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俺達の終戦記念日

第五話【ある居場所の話】

「はぁ……」

 更衣室でジャージへの着替えをすませた後で恭平はため息をついた。桃華堂での遭遇から一日。これまで菊池と朝は一緒に登校していたが、今日は理由をつけて一人で学校にきていた。断りを入れたのもメール文だけで簡素なもの。誰もが分かるほどの拒絶だ。
 菊池としばらくは会話したくなかった。少なくとも、今日くらいは。
 その恭平の心境を理解したのか、菊池はメールの返信も簡素に了解した旨を返し、学校で姿を見かけても話しかけてくることはなかった。元々クラスが違うために放課後になるまでは関わりは薄いのだが、こうして離れてみると逆に心がざわつく。

(お互い……結構、頑張って会話してたんだな)

 積み重なる日々の中で、できるだけお互いに話そうとしてきた。その努力をやめるだけでここまで日中は会話がない。それだけ、互いのことを気にして生活してきたのだ。
 そのことに今更ながら恭平は気づいていた。

(里香も寺坂も悪くないのは分かってるんだ……あとは俺の気持ちだけ。でも、何かが、もう少しなんだけどな)

 陰鬱な気持ちを静めるために何が必要か。それはまだ見つからない。謝りたいと思っていても、この気持ちのままでは菊池に対して上手く話せないだろう。そう考えて、恭平はため息混じりに更衣室の扉を開け、体育館へと向かった。
 体育館に着くと、二週間前から同じように一年と二年が練習している。準備運動を終えてラリーなど基礎的な練習を繰り返す中、恭平は自分で柔軟運動をして試合形式の練習のために準備を整えていた。

「よーし、じゃあ次のやつら入ってー!」

 コートでは二年の遊佐修平が次々に指示を出していた。てきぱきと指示に従いコートに入る者や他のコートで基礎打ちを続ける者と自分達の次の流れを理解して分かれていく。その様子を見ていて恭平はいつしか部長らしきことを実施している遊佐に気づき、はっとする。

(遊佐……遊佐が次の部長なんだな、やっぱり)

 新しい部の人事は特に聞かされていないが、三年が部活を引退した時点で次に引き継がれる。正式に引退して次の体制になるのは、インターミドルへの挑戦がすべて終わった後に開かれる引退式が終わった後だ。もう部活にこなくなった三年はその日に部の次の人事を知らされることになる。恭平は一足先に新しい男子バドミントン部の様子を知ることになったのだ。
 遊佐は他の後輩にノックを任せると恭平の方へと近づいてきた。ちょうど後ろに遊佐のラケットバッグがあるため、何かを取りに来たのだろう。

「あ、先輩。お疲れさまっす!」
「おつかれ」

 遊佐の挨拶に答えつつ進路を譲る。思った通り、遊佐はラケットバッグからタオルを取り出して顔を拭いていた。自分より高い身長の遊佐を軽く見上げて、内心驚く。

(遊佐のやつ……いつの間にか俺よりでかくなったんだな)

 遊佐は一年の時から身長が高めで顔も整っており、女子からは人気があった。ただ、当人はバドミントンしか興味がないバドミントン馬鹿で、常に練習第一の生活をすることで実力をめきめきとあげていった。今では選手としての実力なら恭平は追い抜かされている。
 恭平自身はバドミントンの実力も、身長もいずれ抜かされるだろうとは思っていたために、そこまでショックはない。中一の時点で当時の恭平よりも少し下くらいで、ともに成長期で身長を伸ばしても、遊佐のほうが一年は多いのだから。
 だが、まさか卒業前に抜かされるとは思わなかった。

「お前、身長も伸びたよな……」
「そうっすか? てか、そうっすよね。手足も伸びたんでフットワークに役立つし、ラケットも届きそうっす」
「……女子に好かれる方面で何かないのか? 朝比奈とよく打ってるじゃん」

 男子に遊佐の相手になるシングルスプレイヤーがいないため、一年の時から遊佐は同学年の女子である朝比奈美緒と練習をよくしていた。二人とも遊びよりバドミントンという人種だからか、休日も二人でよく市民体育館に行っていた。密かに付き合っているのではないかという噂もあるくらいだ。しかし遊佐は青い顔をして首を振る。

「女子よりバドミントンがいいっすよ。あと、朝比奈は師匠って感じっすからね。そういう会話しようとすると怖いっす」
「そっか」

 会話をしていると今までの遊佐らしい。しかし、先ほど指示出しをしていた遊佐は間違いなく『部長』のもの。
 バドミントンをしていた一年前から今までの経験から、もう部全体のことを考え出している。それまで竹内や自分の仕事だったものが、手を離れていく。自分の中からなくなっていくもの。ぽっかりと空いた穴に入る込む風が冷たく、恭平は身震いする。
 だが、次に聞いた遊佐の言葉に恭平は耳を疑った。

「そういや。女子は宮腰が部長なんすよね」
「え? 朝比奈じゃなくて?」

 代々、部長は一番強いプレイヤーが兼ねていた。無論、例外は多々ある。たとえば、男子では恭平が部を引き継ぐ時点で一番強かったが、職の内容的に竹内の方が部長に向いているということで副部長になった経緯はある。だが、女子はその例外さえなく、一番強い部員イコール部長という流れだった。
 遊佐は恭平が考えていることが分かっているようで、その点を補足するように言葉を続ける。

「女子は四月くらいから、朝比奈には役職つけないで、バドミントンに集中してもらおうって思ってたみたいっすね。全員で朝比奈をサポートしていくような。よくそこまでって思いますけど……朝比奈も皆に応えようって必死になって頑張ってますよ。また差が開いてて悔しいですけど」

 確かに女子の中では朝比奈が一番強い。そのプレイヤーを皆でサポートするというのは、逆を言えば赤の他人を自分の練習時間を削ってまでやるということだ。そこにくるまでに恭平が知らないところで話し合いがされたのだろう。男子も遊佐を中心に男子部をまとめていこうとしている。そこには、恭平が知らないことがたくさんある。

「寂しいもんだな」

 本音が出て口を噤む。遊佐は恭平の様子を見て少し笑うと、笑顔で言った。

「田野先輩。いつでも来てくださいよ。少なくとも俺が部長の間は、頑張って引き継いでいきますから」
「……引継、か」
「そうっす。だから、先輩は先に行っていてください。後から追いつきます」
「先……ってお前のほうが実力は上だろ?」
「先は先ですよ。単純に先。高校っす」

 遊佐の言う先とはどこなのか、恭平にはぱっと思いつかなかった。補足されて初めて、遊佐はシンプルに告げていると分かる。
 そこで恭平は、後ろに自分の居場所がないと見せられて暗かった視界の先に光が見えたような気がした。
 浅葉中バドミントン部から離れて進んだ先。そこは、まだ遊佐や朝比奈など後輩はいけずに、自分や竹内、寺坂や菊池が行ける場所なのだ。

「――よーっし! ラリー終わったら次は試合形式で練習開始ー」
「おっけい」
「はい!」

 遊佐が声を上げると二年は笑って、一年は勢いよく返事をする。恭平は離れていく背中を見て、どんどんたくましくなっていく遊佐に素直に感動していた。

「……どうした? ぼーっとして」
「うわっ!? いきなり驚かすなよ、竹内」

 恭平が気づかないうちに傍に来ていた竹内は、してやったりといった顔をすると恭平の背中を軽く叩く。意図が見えない恭平は困惑に首を傾げるが、竹内は更に言葉を続けた。

「遊佐の成長っぷりに感動してるってところか。自分がやってたことを後輩がするようになるってのは確かに感動するよな」
「竹内が自分の仕事を他人がやってくれて感動する性質だとは思わなかったよ」

 本来なら練習の内容なども部長が考えること。副部長の自分に練習計画を一任していた竹内に対して恭平はいぶかしげな視線を送った。その意味に気づいたのか竹内は苦笑いしつつ手を合わせる。

「そりゃあもう。田野には感謝しまくりだってーの。だからいろいろフォローしてるじゃん」
「例えば?」
「時折飲み物おごったり、桃華堂でパフェおごったり、菊池がいたらさりげなく隣とか前空けてるんだぜ」
「……そうだったな、そういえば」

 菊池の名前が出てきたことで気分が暗くなる。結局は、今の状態になっている原因は自分だというのは分かりきっている。前日の桃華堂での遭遇に怒っているのも八つ当たりだ。認めたくはないが、認めるしかない。しかし、振りあげた拳の落としどころがないような感覚に恭平は悶々とするしかなかった。
 その根本にあるものを解決しなければ、意味がない。
 そう思った時、恭平の口から自然と言葉が出ていた。

「竹内さ。寂しくないか?」
「何が?」
「もう部活に居場所がないこと」

 自分達の後を引き継いで頑張っている後輩を見ていると、嬉しくもあり、寂しくもある。もうここにはいられないという疎外感に押し潰されそうになる。竹内は終わった当初もそこまで気にしていたわけでもないため、言っても仕方がないことだと恭平は分かっていたが、それでも言わずにはいられない。
 だからこそ、竹内の返事に呆気に取られた。

「寂しいだろ、そりゃ」
「……え?」

 あまりにあっさりと返される言葉。全く期待はしていなかったのに、期待していた返事が来たことで恭平はどう反応したらいいか分からなくなる。竹内は恭平の様子に首を傾げる。

「俺、変なこと言ったか?」
「いや……言ってないけど。寂しいよなやっぱり」
「寂しいよな」
「でも……お前、寂しそうに見えない」
「仕方がないからな」

 竹内はどこまでも淡々と言葉を返し続ける。恭平のように表に出すこともなく、心の中では部活から離れるのが寂しいと考えている。その点は全く同じなのに表に出ることと出ないことの差は何なのか。頭の中で上手く説明が付かない。考え込んでしまった恭平に、竹内は言う。

「俺らは全地区大会のベスト8で終わったし。これ以上、中学で試合はないし。だから、引退した。それだけだろ。いくら寂しいって思っても中学ではもう試合は出ないし。試合出ないなら、もう受験勉強するしかないし」
「分かってるけど……なんでお前そんなに切り替えられるんだ?」
「切り替えられてないからこうやって寺坂達の相手しに、律儀に部活始まった時間に来てると思うけどな」

 言われてみて恭平ははっとする。
 部活は開始直後は部員全体でフットワークなど基礎トレーニングを行う。その間、恭平も竹内も参加することなく見ているだけ。顧問の庄司が特に入るよう進めないのは、部員としてはもう引退しているから。準備運動の一環で行うなら自由に参加していいというスタンスだった。
 結局、恭平も竹内も屈伸などの準備体操や軽い素振りなどは自分達だけで行い、寺坂達の準備が整ったら試合を開始していた。
 寺坂達は男子がしているのと同様にノック打ちを行っている。それがすんだら実践形式での練習に入る。恭平と竹内は、その時間までに体育館にいればいい。なのに、開始からずっと見ている。

(俺みたいに未練があるならまだしも……竹内が気にしてないなら、俺みたいに最初からいるんじゃなくて出番がくるあたりで入る、か)

 竹内が眺めている様子を横目で見る。感情は特に読みとれないが、自分と同じくらいには寂しいと感じているのかもしれない。そう、恭平は思えた。

「ま、別に未練がましく寂しく思ってればいいジャン。いつか慣れるって――お、寺坂達の準備できたみたいだな」

 竹内はラケットのシャフト部分を持ってくるくると回しながら女子のコートへと歩いていく。その後ろを歩きながら、恭平は自分の中のもやもやが徐々に消えていくように思えた。

(まさか。竹内に諭される時が来るとは……なんか悔しい)

 自然と顔がほころび、気持ちも軽くなる。今まで重かった体が嘘のように軽く感じて、今ならばベストな状態で試合ができると確信する。そしてコートに立って寺坂と菊池を見ると、更に相手の状態が一目で分かった。

(里香……)

 寺坂の後ろに立つ菊池の表情が明らかに暗い。それが即、バドミントンの調子に繋がるとは言い難いが、菊池は自分の気持ちをスマッシュに乗せていくようなタイプだ。その意味では試合の前から意気消沈している今の状況は悪いと言わざるを得ない。
 じゃんけんを終えてシャトルを取り、ネット前から離れてから竹内は言う。

「菊池のやつ、調子悪そうだな」

 ネットの先にいる寺坂達に聞こえないように囁く。作戦を話し合うような姿勢のため怪しまれはしないだろう。恭平は自身の動揺を出さないようにしつつ、竹内に問いかける。

「お前も昨日、気づいてたんだよな?」
「ああ。昨日っていうか、数日前からだけど」

 今の恭平ならば菊池の様子がおかしいことは見て分かる。しかし、昨日までの恭平は自分の気持ちとの折り合いがつかず余裕がなかった。その結果、菊池の様子を完全に見逃していた。

「さて、やるか」
「……ああ」

 菊池の調子が悪いからといって、練習を止めるという選択肢はない。全道大会まであともう少し。寺坂達も最終調整に入っている。残り時間で少しでも強くなろうと寺坂は頑張っている。ならば菊池はどうなのか。

(里香……)

 意気消沈している菊池を見て、恭平はあることを心に決める。竹内の「一本!」という声と共に腰を落とし、レシーバーの寺坂のシャトルに対して身構えた。

(まずは、この練習だ)
「一本!」

 久しぶりに張りのある声を上げたように思えた。
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