうなんだろうな。まだ、バドミントンができる里香達が羨ましいよ」

 その言葉を呟くと、恭平は肩にのしかかっていた重さが軽くなったように感じた。自然と左手が右肩に触れる。そこについさっきまで乗っていたものがすっかりなくなったように思える。

「私も、もっと恭平君達と一緒に試合でたかったよ」

 恭平の仕草を特に気にせず、菊池は呟く。今度は自分の番と言わんばかりに。

「中学に入って。大して才能もないのに頑張って、いろいろ辛い経験もしたけど何とか全道に進めるようになって。私一人じゃ絶対くじけてた。トモがいたおかげだし、恭平君がいてくれたおかげだよ。だから、最近冷たかったからショックだった。調子も崩すよ」
「悪い」

 菊池の口調が徐々にきつくなり、恭平の体が縮こまる。その怒気もすぐに霧散した。菊池は笑って首を振る。

「もういいよ。恭平君の気持ち分かったから。すぐ言ってくれたら良かったのに」
「言ったからって里香を困らせるだけだと思ったんだよ。どうしようもないだろ?」
「そうだね。私には、どうしようもないとは思うんだけど。でも、辛いなら言ってほしかったな」

 試合に集中しているところを乱したくなかったから。そう言おうとして恭平は口を噤んだ。そうして言わなかった結果、菊池は調子を落とすことになったのだから恭平の考えは全く意味をなさなかったことになる。更に、自分の中にたまっていく不快な感情も強まっていったのだから、黙っていたことは全てにおいて逆効果だった。

「ごめん」

 頭の中でいろいろ考えて、最終的には謝罪の言葉。菊池も「うん」と頷いて受け入れる。それだけでもまた恭平の中の重荷が消えていく。

「トモといい恭平君といい、ほんと考えすぎ。そっちの町内会の人の特徴なの?」
「……先輩はそこまで考え込んでなかった気がするけど。逆に里香はあまり考えないよな」
「私が今まででトモに向かって何回「考えすぎ」って言ったと思う?」
「一年や二年の時の寺坂は考えすぎて空回りしてるところもあったからなぁ……」

 自分が一年、二年、そして三年になるまで。今までを振り返って、菊池が副部長兼ダブルスパートナーとして寺坂に何度も「考えすぎ」と言っていたことを思い出す。
 それはたまに聞こえてくる程度だったが、おそらく恭平の耳に届かないところでたくさん言っていたのだろう。試合の時の思考は別として、菊池はどちらかといえば楽観的に考えるほうだ。それにどれだけ寺坂が救われたか。
 そして、自分が救われたか。
 その菊池を調子を崩すところまで追いつめてしまったことに、改めて恭平は罪悪感を得ていた。

「ごめんな、本当に」
「じゃあ、誠意を見せてもらおうかなー」

 そう言うと菊池は恭平に顔を向けて、目を閉じる。あからさまな仕草に周りを見回すが、ちょうど人も車も通っていない。それを理由に断ることもできず、恭平は一瞬だけ菊池の唇に自分のそれを重ねた。
 目を開いた菊池は不服そうに半目になって恭平を見る。

「……それだけ?」
「外じゃさすがに」
「じゃあ……家の中ならいいの?」
「それなら、いいけど。でももう少し先だな」
「うん」

 菊池は背筋を伸ばして唸る。いつもより高い声をあげながら、萎縮していた体を思い切り上に伸ばす。十数秒、続けたところで手を勢いよく前に飛ばした。

「――はぁ。すーっきりした! これで明日からはいつも通りの私!」

 菊池の表情は晴れやかで、憑き物が落ちたようだ。そして、自分の顔も同じように影が消えているだろうこと恭平は思う。自分の最も弱い部分を菊池へとさらけ出したことで、二人とも救われた。

「ねえ、恭平君。私、頑張る。恭平君と竹内の分まで」
「そこまで気負わなくていいよ」
「えー、なんで?」
「人の為って重荷だろ。自分のために頑張ってほしい」

 部活のため。誰かのため。ただでさえ高い山を登るのに重たい荷物を背負う必要はない。そもそも自分が登れなかったのは実力が足りなかったからだ。ならば、自分達の道はひとまず、山の途中で終わったのだ。その道を別の誰かが進むというのは何かが違う。

「そう。俺は……俺達は、全地区でやりきった。もっとこうやってできていればって思ってても、もうやることはないんだ」

 一人だと目を背けていた現実も、菊池と二人なら直視できる。当たり前のことを改めて感じつつ、恭平はまた頭を下げた。

「勝手に里香と差ができてるって勘違いして、ごめん」
「私も気づいてあげられなくてごめんね」
「そっちは全道へ向けて練習してるんだから、仕方がないだろ」
「でも私は恭平君の彼女だし、辛い時に支えないと」

 面と向かって言い合いになりそうだったが、恭平は急に黙り込むと次には笑いだした。つられて菊池も笑い、夜の公園に二人の笑い声が響いていく。笑いの衝動が落ち着いてから深く息を吐いて、恭平は菊池に言う。

「あともう少し。悔いを残さないように練習しよう」
「……うん」

 菊池の満面の笑みを見ながら、恭平は心の中で呟いた。

(まだ、俺の中学バドミントンは、終わってない)

 まだやることがある。一度の区切りを迎えたことで、本当の最後まで走り抜けようと心に決めた。
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