モドル | モクジ

● 総統の教室5  ●

(し、死ぬ……!?)
 ユーレは拡散していた意識をようやく立て直す。眼前には間違いなく死を持ってくる黒い光。咄嗟に両刀を抜いて交差させるとぶつかる寸前に刀を思い切り外側に振りぬく。
 腕は胸の前から開こうとするが、光に押されて動きはすぐに止まる。止まらないのは威力に押された身体だった。支える物が何も無い空の中、ユーレは押し寄せる圧力を受け止める刀を上へと強引にそらそうとする。
「うぉおおお!」
 力を込める掌に激痛が走る。巨大な力で両手を引っ張られているように千切れそうになるも、ユーレは骨の軋みを聞きながら上へと押し出した。
 弾かず、力の軌跡を変える。それだけでユーレの身体は下へと急降下していく。必滅の光を回避できたのは誇るべきものだったが、次に訪れるのは地面に叩きつけられることによる衝撃での内臓破裂。ローザによって吹き飛ばされた時よりも高い地点からの落下に体感している風だけで切り裂かれそうになった。
(なんとか……着地を!)
「心配する必要はないぞ」
 声に振り向いた瞬間に、腹部に走る熱さ。身体が九の字に曲がったために、見えたのはゲイオスの拳。いつの間に移動したのか、と吹き飛ばされていく間にユーレは脳の片隅で考えた。
 瞬間移動など、ゲイオスには簡単なことなのだ。
(でも……何故――)
 意識を失う瞬間に、身体が急に止まる。弾力のある何かに包まれたように勢いが止まっていき、次には前に投げ出されてユーレは地面へと転がった。
 腹部の痛みは消えなかったが、後ろに突然現れた柔らかい何かによって守られたとユーレは知り、ゲイオスの存在も忘れて振り向いた。衝撃を抑えたものは四肢が折れ曲がったローザ。すぐに溶けて消え去ったが。
「これも、ローザの……?」
「ユーレ!」
 名を叫ぶローザの身体は震えていた。視線はユーレの先に居る男を見ているのか、固定されたまま口を開けている様は整った顔立ちのローザを辱めていた。その間も足音がゆっくりと近づいてくる。
「ローザに気を取られている時間等無いぞ」
 背中を向けたまま刀を抜き、ユーレは飛び退きながら両刀を十字に構えてゲイオスと対峙する。顔に浮かぶのは圧倒的な力への恐怖だ。
「なんだその顔は。くだらん」
 ユーレとは反対に、ゲイオスの顔に広がるのは怒り。小さい虫を前にしてその無力さに感じる、呆れを通り越した先にあるもの。
「だからお前は失格だ。特別授業を開始する」
 ゲイオスから広がる闘気。徐々に周囲を侵食していく力はユーレやローザ。遠くで倒れているケイジまでも飲み込んでいく。塗り替えられていく世界。
「全力で抵抗するがいい」
「どういうことだ! 何故俺だけ!」
 ユーレは困惑しつつも構えを解かなかった。目の前から来る圧力に抗うために両足に力を込めるも、それが精一杯で動く事が出来ない。ゲイオスはそんなユーレに侮蔑を込めた視線を向け、一歩ずつ近づいていく。
「どういうこと? お前が弱いのは頭もか。もう少し回転が速い男だと思っていた私の見込み違い、ということなのだろうな」
 右拳を左手で包み込んで鳴らす。もう一方も同じように。最後に両手ばらばらに指を鳴らし終えた頃には、ユーレの前に立っていた。一本一本、指が折られていく。
「お前の望みは何だった? 強くなること、そうだったな」
 左の拳が作られる。力を込めた瞬間に放電するような音が聞こえ、ユーレは顔をしかめた。
「だがどうだ。お前は、弱い」
 右の拳。左手とは違い、指が一本折られるごとに周囲の空間が吸い込まれるような引力をユーレは感じる。少しずつではあるが、つま先の位置が前にずれてきている。
「何故弱いのか分からないか? お前の罪はそれだ」
 両手を掲げ、空いている空間に出現する漆黒の球。周囲の空間を全て飲み込んでいきそうな力。引き寄せられる引力が増す。
「無知こそ、最悪の罪だ。ユーレ」
 ユーレの目がコマ送りのようにゲイオスの動きを捉える。自らを待つ死の瞬間まで時が動いていった。
 ゲイオスの力が具現化する。黒い布が彼の身体を包みこむのと前後して、発せられる圧力が強くなっていった。ユーレは耳の中に入る地鳴りに顔をしかめたが、実際のものなのか恐怖が錯覚させるのか分からない。
(たとえ実在しなくても……そう感じさせるほどの……力!)
 ユーレは痛みを堪えて刀を構える。自らの力を両腕に集中させて、両腕を防御すると共に筋力を高めた。これで、真正面から打ち合えるはずだった。
「死ね」
 後ろから聞こえる声にしゃがみこむ。上を薙いでいった何かを視認出来ないまま後ろに向けて斬撃を放った。不安定な体勢からにも関わらず、刀とゲイオスの足がぶつかり合った音は大地を叩き割るような爆音を響かせる。
 それでも、受け止めたゲイオスの足は動かない。片足を上げた状態にも関わらず、ユーレの一撃は完璧に受け止められていた。
「軽いな」
 ゆっくりとゲイオスは足を下ろす。ユーレは彼の顔を見上げ、落ちてくる視線を受け止める。黒い瞳にあるのは殺意。それ以外にユーレに読み取れるものはなかった。
「お前の刀は、軽い」
「俺の、刀が?」
 ゲイオスの言うことが理解できず、問いただそうとする前に視界がぶれた。気づくこともなく脇腹に喰らったゲイオスの右足。空と大地を交互に移す中で、なんとかゲイオスを見失わないようにと視線を彷徨わせるユーレ。障害物に背中がぶつかり動きが止まる。
「お前に足りないものを、教えてやる」
 障害物――ゲイオスが振り下ろしてきた拳がユーレの顔を大地に陥没させていた。
「ユーレ。人が力を発揮するのはいつだと思う?」
 顔面が打ち付けられたユーレに向けて語るゲイオス。聞こえているのかそうではないのか、倒れたまま身動き一つしない。しかし気にする様子も無くゲイオスは続けた。
「それは誰もが言うことだろうが『大事な物のため』だ」
 ぱら、と衝撃で粉と化した大地の欠片が落ちる音。ゆっくりと蜻蛉のようにふら付きながら、ユーレは立ち上がる。膝が震え、刀を握る手もどこか弱弱しい。
「何を……くだらない……」
「くだらないか? 誰もがそう言うだろう。青臭い主張は他者からののしられる良い材料だからな。否定することで自分も周りと同じになる。排斥される心配も無い」
 ゲイオスは右拳を作ると後ろに引き、前に突き出した。その空間にあった空気が押し出され、そのまま固まりとなりユーレへとぶつかる。突き飛ばされるような、小さな威力に倒れはしなかったが、動く事が出来ない。
「俺から教えること、その一。受け取れ」
 今度は徐々に黒き力が右拳に集められる。その威力は放たれる前からユーレの肌を焦がし、心を燃やす。
「くっ!」
 刀を交差させて受け止める体勢。足にまだ力が入らないため回避は不可能。残るは受け流すしかない。しかしゲイオスは固い口調のままで言葉を紡ぐ。
「お前の刀は軽い。受け止められない」
「俺が大切なものが無いからか? はっ! 俺は強くなるんだ! 強くなるためにここまできた!」
「何のために?」
 平然と問い掛ける。
 ゲイオスの問い掛けの意味が分からず、ユーレはただ叫ぶ。その姿をローザは獰猛な野獣にも、また駄々をこねているだけの子供のようにも見ていた。
「何のために!? 強くなるためにだ!」
「だから、それは何のためだ?」
 論理が渦を巻いている。それもその場に留まるだけの。さすがにその無意味さにユーレも気づいた。強くなるのは強くなるため。理由と目的が一つとなり、どこにも行くことが出来ない。
「強くなるために強くなる。それもまた道だろう。だが……目的なき手段は脆い」
 ゲイオスは身体を低くして右拳を後ろへと突き出すように構える。右腕が骨があることを忘れて一回転してしまうような危惧を、ユーレは対峙しながら抱いてしまった。命が危ないのは自分かもしれない時に。
「ぉおおおおおおああ!」
 その時は一瞬でやってくる。熱く黒い風がユーレへと押し寄せる。それが恐ろしいのは熱は感知出来るが外見を見ることが出来ない――つまり、黒いという色は完全にユーレの想像だった。不可視の弾丸を感じ取り、受け止めるために全神経を集中させることで見えた虚像。ユーレは一つの確信を持って前に足を踏み出した。恐怖で縛られていた足は重りを外されたかのように軽い。
 ゲイオスを前に、ユーレは自信を一つ取り戻していた。
(そうだ……俺はいつの間にか、イオスに頼っていた。精神的に)
『廃街』での戦闘。途中から後は、自分も闘ってはいたが危機になればすぐに彼に頼るようになっていたことを思い出す。
(そうだ。俺は強くなるんだ。強くなるためには……自分で戦うしかない!)
 圧力へと飛び込む。二振りの刀を交差させて感じる中心へと叩き込む。右足の踏み込み、渾身の一撃を放った。
「おぁああ!」
 両手に血管が浮き出るほどの力み。そして――


 鈍い音が二つ、響いた。


 砕け散った破片が顔を掠めていく。避ける暇も無く前のめりになり、頬や額を切り刻まれながらも、ユーレは目の前だけを見ていた。体勢が低くなったことでゲイオスが放った不可視の波動は背中をかすめて後ろへと飛んでいく。血が飛び散る視界にいるのはゲイオスのみ。右腕を突き出した姿勢で固まっている彼をユーレは地面に倒れるまでずっと見ていた。
「――がぁ!」
 倒れた瞬間に迫ってきた痛み。胸を強打したことと顔に刻まれた裂傷からの痛み。混ざり合い、より強烈にユーレの精神を侵していった。
「その両手が、お前の信念の結果だ」
 ゲイオスの言葉に従うように、ユーレは右腕へと視線を落とす。刀身が全て砕けた刀。かろうじて柄と繋がる根元部分が残っているのみで、武器としての命は完全に奪われている。体が動かないため顔も左側へと向けられないが、同じような状態だとは容易に想像できた。
 もう、刀はないのだ。
「この……刀……」
 ユーレは起き上がろうとして胸部に激痛が走る。『廃街』での戦闘で痛めた箇所が更に悪化する。刀を持ちながら胸を抑え、左手を大地につけながら体を支える。ようやく視界に入れた左の刀も、予想通り根元まで完全に砕けている。
「俺の……刀が……」
「どうした? そんなに大切なものだったか?」
 ゲイオスの言葉に含まれた侮蔑。ユーレの身体に注がれた悪意は吸収され、相手に対する憎悪として還元される。柄を握る手に血管が浮かび上がった。
「この刀は……俺が小さい時にもらったものだ! 大切な……大切な!」
 一歩足を踏み出すごとに身体中に痛みが広がる。だが痛みも徐々に消えていった。怒りが肉体を凌駕し、幾つかの意識を残して不要な情報を排除する。歩みを停滞させる激痛などを。
「俺はこの刀に誓った! 強くなると! そうだ! 俺は強くなるんだぁ!」
 刀を握ったまま右拳を放つ。その場から動かずに立っているゲイオスへと。
「おああああああ!」
 突き出した手に衝撃。右手の先にはゲイオスの左頬があった。身動き一つせずに一撃を受けたゲイオスは何事も無かったかのように右手を横から掴む。
「軽すぎるな。所詮、幻想に使った拳だ」
「え――」
 ゲイオスの右手によって、ユーレは頬を張り飛ばされていた。
 大地にユーレを縫い付けたその拳を、ゲイオスは左手でぬぐう。殴り飛ばした対象の血が付いていたからだった。
「何を言っているのか? という顔だな」
 倒れたユーレはしかし、眼光の鋭さは失わずにゲイオスを見上げていた。身体を起こそうにも震えて支えることさえ出来ない。それでも両腕を地面に縫い付けるように力を込めて、上半身を押し上げていく。
「ど、どう、い」
「どういうこと? 言葉通りだ。お前の拳は幻想に濡れている」
 自らの拳を突き出してゲイオスは語りだす。
「お前はどうやら、その刀を誰かに貰ったと思っているようだな」
「あ、当たり、前だ」
 ようやく横に倒れた上体を起こすユーレだったが、まだ下半身は言うことを聞かずに尻餅をつく体勢となる。息を切らせながらもゲイオスの言葉に耳を傾けていた。
「お前の情報は全て私の下にある。生まれた場所からどう生きてきたのかまで全て、分かっている。なにしろ『ヒーロゥ』になるための人間だからな」
 ゲイオスはユーレから視線を外して空を見た。両手を広げ、何者かを演じようとするように。
「ユーレ・スファルタ。どうやらお前の中にはその刀に物語があるらしい。だが、それはお前の父親が買ってきただけだ。息子の身体を鍛えるためにな」
「……嘘だ」
 ユーレの言葉が揺れる。自らを支えていたはずのことが根底から崩れてく振動が伝わっていた。
「本当だ。全て証拠は揃っている。お前は何故か自分で幻想を作り出した。悪に襲われて入院し、それを救った『ヒーロゥ』に刀を授けられた。その『ヒーロゥ』の強さに惹かれて、強くなることを目指した。下らん幻想だ」
「そんなわけあるかぁ!」
 激痛を堪えて立ち上がるユーレ。涙が溢れて視界が歪む。好き勝手なことを言われることの悔しさ。そして、ゲイオスの言葉を否定しきれない自分の危うさふがいなさに、彼の心は折れようとしていた。
 足元がおぼつかないまま進みだすユーレ。目指すのはゲイオス。その胸部に渾身の一撃を叩き込む。それだけを求めて。
「嘘だ……嘘だ……嘘だ!」
「言葉で否定することしか出来ない。それが、お前の限界か?」
 言葉と共に前に出るゲイオス。そして、右拳は容赦なくユーレの腹部にめり込む。
「がっ――」
「お前の妄想には興味がある。両親とも普通の人間であり、お前の持つ『ヒーロゥ』としての力に、お前の両親はどう思ったのか……」
 瞬間、刀が大地に落ちてユーレの拳がゲイオスの頬に入っていた。鉄の板に打撃を加えたような音。何度も血が混じった咳をしつつも、ユーレの身体には力がみなぎっていく。憎悪に燃える、力が。
「力が……ほしいんだ」
 ゲイオスは無言で後ろ向きに歩いていく。無表情だった顔に少しだけ過ぎる緊張感。色が変わった瞳は目の前の敵の見方が変わった証拠。
 すなわち、取るに足らない人間から、敵へと。
「力が、ほしい」
「何のために?」
 初めての出会いから何度も問うてきたもの。何度もユーレは「強くなりたいから」と答えてきた。しかし、今は違う。第三の答えを、紡ぎだす。
「俺の弱さを、吹っ切るために」
 ユーレは目を閉じて身構える。両拳を肩の高さまで平行に上げて、幅広く間を取る。両方、握っていてまるで刀がその中にあるかのようだ。ゆっくりと繰り返される深呼吸。そのたびに、ユーレの周囲の大気が歪む。
「そうだ。見せてみろ」
 ゲイオスは拳に黒い光を集め、解き放つ。ユーレの刀をへし折った一撃が、構えて動かないユーレを飲み込まんとする。眼前まで光が迫った時、ユーレの目が開いて両腕が振り上げられた。
「おおおお!」
 そこに刀があるように、両手を振り下ろす。すると、殺意の光が両手からす腰はなれた場所で不可視の何かとぶつかり合った。
 それも一瞬のこと。
 ゲイオスの放った一撃は霧となって中空に消えていく。あまりにもあっけない消滅。
「俺は、俺自身を許さない」
 ――両拳から伸びる、青い光。
「弱かった自分を、許せない」
 ――時折放電するその青光は、刀の形へと姿を変える。
「そんな弱さを打ち砕く強さを。自分の思いを貫ける強さを、俺は身に付けたい」
 胸の前で交差させた刀を、そのままゲイオスへと突きつける。
「そのために! あんたを踏み台にする!」
「……ようやく、少しだけいい顔になったな」
 ゲイオスは笑みを浮かべていた。闇がたゆたう心の底に一瞬だけ赤い炎が灯ったような、恍惚の笑みを。
 これまでとは明らかに違うユーレの気配に、ゲイオスは身体を震わせた。無論、恐怖ではなく敵と相対する際に体の奥からこみ上げてくる高揚感が、早く外に出たいと彼を促すことで起こる現象だった。
「人のため。自分のため。欲望でも他者への想いでも、何でもいい。ただ、一つ、何かのために戦うときこそ折れない強さを手に入れることが出来るんだ。……いい顔になったな」
 右拳にある指を一本ずつ折り曲げていく。小指から親指へと。骨が鳴る音が空気を震わせてユーレへと届くが、それさえも斬り裂くように光の刃を一閃した。
「俺は馬鹿にするな」
「馬鹿にされたくなくば、やることは一つだろう?」
 ゲイオスの言葉にユーレは頷きもせず、ゆっくりと構えを取った。二本の刀を胸の前で交差させ、少し前傾姿勢を取る。右足は後ろに下げて一瞬で速度に乗れるようにする。刀は攻撃防御にすぐさま対応できるよう絶妙な位置を取っていた。
 対するゲイオスは単純なものだ。先ほど握り締めた右拳を腰に落ち着けて身体を半身にし、左肩をユーレに向けている。相手と同じように速度に乗って最短距離で拳を打ち込める体勢。
 二人の間に立ち込める必殺の気配。いつしか意識を取り戻したケイジとローザが少し離れた場所から二人の様子を見ていた。
「良く見ておけ、お前達」
 ユーレからも注意を外さず、ゲイオスは二人に声をかける。
「これで、ユーレは変わるだろう。これまでのあいつとは違ってな」
 ゲイオスは笑みを浮かべたまま、構えを解いた。ケイジとローザは呆然とする。だが、ユーレは構えを解かずに鋭い視線を向けたまま。
「さあ、今日最後の講義だ」
 ゲイオスの言葉と同時にユーレが前に出る。上半身は構えをとかず、足だけが地面を滑るように進んでいく。刀の届く範囲にゲイオスの身体が入った瞬間、ユーレの腕が動いた。
 右手が真横に、左手が上から下に振り切られる。微妙にずらして放たれた斬撃がゲイオスに向かい、空を切る――ように誰もが思えた。ユーレ以外は。
 短く、布が切れる音。微かではあったが、離れた場所で見ていたローザとケイジの耳にも届いた。
「イオスに、触れた」
 ローザの呟きに頷くだけで同意するケイジ。二人の驚愕を含んだ視線を受けて二人は動いていく。
 ゲイオスは切れた服に視線を向ける。それはユーレにとって絶好の機会であったはずだが、彼はその場から動かずに構えるだけ。
「あんたの背中。まだまだ遠いが……」
 キンッ、と刀を一度合わせてからユーレは続ける。その合間にも徐々に間合いを詰めるのを忘れない。
「前よりも、近い」
 言葉はユーレの後ろに流れていった。口を開きながらも動き出した身体は一瞬でゲイオスの後ろに回り、右手の刀が振るわれる。ゲイオスは前に移動することで刀の範囲から逃れたが、ユーレは刀を振り切った勢いを殺さないままで左の刀を突き出す。狙うのは心臓。相手を殺すことを少しも躊躇しない一撃。最短距離で最速の一撃がゲイオスへと届き――急停止した。
「なに!?」
 ユーレは思わず声を上げてしまい、後ろに引こうにも動けない。
 突き出した刀は、ゲイオスの胸部に少し触れて止まっていた。刃を両手にはさみこまれて。
 残像が残るほどの移動速度の中、ゲイオスは特に焦りもせず刀を受け止めたのだ。意味するところを理解できないほどユーレも馬鹿ではない。
「私の背中に、触れることが出来るかな?」
「この間には、必ず」
「無理だな」
 ゲイオスは刀から手を離して距離を取る。その動きは緩慢で、いくらでも打ち込む隙はあるようにユーレは思えた。しかし、心のどこかから警告が発せられる。
(本能が、避けている?)
 足を進めることを。刀を振るうことを。
 本能が、拒絶する。
「やはり『廃街』は良い経験になったようだ。油断して踏み込めば、お前の命は吹きえていただろう」
 ゲイオスは笑うと、右拳を左手に打ちつけた。ばりん、と空気が割れる音。ユーレの周囲に、風景に溶け込んだ鏡のようなものが散乱する。その縁は、見ているだけで切れ味が良い。踏み出していたなら、彼の身体中は切り刻まれていたはずだ。
「何故、解いた?」
「危険を感じて動かないならば意味はない。時間の無駄だ」
 ゲイオスは首を左右に振って慣らし、身体をほぐしている。ユーレはやはり、と内心で口を噛む。
(あいつにとって、俺はまだ講義の中にいる)
 まだまだ戦士として相手にされていないということに気づいたことは、ユーレにとって確かに胸に痛みを覚えるものだった。それでも感情を揺らがせることがなかったのは、ユーレ自身がゲイオスを教師ではなく一人の戦士として見ていたからだ。
(イオスに油断はない。俺を侮蔑しているわけではない。単に、自分よりも戦闘力がないと分析しているからなんだ)
 自分の力不足ゆえのことならば、彼の予想を越える力を出すしかない。やることは一つ。けして他人を攻めていては踏み込めない領域に踏み込むしかない。
(確かに『廃街』はいい経験になった。あそこでは、一人で何とかするしかなかった)
 容赦なく襲ってくる敵。一瞬の油断が命取りとなる。ちょうどゲイオスが助けに来なければ最初の敵との戦いですでにユーレは死んでいただろう。その後もまたしかり。結果的に切り抜けることは出来たが、何度も自分の力のなさに危機に直面し、ゲイオスや仲間達に助けられつつ乗り切れたのだ。
 その中に、甘えなど、ない。誰のせいにも出来ない。死ねば、自分のせい。
(俺自身が甘えを捨て去らなければいけなかった。そして、それはこの刀にあった)
 ユーレは折れた刀に目をやる。光の刃が折れた刀身から伸び、切っ先は真っ直ぐにゲイオスの元へ。
「俺は、刀が通じなければ駄目だとどこか諦めていた」
 口を開くユーレを止めもせず、ゲイオスは右手を腰に構えて息をゆっくりと吐いていく。吐き出す息と同じ速度で黒い光が集まっていく。それに反比例するように、ユーレの刀も輝きを増す。
「何かしら理由をつけて、逃げていた。でも、俺はもう逃げない!」
 交差させた部分から洩れ出る光の洪水。地面を駆け抜けゲイオスまで届き、彼の靴から煙が上がる。それでもゲイオスは構えたまま動かずユーレを見ていた。
「それでいい。限界を超えたお前の力を、見せてみろ!」
 ゲイオスの咆哮と同時に駆け出すユーレ。一気に最大まで引き上げた移動速度で周りが止まったように見える。時の狭間で動く、二人。
 ゲイオスもまた、ユーレと同じ速度で空を舞っていた。近づく、二人の拳と刀。
「うおお!」
「ああああああ!」
 光と闇が、一点に集約した。
 周囲に撒き散らされる光と闇。飛び出した欠片は大地を抉り、岩を削る。破壊交戦は戦いを見守っていたケイジとローザにも襲い掛かった。
「うわ!?」
「きゃ!」
 一筋の光をぎりぎりでかわした二人だったが、更に放射状に広がっていくそれらに顔を青ざめさせる。先ほど二人を襲った光もそれぞれの身体を爆散させるには十分の物。それでも、ユーレとゲイオスのぶつかり合いから目を離さない。
「うぉおおおお!」
「はははははは!」
 二つの刀を交差させてゲイオスの拳を迎え撃つユーレ。対するゲイオスは顔に笑みを張り付かせて闇の力を放出している。額に血管を浮かび上がらせ、歯を食いしばっているユーレとは対照的にまだまだ余裕が見られた。
(なんて、やつだ)
 ケイジは腹の底からこみ上げてくるどす黒い何かを感じて身体を震わせる。それが恐怖だと気づくのに多少の時間がかかった。隣を見るとローザも唇を青くさせて震えている。それでも、視線は外さない。
「ちゃんと、見ないと」
 何を、とは聞き返さずにケイジは前を向いた。周囲を飲み込んでいた光はすでに収束し、二人の前に留まっている。押し合いに負けたほうへと一斉に襲い掛かるために。
 すでにゲイオスとユーレのいる場所は陥没し、大地を基準にすれば下半身が埋まっている。ぶつかり合う威力が拮抗しているため上下に力が逃げているためだ。
「イオス――!」
「ユーレ!」
 咆哮。歓喜の雄叫び。破滅への足音が響く。ついに均衡が崩れ、エネルギーが一気に流れていった。
 ユーレの元へと。
 相反する色を放つ光は全てユーレへと押し寄せる。歯を食いしばって抗っていたユーレだったが、一度崩れた均衡は再び戻ることは無く、氾濫して川を荒れ狂う水のように彼を巻き込んでいった。
「うがぁああ!? ぐぅううう!」
 激痛が全身を駆け巡る。激流に飲まれたかのように振り回されるが、歯を噛み砕きそうになるほど力を込めて、その場に留まろうとした。閉じそうになる目を強引に見開いて、向かう先はゲイオスの姿。
「お、おれ、は」
 一歩。また一歩と足が進む。ゲイオスはもう腕を組んでユーレの結末を見るだけだった。その視線は今までの冷ややかなものとは違い、何かを見極めようとする赤い光が灯っている。
「ま、まけ、な」
「言葉で語るな」
 ゲイオスの言葉にユーレの足が止まる。見えない壁が出来たかのように、不自然なほど急に。
「俺に見せてみろ」
 光による衝撃音で遠くにいるケイジやローザには聞こえないほど小さい声。だが、直撃を受け視覚も聴覚も麻痺寸前まで陥っているはずのユーレには、ゲイオスの言葉が届いていた。
 口の動きを読んだのでもない。
 最も傍にいたからでもない。
 ゲイオスの視線が。燃えるような赤き光が。ユーレの中心を打ち抜いていた。
「う、ぐ、おぉおお」
 だらりと下がりきっていた両腕が上がる。光を失っていた、折れた刀身にまた刃が戻っていく。身体の前で腕を交差させ、屈みこむ。
 刀身が真上を向いた状態になったところで、ユーレはもう一歩、踏み込んだ。
 不可視の壁の向こう側へと。
「おぁああああああああああ!」
 踏み込むと同時に振り切られる両腕。ゲイオスの目の前に広がる×の字。
 そして爆発音と共にユーレを包んでいた光もまた、同じ形に切られると粒子となって拡散していった。空気をたわめながら伝わっていく音はケイジとローザの耳を打ったが、多少の痛みを与えただけですぐに消えた。
「ユーレ……」
 不安そうな声を紡ぎ、ローザはゆっくりとゲイオスとユーレへと近づく。ケイジもその後ろをついていき、二人の様子を眺める。
 光を吹き飛ばしたままの体勢でユーレは止まっていた。前に立つゲイオスは腕を組んだまま微動だにしない。その表情に、笑みを浮かべたまま。
「これで、今日の講義は終了だ」
 終了の合図。同時に、ユーレは前に倒れていった。前にあるゲイオスの胸の中へと。
「これが第一歩だ。『ヒーロゥ』への、な」
 駆け寄ってきたケイジ達を見ずに、ゲイオスの視線は地面へと向かっていた。
 左足の跡から一歩だけ、前に踏み出した右足の跡へと。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「何かあったならば、どう責任を取るつもりでしたか」
 ゲイオスの部屋に踏み込んだジェイルは顔に不快感を隠さずに、彼に言葉を浴びせる。向けられている相手はといえば、片手で書籍を掴んで器用にめくっている。返答がないことにまた顔をしかめつつも、ジェイルはまた続けた。
「ユーレは全治までに数ヶ月かかる傷まで負った。貴方が傷を治したから数日で復帰できるが、一歩間違えば死んでいたでしょう」
「あれくらいで死ぬ奴など『ヒーロゥ』にはなれん」
 本から顔を上げ、ゲイオスはベッドに横になる。両腕を枕にし、足を伸ばして緊張を保ったままのジェイルをあざ笑うかのようにあくびをした。
「ユーレ・スファルタに足りなかったのは自信、だ。ケイジやローザと比べれば微々たる力だからこそ、あいつは形あるものに頼り、それが敵わないなら諦めるという心の弱さに繋がった」
 言葉を切り、視線をジェイルから外すゲイオス。次なる言葉を待っていたジェイルだったが、寝息が聞こえてきたことにとうとう怒りを抑えきれなくなりゲイオスへと近づく。傍に立って胸倉を掴もうと手を伸ばし――
「腕を消されたくなかったら、そこで止めろ」
 伸ばしかけた手に、ゲイオスの掌が重ねられていた。全くジェイルが反応できない速度で。
「お前達は私にあの三人を任せた。ならば、私のやり方に任せてもらおうか」
「……ですから、貴方に失敗があった場合はどうするか、と」
「失敗などしない。と、言いたいところだが」
 ゲイオスは身体を起こして窓へと向かった。ジェイルには背中を向ける形となり、顔を見せることはない。
「私も失敗はするだろう。だが、任せたのならその時の覚悟はしていろということだ。失敗した時にどうするかなど聞くくらいなら頼むな」
 腰の辺りで腕を組み、外を眺めたままゲイオスは動かない。会話はここで終わりだとジェイルはため息をつき、部屋を辞そうときびすを返す。歩を緩めて何かゲイオスからの言葉を待ったが、ついに部屋を出るまで口が開かれることはなかった。
 扉が閉まる音を聞きながら、ゲイオスはこみ上げる衝動が声にならないようにこらえていた。ジェイルがどこまで離れるか分からないが、聞かれると理由を説明しなければならなくなる。
(まずは一人。残り二人も近いうち必ず。楽しみだな)
 声に出さない代わりに顔に笑みを貼り付けながら、ゲイオスは沈みゆく日を眺めていた。
 血のように赤い空を。
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