モドル | ススム | モクジ

● 総統の教室4  ●

 ケイジとユーレは距離を取ったが、ゲイオスはゆっくりと振り向いただけ。得体の知れない存在に対して警戒心がないというわけではない。ユーレにはそれが、何が来ても怖れるに足りないというゲイオスの自信に思えた。
 前からゲイオスはそのような態度を取っていたが、通すフィルターが違うために全く別の男にユーレには見えていた。
「幻影か」
 離れた二人にもその言葉ははっきりと聞こえる。そして、ゲイオスの前の光はやがて一つの形を取る。
 ローザの姿に。
「ローザ!」
 ケイジは慌てて近づくも、ゲイオスが手をかざして止めた。その動作の意図が分からない二人だったが、ローザの姿がぶれていることにようやく気づく。ユーレよりも先に、ケイジは目を見開いて呟いた。
「幻影って……ローザの魔法で作られた分身か」
「そのようだな。だが、魔法で作り出した主はローザではないだろう。どうやら敵に捕まったらしい」
 ローザの分身は肩で息をしていた。それがそのまま彼女が今置かれた情報を知らせているらしい。何度も顔を左右に振れているのは、殴られているからだろうか。
 やがて、ローザは地面に倒れた。実際にどこで倒れているのかは分からないが。
 そのまま服の胸元が破れ――
 幻影は消えた。
「まさか――」
「まあ、いいようにされているだろうな」
 ゲイオスの何の感情もない言葉に、ケイジは遂に服の胸元を掴んで迫る。
「てめぇ……いい加減にしろ」
「いい加減にするのはお前だ」
 言葉に続く轟音――それはケイジの身体を貫いた衝撃音だったのだろう。悶絶してうずくまるケイジの背中に、ゲイオスは足をたたきつけて言い切る。
「我々がいがみ合っている場合じゃないだろう。おそらく最悪の事態だ。だからといって我々がすることは変わらない。私たちは、ここに何をしに来た?」
 咳き込んでいたケイジが止まる。ただ、呆然とやり取りを見ていたユーレの瞳に光が灯る。
 それは自分たちの意識ではなく強制だった。だが、その思いは強く持っていたのではないか。
 政府が手出しできないような悪の巣窟。
 そこを、完膚なきまでに破壊する。
 ユーレはただ自分の力を示すため。ケイジやローザも正義のためではないだろう。
 それでも。目的は一つ。
「ローザの力の波長は覚えた。これであいつの居場所はたどって分かる。いくぞ」
「偉そうに……言うな」
 腹を押さえつつ立ち上がるケイジ。揺れる体を抑えたのは、ユーレの肩だった。
「ケイジ。今はローザのことが第一だ……イオスにつっかかる余裕はない」
「捕まるほうが悪いんだよ、あの馬鹿女が」
 ケイジはユーレから離れると何度か腹をさする。ゲイオスはすでに歩き始めていて、遠ざかる背中が「早く来い」と誘っていた。ユーレは刀を持っていつでも臨戦態勢に入れるようにしてから歩き出す。ケイジはまだよろめいていたがその後をついていった。ゲイオスに向かっていかないところから、事態の深刻さは分かっているのだとユーレは口に出さずほっとする。
(ここで争っていても仕方がない。今は、ローザを助けなければ)
 そして、ゲイオスの力の秘密を探らなければ。
 ユーレの頭にあるのはその二つだけだった。ローザの綺麗さ、身体つきの良さはケイジもユーレも分かっている。だからこそ『廃街』の者達に汚されるのは納得がいかなかった。
「必ず助けるぞ」
 ユーレが呟くと、ゲイオスが立ち止まる。
「歩いていくのも面倒だな」
 ゲイオスはそう言って拳を突き出すと、そこへ黒い靄が集まっていく。一歩前に踏み出して、右拳を振り切った。するとその軌道が拡大されて前方を覆い尽くす。
 結果として、進行方向にある建物が全て吹き飛ばされた。
(何を――!?)
 ユーレは両手で顔を覆いつつケイジの方を見る。視線が交錯したことからも、彼もゲイオスの行動の意味を図りかねているのだろう。しばし続いた爆風を耐え切って視線を戻すと、数キロ単位で眼前の光景が更地と化していた。そして、そこに横たわる死体の連続が見える。
「刺客に襲われるしな」
 右拳に息を「ふっ」と吹き替えてゲイオスは笑う。ユーレは余りにも現実味が無く分からなかったが、今、ここで大虐殺が一瞬で行われたのだ。だが、その手を汚した本人は全く意に介さず進もうとしている。
 ユーレの背筋を冷たい汗が流れ落ちていく。
「行くぞ。ローザの気配を捉えた。傍に寄れ」
 ゲイオスの問い掛けにケイジは頷いて歩いていく。先ほど叩き潰されたことには怒りを覚えているようだが、ローザを優先したらしい。だが、ユーレは足が動かずその場に立ちすくんでいた。
「どうした?」
 ケイジの言葉にも返すことが出来ない。何が自分をここまで恐れさせているのか。それさえ分からずに、ただユーレは立ちすくむ。ぶれる視界。映るのは、灰色となった荒野と、ゲイオスの姿。
(イオス……イオス……)
 名前を呟く。それはまるで呪文のようだ。一言呟くたびに、ユーレの身体を縛り付け、重くしていく。最初は四肢を。やがては心臓を潰してしまうような、圧倒的な力。ユーレは首が締め付けられて息が出来なくなる。
「ユーレ?」
 ケイジが異変に気づいて傍に駆け寄り、肩を揺さぶったところで硬直が解けた。
「呆けるな。行くぞ」
「あ……ああ」
 ケイジに手を引かれてふら付きながらもユーレは足を踏み出した。
 一瞬、脳が揺さぶられるような衝撃が襲ってきたように思えた後で、ユーレはいつの間にか閉じていた目を開いた。目に入ったのは煤で汚れた部屋。個人の部屋だったのか、壊れたガラスや割れた机、一人用のベッドが粉々に砕けている。特に、ベッドをそうだと分かったのは白かっただろうシーツが見えたからだ。
「この下にローザがいるみたいだな」
 ゲイオスは特に興味もなさそうに言い、周囲を見回した。ケイジは既に臨戦体勢なのか、身体に力がみなぎっている。ユーレは、頭を軽く振って刀を抜いた。
 それでも、震えは止まらない。
(なんだ。何故震えてる? ローザを助け出すことか? それとも他の何かか?)
 ゆっくりと息を吸い、吐き出していく。血の匂いを含んだ空気ではあったが、体内の淀んだ空気を追い出すだけでも震えは止まっていく。一つ一つ、怖れていないものを確認していくことで気分を落ち着かせる。
 そして、最後に残ったものに、再び震えた。
「行くか。さっさと助け出して帰るぞ」
 ただ散歩から帰る前に一仕事しよう、というように語るゲイオス。その背中を、恐怖とともにユーレは見ていた。
(俺は、ゲイオスに恐怖している)
 恐怖の対象を認めたユーレに訪れたのは、震えが止まったことと恐怖が沈殿したこと。
 何に自分が恐怖していたのか。
 恐怖を、していたのだと理解したことでユーレは自分と折り合いをつける。そう出来たのならば、次の段階に進むべきだと。
(ローザを助ける。まずはそれを終わらせる)
 次は、その後でいい。階段をゲイオスの後ろについて降りていく間に考えをまとめる。仮にまとめられなくても、張り詰めていく空気の中で嫌が応にもユーレの気持ちを切り替えさせた。
「来るぞ」
 ゲイオスの何気ない一言から生まれたように、冷えた空気が鮮やかな殺気で彩られる。
「来たぁ!」
 ケイジが一瞬で身体を赤く染め、周囲にエネルギーを撒き散らした。ゲイオスやユーレまでも巻き込むように放射される破壊エネルギーを何とかかわしたユーレだったが、建物全体が爆発して外に弾き飛ばされる。地下にいるはずのローザさえも押しつぶそうとしているようなケイジの行動に、宙を舞いながらユーレは悪態をついた。
「あの馬鹿が!」
 だが、自分を弾き飛ばした光が更に強まり、火柱のように天に突き上がる。
 体勢を立て直して着地すると、崩れゆくビルから飛び出してくる数人の影。それぞれに凄まじいパワーを手に集中させてユーレに向けてくる。ユーレは刀を合わせて意識を集中する。
(俺は出来る……出来る!)
 自分の力を最大限に引き出すため、暗示をかける。閉じた視界。暗闇の中に灯る炎を全て切り払うイメージをはっきりとさせて、具現化する道を示す。
「砕!」
 目を見開いて渾身の力で刀を振る。飛び出した軌跡が、飛び込んできた六人の敵を同時に吹き飛ばしていた。
(さっきと同じ感覚……もう負けない!)
 ユーレは目を閉じたまま殺気の方向へと移動して刀を振るう。一つ。また一つと手ごたえが増えていき、六つ目のそれを斬ったところで瞼を開く。六体の死体。その姿は人間と同じ。一般民と違うのは手に持っている殺傷能力の高い幅広な刀身を持つ剣だった。
「ケイジとイオスは……」
 視線を向けると、崩れ落ちた建物から火柱と共に飛び上がる二つの影。ケイジとイオスに間違いはない。
(良かった)
 二人の無事を確認したところで、手にかけた六人よりも更に強いパワーを感じ、ユーレは身構えた。周囲に気を配りながら後ずさりをして、背中を建物の壁に預ける。こうすれば、敵が来るのは前方からだけとなる。
「来い! いるのは分かっている!」
「もう目の前にいるぞ?」
 返ってきた声に驚く暇もなく、ユーレの身体は宙へと跳ね上げられた。腹部に広がる激痛。感触からいって膝蹴りを叩き込まれたのだろう。アバラ骨が二本折れたことが音からも理解できて、ユーレは実際の痛み以上に顔をしかめた。
(くそ! 姿が消えるなんて――)
「消えてるわけじゃない。お前が知覚する前に移動している」
 今度は背中から聞こえる。次には、両手を合わせて背中に叩き付けられた。上に飛ばされていたことでの交差法で威力が増す。ユーレの身体は耐え切れず、口から洩れた血が顔を染め上げる。
「――ぁ!」
 痛みと息苦しさに意識を失いそうになるユーレ。このまま叩きつけられれば間違いなく身体中の骨は粉々になり、一命を取り留めたとしてもとどめを刺されるまでの時間が少しだけ延びる程度だろう。薄れゆく意識を貫くように落下中の風の流れが顔を打つ。
 その中で、鼻に詰まる血をユーレは何とか拭い取った。息苦しさから解放されるとほぼ同時に身体を回転させて体勢を立て直す。身体を丸めて意識を集中し、全身にパワーをコーティングする。重力によって加速し、落下地点がすぐ傍まできていた。
「うおああああ!」
 咆哮と共に噴出すパワー。それを緩衝材にして着地する。それでも痺れが身体中を覆い、ユーレは痛みに歯を食いしばった。だが、すぐさま上から降ってくる殺気に反応して刃を突き立てる。
 結果、鈍い手ごたえと共に串刺しになる敵の姿があった。体躯はそれこそユーレの刀と同じくらい小さい。喀血がユーレの胴体に降り注ぎ、数秒後に動かなくなった。
「――ふぅ」
 しばらく刀を掲げたままでいたユーレは、息を吐きながら真横に倒す。串刺しになっていた死体も遠くに飛ばされ、慣性を利用して起き上がる。油断なく周りを見回しても敵意は無い。
「イオス! ユーレ!」
 轟音が響く中で周囲に呼びかけるも、応答は無い。今崩れた建物の下にローザがいるはずだと当たりをつけて、ユーレは瓦礫埃が舞う場所へと突入した。粉塵をかき分けて進むと、すぐ違和感に気づいた。
(空気が流れている)
 拡散するのではなく、どこかに集中している。それは空気が吹き込む穴があるということだ。
(――穴)
 その考えに至り、ユーレはある方向へと足を進めた。しばらく足を動かした結果、あの赤い光が立ち上った場所へとたどり着く。
「思ったとおり。風が入り込んでる」
 一つ、唾を飲み込んでから一気に穴へと飛び込んだ。
 数秒の落下感。風が身体の中を通りぬけて、細胞全てを運び出してしまうのではないかという不安を覚えるほど、ユーレの身体は冷えていった。しかし、不安が恐怖に至る前に、剥き出しの地面が見えて着地の態勢を取る。地面についた瞬間に身体に来る衝撃を流すために転がり、二度前転を繰り返してから立ち上がる。周りに危険がないかを確認してから身体をまさぐって傷を確かめる。かすかに擦り傷がある程度で、特に障害はない。
「……でかい地下だな」
 呟いて、声が反響することに更に驚く。滞空時間から考えて、ある程度下まで落ちたということは分かるのだが、空間の広がりまでは予想できていない。
 言葉はそれまでで、刀を抜いてからゆっくりと歩きだす。反響を抑えるために歩法をすり足気味にして、体重移動の仕方を変えることでほとんど音を立てずに進むことができる。
 広さはあるが、しかし迷うほど入り組んではいない。やがて、木の板で作られた小屋が見えた。刀を握る手に力を込めて、一気に走る。
 入り口の前で刀を振りかぶり、中に飛びこむとゲイオスとケイジが立っている。
 ケイジは呆然と。ゲイオスは腕を組んでただ立っている。
「ケイジ……?」
 ゲイオスには尋ねない。ユーレの方を向いたケイジの顔に浮かぶ憔悴が、正確な現状を知らせてくれるような気がしたからだ。
「どうし――」
 一歩踏み出したところで、見えた。
 千切られた服がかすかに残っている程度の、ローザの姿が。
「ローザ……」
 ユーレは一歩、また一歩とローザへと近づく。しかし、呼びかけに答えることもなく、細い肢体を隠そうともせず身体を硬直させている。少しだけ早足になってローザの下へとたどり着くと震える手でそっと肩に触れた。
 死の温度。
 冷え切った四肢は変色を始めているのか、青くにじんでいる。
「はっはぁ……お前達が、侵入者か」
 誰もいなかったはずの空間にぞくぞくと人影が現れる。ユーレやゲイオス、ケイジを囲むようにして、床からせりあがってきた。その数は三十。今までとは違って仮面はつけておらず、その凶悪な顔をそれぞれさらしていた。
「その女。具合良かったぜぇー。十人ほどくわえ込んだところで声出さなくなったからいつ死んだかしらねえけどな」
 一歩前に出て口を動かしながらユーレに近づいてきたのは、黒い長髪を後ろで縛った男だった。猛禽のような二つの瞳に、細い鼻。顎には短い髭が生えており、左手でそこを何度も撫でている。
 呆然としているユーレの前に立ち、卑しく笑う。
「女には十分楽しませてもらった。食後の運動に付き合ってくれ」
 振り上げられる拳。返事を待たずに一直線にユーレの顔面へと吸い込まれる。
 だが、拳は彼の顔の横を通り過ぎただけだった。
「なに?」
 顔を狙ったはずの一撃がずれたことで男は危機感を感じ、後ろに下がろうとした。だが、その場に縫いとめられてそれはかなわなくなる。
「ぐ……がぁああああああ!」
 引かれたのは左足。そして、右足は刀によって貫かれていた。あふれ出る血と共に音がついてくるように男は思えただろう。
 それも一瞬のこと。次には首と共に永遠に意識が無へと飛んでいった。
「お前ら、皆殺しだ!」
 ユーレの咆哮によって、彼らを取り囲む敵達が一斉に殺気を解放した。
 ユーレだけではなくケイジやゲイオスにも敵が向かった。ケイジは身体を赤く光らせ、ゲイオスは腕を組んだまま。対照的な態度はしかし、同じ結果を導き出す。
 ケイジの拳は向かってきた一人の腹を貫き、ゲイオスの蹴りは敵の股から頭までを真っ二つにして吹き飛ばす。ケイジはまだしも、ゲイオスはその場で足を振り上げただけ。敵達もゲイオスの異常さに気づいたのか標的をケイジに絞り、それからゲイオスを倒そうと決めたようだ。ユーレに向かった十人以外――死んだ二人を除くと十八人。標的になったケイジは距離を取ろうと後ろに飛んだが、そこについていったのは八人になっていた。
「なに――?」
 一瞬で消えた十人。何が起こったのかケイジにも分からず、そして追撃していた残りの者達も分からない。互いに立ち止まり、周りをさぐる『廃街』の者達。
 困惑を斬り裂いたのは、ゲイオスの声だった。
「残りの奴らは遠くに飛ばしておいた。思う存分やりな」
 そう言って腕組みを解くと、ゲイオスはローザが倒れていたソファに腰をかけてあくびを一つする。そのまま目を閉じて深く息を吐いた。
「貴様……馬鹿にしているのか!」
 ケイジへと迫ろうとしていた内の一人がゲイオスへと飛び込む。手には長刀。光を帯びているのは恐らく手にしている者がエネルギーで覆っているのだろう。切れ味は十分だとケイジやユーレは考えた。一度振り切られれば、ゲイオスの首は間違いなく飛ぶだろう。
 だが、飛んだのは刺客の首だった。
 ゲイオスはまた腕を組んで目を閉じている。明らかに寝ている態勢にも関わらず、何らかの力で彼は身を守っている。
「ほら。さっさと殺しあえ」
『う―――おぁおおおお!』
 それは恐怖か。それとも別の何かか。
 ユーレとケイジへと、殺意が暴風となって押し寄せた。
「来いやこらぁああ!」
 ケイジが咆哮と共に飛ばした気弾が殺到した五人の腹を突き破る。黒い血が撒き散らされる中を更に疾走してくる敵たちに対してユーレも刀を素早く振った。生じた不可視の刃が肩や足、そして首を飛ばしていく。あたりは一瞬で血の海と化していった。その中でもゲイオスは目をつぶり、あくびをしながら睡眠をとっている。
 たまに飛んでくる敵や血は彼の周りに折り重なっていく。見えない壁に防がれているように、ある範囲からゲイオスへと近づくことが出来ていなかった。
 ユーレはその謎を解明したかったが、次々と襲い来る敵に意識を奪われて対応できない。
「おらぁ!」
「殺す殺す殺す殺す殺す!」
「ひゃーーーはははははは!」
 もうユーレには相手の姿は見えていなかった。視界に映るのは敵の身体の一部。見える手足の位置から想像して、刀を身体へと食い込ませていく。切った相手が生きているのか死んだのかを確認せず、ひたすらに斬っていった。
 どれくらいの時間腕を振っていたのか分からない。
 腕が重くなってきたその時、ユーレは視界の端に映る青白い光を感じた。
(なんだ――)
 一瞬だけ意識を向けた、それが隙になった。
 脇腹に感じる痛みを抱えてユーレは高く飛ばされていた。
(蹴られた、か……)
 脇腹の痛みと息の詰まり。かすむ意識の中に聞こえたのは、多数の絶叫だった。
 吹き上がる突風。後を追い、抜かしてきたのは白い光だった。ユーレは光が運ぶ死の匂いを嗅ぎとり、意識を覚醒させる。刀を身体の近くに引き寄せて力を込めると、一気に振り切る。生まれた推進力がユーレを光の外へと弾き飛ばす。
 自ら生み出した力で吹き飛びながら、立ち上る光の柱を見ていた。これまでも何度か見ていたが、それらとは全く違う。
(これは……)
 ユーレは何度かこれを目撃していた。記憶の中にある同じものを引き出して、顔に笑みが広がっていく。
「ローザ!」
 中空にいたまま体勢を入れ替えると、落下が始まった。共に上がった瓦礫や、すでに意識を永遠に溶け込ませた敵の姿が何人も見える。それらに次々と飛び移りながら下降していくと、消えていく光の発射点に見覚えのある人影があった。先ほど呟いた名前。それを冠する主。無残な肢体をさらしていたとは思えないほど、彼女は凛々しく空を――ユーレを見返していた。
 ローザの手には自らのパワーを具現化させた光の杖。丸く形作られた先は更に眩く輝いていて、自らを押し上げた光がそこから発せられたことが分かる。しかし、分からないのは先ほどボロボロの上体で発見されたはずのローザが、特に変わらない格好で立っていること。
 服も黒のパンツと上は長袖のシャツという、ここに入った時の服装とは違う。服を取り替える事態になったということで、ユーレはやはり最悪の事態を想像してしまった。
 瓦礫に次々と飛び乗っていき、無事に地上まで降り立ったところでローザが走り寄ってくる。
「ユーレ! 無事でよかった」
「それはこっちの台詞だ! なんで服が変わってる!? まさかあいつらに――」
 肩を強く掴み揺さぶるユーレに、ローザは笑いながら手を離そうとする。
「大丈夫よ。あんなやつらにヤられるわけないでしょう?」
 その言葉に緊張の糸が切れ、ユーレはだらりと両手を下げる。そのまま座り込んでしまいそうになるが、敵地の中ということもあってそれは耐える。
「でも……あのローザは?」
「それはこれよ」
 ローザはまだ具現化していた光の杖を一振りする。すると前方に粒子が流れていき、彼女と同じ高さの輪郭を形作っていく。
「これは……」
 ユーレが唖然としている間に粒子はローザの姿へと変わり、その場に立った。
「私の【魔法】で作った分身。一緒に攻撃できたり、さっきみたいに爆発させたりできるのよ」
「さっきの光はこれだったのか……」
 視線をぼろぼろだった【ローザ】がいた場所へと向けると、爆心地だったために荒れようが酷く、そこの景色は完全に平坦となっていた。
 杖を一振りすると【ローザ】は消え去った。そのまま光の杖も消え、あたりに静寂が戻る。
 生きるものを死に絶えさせたことで起こる、死の風が穏やかに吹く。灰色の煙と赤い血の匂いが混じっていた。
「イオスと、ケイジは……」
「さあ。多分あの二人なら生きてるんじゃない?」
 それだけ言うとローザはその場から去ろうとする。ユーレは慌ててその背中に声をかけた。
「お、おい。二人を――」
「汚れちゃったし。早く帰ってお風呂に入りたいのよね」
 ユーレの言葉に耳を全く貸さず、歩みを進めた。その瞬間、爆発音が轟いてローザへと降り注ぐ。唖然として落ちてくる瓦礫を見た彼女だったが、すぐに手をかざして魔力を解放する。
「爆!」
 短い言葉。それに見合うかのような最小の威力で自分を覆い隠そうとする瓦礫を吹き飛ばす。彼女を避けるかのようにちょうど周りを取り囲むように落ちていった。
 爆発による熱気も消え、辺りには静寂が戻る。そんな中をローザとユーレに向けて発せられる声が届く。
「考えなしにあんな大規模魔法を使うな」
 出てきたのはゲイオスと、彼に首をつかまれて引きずられているケイジだった。身体中を煤で覆っているケイジとは違い、ゲイオスの身体は朝起きた時に着た服と変わらない色合いだった。
(あれだけの爆風を、完璧に遮ったということか)
 攻撃を防御するというのはさほど難しいことではない。身体の周りに障壁を張るというのはパワーを自在に操ることが出来る者なら誰でも扱える技能。
 基本的な動作だけに、実力の差がもっとも現れる時だ。
「とりあえず、作戦は終了だな。もう日が暮れる」
 ゲイオスがそう言うと同時に、周りに殺気が満ちた。
「このまま逃がすと思っているのか……」
 四人の周りに現出したのは数十にも上る殺気。そのうちの一人がそれらを代表し、呟いた。その言葉は空気を震わせて、ユーレ達の背筋を波立たせる。
(こんな数……相手に出来るのか?)
 ユーレは刀に手をやりながら考える。ローザもそろったことで攻撃の幅は広がった。三人が組めばかなりの力を発することが出来るだろう。それでも、及ばないであろう数だった。ケイジやローザも表には出さずともユーレと同じような思いを抱いているのか、緊張感が高まっている。
(駄目、か?)
 完全に包囲されている状況で、突き進むしか手はない。しかし、逃げ切る前に殺される映像しかユーレの脳には浮かばなかった。ケイジもローザも徐々に顔に焦りが広がる。それを周囲も分かっているのか、顔に醜い笑みを浮かべて包囲を狭め始めた。
(くそ――)
 半ばやけになりながら刀を抜くユーレ。ケイジとローザもそれぞれ構えて待ち受けた。共通するのは悲壮感。
 その中で、彼は違った。
「ゴミがいくら沸いても無駄だぞ」
 ゲイオスの声に混じっているのはあからさまな怒気。自分の行く手を阻む相手に容赦しないという強い気持ち。避けるのではなく叩き潰す。そんな意思力をユーレは感じて身体を振るわせた。
(……恐ろしい男、だ)
 背中を伝う汗を意識せずにはいられない。視線を泳がせるとケイジとローザも顔を青ざめさせたまま立ち尽くしていた。
「貴様らは負けたんだよ。この三人と私にな」
 一歩前に踏み出すと殺気も騒然となって後退した。ユーレの感覚でちょうど一歩分。図ったようにくっきりと。
「これはお前達『廃街』と我々の闘いだった。今までの結果から見ても貴様らの負けは明らかだ。この後に及んで醜く抵抗するな」
「……これは試合じゃない。殺し合いだ」
 ブン、と物体がぶれる音と共にユーレの右隣に現れる人影。手には幅広い刀身を持つ剣。両手持ちのそれを思い切り振りかぶってゲイオスへと振り切った。切りつけるというよりも、叩きつけるという力で。
 しかし――
「弱い」
 耳を抉る音を響かせて刀身は粉々に砕け散った。空間自体が破裂したような衝撃にユーレも他の二人も耳を抑える。そうしなかった敵は耳から赤い液体を飛び散らせて大きくのけぞっていた。
「がぁあああ!」
「この剣のように――」
 突き出されるゲイオスの拳。その名を持つ殺傷武器はのけぞってゲイオスへと晒している腹へと突き刺さり、背中まで抜けていった。腹に開いた穴の隙間から、敵の口からほとばしる鮮血。
「砕け散れ!」
 一瞬で炎に包まれる身体。それも数秒の後に消えうせて、残ったのは地面に落ちた消し炭だった。
 風が吹いて灰が舞い上がっても、その場を動く者はいなかった。あまりにも淡白な惨劇。現実味が薄く、誰も次の行動をどうしたらいいのか分からない。ただ一人、ゲイオスは自分の教え子達に声をかけた。
「帰るぞ。ついて来い」
 返答を待たずに歩き出すゲイオス。その背中に引っ張られるようにユーレは一歩を踏み出した。じゃり、と小さい石を踏む音が空気を震わせ、ケイジとローザも促されて進みだす。早足でゲイオスの後ろに付くと更に移動速度が速くなる。同時に周囲の殺気も復活する。
(このままじゃまた襲われるんじゃ……)
 ユーレはそう思い緊張するが、次の瞬間には身体が急激に空へと舞い上がるような感覚に襲われた。
 実際に、身体が強い力で上空へと誘われる。
「な――」
「では、帰ろうか」
 ゲイオスの言葉が最後の一押しだったのか、視界がぶれた。
 視界が回復すると、ユーレの視界には街並みが広がっていた。所々から黒煙が上がり、特に最も視界の奥にある部分には巨大なクレーターが広がっている。自分がどこにいるのか分からずに周囲を見回すが、ケイジとローザも何が起こったのかわからずに困惑している。
「さあ、さっさと帰るぞ」
 ゲイオスは構わずまた歩み始める。進行方向を見てようやくユーレは気づいた。
「廃街の、外か」
 空を黒く染めている黒煙は全て、自分たちが立ち上らせたものだった。ゲイオスの瞬間移動はここへ来る前に体験しているはずのユーレ達だったが、追い詰められた状況下でこうも簡単に脱出できることが嘘のようで、頭が受け入れていなかった。
「そうだ。一つ、忘れていた」
 ゲイオスの歩が止まる。振り返ると同時に流れる風。
 向かう先は、『廃街』
「吹き荒れろ、嵐」
 次の瞬間から数分かけて起きたことを、ユーレは頭に、心に刻み付けられた。
 自分達が先ほどまで悪戦苦闘していた『廃街』が、巻き起こる風に飲み込まれていく様。圧倒的な力によって蹂躙され、死体が舞い上がっていく様子はユーレの頭に一つの言葉を想起させる。
「……地獄」
 断末魔の叫び。怒号。悲鳴。負の感情を撒き散らし、飲み込み、吸収する竜巻は一度収縮した後で、爆発した。
 竜巻が消え去った後には、何も残らない。
 街が形成されていた場所は綺麗なクレーターが出来ていた。最初からその形であったかのように。
(イオスには。最初から簡単なことだったんだ)
 自分達を連れてきたのは、言葉通り教育のため。自分ならば一言二言呟けば終わることだったが、あくまで三人の教育のためにつれてきた。
 圧倒的な力の差。それはもう疑いようのない事実。
「イオス……」
 身体が再び震えだす。恐怖が再び心を覆う。
 この事態を脱してから恐怖と向き合い、ゲイオスと戦うつもりだったユーレ。しかし、その想いは繰り広げられた光景によって、へし折られた。
「なんだ、その目は」
 いつしかイオスが自分の目が見ていることにユーレは気づく。周囲を見ると、ゲイオスへの恐怖を隠さないケイジとローザがいた。
「唸れ嵐」
「な――」
 冷徹な言葉に似合わぬ暴風が吹いた。拡散せずにユーレの腹部へと集中していく。拒もうにも身体は全く動かなくなっている。
 手足が、いつしか風に縛られていた。
「爆ぜ割れろ!」
 次の瞬間、ユーレの身体は吹き飛ばされていた。血しぶきを巻き上げながら。
「何をする!」
 恐怖に縛られていたケイジは叫び、身体中に紅い闘気をまとう。戦闘体勢を整えて飛び出そうとした瞬間、ゲイオスの右手が振り切られた。巻き起こった風がケイジを直撃し、そのまま高く舞い上がる。
「ぐあぁああ!?」
 ユーレと同じように、身体中から吹き出す血。数十秒もの間、空を舞ってから大地へと叩きつけられ、ケイジは目を閉じた。
「ああ……」
 ローザは一瞬で行われた戦闘――戦闘にすらなっていない、一方的な暴力に身体の自由を奪われている。ゲイオスは彼女を一瞥すると、まだ空にいるユーレへと視線を移して叫んだ。
「今日の授業。最低はお前だ!」
 突き出した手に集まる黒き光。拳へと収束してジジジ……と小さな虫が立てる羽音のようなものが辺りを覆いつくす。ゆっくりと腰だめにする右手。
「はっ!」
 右足で踏み込み、突き出された拳から放たれる黒閃。向かう先のユーレはまだ体勢を整えることが出来ずに驚いたままの顔で迫り来る殺意を見つめていた。
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