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俺達の終戦記念日

第二話  ある彼氏彼女の話

 電車の座席で揺られながら恭平は窓の外をぼんやりと眺めていた。レールの継ぎ目を通る度に上へ軽く揺れる体。その振動がちょうど良いのか、隣に座っていた竹内は完全に寝ている。視線を周りへと向けると全地区大会に出場した仲間達は揃って深い眠りに入っているようだった。顧問までも目を閉じて寝息を立てている。
 今、この場で起きているのは恭平だけ。
 それだけに試合が終わった後の光景が頭の中にずっと流れていた。

 * * *

「みんな、よくやったな」

 顧問の庄司が全員の前で言う。会場の熱気に当てられたのか、短く刈りあげられた頭から流れてくる汗を右掌で拭いつつ、左手で縁なしメガネの位置を直す。
 庄司の周りに集まっているのは全地区大会に出場したのは市内予選を勝ち抜いた代表だけであり、本来の部員達よりかなり数が少ない。恭平と竹内を除けば男子が一人。女子が三人だけ。

「結果を改めて伝える」

 恭平が入学して、試合会場に行くようになってからいつも繰り返してきた庄司の行動。最終的な結果は各個人で分かってはいるが、改めて全員を集めて言うのが庄司のスタイルだ。良い結果も悪い結果も皆で受け止めて、次を目指すという思いを共有するために。

「まず、女子ダブルスでは、寺坂と菊池が三位で全道大会に出場。女子シングルスでは朝比奈が三位で、同じく全道大会に出場する」

 当人達を除いて、少ないながらも拍手が鳴る。
 恭平達と同じ三年生で女子の部長と副部長である寺坂知美と菊池里香。
 恭平の一つ下で、実力ならば浅葉中で――もっと言えば市内で一位である朝比奈美緒は、危ない部分があったものの全道大会へと駒を進めた。
 女子三人の顔にはそれぞれ安堵の表情が浮かんでいる。寺坂は涙ぐんでいる瞳を隠すために両手で顔を覆い、150センチくらいしかない小さい体を更に小さくしていた。逆に身長が160以上と女子にしては高めの菊池が寺坂の頭を撫でようとする。撫でられることの恥ずかしさに頭を動かして、寺坂の首筋のあたりで結ばれて二つに分かれた髪の毛が頭の動きと共に振られた。寺坂の動きに菊池の眼鏡の奥の瞳が柔らかく緩む。その様子はパートナーというよりも姉と妹のように恭平には見える。
 そんな二人の様子をしり目に、朝比奈は一人、肩の力を抜いている。色素が薄めの亜麻色のショートカットの、耳元にかかっている毛先を指で弄びながら寺坂と菊池のじゃれ合いを眺めていた。
 それぞれの視線ながら、寺坂を気にかけている様子が分かって恭平はほっとする。寺坂がバドミントンにかけてきたものの縮図のように見えた。
 庄司は女子に落ち着くように諭してから言葉を続ける。

「次に男子だが、男子ダブルスは竹内と田野がベスト8まで。シングルスは遊佐が三位決定戦で破れて四位だった。残念だが全道にはいけない」

 女子と反比例するように、男子は両種目とも全道大会進出とはならなかった。一つ学年が下の遊佐修平は朝比奈と同じく、男子だけなら部内一で市内でも三位に入っている。しかし二位と一位のプレイヤーとの差は大きく、彼らが全地区大会でも一位と二位であるこの状況で三位に入るのは至難の技。三位決定戦で激戦を繰り広げたものの、最後には競り負けてしまった。当人は悔しさをどこかで発散したのかほがらかな顔をしており、敗戦のダメージはない。
 ダメージがあるのは、やはり恭平達だった。

「女子は次の大会に向けてより目標を高く設定して練習に取り組むように。男子は、遊佐はまだ来年がある。その時に今回の悔しさを生かせ」

 寺坂、菊池、朝比奈。そして遊佐は庄司の言葉にそれぞれ頷く。最後に竹内と恭平を見て静かに言った。

「竹内と田野は、残念だがここで終わった。お前達がどれだけ練習してきたか俺は知っているが……勝負は積み重ねたものが通じるかどうかだ。こういう結果にもなる」
「はい」

 竹内は答えず、恭平だけが言う。
 脳裏に蘇る過去から現在までの自分達の戦績。
 浅葉中に入学してバドミントン部に入部してから一つ上の全道・全国クラスのダブルスを間近で体験していく中、いつか自分達も一位になろうと切磋琢磨してきた。
 一年生の時の学年別大会で二位を取ったことから始まり、常に自分達よりも強いダブルスが身近にいても、諦めずに勝つための試行錯誤を続けてきた。
 三年生となった年のインターミドルの市内予選は激闘の末の二位。
 そして今日、全地区大会で第一シードのペアに敗れたことで、恭平達のバドミントンは目指すべき場所へ最後まで行けないまま終わった。

「もう中学でのバドミントンは終わった。だが、この二年と半年で学んだことは必ず後で力になる。お前達にできることは、まだまだたくさんある。それを胸に、残りの時間を過ごしてほしい」
『はい!』

 今度は竹内と共に大きく返事をする。そうしなければ、目から何かがこぼれ落ちそうだった。
 その後は帰るだけということで、荷物整理をした上で体育館の入り口に集まるように指示され、恭平達は各々帰り支度を始める。直前に全道大会の日程を知らされ、会場は地元に近い札幌だと聞かされた。できるだけ応援に行くように庄司が言われたために、恭平は竹内に尋ねる。

「なあ、一緒に応援行かないか?」

 当然、行くという言葉が返ってくると恭平は思ってい。だが、竹内の答えは「止めとく」だった。想定と違っていることに呆然としていると竹内は続けて言った。

「俺の中学バドミントンはもう終わったからな。さらっといなくなろうと決めてた。受験勉強もしないとだし」

 竹内はドライに答えてラケットバッグを背負うと、恭平よりも先に出口へと向かった。その背中を見ながら竹内の心の内を想像する。試合結果に悔しくないわけではない。しかし、咄嗟に出るような悔しさはすでに試合の直後で使っている。だから、今の竹内はあっさりしているように見えるのだろう。じわじわと悔しくなってくるのは帰った後に違いない。

(それでも、あいつはあんなもんか)

 竹内の性格を分かっている恭平は特に気にせず、自分もラケットバッグを背負う。そのまま歩き出すが、頭の中は庄司と竹内の言葉が渦巻いている。

『お前達にできることはまだまだたくさんある』
『俺の中学バドミントンはもう終わったからな』

 自分には何ができるのか。もう終わっているのか。
 全く切り替えられないまま足だけが進んでいった。

 * * *

「――野。田野」

 自分が揺さぶられているのに気づいて恭平は目を開けた。外を見ながらいつしか寝ていたらしく、窓のすぐ下にある物置き棚に肘を置いて左手を枕代わりにしていた。そのせいで左手は痺れており、宙に浮かせてぶらぶらと手を振る。
 長い時間ということではなかったようで、痺れはすぐに引いた。
 隣で揺さぶっていたのは竹内だった。さっきまで寝ていたからなのか、顔にはもう疲労の色はない。電車に乗った直後から見ればかなり回復していて、気だるさは全く感じられなかった。

「もう着くぞ。準備しようぜ」
「……ああ。ありがとう」

 言われてから外を見ると見慣れた景色。あと五分もすれば自分達の市の駅に着く。そうなればあとは帰るだけ。

(……これで終わりか)

 つい数時間前に第一シードに負けて、その後で彼らの優勝を目の当たりにした。準優勝は市内予選で自分達を破って一位で全地区大会に出場したペア。それでも一ゲームを取れただけで終始押されて終わった。第一シードが圧倒的な強さで勝ち進んだ様を見ていると、ベスト8で当たったのが運が悪かったと思わざるを得ない。

「仕方がないって、諦められるのかな」

 恭平の呟きがかすかに耳に届いたのか、竹内が「どうした?」と尋ねてくる。なんでもないと首を振り、頭上の物置きネットに置いておいたラケットバッグを降ろす。他のメンバーも同じように降りる準備をしている中で、菊池と目が合った。
「何か用?」と嬉しそうに笑みを浮かべて首を傾げる動作。いつも、傍で隣で見てきた仕草が今の恭平には理由が分からない不快さをもたらす。
「なんでもない」と首を振って座席に座った。

「竹内、田野」

 ラケットバッグを抱えている状態の二人に、庄司が傍までやってきて声をかける。顔を向けたことで話を聞く体勢になったと判断したのか、庄司は言葉を続けた。

「明日から、寺坂と菊池の練習相手をしてくれないか? 全道大会の対策に協力してほしい」

 恭平は竹内の方を見てみる。もう中学バドミントンは終わった、と言ったばかりの竹内には気まずい話だ。少し渋ったが、竹内は首を縦に振った。恭平にとっては特に断る理由もないため、了承する。

「ありがとう。頼むぞ」
「はい」

 二人の声にかかるように、社内アナウンスが駅に着くことを告げる。すぐに電車が止まったところで座席から立ち上がり、順番にホームへと出ていった。
 改札を出てから、庄司が気をつけて帰るようにと全員に告げて解散となる。一組を除いて帰る方向がばらばらのため、挨拶をして全員がその場から離れた。
 恭平の中で、時間の流れが速い。まるで決められたレールの上を走っているかのように誰もが停滞なく動いて、あっさりと去って行ったように思えた。

「お疲れさま、恭平君」
「お疲れ」

 帰る方向が一緒の一組――恭平と菊池は自転車置き場からあえて乗らずに押しながら歩く。一つの大会が終わるまで、互いに練習に集中してきた。練習が終わったあとも試合に関することで時間をとられ、一緒に帰る時間がなかった。
 それでも寂しいとほとんど思わなかったところが、バドミントンに集中していたことを示しているように恭平は思う。

「恭平君。明日、部活くる?」
「ん? ああ。庄司先生にも里香達の練習相手してほしいって頼まれたし。竹内はちょっと渋ってたけど」
「そうなの?」

 恭平から見て、心なしか菊池の表情が緩んだように見える。言葉のトーンも簡単には気づかない程度だが上がっていた。ショートカットとセミロングの中間の長さになっている髪を触りながら微笑む。

「あいつ、試合後のミーティングのあとで『俺の中学バドミントンは終わった』とか柄にもないのにカッコつけて言ったんだよ。でも、帰りの電車の中で先生に頼まれちゃって。さすがに断れなかったみたいだ」
「そうなんだ……残念、だったね」
「仕方がないさ。あの大場と利が惨敗するような相手には勝てない」

 自分達を破ったダブルスが、橘兄弟の攻撃に抗いきれずに負けた。最初、負けた時は悔しかったが、その光景を見ると諦めもつく。自分達の才能と努力が必要な量に届いていなかっただけなのだ。

「しょうがない。俺のバドミントンは――」

 途中で言葉を切る。不自然なところでの沈黙に菊池が首を傾げながら恭平を見た。視線に気づいた恭平は「なんでもない」と返し、無言で進む。夜の空を眺めながら歩くだけ。自転車のタイヤが回り、チェーンが鳴る音と靴音がゆっくりと流れていく。

(俺のバドミントンは、終わったのかな?)

 最後の言葉を言う前に、自分の中の何かが止める。
 次に心の底から湧き上がってきた疑問点から、原因が分かった。
 小学生から続けてきたバドミントン。中学入学から始まったバドミントンは、一線を画していて、最初は先輩達に圧倒された。
 中学二年次では、途中から部を引き継いで副部長となった。部長の竹内は、指導は下手だと最初から恭平に任せて、自分は部長会議や対外的な活動をしながら、二人で部の上に立ち、みんなと部を作ってきた。他の学校の同年代の実力者に圧倒されながら。
 そして中学三年次。四月から六月末。
 市内大会から全地区大会まで。
 全道、全国とその先に続いていくインターミドルへの挑戦。
 先輩の後ろから見ていた景色から変わって、最大の大会。
 挑戦は確かに今日、終わったのだと実感できる。恭平と竹内は負けて、男子の後輩も負けた。女子は負けたが、それぞれ三位で全道大会に出場する。隣を歩く菊池はまだ挑戦し続けている。
 それが羨ましいのかと言われればそうだろう。しかし、自分が何となくモヤモヤとしているのは、別の理由があるかもしれないと恭平は考える。

「あ、恭平君……」
「ん?」

 いつしか隣を歩いていた菊池がいなくなり、後ろから声がかかる。
 振り返ると菊池は困ったように立っていた。なぜそんな表情をするのか分からずに続いて尋ねる。

「どうした?」
「えーと……私、こっちだから」

 菊池が指さす方向はいつも入っている道。いつの間にか分岐点まで来てしまったようだ。恭平の家は菊池の家よりも北に位置しているため、もうしばらく北上することになる。駅から歩くのに二十分もかからない位置ではあるが、その時間が過ぎていたことに全く気づかなかった自分が信じられなかった。

(試合中もそうだったけど、あれは疲労がたまってたから……だよな。やっぱり疲れてるのか)
「やっぱり疲れてる、よね?」

 自分が思ったことを菊池が口にする。一年の終わり頃に付き合い始めて、一年と半年以上が過ぎた。休日は部活に費やし、平日も部活がない日にたまに一緒に帰るくらい。恭平には彼氏彼女らしいことをしていたかどうか自信がなかったが、菊池のかすかな仕草から何を感じているか分かったり、自分が思っていることを菊池が悟ったりとお互いのことをそれなりに分かるようになってきた。バドミントンをやっていく中での苦労も、菊池といることで安らぐ。そのことに感謝しつつ、恭平は笑みを浮かべて言った。

「ごめん。疲れてるけど、里香と一緒にいると少し回復した」
「ほんと? 嬉しい!」

 オドオドとして自信がなかった顔が笑顔になる。その顔がいとおしくて、恭平はゆっくりと近づいて頭に右手を乗せる。ゆっくりと撫でてからもう一度笑みを浮かべて静かに言う。菊池を落ち着かせるように。心配させないように。

「里香も疲れただろ。今日はたっぷり休めよ。明日から竹内としごくから」
「うん、分かった……あ、そうだ。全道大会のことなんだけど。応援、来てくれる?」
「ああ、札幌だっけ。行くよ」

 恭平の言葉に里香は嬉しさを押さえきれないのか終始笑顔だった。恭平は「じゃあな」と手を振りながら言って、自転車に跨る。後ろからの菊池の見送りを感じながら、恭平は自転車をこぎ進める。
 しばらく進んだあと。風を感じる中で恭平は考える。

(全道大会か)

 菊池にはすんなりと応援に行くと言ったが、離れた後で恭平の中に残るのは、そのことに対する疑問。果たして、行く必要があるのか。行って、自分は何を得るのか。もしかしたら何かを失うかもしれない。

(どうしよう、かなぁ)

 一人になると、押し寄せてくる感覚に心が締め付けられるように思えて、恭平はハンドルから右手を離して胸を押さえる。
 込み上げる不安は恭平の心を押し潰していく。

(疲れてるだけだ……明日になれば、治る)

 そう、自分に言い聞かせながら自転車をこいでいくが。言葉に力がないのは自分が一番良く分かっていた。
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