モドル | ススム | モクジ

● 総統の教室2  ●

 二本の刀を置いた男は、ユーレに微笑を送っただけで立ち上がる。ベッドに横になったまま動けないユーレは何とか彼を引き止めたいと願い、声をかけようとする。
 だが、彼の喉は潰れていて声は出ない。手を伸ばして服を掴もうにも腕が動かない。全身を包帯に巻かれたユーレは身動き一つ取れない状態だった。
(待ってくれ)
 心の声が届くと、ユーレは信じた。自分と彼の間ならばきっと通じると。それほどの心の絆が繋がっていると自負していたのだ。どんなに離れていても自分が呼べば来てくれる。世界のどこにいても。何千何万という距離があっても。ユーレの中で、彼は誰よりも気高い『ヒーロゥ』だったのだ。
(待ってくれよ……)
 だからこそ自分のほうを振り返られることもなく、後ろでに病室のドアを閉められた時に彼の心は崩壊した。建物が倒壊するように、地震で大地が崩れるように、正に音を立ててユーレはベッドの下へと落ちる。
 衝撃で立てかけてあった二振りの刀も倒れ、ユーレの目の前に落ちる。耳障りな音が耳を震わせ、脳も揺さぶられる。目の前が赤くなり、身体中の血が沸騰しているかのような錯覚に陥る。
「――――――ぉ」
 くぐもった叫び。口を覆う包帯を噛み切りそうになるほどに、広げ、閉じる。
 喉の奥からこみ上げてくる熱い液体が、ユーレが意識を失う前に感じたものだった。
 瞼をゆっくりと開けると、白い天井が視界を塞いでいた。少々早い鼓動を感じつつ、瞼を開けた時の速度でユーレは体を起こした。自分がいる場所が自室のベッドだと確認してから立ち上がり、背筋を伸ばす。
 孤児院を離れてからずっと見てきた空間はすでに見慣れたものだが、考えてみればまだ一月しか経っていない。ユーレは自分の過去を思い返し、印象に残る出来事が数えるほどしかないことを知る。
「それでもいいがな」
 ベッドの横に立てかけてある二振りの刀へと呟く。思い出の少なさを嘆いたことはなく、むしろ邪魔なものだとも思っていた。望みを叶えるためには、背負う者は極力無いほうがいいとユーレ自身が考えているからだ。
「俺は強くなる。強く、強く、強く」
 呪文のように繰り返す。一言一言呟くことで力が全身を満たしていくように感じられる。十度目の単語を口にしたところで脳裏に一人の男の姿が浮かんだ。自然と拳を作り、力を入れる。
 名前は知らない。だが、初めてユーレと仲間二人の前に姿を表した二週間前に圧倒的な力で彼らを叩き潰した。
 前日にようやく怪我が完治するほどの深い傷を負わせて。
「踏み台に、してやる」
 ユーレは憎しみをにじませて、刀を取った。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 ゲイオスは空気を入れ替えるために窓を開けた。朝の清い空気が夜の間に部屋へ沈殿したそれが攪拌(かくはん)され、外へと出て行く。アークフェルドには明確な四つの気候変動があり、現在は日差しが強く気温も上がる時期だった。早い時間帯でも気温は一つ前の季の昼間に近い。
「二週間。意外と早かったな」
 呟きが向かう対象は三人の生徒。自分が受け持ち、初日に重症を負わせた問題児達だ。校長である禿頭の男から前日に来た報告では三人とも怪我を完治させて登校してくるらしい。それを語る時の校長の顔が歪む様はゲイオスに心地よい感情をもたらした。
(半殺しにされておとなしく来るような奴等じゃない、か。言われなくとも分かっている。だからこそ、この仕事を引き受けたのだから)
 ゲイオスは窓を静かに閉め、息をゆっくりと吸う。
『力』が体内を循環し、徐々に各所の機能が目覚めていく。身体中の細胞が活性化したところで、一気にそれらを解放した。
「はっ!」
 一瞬だけ力を込めて拳を握る。気合に押し出されるように力場が展開し、部屋が震える。ぴしっ、と鋭い音が耳に入り、視線を向けると壁に一筋の亀裂が入っていた。白い壁から覗く茶色い内壁。そこに存在する光り輝く球。
 ゲイオスは球を掴んで軽く眺めた後、鼻を鳴らしてそれを握り潰した。粉々に砕けたそれを床へと落とし、ゲイオスは部屋を出る。誰もいない廊下を一望したところで、虚空に向けて言った。
「監視など堂々とすればいい。隠れてするなど、反吐が出る」
「……分かりました」
 声が聞こえてきたのはゲイオスの隣の部屋からだった。初日に力場を開放して周囲を索敵してみたが、誰も感じることは無かった。それ以来特にする必要も感じなかったために探ってはいなかったが、今朝になって隣の部屋に気配を感じたのだった。
「お初にお目にかかります。私は、ジェイル・ボーゲンと申します。あなたを監視するよう言われております」
「あの男にか」
 ゲイオスが思い浮かべた人物が校長ということはわざわざ尋ねなくてもジェイルには分かる。しかし、会話の流れが切れることを覚悟して返した。
「バルザー校長、です。よろしければ名前を呼んでいただきたい」
「仕えているのか?」
 わざわざ言ってくることと言葉の強さから、ゲイオスはジェイルの立ち位置をそう分析した。自分の主を蔑まれたことで、力では叶わないと分かっていても敵意を向けてくる彼の忠誠心に、ゲイオスのささくれだった感情が少しだけ晴れる。
(主よりもよほど好感が持てる。なかなか心地よいぞ)
 ゲイオスの無言の賞賛には反応せず、ジェイルは畳み掛けるように言葉を紡いでいく。
「私はバルザー様に拾われ、そこから『ヒーロゥ』へと歩みを進めました。あの方がいなければ私は『廃街』で犯罪に走っていたことでしょう。あの方のためならば……私は喜んで死にましょう」
「分かった」
 ゲイオスはジェイルの前を通り過ぎ、建物の入り口へと向かう。戦闘に入ると思っていたのか戦意を置き去りにされた格好で立ち尽くす。ゲイオスは立ち止まり、ついて来ないジェイルに背を向けたまま口を開く。
「お前のように忠義を重んじる者は嫌いではない」
「……悪に好かれるのは嫌ですね」
「そう。お前達はそうあるべきだ」
 会話は終わり、ゲイオスは歩き出す。ジェイルは数歩遅れて後ろについていった。無表情の顔の内側に生まれた感情を漏らすことなく。
 代わりにジェイルが放つのはゲイオスへの敵意。この学び舎のトップであり自らが主とするバルザーが決めたことだから従っている、という気持ちを言葉よりも如実に表していた。心の中に好感が広がっていくのをゲイオスは自覚し、自然と笑みが洩れた。前を歩くためにジェイルには見えない。
(見たくもないだろう)
 正義を悪に語らせるという茶番。劇場から演目まで全てが馬鹿らしい中で『ヒーロゥ』の立場と、ゲイオスの立場を忘れずにいる者は今までいなかった。捉えられてから会った『ヒーロゥ』達は誰もがゲイオスを怖れるだけで、機嫌を損ねないように交渉してきた。ジェイルはいわば初めての敵、ということになる。
「ジェイル・ボーゲン。お前に免じてバルザーという名は覚えておこう。お前の名もな」
「いずれ死ぬあなたには無価値ですよ」
「価値を決めるのは私――」
 そこまで会話を続けて、ゲイオスは急に黙った。ジェイルは背中を見ながらいぶかしむも、歩みは続いているために表情を見ることはない。だが、後頭部の動きからゲイオスが何度か頷いているのは見て取れる。
「そうだな……そうするか」
「何をする気です?」
 ゲイオスは歩きながら顔をジェイルに向けた。先ほどまで張り付いていた笑みは消えて表情はない。それは心地よいものを与えてくれたジェイルに対してのゲイオスのささやかな気遣いだ。
「お前のような者を生み出さないために、一仕事してやろう」
「と、言いますと?」
「『廃街』を潰す」
 その単語にジェイルは足を止め、それにあわせてゲイオスもまた止まる。身体をジェイルの正面に戻し、先を続けた。
「アークフェルドの中心都市フェルド唯一の汚点である『廃街』を無くせば『ヒーロゥ』達の株も上がるだろう。悪の温床が消えるのだからな」
「……だが、それは時の権力が何度も行ってきて失敗しています。貴方にできるのですか?」
「出来ないことはない、と言っておこう」
 ゲイオスは腕組みをしてさらりと答える。
「所詮課外授業だ。成功のために動くが、失敗しても良い経験だろう」
「あの三人を『廃街』に……」
 ジェイルは喉元まで出かかった「危ない」という台詞をしまいこんだ。普通の『ヒーロゥ』候補生ならばまだしも、三人の問題児達にその台詞は必ずしも当てはまらないと思ったからだ。ゲイオスもジェイルの内心を察したのか、満足げに笑みを浮かべてすぐに消した。
「あいつらならばそう簡単には死なない。私もいざと言う時には助けてやる。それに……」
「それに?」
「私も久しぶりに育った場所を訪れたくなったのさ」
 あっけに取られるジェイルを置いて、ゲイオスは歩き出した。もう振り返ることはなかった。
 一定速度を保って歩くゲイオスの後ろをついていくジェイル。やがて宿舎の外に出ると、ゲイオスは彼に構わず体操を始めた。両掌を重ね合わせて伸ばし、そのまま左に右に腰を曲げる。そして腰を回しだしたところでジェイルは理解しきれず声をかけた。
「あの……」
「まだ授業開始まで時間があるだろう。それまで身体をほぐしてくる」
 足を伸ばして腱を切らないように暖める。何かをたくらんでいるのかとジェイルは勘ぐったが、走る前の準備運動にしか見えない。
「付き合うか?」
「いえ。私は姿を消して監視をしようと思います」
「堂々とすればいいとさっき言っただろう?」
「あなたに好かれる気はないとも言いました」
 そう言ってジェイルは息を吐くと、周囲に『力』を展開させた。光の粒子が身体を包み、その姿を消していく。
「周囲の光景を反射させて消えたように見せかける、か」
「『力』の放出も最小限ですむのでなかなか悟られないのですよ」
 完全に消えたところでジェイルの気配が離れていく。少し経つともうゲイオスは気配を確かめることは出来なかった。
(確かに、尾行や索敵にはいいのだろうな)
 ゲイオスは走り出し、不自然にならないように周囲に視線を向ける。自分の宿舎を中心に添えると、東側に学び舎が見える。西側にはゲイオスの宿舎と比べると少し小さめの建物。おそらくは『ヒーロゥ』候補達が住む宿舎だろう。
 森に囲まれた中々広い土地の中に立っているのはその三つ。薄く『力』を広げてみると、広さは小さな村ならすっぽりと埋まるような場所だ。
「若者に娯楽もないなど、不憫な場所だ。禁欲の先にあるものなどたかが知れている」
 軽く笑い、ゲイオスは止まる。空を見上げると雲一つなく、鳥がVの形に隊を組んで飛んでいく。ふと、過去を思い出す。
 部下を率い、空を飛んで街を破壊していた過去。自由に羽ばたいていた頃。
(あいつらは『廃街』にいるのだろうか)
 捕まる直前までの戦いで散り散りになった彼の仲間。その消息は『廃街』にあるように、ゲイオスには思える。
(……もし見つけたなら)
 ゲイオスは再び走り出す。生徒たちが登校してくるまでまだ時間はある。ジェイルの不審気な視線も感じたことで思考を外に追い出した。残滓までは、ジェイルは察することはないだろうと。
(見つけたなら、殺すだけだ)
 敗北には死あるのみ。自分の生死を決めたのは『ヒーロゥ』達。ならば、部下の生死は自分が決める。ゲイオスはペースを変えることなく、それから授業が始まるまで走り続けた。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「さて、自己紹介がまだだったな」
 ゲイオスは目の前にいる三人に顔を向ける。後ろにある黒板に顔を向けず、器用に手だけ動かして名前を書いていく。無論、本名は知られ過ぎているために偽名だが。
「イオス・フィレンシスだ。ここに来るまではアストン支部で『ヒーロゥ』を育てる教官をしていた。よろしく頼む」
 アークフェルドに三つ存在する国。ジオス、フーネベル、そしてアストン。それぞれ首都を同じ名とする国家には『ヒーロゥ』育成機関が存在する。上には三つの支部を統括する国家機関があるが、実情はそれぞれの育成機関が競って質の高い『ヒーロゥ』を生み出そうとしているために内情を知るものはほとんどない。だからこそ、つける嘘だった。生徒達はもとより同じ立場の教師でさえ、彼の嘘を見破るための証拠を得ることは不可能に近かった。
「ほら、お前達も自己紹介をしろ」
「……あれだけのことをやって平然としてるとはな」
 坊主頭に血管を浮き立たせ――とは無論ゲイオスの比喩だが、ケイジ・ルースシャフトは椅子から立ち上がると身構えた。ゲイオスも大人しくしているとは思わなかったが、すぐさま攻撃に移るとするならばまた講義が二週間延びることになる。それは彼の考えをより長く続けるには歓迎だったが、相手が死んでしまう可能性もあった。
「止めておけ」
 手加減の方法をいくつか浮かべていたゲイオスの耳に入り込んだ静止の声。見るとユーレ・スファルタが前髪をくしゃくしゃと右手で掻きながら前に立っている。
「どけろ。臆病者」
「また半死になって入院費を負担することもないだろう」
 入院費、という言葉に反応してケイジは身体を震わせた。落ち着くかと思いきや憎悪の波動が空間を震わせ、ゲイオスにとっては爽やかな演奏が彼の身を包む。数秒の後、ケイジは椅子に座りなおした。唾を床に吐き捨ててゲイオスの方を見ない。必至に復讐しようとする感情を抑えているようだった。
「イオス先生」
 よく通る透明な女声。一瞬、ゲイオスは自分が呼ばれているのだと気づかなかった。偽名を名乗ることはほとんどなかった。自分が認めた者ならば通して名を伝える。認めない者に名乗る名前はない。
 内心の焦りを簡単に押し留めて、ゲイオスは声の主に返答する。
「何か? ローザ・ベル・エリサリス」
 軽いウェーブがかかり、肩の辺りまである金髪の先を指でもてあそびながら、ローザは丸い瞳に好奇の色を乗せて言葉を続ける。
「あなたは確かに私達を倒したけど……私達はあなたを認めたわけじゃないわよ。この下種」
 小鳥のさえずりのような、聞く者の心を揺さぶる声音は激しい怒りを内包して紡がれた。下種というのは全く根拠がなく、ゲイオスは笑いを堪える。自分が噴出すことでまた惨劇が始まるから。
「認める認めないは別にして、私の講義を受けなければ『ヒーロゥ』にはなれないぞ。お前達はどうして『ヒーロゥ』になりたい?」
 さして興味はなかったが、ゲイオスは尋ねる。おそらくは「悪を倒すため」など抽象的で、自分の中の英雄像を持っているのだろう。読んでいた教科書ではいかに悪が社会に迷惑をかけてきたのか、をつらつらと並べ立てているだけであり、自分の意志で悪を憎み正義を愛する心を育てるまではいかないだろうとゲイオスは踏んでいた。
 しかし、ゲイオスの心に初めて純粋な怒りが浮かんだのは、この時だった。
「金のため」
「皆を私の奴隷にするため」
「強くなるためだ」
 ケイジが、ローザが、ユーレが語る。あっさりと、何の重みも感じさせずに。
 ゲイオスはすぐに悟った。三者三様だが、共通していることが一点ある。それは――
(やはり核が、ない)
 二週間前、ユーレに感じた物。葉だけが発達した樹という喩え。風が吹けば飛び散り、折れてしまうような脆弱な物だ。おそらく今、それを否定すれば彼らはショックを受けるものにすぐに別の生き方を探すに違いないと、ゲイオスは無表情の顔の下に黒い炎を燃やす。
(あっさりと……恥ずかしげもなく答えるのか)
 思い浮かぶのは以前闘った『ヒーロゥ』達。自分に及ぶことはなかったが持っていた誇りは敵ながら尊敬に値した。しかし、今目の前にいる三人は、大前提であるはずの『正義』の心さえ持っていない。口にした望みも、本当に望んでいると思えるものが伝わってくるならば否定はしないが、単純に目の前にある餌を喰らい付いているだけのものにしか感じなかった。
 広がる、闇の力。腕輪によって抑えられていても、圧力は変わらない。実体化していない力はしかし、突風となって三人に襲い掛かった。
「うわ!?」
「な、何なの!」
 ケイジとローザは顔を手で覆って身構える。ユーレも声に出さなかっただけで顔を引きつらせてゲイオスを睨みつけていた。
 その風は彼らの中だけに吹く。質量がないはずのそれは、ゲイオスに向かい合うものだけが体感する波動。
 黒く、深く、まとわりつく汚泥。三人は立っていられずにその場に足を折った。
 そこでゲイオスはようやく現状に気づいた。薄くなっていた映像が鮮明になり、震えて腰を落としている三人を見て、力を収めていく。
「……そうか」
 ゲイオスは怒りの火を消すために一拍、間を置いた。空気が一瞬だけ冷え、すぐに常温へと戻る。震えを収めたケイジ達は何が起こったのか分からずに辺りを見回したが、すぐにゲイオスへと視線を戻す。三対の視線を受けて、ゲイオスは考えていた案を示した。
「今日は課外授業をする」
「外に行くんですか?」
 ローザは不必要に笑顔を振り撒いて尋ねる。先ほど下種、という言葉が洩れた口とはこの瞬間に会話を聞いた第三者は理解できないだろう。
「ああ。お前達の力を見ることと、講義を同時に行うよい場所がある」
 ゲイオスは窓に歩み寄って開け放つ。一瞬だが乱れた空気を入れ替えるために。
 時間にすれば数秒だが、それでも空気は十分入れ替えられたように感じた。実際、生徒たちの緊張が緩んだことが背中越しに感じられる。ゲイオスは振り向き、教師らしく質問をした。出来るだけ柔らかく、女性の肌に触れるような優しさを演出して。
「お前達は『廃街』についてどれだけ知っている?」
 ゲイオスの問いに手を上げたのはローザだった。形を変えない笑みが、それが仮面だと如実に表している。そのことを理解出来ないほど馬鹿なはずはなく、ゲイオスに向けてのささやかな抵抗なのだと彼は悟る。
 だからこそ、ゲイオスは受け入れた。抵抗するものは拒まない。
「ローザ」
「はい。『廃街』とはフェルドの東の端にある犯罪者の溜まり場の名称です。何度かフェルド政府が駆逐しようと部隊を突入させましたが、その場では消滅しても必ずどこかに復活します。今までで『廃街』が消滅したのは三回。同じ回数で復活。北、南、東です」
 教科書に書かれていること通りに答えるローザ。ゲイオスは顔に出さず笑う。資料を信じるならば、ローザは教科書の内容全て覚えることなど造作ない脳力を持っているはずだ。知識を吸収するだけでそれを応用することが出来ないのは歳相応であろうが。
「『廃街』で一つの集落を形成した犯罪者達は、犯罪のために外に出ることは減少しましたが、逆に組織的な犯行は増えたために警戒は強まりました。犯罪の温床、それがあの場所です」
「よく出来たな。その通り。あそこはゴミ溜めだ。人間と言う名のゴミがたまる場所だ」
 ゲイオスがあっさりと人格を否定したことで、三人が気色ばむ。三人の中ではゲイオスと似たような考えだったが、それを教師の側から聞かされるとまでは思っていない。
「教師がそのようなことを言っていいのか?」
 ユーレが顔をしかめて尋ねる。教師が、と言いつつも教師に向ける言葉使いではない。ゲイオスは「はっ」と喉元に詰まった何かを吐き出すようにしてから言った。
「どう言い繕うがゴミはゴミだ。お前達もそう思っていたんじゃないか?」
 ユーレも、他の二人も否定しない。しかし、肯定も彼らの気に障った。結果、部屋の中に流れ込む空気以外が止まった。
「まあいい。お前達も十分理解しているようだ。これから授業内容を説明する」
 ゲイオスは黒板専用の筆記具で大きく『廃街』と黒板に描く。そして、その文字をばつ印で切断した。
「『廃街』を滅ぼす。それだけだ」
 簡潔で、最も困難な授業内容だった。
「おいおい。本気で言ってんのか?」
 ケイジ・ルースシャフトが舌打ちしながらゲイオスを睨みつけた。ゲイオスが言ったことであるのに、まるで自分が常識を外れた発言をしたかのような苦味が顔全体に広がっている。そんな相手に関わっている自分が情けないということなのだろうか。
「ローザが言っただろ。政府が何度か消滅させようとして無理だったって。俺等で何が出来るんだよ」
「自分の未熟さを認めるわけか」
 ゲイオスの返答に口をつぐむケイジ。意味を反芻し、理解するまでにたっぷりと数秒を費やして、怒りに拳を震わせた。
「てめぇ……」
「何人も教師を病院送りには出来ても、本当の犯罪者は倒せないわけだ」
「んなわけあるかよ」
「そうかな?」
 ゲイオスは窓際から離れてケイジの前に立つ。身長が高いゲイオスに見下ろされ、ケイジは右拳を腰だめに構えていつでも突き出せるように準備する。だが、ゆっくりと伸ばされたゲイオスの左手が、ケイジの右手を抑えていた。緩慢な動作だたにも関わらず反応できなかったことに、ケイジも他の二人も驚きを露にする。
「教師達は確かにお前達の力を怖れている。だが、本気で闘おうとすればやりようはあったはずだ。正義が正義たるゆえんは、相手の力が上だとしても、その差を策など他の事で補ったからだ。お前達は力はあるが、真っ向から戦わなければ倒せた。それをしなかったのは、お前達が『ヒーロゥ』の卵だったからだ」
 抑えるときと同じようにゆっくりとケイジから離れるゲイオス。動きを見ていたはずなのに右手が開放される時に身動き一つ出来なかった自分を恥じたのか、ケイジは歯を噛みしめて唸る。しかし、更にゲイオスは移動してローザの頭とユーレの剣の柄を触る。ケイジと同じく、見ていたにも関わらず動く事が出来なかった。
 時を止められたように。動く事を忘れさせられたように。
「お前達の実力はそんなものだ。手加減をされていたことに気づかない。小さな山の上を征服して喜んでいるだけだ」
「……言いやがったな」
 ゲイオスの動きに薄れていた怒りが噴き出し、ケイジは赤き光をまとった。体の周囲を取り巻く赤光。身体能力を飛躍的に上げる能力『シャフト・ドライブ』は空気を震わせて耳障りな音を広げる。教室の床までもはがれ始めたところでケイジは叫んだ。
「そこまで言うなら受けてみやがれ!」
 突進して右拳を突き出してきたケイジを、ゲイオスは軽くいなす。力の方向を少しだけ変えると、ケイジは勢いを殺せずに窓ガラスを突き破って外に飛び出して行った。ゲイオスは後を追い、背を向けたままのケイジの背中に蹴りつける。
「がっ!」
 働く慣性は同方向だったために、さほど堪えたわけではないだろう。しかし、ケイジは体勢を立て直せずに校舎の前に広がる運動場へとたたきつけられた。そちらのほうが威力があるのではないかとゲイオスは重力を感じさせずに着地して思う。
「受けるまでもなく、お前は弱い」
「て……め……」
 ふら付きながらも立ち上がるケイジにゲイオスは掌を向けた。とたんに吹き上がる闇の力。ケイジは身体を硬直させて掌の中心を見ている。
「お前が強くなりたいなら、俺の講義を受けることだ」
 その言葉の中で、ケイジは確かに見た。
 ゲイオスの瞳を彩る、黒い光を。
 ゲイオスはケイジに背を向けて学び舎とは反対方向へと歩き出した。ケイジはその背中を呆然と見詰めるだけ。その後ろから駆け寄ってきたローザとユーレに気づいてからようやく声を上げる。
「ど、どこに行くんだよ!」
「準備だ」
 ゲイオスは歩みを止めぬまま肩越しに振り向き、呟くように口を動かす。声量は小さいにも関わらず、風に乗ったのか三人の耳に一字一句漏らすことなく飛び込んできた。
「一時間後に出発する。お前達も準備を整えてここに集まっていろ。時間に遅れたらまた二週間病院に入ってもらう」
 ゲイオスは顔を前に向け、そのまま歩みを停滞させることはない。背中に突き刺さる敵意を心地よく感じながら学び舎から出ると、力を広げて宿舎まで伸ばす。
「――ふっ!」
 一瞬で息を吸い、吐き出す。その動作だけで視界が歪み、静止したところはもう宿舎前だった。自分を見る視線がないことを確認し、ゲイオスは歩きながら右手を擦る。
 掌は、少しだけ焦げていた。
(ケイジ・ルースシャフト……なかなかやるじゃないか)
 十分の一の力のままで対峙した時。ケイジが突き出してきた拳をいなした時に、ゲイオスは掌はダメージを受けていた。その後に突き出したのは無論、もう片方の手だったため気づかれはしなかったが、徐々に痛み出している今を考えると、あの場にいたならば気づかれる可能性は十分にあった。
(二週間前よりも力が上がっているとは……他の奴らもまだまだ楽しめるかもしれない)
 そしてそれは、彼の喜びを増すことになる。
 ゲイオスは高笑いしつつ部屋へと戻っていった。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「ねぇ、あの先生おかしくない?」
 そう自分たちに尋ねるローザの声が震えていることに気づき、ユーレは眉をひそめた。いつも気丈に振る舞い、自分たちには弱さを見せることがないローザが、明らかに怯えの色を表情と声に塗っている。
「何がおかしいんだよ」
 机を思い切り蹴りつけて、ケイジは拳を戦慄かせた。怒りで額に血管が浮かび上がり、自然と身体の周りに赤い闘気が噴出していた。
「だって、あんなに邪悪な気を出してる『ヒーロゥ』なんて会ったことないよ」
「でも実際に『ヒーロゥ』だから教師やってるんだろうが! イオスだっけか!」
 ケイジは怒りをそのまま広げて教室を揺らす。凄まじいエネルギー波にローザとユーレは体勢を保つのに必至だった。
「あの野郎は『廃街』で打ち殺す!」
 言い切ると共にケイジを覆っていた力の力場が弾けて消える。息を何度か吸って落ち着いたところを見計らったように、ユーレの声が響いた。
「そうだな」
 ユーレが立ち上がり、腰にある剣の柄を握る。二刀をゆっくりと引き抜き、ケイジが蹴り倒した椅子へと近づいていく。何をするのかという二人の視線を背中に受けたまま、ユーレは残像を尾に引きつつ椅子を斬り裂いた。威力で中空に浮かんだそれらをまた何度も切り刻む。そうして宙で踊り続けた椅子もついに細切れになって床に落ちた。
「あいつが何者なのかなどわからん。だが、強くなるためには倒す必要がありそうだ」
「でーた。ユーレは本当強さが好きね」
 ローザは先ほどまでの動揺を消して、剣を収めるユーレの背中に抱きついた。耳に唇を寄せ、静かに息を吹きかけてから耳の外側を軽く舐める。
「たまにはリラックスしたら?」
「『廃街』から戻ってきたらな」
 微かに震えが残る腕を優しく掴んで外すユーレ。少し距離を取ったところで、窓の外を見やる。
「残り時間に、できる装備は整えよう」
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