モドル | ススム | モクジ

● 総統の教室3  ●

『廃街』の入り口に立つ四人は、吹き付けてくる悪臭に顔をしかめていた。実際にしかめていたのは背が低い三人。長身の男――ゲイオスは顔に出すことなく唾を飲み込む。
(まさに掃き溜めだな。懐かしい、臭いだ)
 ぼろぼろに朽ちたアーチ。その向こうに広がる、外装が剥がれた建物。見間違いではなく、アーチに隔てられた向こう側は薄暗い霧に囲まれていた。
「なんですか? あの霧は」
 ローザが口元をハンカチで抑えつつゲイオスへと聞く。悪臭に最も参っている彼女は目の端に涙を浮かべつつ、懸命に立とうとしている。ゲイオスはふらついたその動きがわずらわしく、自身の力を解放して臭いを吹き飛ばした。
 一瞬で巻き起こる風に髪を抑えるローザに向けてゲイオスは言う。
「『廃街』はそう簡単に陥落しないように集う者達が力の膜を覆っている。この臭いはその力場から発せられるものだろう。お前のように近づけなくなる者が多くなるからな」
「…………」
 感情も何もない。ただ、事実を淡々と述べるゲイオスをローザは睨みつけた。役立たずだと言外に言われたようなものだ。しかし、その思いは一瞬で増幅する。
「役立たずはここで引き返せ。いくぞ、二人とも」
 ゲイオスはケイジとユーレに顎で指図して歩き出す。その足取りには悪の巣窟とされている『廃街』に入るという気負いは全く感じられない。それこそ、宿舎から学び舎へと向かう足取りと同じ。その背中に怒りを向けながら、三人は歩き出した。声はない。それはゲイオスへの怒りもあったが、踏み込む場所への緊張が主な原因だった。
(こんなやつに舐められてたまるか)
 自分の力に自信を持っていたケイジも、周囲全てが悪という場所は始めてである。どんな敵がいるのかも、罠が仕掛けられているのかも分からない。
 アーチをくぐったところで、ケイジはゲイオスへと話しかけた。
「おい、イオス――」
 その刹那、光が彼らを包む。ゲイオスは自分を引きちぎろうとする力を感じて反射的に自らの力を解放していた。光と闇が相殺され、視界が回復する。アーチをくぐって入った場所。『廃街』の入り口。初めは力の正体が何か分からなかったが、周囲を見回してすぐに悟る。
「迷子の面倒まではみないぞ、お前達」
 消えた三人に向かって、ゲイオスは無表情のまま呟いてから歩き出した。その足がどこに向かうのかは、彼の心の中にのみある。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 一瞬の光の後で目を開けると、ユーレの周りは闇に閉ざされていた。余りに急激な変化に対応しきれず瞳に激痛が走る。目を閉じて右手指を瞼に当てながら、ユーレは周りの気配を探ることを忘れなかった。
(ここは『廃街』だ。何が起こるか分からない)
 入り口に体調不良にさせるような力場が形成されているような場所である。この闇もこの街に住む誰かの仕業であることは予想できた。そして――
「ふん!」
 瞳に当てていた右手を瞬時に腰の鞘へと伸ばし、刀を抜く。抜き放った軌道上に飛来した金属性の何かがあたり、甲高い音を立てた。痛みを押して目を開けると微かに動く影が見える。そこへ向かってユーレは突進した。
「誰だ!」
 答えることなど期待していない。実際に、返答の代わりに空間を斬り裂いて何かがまた迫り来る。空気の流れを察知して速度を落とさないまま体勢を低くして飛び道具をかわすと、ユーレは下半身のバネを生かして飛び上がるように二刀を閃かせた。目標は相手ではなく、前方の壁。十字に切り裂かれた壁を蹴破って外に飛び出した。
 そこは建物の三階だったらしく、中空に投げ出されるユーレ。だが、勢いを殺さなかったために、向かいの建物の壁に届く。足がついて勢いを殺したところで、力強く壁を蹴る。自分が飛び出してきた建物の壁へと飛び、また壁を蹴るといったことを繰り返して最初に飛びだした建物の屋上へと降り立った。
(どこに消えた?)
 腕を下げて足を肩幅に広げる。息を吐いてゆっくりと自分の力を広げていく。
 ユーレの力は刀に送り込むことで切れ味を増加させるもの。そして、周りに広げることでその力場に触れた相手をいち早く察知できるもの。刀が届く範囲ならば、ユーレは一歩、二歩先に相手を攻撃できる。
 そこに、後ろから聞こえる風切り音。展開されている力場に触れた瞬間、ユーレの左の刀が飛来物を叩き落していた。投げナイフ。何で出来ているのか、その刀身は叩き落されただけで屋上の床に突き刺さっている。
(敵は、四人)
 気配を読み、ユーレは刀を上げて戦闘体勢をとった。
 二つの刀身を十字に重ね合わせ、半身に構える。前後左右にまるで陽炎のように浮かび上がった四人は全て同じ背格好、同じ顔をしていた。逆立った金髪にやせ細って骨の輪郭が見える頬。くぼんだ目に渇いた口。
 身体は逆に筋肉の鎧とでもいえるほど鍛え上げられていた。最初は服だとユーレが思ったのは、黒く光る肉体そのもの。まるで黒金のように。
「お前達は誰だ?」
 同時に四声。全く同時のために、誰に向けて話そうとしているのかわからなくなる。ユーレは構えを解かぬままに目の前にいる男へと言った。
「俺達は――」
「誰だろうと殺すがな」
(なら聞くな)
 思考を後ろに流して、ユーレは前に出していた左腕を真横に振る。刀の軌道上には目の前の男の首。
 そしてあっさりと、頭から上が宙に舞っていた。
 しかしユーレは手ごたえのなさに後ろに下がる。すると、そのタイミングを見越したかのように敵二人が飛び込んできた。突き出される拳をしゃがんでかわすと、真上を抜けていく腕めがけて二刀を振るう。だが、それもまるで水を切るかのように腕に反力が伝わってこなかった。
(なんだ……)
 手ごたえはなかったが切れたことで痛みはあるのか、襲ってきた二人の動きが止まる。蹴りを二人の腹部に交互に叩き込んで距離を取った。
(何か分身みたいなものか?)
 思案をめぐらす間にも回復した三体がせまり来る。その中で遠くから見ている四人目が目についた。ユーレは三人にあえて向かい、首を三つ飛ばしてから四人目へと突進する。あからさまに本体だと言わんばかりの、目の前の敵。あと二歩で届くという距離に来て、ユーレは危機感を感じてその場から思い切り後ろに飛んだ。前に進む力を強引に変えて足の筋肉がきしむ。だが、そのかいがあって命をもぎとられることはなかった。
 あと一歩踏み込んでいたらという位置を通り過ぎていく、巨大な剣。速度からして、ユーレの上半身を吹き飛ばすには十分な威力を備えていただろう。後ろから来る三つの殺意を感じながら、その剣が飛んできた方向に走るユーレ。
 五人目が、ユーレを睨みつけている。
「お前がこい!」
 自分の作戦が失敗したことからか、相手の顔は憤怒に染まっていた。だからこそユーレは挑発し、怒りで彼へと攻撃させるために誘導しようとした。死なない分身を相手にするよりも本体を一気に叩く。
 ユーレの脳裏に浮かんだシナリオはしかし、笑みに崩れた敵の顔を見て粉々に砕け散る。
 それは、実際の肉体への痛みと同調していた。
「がっ――」
 腹部に鈍器で殴られたかのような痛みが走り、ユーレは吹き飛ばされて屋根を転がる。そのまま屋根の端まで飛ばされ、身体が宙に舞った。
「――ぁ!」
 離さなかった刀を振るい、身近な壁へと突き刺す。慣性の力に手を離さないよう右手へと力を込めてなんとか落ちなかったものの、腹部からの痛みに気を失いそうになっていた。宙ぶらりんになり、自分の体重が右手に襲い掛かることが、気を失いそうになるユーレを支えていた。
(な、なんだと……)
「若僧だな」
 先ほど相対していた敵が、屋根の上からユーレを覗き込んでいた。
「ああ。お前よりはよっぽどな」
 ユーレは顔に笑みを浮かべて答えたが、額に浮かぶ脂汗までは消せない。ユーレの虚勢に気づいているからか、相手はさらに顔をにやつかせて右足を何度か屋根にたたきつけた。反動で壁に突き刺さっている刀がかすかにだが、抜けていく。
「久しぶりによ、街の外からお客さんがきたからよ。楽しもうと思っていたのに拍子抜けだぜ。確かにお前は強いが、甘ちゃん過ぎる」
 逆立った金髪を両手で囲むように撫でる。まとわりついた毛を指の間に挟んで「ふんっ!」と気合を入れると、なえていた髪の毛がピンッと尖る。一瞬で狂気に変貌した髪の毛をしゃがんでユーレの鼻先へと近づける。
「俺の『力』を込めて、こいつに刺されると一瞬で毒が身体に回る。毒で死ぬのとそこから落ちて死ぬのとどちらがいい?」
(こいつ――)
 相手は自分のわき腹の怪我を知っていて言っているのだと、ユーレは気づいた。対峙した最初の時の身のこなしなら、ここで落ちても壁を蹴るなどしてまた屋根の上に戻れると分かるはずだ。それでも二択を迫ってくるということは、そう出来ない状態だと知られている。
(くそ……)
 身体も思うように動かず、支えている右腕も限界にきている。さらに脇腹の痛みも増してきて、ユーレは一瞬、意識が白濁した。
「限界、かな?」
 鋭くなった金髪を振り上げて、男は嘲笑する。勝ち誇った笑みを憎々しげに睨みつけたまま、ユーレは動けなかった。
「死ねぇ!」
「お前がな」
 振り上げられた手は、そのまま宙に取り残されていた。
 肩口から、引きちぎられて。
「―――――!!!???」
 金髪の男は、残った左腕で右肩口を抑えると声にならない悲鳴を上げた。痛みから逃げるようにユーレからも離れていき、屋根に頭を何度も打ち付ける。まるでそうして掘った穴へと入ろうとするかのように、体を埋めていく。
「だらしがない」
 もぎ取った腕を無造作に落とす。ユーレの視界を上から下に過ぎて行った片腕。思わず目を奪われていると、右手が掴まれて引き上げられる。同じように千切られてしまうのではと息を飲んだが、その人物は何もせずにユーレを屋根の上にあげた。
「こんな雑魚たちにやられるお前でもないだろう」
「……分かってるじゃないか」
 突き刺さったままの刀の柄を身をかがめて掴む。わき腹が悲鳴を上げるが、今度こそ弱い部分を見せるわけにはいかなかった。
「さっさと殺して、他の二人も探すぞ」
「俺に……命令、するな」
 ユーレは自分を鼓舞するように刀を打ち合わせる。それを横目で見つつ、その人物――ゲイオスは両手を打ち合わせた。
「俺の拳に、血を吸わせてくれ」
 ゲイオスは拳を何度も打ち合わせていく。手にはユーレが見なかった手袋をはめていて、打ち付けるたびに金属音が耳の奥をかき乱す。敵の男は数歩後ろに下がると分身達を一斉にけしかけた。指図と同時に武器を持って突進してくる三体。ユーレの攻撃を全く受け付けなかった分身達に、ゲイオスがどう対応するのか鋭い視線を向ける。
 ゲイオスは、不愉快そうな顔をしたまま、両手を広げた。
「くだらない」
 広げた腕を一気に振りぬく。
 風が吹き抜けてユーレの目を乾かせる。痛みに思わず瞼を閉じ、次に開いた時には分身達は消え去っていた。最初から何もなかったかのように、消滅していた。
「な……」
 自分の声に重なるもう一つの声。それが敵の声だとユーレが気づいた時には、ゲイオスはすでに足を進めて敵へと迫る。あまりに現実味のない現状に動きを止めていた敵も、眼前にゲイオスが来たところでようやく行動を取る。
「このや――」
 最後まで言葉を紡ぐことなく、顔面を陥没させて吹き飛ぶ男。ゲイオスの一撃はユーレがあれだけ苦戦した相手に反撃を許すことなく沈黙させた。
「こいつは『廃街』でも下級だ。それにここまで手こずるとは……思ったよりも弱いな」
「その、へらず、口を……」
 ユーレは痛みを増すわき腹を抑えながらゲイオスへと怒りを向けるも、身体を折る。
「肋骨が完全に折れてるのか。どうせ油断でもしたんだろう」
 言い返そうとするも、事実その通りであり、ユーレは痛みに対抗するためわき腹に意識を集中する。痛みに慣れればまだ動けるだろうが、今すぐは無理のものだ。
「おい」
 不意に間近で聞こえたゲイオスの声に顔を上げると、目の前に掌があった。そこが暗く光るとユーレの身体にその黒光が乗り移っていく。悲鳴を上げようとするが、目の前でゲイオスが笑みを浮かべているのを見て矜持が少しだけ上回る。
(――これは?)
 強引に恐怖を押さえ込んだところで、身体中に分散していた痛みが次々と摘まれていく。
(痛みが――)
 全ての痛みが消えたところで、体を覆っていた黒光が消える。顔の傍にあった掌を離して、ゲイオスは手首を回して骨を鳴らす。
「いくぞ。この分なら、他の二人も苦戦しているだろう。死人が出たらさすがに俺のせいになるからな」
 声をかけただけで、ゲイオスはユーレに構わず歩き始めた。
 屋根の上から宙に飛び出すと、ゲイオスは力を解放した。形成された力場はゲイオスの身体をふわりと浮かせて通路へと降ろす。一方、ユーレは建物の壁をジグザグに飛んで重力を強引に殺し、着地も力を受け流す。立ち上がって埃をはらったところでゲイオスが鼻を鳴らした。
「お前は、体術しか能がないんだな」
 背中を向けたまま言われたことに怒りが込み上げるが、何とか押し留める。
「ケイジやローザと違って。俺は落ちこぼれだからな」
 刀を納めて、ゲイオスに並ぶ。視線を合わせず口は動かし続けた。
「だから俺は剣術に命を賭けた。そしてここまで強くなった。『ヒーロゥ』達の誰よりも、強い自信がある」
 ゲイオスは答えない。歩みを止めない。聞いている様子もない。しかし、ユーレは語る。
「俺は強くなりたい。誰よりも。誰よりも強く。力を手に入れて、俺は上に立つ」
「理由はないんだろう?」
 ゲイオスの言葉にユーレは口をつぐむ。図星というわけではない。しかし、なんと返答していいか分からなかった。返答する必要もあるのか判断できないタイミング。
「目的と手段が一緒になっているようでは、強さの地平にはたどり着けん」
「強さの、地平?」
 聞きなれぬ言葉の意味を捉えようとするも、掌から流れ落ちていく。再び拾うためにゲイオスに問いかけようとしたユーレは、異様な気配が広がっていくのに気づいた。
 咄嗟に刀を抜き放ち、体勢を低くして気配の襲撃に備える。その中でゲイオスは腕を組んで息を吐くだけ。
「下らん奴等だ」
 その言葉に召喚されたように、黒装束の人間が十人現れた。顔も黒い布を巻きつけていて、眼光だけが光る。
「強さを誇るなら、お前だけで倒してみろ」
 ゲイオスは数歩下がってユーレの後ろに回る。下がれば、自分が殺すぞと言わんばかりに殺気が膨れ上がった。
 間欠泉のように地面から殺意が漏れ出したようだった。ゲイオスから流れ出す殺気は、黒装束の男達でさえ足止めさせる。しかしすぐに目的を思い出したのか、彼らの中の一人が手を掲げて合図を送る。
 踏み出しから一瞬で最高速へと自分を連れていく敵。ユーレは眼前に迫ってきた一人に右手の刀を突き出した。顔ではなく胴体。今の速度ではかわせないだろうその攻撃を、敵は姿を消すことでかわした。単純に上へと飛び上がって避けたのだろう。衣服の切れ端が刀先へとぶらさがる。
 だが、それを確認する余裕はユーレにはない。頭上から降り注ぐ無数の拳が背中を叩いて彼を地面へと縫いつけた。
「がはっ!?」
 超速で動く二本の腕、というレベルではない。明らかに無数の手がユーレの背中を強打している。しかも徐々に威力を上げて彼を固い下へと沈めて行った。自らの身体がきしむ音を聞きつつ、ユーレは力を振りしぼる。
「う――ぉおおお!」
 咆哮と共に洩れた『力』はユーレの上から拳の弾幕を張り巡らせている敵を斬り裂いた。不可視の刃に左肩から右脇腹までを抉られて、絶叫と赤い血と共に敵の一人は吹き飛んだ。そのまま建物の壁にぶつかり首を折る。
 ユーレはふらつきながらも立ち上がり、残り九人の居場所を探る。だが、そのうち二人はすでに生き絶えていた。ゲイオスの両手によって。
「自分の力を誇るなら、まずは相手の力を見極めるがいい」
 ゲイオスの片腕に一つずつの死体。首をへし折ったその両手の先にぶらさがるように敵の頭がたれている。無造作に敵の集団へと投げつけて、ゲイオスは掌についた血をぶらぶらと振ってとりはらった。
 自分が這いつくばっていた間に何があったのかとユーレは思案するも、分かるのは残っている七人の視線が一斉にユーレへと向かったこと。
 全員の殺意がユーレだけにきたことだ。
(イオスには勝てないから、俺だけ、か)
 ゲイオスに視線を送るも、彼は腕を組み、目を閉じて壁に寄りかかっていた。そこでゲイオスを頼ろうとしている自分に気づく。
(あの男を頼るわけにはいかない――!)
 自らを否定した男。何のために強くなるのか、など無意味な問い掛けなどをしてくる男。
(強くなるために強くなろうとする。意味などない。力を手に入れるだけだ)
 ユーレは少し折れそうになった心への怒りも含めて、七人の敵をどう殺すかを考え始めた。
 七人の敵。ユーレは何を思ったか目を閉じて刀を下ろした。人為的に作った暗闇に浮かぶのはそれまで映っていた光景。敵の残像と、ゲイオスの姿。
(見える……)
 これから来る敵の動き。コマ送りのように迫ってくる敵の軌道に刀を合わせると、軽い手ごたえと共に液体が飛び散った。ゆっくりと目を開けると、生ぬるい感触が復活する。目の前の六人からも意識を外さずに、右後ろに倒れている胴を真っ二つにした敵の一人を見た。綺麗な切り口から溢れる血が、自らの右半身を汚したのだと悟り、ユーレは意識を前だけにそそぐ。
「これからが、俺の時間だ」
 刀を交差させて宣言すると、六人がユーレの前方に分散する。そのうち二人は一瞬で後方の死角から飛び込んでくる黒い風。ユーレは背中を熱く焦がす敵意に構わず前に足を踏み出した。背中を掠る刃物の感触。痛みさえも後ろに置き去りに、残る四人を惨殺するために動き出す。黒装束たちもまた、ユーレを肉片に帰るためにナイフを手の中に出現させ、一斉に投げつけてきた。
 その数、八本。
「うぉおお!」
 一振り、二振り。三度目には全てを叩き落す。だが、ナイフのあとには四つの拳が顔面と腹部に迫る。ナイフに対抗するために刀を振り切っていたユーレには対抗策はない――はずだった。
「切り裂け!」
 一瞬で膨れ上がる『力』は、風の刃となって敵四人を切り刻んだ。最初に襲われた時使ったものと同じもの。間に合わないと判断して飛び込んできたのかもしれないが、ユーレの力は黒装束の考えをこの時、凌駕した。
 四人を吹き飛ばしてから後ろへと身体を入れ替え、追いついてきた残り二人に交差法で刀を突き刺す。身体の中心部。心臓を斬るというよりも押しつぶすような威力に、敵の身体はユーレの刀を巻き添えに後方へと飛んでいく。武器を無くしてもユーレは油断せずに『力』を身体にめぐらせる。すぐにでも不可視の刃を撃てるように。
 だが、動けるものはかすかに痙攣するだけ。
「ここまでだな」
 沈黙していたゲイオスが呟いて掌を掲げた。そこから闇色の光が噴出して十に分かれると、一斉に倒れている敵を貫く。
 そして、それまでそこにあったという痕跡も残さずに六体の死体は消滅していた。
「何を、した?」
 ユーレは目の前の光景が信じられず、震える声をごまかしきれずにゲイオスへと尋ねた。疑問を向けられた本人は気にした様子もなく一瞥しただけで歩き出す。
「ま――」
「ぐずぐずするな。お前のお仲間が戦っている」
 その言葉に返す前に、爆音が辺りを揺らした。視線を空に伸ばすと黒い煙が立ち昇り、その中で赤い光が明滅していた。
「あれは――『シャフト・ドライブ』の光」
 ケイジ・ルースシャフトの特殊能力。飛躍的に自らの戦闘力をアップさせる『シャフト・ドライブ』は、扱う者の身体を赤い光で包み込む。敵の血を吸うための力にも関わらず、宝石の輝きを持つ『力』だった。
「あいつなりによくやっているようだが、力が落ちてきている。死なれては俺もめんどうだ」
 ゲイオスは言葉を止めないまま歩き始める。ユーレも言葉を止めて後を追う。今はまず、仲間二人と合流することだ。
 ユーレの視界の中で赤光が弾ける。黒煙を取り巻くように移動する光は、何かとぶつかっているように跳ね上がり、動き続ける。ユーレの目には見えなかったが、どうやら戦闘が行われているらしい。
「ほう……敵はなかなかやるようだ」
「何人と戦っているんだ?」
 ゲイオスの歩調はけして早いようには見えない。だが、ユーレは全力で彼を追いかけていた。まるで地上を滑るように進んでいくゲイオスは、体勢を崩さないまま徐々に速度を上げていた。
「一人だ。しかも、俺が感じている気配が正しいなら――」
 その瞬間だった。ゲイオスの言葉を遮り、ユーレの進行を止めるように、空を駆けていた赤い光――ケイジが地面へと落ちてきた。巻き起こる粉塵と耳を貫く音にユーレは顔をしかめ、刀を抜くことさえ忘れる。
 煙が晴れて出てきたのは、剥き出しの上半身のいたるところに痣を作ったケイジだった。
「ケイジ!」
 急いで駆け寄るもケイジはまだ闘志を失ってはいなかった。目を見開いて力を込めるとまた『シャフト・ドライブ』を発動させて立ち上がる。
「ユーレに……イオス!」
「教師は呼び捨てにするな」
 徹底的に叩きのめされている感があるケイジに、笑みを向けるゲイオス。あからさまな嘲笑にケイジは怒りを露にし、更に光を強める。
「あいつより先に……殺してやろうか」
「そんな暇を与えてくれるかな?」
 ゲイオスが言葉と同時に横にずれると、その場の空間を斬り裂くような速度で黒い影が現れた。
「ち――」
 そのままゲイオスの腹部にぶつかり、共に空へと昇る。ユーレの顔に生暖かい液体がぶつかった。
 ケイジの血だった。
「ケイジ!」
 思わず悲鳴のような叫び声を上げてしまうユーレだったが、ケイジは影と分離して中空に立った。脇腹を抑えて口からは滴り落ちる血。改めて自分についた血を見てみたが、思ったよりも少なかった。致命傷ではないのだろうと胸をなでおろす。
「あいつは、間違いなく『ボーレン』だ」
「ボーレン……て、確か」
「ああ。『廃街』の中で外の世界に名を知られている数少ない『悪』だ」
 ゲイオスが悪、という言葉を強調したところで、ユーレは唾を飲み込む。自分がかなり緊張していることを認めたくはないが、受け入れざるを得なかった。
「『エアーエッジ』ボーレン。空は奴の庭だ」
「うぉおお!」
 まるでゲイオスの言葉を遮るように、ケイジは咆哮する。掌を前に突き出して光を集めると、そこから何発もの光弾が飛び出していく。影は急激に速度を上げて空高く舞い上がるが、赤い軌跡がそれを追う。
「砕け散れ!」
 叫びと共に激痛が走るのだろう。ケイジは脂汗をにじませながらも力を込めた。瞬間、広がる爆発。空に数個太陽が出来たかのような威力に、ユーレは手で視界を覆った。
「なんて――」
「面白い」
 痛みから来る涙でにじむ視界。フィルターを通して見たゲイオスの顔に浮かぶおぞましい笑みに、ユーレは背筋が凍るような感覚を覚えた。
(な、何なんだこの男は――)
 初めて見たときから浮かんでいた疑念が再び彼の心を過ぎる。あまりに『ヒーロゥ』からかけ離れているのではないかと、ユーレは崩れそうになる心を何とか意志で支えた。
 爆発が収まって空が見られるようになると、ユーレはすぐケイジの姿を探した。だが、確かにいたはずのケイジの姿はどこにもない。自分の起こした爆発に巻き込まれたわけはなかった。ならばどこにと、ユーレは視線を横にずらした。
 左にはゲイオスがいる。向いたのは右。
 そこに、意識を失って倒れているケイジの姿があった。
 ケイジの身体から光が消えていく。急速に弱まって現れた肉体は、血まみれだった。深い傷は少ないがそこが問題であり、流れ出ていく血が道を濡らす。
「ケイジ――」
「負け犬を構っている余裕はないぞ」
 ゲイオスの視線を追うと、三人から離れた場所に男が立っていた。漆黒の髪の毛を背中まで伸ばし、顔には鋭い瞳と固く閉じられた口が威圧感を増大させる。ユーレは刀が音を立てていることに、動揺した。
(怯えて――)
「だから、目を離すなと言っただろう」
 少しでも離れていたはずだった。そのゲイオスの声がすぐ傍で聞こえたこと、影が自分に重なっていることで、初めてユーレはゲイオスが目の前に移動していることに気づいた。大きな背中の向こうには、もう一人の姿。位置から言ってボーレン。
 相手の拳を、ゲイオスが受け止めていた。
「お前、出来るな?」
「少しはな」
 弾き飛ばすようにゲイオスは手を振り切る。ボーレンは咄嗟に後ろに下がり、また距離は先ほどまでと同じように広がる。違うのは、ボーレンが額に汗をにじませて右腕を抑えていること。
「お前……」
「油断すれば、死だ」
 ゲイオスは胸の前で拳を鳴らす。開き、握ることで鳴る骨の音はそのままボーレンの身体を破壊するかのような響き。
「お前に任せようと思ったが、いい加減退屈になってきたからな」
 ゲイオスは左肩を前にして半身の体勢を取った。後ろに下げた右足に力を込める。そのまま前にいつでも突進できるように、身体中に力をみなぎらせていく。
「学べ。力を」
 言葉と共に、ユーレの視界からゲイオスは消えていた。
 最初は、さらりと前髪を揺らす風だった。次に来たのは、耳を貫く爆音。
 最後には、自分の身体を吹き飛ばすほどの竜巻。意識を失ったケイジもろとも空へと放り出されたユーレは、何とか体勢を戻して彼の身体を掴むと近くの建物の壁を蹴った。二度、三度蹴るうちに勢いが収まってきたことで、ユーレは重力を上手く緩和しながら道路に着地する。風と共に瓦礫が舞っていて遮られている視界。しかし、その中から甲高い音が何度も響いてくる。
(二人が戦っているのか……)
 ボーレンとゲイオス。ユーレは自分の力を超える存在二人を認めざるを得なかった。
「がぁあああ!」
 立ち込める煙の中から聞いたことのない声がユーレに飛びこんできた。ゲイオスではないならボーレンだろう。そして、声に遅れてやってきたのは千切れ飛んだ左腕――
「何!?」
 思考が一瞬止まり、自らに近づいてくる左腕を払うことを忘れた。両手で抱えているケイジをかすかな罪の意識と共に落とし、刀の腹で弾く。重い手ごたえだったが難なく腕は地に落ち、視線を向けようとしたときにはその余裕はなかった。
 今度はただ飛来してきたわけではない。
 明らかに殺意を振り撒いて、ボーレンの本体がユーレへと迫る。後ろから追うのはゲイオス。今度は一瞬足りとも思考が停滞せずに、彼はその場から飛んだ。ボーレンは進路を変えずに突き抜けるとそのまま建物に激突する。一階部分を抉られた建物はそのまま崩れ落ち、上の部分が倒れたままのケイジへと落ちていく。
「しまった!」
 潰されるケイジを想像してしまうユーレ。だが、ケイジの傍にゲイオスが立ち、落ちてくる巨大な槌と化した建物の瓦礫を見上げる。その場から、全く動かない。
「何やってる! ケイジ連れて――」
「大丈夫だ」
 その声は確かにユーレの耳に届いた。空から轟音が降り注いでいるにも関わらず。
「お前の求めている力が何なのか全く分からないがな」
 ユーレに向けて言葉を紡ぐ間、周りがスローになる。ユーレは全て見ていた。ゲイオスの顔も、ケイジの意識がない無防備な顔も、迫り来る瓦礫も、それにまぎれて落ちてくるボーレンも。
「これが、一つの力の形だ」
 掲げられる掌。そして。

 音が、止まった。

 最初に感じたのは冷気だった。まるで肌を優しく撫でていくかのように、風が通り抜ける。ユーレは、自分が顔を強張らせたまま目の前の光景を見ているのだろうと想像がついた。そしてその時間が瞬きするほど短い間だということも。
 ゲイオスの掌に集まった『闇』が一気に解き放たれ、建物の瓦礫ごとボーレンを吹き飛ばしていた。かすかに敵の絶叫が聞こえたと思うも、音としてではなく気配として、ユーレに伝わる。
 音が戻ったのは、上空に飛ばされた瓦礫が凄まじいまでの『力』に押しつぶされ、消滅した後だった。空間が引きちぎられた衝撃と上空での爆発。増幅される音の竜巻にユーレは身を折る。衝撃波は上から降り注いだため身体は道路にたたきつけられる。骨がきしむ音が聞こえるほどの空間の中で、ユーレは微動だにしない両足を見つけた。
 見覚えのある黒い靴。揺れる視界に、揺れない足元。
 しっかりと地に根を張る力強き二足。
「イオス――!」
「これが、力だ」
 その声が合図となったわけでもないだろうが、ユーレは自分の身体を縛る重力が消えていくのを感じていた。完全にそれが消える前に跳ね起きて、ケイジの傍へと駆け寄る。ケイジの身体の傷は既に消えていた。おそらく、先ほどユーレの身体を癒した際の力と同じだろう。ケイジの身体を癒すことと、降って来る死を破壊する。二つの相反する力を同時に発動させた。
「どんな不利な状況だとしても覆すことが出来る。それが力ということだ。お前はこの力がほしいのか?」
「……欲しい」
 ユーレは反発も覚えず、自然と口から言葉を紡いでいた。今まで抱いていた嫌悪感は瓦礫とともに吹き飛ばされたごとくなくなっている。心の中で熱く輝いているのはゲイオスの力への憧れ。それを欲しいと願う強い気持ち。
「あんたの言う通りにすれば、それは手にはいるのか?」
 ユーレの言葉にゲイオスの眉がぴくりと動く。それに気づかずにユーレは徐々に熱を帯びていく言葉を投げかけていく。
「その力、一体どうやって手に入れたんだ? いや、俺には無理かもしれない。なら、俺なりの方法で手に入れることは、出来るのか? 教えてくれ! あんた教師だろう!?」
 目を輝かせながらゲイオスに教えを請うユーレ。しかし、そんな彼をゲイオスは呆れたような視線で見つめていた。そのことにようやく気づいてユーレは一歩引いて首をかしげる。
「な、なんだ?」
「お前にはまだまだ足りないな」
 それで会話を終わらせると、ゲイオスはケイジの上半身を起こして背中を軽く叩いた。すると深遠に沈んでいたケイジの意識はすぐに戻り、目を開けて周りを見回す。最初に見えたユーレに安堵し、次に見えたゲイオスに怒る。
「てめぇ――」
「ローザはどうした?」
 ケイジの言葉を遮ってゲイオスが尋ねた瞬間、彼の後ろに光が灯った。
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