俺達の終戦記念日
第一話 ある結末の話
鋭く自分の眼前に迫ったシャトルを、恭平はラケットを咄嗟に掲げて顔を守ることしかできなかった。弾かれたシャトルが宙空をさまよってからコートに落ちるのを見送る。
締め切られた体育館の中は気温が上がり、更に天井から降りそそぐ照明の光と共に恭平の体力を奪っていく。少し伸び気味の前髪を左掌でかきあげると、たまった汗が掌にべったりと付いた。濡れた掌をハーフパンツになすりつけて汗を取る。
「ポイント! エイティーンテン(18対10)」
審判の言葉が示す事実、一つ一つが恭平の心に影を落としていく。点差を自覚させられる度に、相手との実力差を思い知る。それでも何とか勝つ道を探して試行錯誤してきたが、それも限界に近かった。
対峙しているのは滝河二中の橘兄弟。二人とも坊主頭で双子だけに顔もほとんど同じ。体格もほぼ同じであるため、試合の最中に左右が入れ替わるだけでどちらがどちらなのか忘れてしまうほどだ。
目まぐるしく動く二人のダブルスは、その運動量のおかげもあってか最低でも全道クラス。最上級生である自分達の中で言えば、間違いなく今年は全国に行くだろうという大本命だ。
第一シードである彼らに対して、戦力的には明らかに格下である自分達。活路を見出すには頭を使って何とか隙を作り出すしかない。
だが、地力の差を覆すことは出来ずに、徐々に押されていった。
インターミドル全地区大会ベスト8
恭平達の今、戦っている場所。それは、中学バドミントンの集大成。
中学生達が自分の力をぶつけあう戦場。そこに先輩も後輩もなく、ただ実力の差があるだけだ。
「田野。ボーッとするな!!」
パートナーの竹内元気が恭平の背中に話しかけてくる。恭平とは違い短く刈りあげた頭も、今は汗に濡れて照明の光を反射している。小柄な体を何度か跳ねさせて体の軽さを確認していた。
いつの間にかうつむいていた視線を慌てて前に向けると、橘兄弟の弟である海人(かいと)がサーブ姿勢を取っていた。自分に向けてのサーブということまで頭から抜けていたのかと恭平は自分で頭を軽く叩く。それからラケットを掲げてショートサーブをプッシュしようと前かがみになる。
「一本!」
高らかに響く海人の声。次に吹き付けるのは海人の中にある闘志が形になったかのような熱風。それは無論、恭平が感じているプレッシャーが感覚のフィルターを通して変化したものなのだが、実際に質量を持って恭平を押し出そうとしているように思える。だからこそ、恭平は押し返すために自分も精一杯の抵抗を見せる。
「ストップ!」
気迫と気迫のぶつかり合い。ただ、海人に対して恭平のそれは弱く、圧倒されたままでシャトルが放たれた。ショートサーブでネットぎりぎりを進む軌道を通るシャトル。前に出てプッシュしようとしても叩く時にはネットの下になってしまう。無理せず恭平はロブを上げてやり過ごそうとしたが、打った瞬間に影が覆った。
(しまっ――)
自分の失敗を悟った瞬間に足下に叩きつけられるシャトル。しかも、フォアハンドでロブを上げるために右手を振り切ったために隙ができていた右足元へとシャトルは落ちていた。軌道が低く、反応できればインターセプトは確かに可能だが、理論上可能ということであって実践は難しい。残像が見えるような速度で打ち上げられるシャトルの軌道を読み、そこにラケットを重ねて打ち落とすだけならば恭平でも可能かもしれないが、海人は一瞬で恭平の隙を見つけて、更に打ち返されないように、打ち込むコースまで考えたのだ。
(――た)
思考が追いついた頃にはもうシャトルが転がり、右足のつま先に当たった。恭平は自分の思考が遅れていることに愕然とし、動けない。そこで後ろから竹内がシャトルを拾い、羽を軽く整えてから海人へと渡した。
「ストップストップ。気合入れなおそう」
「あ、ああ……」
十九点目を献上し、残りは二点。あと二点取られれば自分達のインターミドルへの挑戦は終わりを告げる。その現実が恭平を竦ませる。
(こんなんで……終わりたくない)
悔しさがこみ上げてきて涙腺が緩む。普段でも滅多に泣かない自分が泣きそうになっている。その事実に恭平は頭を振って反抗する。
(負けてられるか。まずは一点でも多く、取る。そして連続で得点して、逆転すればいい)
次のレシーバーである竹内の横に足の幅を広めにとって腰を落とす。海人はまた重い圧力を竹内へと届かせているのか、その余波で恭平は挫けそうになった。それでも先ほどよりも強い反抗の気持ちで自分を保たせる。
「ストップ!」
「ストップ!!」
竹内が叫び、ショートサーブに飛びかかるようにして前に出た。シャトルを強打はできないが、ヘアピンで落とすことはできる。そのシャトルを更に海人はクロスヘアピンで逆サイドに振ったが、竹内がネットに触れないでロブを上げた。竹内が左サイドに来たため、恭平は右サイドに移動する。次におそらく来るであろうスマッシュに備えるために。
相手コートの奥にはシャトルの下に入る橘空人(あきと)が見えた。身長も顔も海人と同じだが、特に違っている点が強烈なスマッシュだ。コートの一番遠くからでもエースを取れるほどに速く重かった。
「はあっ!」
空人は斜め上に飛び上がり、ジャンピングスマッシュを放つ。腕の振りによる力と前に飛んだことでの体重移動からの力。二つが合わさり相乗効果となってシャトルを更に速くする。
だが、竹内の真正面へと飛んだシャトルはふわりと浮かんで橘兄弟のコートへと返った。竹内が勘で出したラケットが運良くシャトルを返しただけ。それでも竹内は前に移動し、海人の攻撃コースを狭める。その甲斐があって、海人はロブを高く打ち上げた。竹内はネット前に構えたまま。必然的に恭平がシャトルの下に入る。
(これを、打ち込む!)
シャトルの真下よりも少しだけ後方に下がり、ラケットを振りかぶる。
「おおおおあ!」
相手を見ようとしたがプレッシャーに負けそうだったため視線を向けられず、確認しないままに中央の線に向けて打ち込んだ。シャトルは勢いがついてネットを越えて相手コートを襲う。だが、シャトルは海人によってクロスヘアピンで竹内から離れるようにして打ち返されていた。
「うわっと!」
竹内は体を投げ出すようにして、更にラケットを伸ばしてシャトルを追う。素早く自分から逃げていく軌道に何とかラケット面を割り込ませて、再びヘアピンで打ち返した。しかし、すぐに海人が竹内の目の前に移動してくると、クロスヘアピンを打ってくる。
(この!)
竹内は完全に死に体であり、ヘアピンで放たれたシャトルは追えない。だからこそ恭平が前に飛び込んでぎりぎり追いつき、ロブを上げた。再びインターセプトの恐怖が頭をよぎるが、ラケットと共に振り切る。
「ナイス田野!」
倒れていた体勢から立て直した竹内はコートの右半分の中央に腰を落として次のシャトルを待ちうける。恭平もロブを打った位置からそのまま下がって左半分を守るために身構えた。
(こい!)
どんな速いスマッシュでもラケット面に当てることができれば返せる。力はいらない。少しでも前方で触ることができればヘアピンを打てるのだ。そうすればラリーは続く。反撃の糸口となる。
しかし、落ちていくシャトルの下には空人。恭平と竹内、両方を一瞬だけ見ると二人の立ち直りかけた精神を粉々に打ち砕くように、次の一手を放った。
「はっ!」
気合い十分な咆哮からの、ふわりとしたドロップ。受けようとしたタイミングを完全に外されて、恭平も竹内もガクリと体が揺れた。
「くっそ!」
先に立ち直ったのは竹内だった。左手を床に着いた反動で前に飛び出し、ラケットを伸ばす。シャトルはコート中央に落ちていき、二人が同時に立ち直っていればどちらが取るかは躊躇するようなコース。竹内はラケットをシャトルの下に入れて返そうとする。
ネットを挟んで目の前には、海人。シャトルがネットを越えた瞬間に打ち込む体勢が整っている。
「竹内――!」
田野が思わず叫ぶ。しかし、次にはシャトルが海人の前に落ちていた。
「――ポイント。イレブンナインティーン(11対19)」
審判のカウントでようやく得点したことを悟る。いったいなにが起こったのか恭平には分からなかったが、竹内は「しゃあ!」と気合いを全力で海人へと突き出している。自分でシャトルをネット下から拾い、自分の傍に戻ってきた竹内に恭平は尋ねる。
「なあ、何があった?」
「ん? 見てなかったのかよ。俺のヘアピンがネットすれすれに決まったんだよ。あれはさすがに上からは打てないだろ」
竹内が打ったシャトルは本当にネットを沿うように上がり、白帯のところでシャトルコックがぶつかると、そこを支点にしてくるりと回転した。そのままシャトルはネットを沿って落ちていった、ということらしい。
追いつめられているところでの奇跡のような一手。まだ、自分達は負けていないと思わせるタイミングにヘアピンが決まったことで、竹内の志気が上がる。
「よし、まずは一本。一点ずつ返そう」
「……おう!」
竹内に乗せられるように恭平も応えて、ハイタッチを交わす。あと二点で負けようと、まだ負けていない。ラリーポイント制は自分達がシャトルを相手コートに落とし続ければ勝てるのだ。
折れかけた心をまだ繋ぎ止めて、恭平は竹内の後ろにまわる。
その瞬間、熱風が顔に吹き付けるような錯覚に陥った。
肌が焦げるような錯覚を起こさせているのは、ネットを挟んだ先にいる空人。竹内のサーブに身構えているだけにも関わらず、打った瞬間にシャトルを叩き落とされるだろうと恭平に想像させた。竹内がその想像に支配されていないか不安になったが、信じて腰を落とす。
(打たれたとしても、取ればすむ)
そう思う自分に自信がなかったが、やるしかない。自分達よりも二段階は上にいる相手に対抗する術は、諦めずにラケットを伸ばすしかないのだから。
「一本!」
「一本だ!」
竹内の声にあわせて恭平も声を上げる。ネットの先から声に力を乗せて空人も「ストップ!」と咆哮する。竹内はゆっくりとシャトルにラケット面を合わせて、ショートサーブを放った。
ネットの白帯ぎりぎりに向けて飛んでいくシャトル。そう簡単にはプッシュされない軌道だったが、そのサーブを打つために集中力を使ってしまったのか、そのまま前に打たれた時のカバーに入るはずの竹内の動きが一瞬遅れた。
「はっ!」
その隙を突く――のではなく、ネットぎりぎりのシャトルを空人はプッシュで突いてきた。威力十分のシャトルに恭平は目で追えなかった。
「くそ!」
一か八かでラケットをバックハンドで思い切り振り切る。すると、とっさに振ったラケットにシャトルがぶつかって、ドライブ気味に相手コートに返っていた。追う海人の姿を見て崩れた体勢を立て直し、防御に回る。
浮かないシャトルをネット前で打ち込むには下から上に巻き上げるようにラケットを動かすが、恭平も竹内も数回に一回しか成功しない。そうして打たれてしまったシャトルに対して、運でしか返せない。
(それでも、返せればいい!)
徐々に試合に集中していく。意識が先鋭化し、相手の弱点を何とか見つけだして突き刺すことだけになる。
海人が追いついて打ち返したタイミングとほぼ同じで、恭平は前に出た。相手のショットを予測したわけではない。ただ、隙を必死で捉えようと凝視していた海人の動きが、ロブをあげていた時よりもコンパクトになっているように感じた。それはつまり、高くあげるのではなく強打。
「はっ!」
気合いの声と共にドライブを打った海人だったが、そのシャトルが向かう先から突っ込んでくる恭平を見て顔に焦りが出る。前にいた空人もフォローに入ろうとするが、恭平がプッシュでストレートにシャトルを沈める方が速かった。
「ポイント。トゥエルブナインティーン(12対19)」
「しゃあ!」
「ナイスショット! 田野!」
第一ゲームから通して、初めてだった。相手のショットに翻弄されて返している間に相手のミスで得点するなど、恭平達が相手を上回った結果の得点というものがなかったのだ。今の海人のショットからのラリーは完全に橘兄弟の攻めを上回っていたと観客席で観戦していた他校の選手達も分かったのか、少し多めの拍手が送られる。
「しゃ! もう一点」
「もう一点いこう!」
このまま耐えきれば同点に持ち込んで延長戦までもって行ける。その期待を胸にまた竹内の後ろについた恭平は、腰を落として息を呑み、額から流れる汗を拭う。
海人も空人と同じくらいのプレッシャーをぶつけてくる。一点を良い形で取ったことで期待を持てたが、油断すればこの熱風に押し返されてしまう。それを肝に銘じて恭平は海人の動きに集中しようと深呼吸をした。
「一本だ!」
「一本!」
竹内に呼応して声を出して身構える。
一瞬の静止の後でシャトルが放たれたのを見た恭平だったが、次には自分の右足にシャトルが跳ね返っていた。
「……え?」
ほんの少し前まで――恭平の感覚で言えばまさに一瞬前には竹内がサーブを放ったはずだった。今、シャトルが返っているならば海人がプッシュを放ったのだろう。それを意識できないほどの速さでシャトルが返ってきたのか。
目で追いきれないことがあったとしても、完全に見失うということがあるのか。そこまで考えて、恭平は自分がどういう体勢をしているか全く気づいていなかった。
「田野。大丈夫か?」
頭上から聞こえる声に顔を上げる。そこでようやく、自分が膝をついていることに気づいて恭平は自分に何が起こっているのか理解した。
(俺は、意識飛んでたのか……)
シャトルもいつの間にか竹内が空人へと返していた。得点も20対12。あと一点で終わってしまう。負けられないと思っても急に体が言うことをきかなくなっていく。
「ラスト一本!」
空人が声を出してサーブ体勢を取る。得点して場所移動していたため、恭平に向かうことになった。体をふらつかせながらもレシーブ位置に立ち、身構える。最後の一点を取るために牙を剥いてくる空人に、恭平は気圧されながらも立ち続ける。
「ストップ!」
恭平の声に合わせるように、シャトルが放たれる。前に詰めてプッシュしようとした恭平だったが、サーブはロング。頭上を越えて自分が身構えていた位置を少し越えたところへと落ちていく。
恭平は振り返ってラケットを伸ばそうとしたが、膝から力が抜け、バランスを崩して倒れてしまった。
(くそ――)
自分が倒れる音とシャトルがコートへと落ちる音が重なる。視界に転がったシャトルが入り、恭平は試合が終わったことを悟った。
「ポイント。トゥエンティワントゥエルブ(21対12)。マッチウォンバイ、橘空人、橘海人!」
『しゃあ!』
空人と海人の声が重なり、ラケットが掲げられる。その気配を感じつつ、恭平は転がったシャトルから目が離せなかった。
竹内元気。
そして、田野恭平。
二人のインターミドルへの挑戦は、全地区大会ベスト8という結果に終わった。