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俺達の終戦記念日

第三話  ある違和感の話

 体育館に足を踏み入れた時、恭平はかすかな違和感に襲われた。見慣れた風景であるはずなのにそうではない。だが、強烈に感じるほどのことではなく、何らかの差異があるという程度。それが一体何なのか分からず、何度か視線をさまよわせる。最終的に気のせいと結論付けて歩を進めた。
 練習の開始時間からほんの少し遅れてきたため、すでに準備運動のストレッチから行われている。体育館に入る前から着替えていた恭平は、まっすぐに壁際にたどり着き、ラケットバッグを下ろしてから近くにいる後輩へと声をかけた。

「おっす……あれ」

 そこで恭平は、自分の違和感の正体に気づく。見慣れた風景ではあるのだが、見慣れた顔がいなかったのだ。

「川岸は?」

 恭平は三年の最後の一人の名前を出す。
 今の三年は紆余曲折あって、最終的に三人しか残っていない。恭平と竹内。そして、川岸。ダブルスで全地区予選にまで出た二人とは違って、実力は伸びきらないが、人一倍練習熱心で、遅刻などしたことはなかった。部の中では皆勤賞は間違いない。
 どんな時でも姿を見せた川岸がいないことに気づかないはずがないのにと、恭平は自分自身にも驚く。しかし、更に驚いていたのは後輩だった。

「川岸さんは……えっと……もうインターミドル終わりましたし……」
「あ、そうか……」

 明言を避けた後輩はタイミングよく他の後輩に呼ばれてその場から離れていく。後ろ姿を見送った後で、恭平は体育館を見回した。振り返ってみれば、自分と同学年の男女はインターミドルの市内予選で負けた時点で部活に来る必要はなくなっているのだ。改めて見回してみると、全体の人数は当たり前だが減っていた。
 特に来るなと言われているわけでもないので、恭平達が全地区大会に向けて練習している最中も何人かは顔を出していたが、試合組が中心になっていく中で自然と足は遠のき、部活中心の生活から受験勉強中心へとシフトしていく。川岸もまた、足を運ぶ頻度は減り、全地区大会が一週間後に迫ったあたりの練習からは完全に姿を消していた。その頃、恭平と竹内に頑張れと言っていたことを思い出す。

(なんで忘れてたんだろうな……)

 自分の頭の中が、現実に追いついていない。つい昨日までの自分が、今日の自分に追いついていない。不思議な感覚に包まれた頭を振る。

(しっかりしろ。俺はなんのために来てるんだ……俺は……)

 恭平は頭を止めてもう一度周りを見る。
 他の女子と一緒に代表の朝比奈や寺坂、菊池が準備運動を終えている。それからすぐ基礎打ちに入り、更に実戦に向けて体をほぐしていく。これから全道大会までは実戦を積み重ねていくことでレベルアップを図ろうということのようだ。先に進もうとしている女子三人。自分が苦楽を共にした同学年の仲間は、竹内を入れて三人しか残っていない。

(俺は、里香達の為に来たんだ。俺のバドミントンはもう終わってるんだし。終わっていない里香達に協力できるなら、協力したい)

 協力したいという気持ちは昨日から変わらない。自分の好きな女子が、バドミントンで上に挑もうとしている。橘兄弟の力をすぐ傍で体感したからこそ、挑戦権を得た仲間達にはできるだけ上に行ってほしい。もっと欲を言えば、全国へと進んでほしい。その道がとても辛く険しい道のりだと分かっていても応援したい。
 その気持ちの裏側に、モヤモヤとした黒い霧が浮かぶのを恭平は目を背けられなかった。心の中で何かが納得できていない。本当の気持ちに背を向けて動き続けて、いつかは壊れてしまいそうな気がする。

「よっ」
「おわ!? あ、竹内か」

 いきなり後ろに出現した竹内に恭平は思わず大きな声を上げてしまった。その様子をしてやったりといった表情で見る竹内に、恭平はため息をつく。
 扉をゆっくりと開いて恭平に気づかれないようにして、後ろに近づいたらしい。特に怒ることはないが、少しだけ注目を浴びてしまって気恥ずかしい思いをしてしまう。

「驚かすなよ」
「わりぃな。なんかボーッとしてるから驚かせたくなっちまって。昨日からおかしくね?」
「ちょっとおかしいかもな。でも気にすんな」
「しねーよ。それにしても、バドミントン部も落ち着いたなー」

 落ち着いた、というのが竹内なりの表現なのか、恭平は分からずに押し黙る。

「俺らいなくても普通に回ってるし。安心して引退できるな」

 竹内の何気ない台詞に、恭平は軽くはない衝撃を受けた。全く予期していない方向からの衝撃。後から聞けばおかしなところなどなく、当たり前のことであるのに。恭平は表情に出さないようにして考える。

(そうか……今の俺って、居場所がぜんぜんないのか。この部に)

 後輩と仲が悪いわけではなく、むしろ良い方。だから部活の仲間関係に関しては全く問題はない。だが、すでに出番が終わった人間がこの場にいることの違和感は意識すると大きくなっていった。少なくとも黒い霧の原因の一端なのは間違いないようだ。
 練習相手としての出番はあるから居場所に関しては問題ないはずなのだが、恭平の心を抑えつける重さがかなり小さくなったことを考えると、間違いではない。

「お、なんだ。俺がいなかったから寂しかったか?」
「そんなのはないよ」

 ピントがずれたことを聞いてきたように思ったために、そう言って竹内を煙に巻いたが、実は的を獲ているかもしれないと恭平は考え直す。

(今の俺は、竹内がいないと、この部じゃ価値がないんだろうな)

 それがプラスかマイナスかと言われれば、プラスだろう。部というよりも寺坂と菊池にとっては部内で貴重な対戦相手だ。全道大会に進めたペアと進めないペアという差は付いているが、お互いに試合をした場合の成績は今のところ恭平達のほうが上になる。男女の差かもしれないし、相性の差かもしれないが、同じ部の中に自分がそう簡単に勝てない相手がいるというのは、試合で生きてくる。

「おーい、田野。試合、始めるってよ」
「ん? ああ」

 試合前は少し全体での練習を省略する傾向にある。本来ならばストレッチを終えた後に全体でフットワークの練習をするのだが、それが省略されたために恭平の感覚ではあっという間に試合形式の練習まで進んだ気がした。
 竹内が指し示す先にはすでに寺坂と菊池がいる。これから練習のパートナーとして全道大会まで過ごすことになる二人の姿。だが、恭平は胸の奥から込み上げてくる気持ち悪さを感じて踏み出すのを躊躇した。

(なんだろ。調子悪いかな)

 不快さの出所が分からない。正確には全く分からないということはなく、先ほど一つの答えを出したことがあり、気分的には落ち込んでいる。しかし、ここで休むというのも菊池達に悪いと、恭平は三人が待つコートへと近づいていった。歩いていく内にその感覚はなりを潜めてしまい、また恭平を困惑させる。
 ひとまず問題ないと判断し、恭平は試合を開始した。
 じゃんけんを経てサーブ権を取ったのは竹内。サーブ体勢を取る竹内の後ろに腰を落として寺坂達のリターンを待つ。

「一本!」
「一本!!」

 竹内の声に合わせて叫び、軽くジャンプして立てているつま先をコートから離した。ショートサーブによって運ばれたシャトルがファーストレシーバーの寺坂にプッシュされてストレートに恭平へと向かってくる。そのシャトルをバックハンドで鋭くロブを上げる。身長が低めの寺坂には、弾道が低くてもインターセプトされずらいため、鋭いロブが有効。今までの経験からくる恭平の攻め。しかし、シャトルは途中で飛び上がった寺坂に捕らわれた。

(なに!?)
「やっ!」

 思い切り腕を伸ばした上でラケットをぶつける。軌道上に乗せただけではなく、少しだけ振ってシャトルに勢いを与えていたことで、シャトルは急角度でネット前に落ちようとする。そこに竹内が滑り込み、大きくロブを上げて状況の立て直しを図った。

「田野!」

 竹内の声に反応して今いる位置から逆サイドに移動する。竹内はそのまま後ろに下がり、恭平と立ち位置を入れ替えた。菊池が後ろに周り、スマッシュを打つ体勢に入り、二人は腰を落としてどちらに来ても取れるように身構える。

(里香のスマッシュなら……取れる)

 部の中だけではなく、部外でも一緒に個人練習をしたことがある。何度も菊池のスマッシュやドロップを受けてきた恭平にはコースも速度も予測できた。今の状態ならばクロスに切れ込んでくるスマッシュ。

(一歩前に出て、カウンター!)

 バックハンドに構えてカウンターの準備を整える。そこに、シャトルが飛び込んだ。

「はっ!」

 気合いの声と共に打ち込まれるスマッシュ。コースは予測通り。しかし、速度は恭平のイメージの中にあるものよりも速く迫ってきた。

「うわっ!」

 とっさにラケットを振ってストレートにカウンターを打ち込む。シャトルの勢いをそのままに打ち返したため鋭くコートに落ちようとしていた。だが、そこに菊池が回り込んでいて、バックハンドで振りかぶるとロブを高く上げる。シャトルはコート中央より少し先にいったところで落ちていく。恭平はそのまま前で、後ろに回った竹内に処理を任せた。

「おっしゃ!」

 竹内は飛び上がってスマッシュを打つ。ジャンピングスマッシュは得意ではないため力が逃げたが、角度だけはついた。ゆっくりだったが、コート前に落ち、寺坂は拾うことができなかった。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「菊池ー。もっとロブ飛ばさないとこうやって狙い打たれるぞ?」
「分かってるけど……バックハンドだと上手く飛ばない……」
「タイミングだタイミング!」

 竹内が今のラリーの悪かった部分について菊池へと話している。それを聞きながら恭平はそれ以外の違いについて思い返した。

(寺坂の反応も、里香のスマッシュも速くなってる……)

 大会の数日前まで一緒に練習をしていた。その時に今のラリーをしたらどうなるか。寺坂は恭平のロブは取れなかったし、そうなれば菊池もスマッシュを打てなかった。更に言うなら、ダメ出しをされたバックハンドでのロブも、以前より威力も速度も上がっている。もう少し上手く打てればコート奥までしっかりと返る。そう思わせる手応えがある。
 たった二日。全地区大会を過ごしただけ。自分達は敗れて、菊池達は勝ち残った。全道への道に何とか残る中で、二人は以前より力を上げていた。

(先輩達、みたいだ)

 卒業した一つ上のダブルスを思い出す。全道大会を終える前と後で、明らかに実力の桁が一つあがった。それまで多少抵抗できていた練習試合も全く歯が立たないという時ばかりになった。試合の中で追いつめられた時に一段階壁を越える。その様を見せつけられた。
 そして今、里香達からも見せられたことで恭平の心はざわついていった。


 * * *


「今日は疲れたぁ」

 いつものように自転車を押しながら里香と帰る。しかし、恭平の心はざわついたままだった。あれから試合形式の練習は接戦の末に恭平達が勝利した。それから反省をした上での再戦。それを五回繰り返して全勝と、今までと変わらない。だが、菊池達の試合内容は過去のどの試合よりも良く、全部勝てたのは運の要素が強い。これから全道大会まで続ければ、負けがこんでくるのは明らかだった。

「恭平君のスマッシュ、トモが取った後にヘアピン返したでしょ? そこで竹内が奥に返してきた時、なんか見えた! って感じで動けたんだよね。動き出し速かったらスマッシュも十分体重乗せられるよね……やっぱりフットワーク大事だよね」
「そうだな」

 話半分も聞けず、前に進む。少し後方から話続けていた菊池がいつしか黙ったことも恭平は気づかない。

「……恭平君、疲れてる?」
「ん?」

 後ろを振り向いて菊池へと顔を向ける。すると菊池は体を震わせて少し後ろに下がった。自分の何がそうさせるのか分からずに恭平は首を傾げて再度問いかける。

「どうしたの?」
「あ……えーと……疲れてる?」
「ああ。試合形式でやると疲れるな」

 練習の方法が原因かと言われれば半分。
 もう半分は重たい気持ちから。
 寺坂と菊池の成長を見せつけられて。更に先に挑もうとしているのをサポートする。
 サポートするしかできない自分が、黒いものを生み出してしまう。

「そう……だよね。私も疲れちゃった」
「ゆっくり風呂入って休みなよ」
「うん」

 それからまた自転車を押して進む。菊池は何か言おうと口を開くも何も言えないままで、自転車のタイヤが回る音だけが響く。やがて菊池の家へ続く道の分岐点へとさしかかった。恭平はそのまままっすぐ行き、菊池は分岐点で立ち止まった。

「恭平君!」
「ん? ……ああ、もうこんなところか」
「ねえ、おかしいよ? 何かあったの?」

 恭平の様子の不自然さに気づいて、菊池が問いかける。恭平は少しの間、菊池を視界に収めた後で首を振る。

「なんでもないよ。疲れただけ」
「そう……ほんと、何かあったら、言ってよ。私、相談にのりたい」
「止めとけよ。全道に集中しな。じゃあ」

 軽く手を挙げて別れの挨拶をすると、恭平はサドルをまたいで自転車をこぎだす。一気に加速してその場から逃げるように。

(分かってる……でも、今は、無理だ)

 自分を振り回す気持ちの答えはおぼろげながら見えてた。しかし、今は向き合うのさえ辛い。しばらく時間がほしかった。
 そのためには、今は菊池とは離れたい。


 そして恭平は、菊池と付き合いだしてから初めて、意図的に彼女と帰るのを、止めた。
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