ススム | モクジ

● 総統の教室1  ●

「出ろ、ゲイオス・ボルニファイズ」
 低く野太い声が男の耳の奥を刺激する。周囲は彼の力を吸収する『闇』が覆い、手には本来の四分の一に力を抑える手錠がかけられていた。閉じていた瞳を開けても暗さは変わらない。先ほど聞こえた声は幻聴だったのかと思い始めた時に、次の言の葉が届いた。
「そのまま歩けば『闇』からは出られる。ただ、前に足を踏み出せばいい」
 言われた通りにすると視界が開けた。薄暗い光は『闇』に閉じ込められている死刑囚が目を焼かないための措置だろうかと、ゲイオスは思考する。ふと思いついて、自らの力を解放してみた。力の解放は喩えて言うならば両手を広げていく行為だ。最後まで開ききることで清々しい感覚をゲイオスへと運ぶ。だが、徐々に広がっていた力はある時を堺に遮られる。
「どうかね? 悪の総統に相応しい拘束具だとは思わないか?」
 勝ち誇ったように語る男はしかし、顔に恐怖を張り付かせていた。力が抑えられているとはいえ、その波動は周囲へと広がる。量は少なくとも質は変わらないため、邪悪な力に当てられた男は顔を青ざめさせて震えていた。言葉は、精一杯の虚勢。
「我々『ヒーロゥ』は悪を倒す者達だけではない。彼らを支援し、捕縛した悪に隙を与えない技術も提供する。お前はもう終わりだ」
 ゲイオスは無表情のまま男を見つめている。
 炎がそのまま変化したような長髪を首の後ろで束ね、何本かに分かれて下りている前髪の下にあるのは同色の瞳。真紅のそれから発する光は何人もの『ヒーロゥ』を射抜いてきた。体格は優男といっていいほど細いが、けして虚弱ではない。外見は人間の成人男子と変わらない。違うのは、内に眠る黒き力だ。
 広げていた力を消失させると、ゲイオスはゆっくりと歩き始めた。男は「ひっ!」と叫び後ろへと下がったが、自分が前に進めと命じたことを思い出したのか咳払いをして背を向ける。
 すでにゲイオスの中から男の存在は消えていた。自分のひ弱な矜持にすがりつくような者は敵ではない。彼の中で自らの組織の者以外で存在に値するのは対する存在――『ヒーロゥ』と呼ばれる戦士達だけ。
 彼を破った『ヒーロゥ』達だけだった。
(強かった……正に、戦士だった。身を置く場所が違うだけで。もう思い残すことは無い)
 ゲイオスの心は幸福に包まれていた。世界を滅ぼし、再生を帰すことが彼と彼の組織『ファイズ』の目的であり、全てを滅ぼすという信念の下に正義を名乗る『ヒーロゥ』達と戦った。
 持てる力を全て注ぎ込み、部下も全て失い、彼は敗れた。
 目的を果たすことは出来なかったが、それは自分の力が足りなかっただけだと思えるほどに燃焼し尽くした。満足の行く戦いをしたゲイオスはもう思い残すことはなかったのだ。
(これから向かうのは死刑台か。潔く死ぬ。それもまた、誇り高き悪でいることだ)
 敗者は語らず、ただ去る。それがゲイオスの持つ悪の美学だった。
「ここに入れ」
 前を歩いていた男が道を開けて、ゲイオスへと言葉を投げつける。指し示したのは開かれた扉の奥。薄暗く先は見えない。特にいぶかしむこともなくゲイオスは歩き出した。
 通路に入ったところで入り口のドアが閉まる。完全な闇ではないのは、かすかな光が進行方向から流れてくることが原因だろう。硬質な音を立てる床。自らの履くブーツの底に張り付く素足を感じる。終わりへの一歩一歩をかみ締めている自分に、ゲイオスは苦笑する。
(私が、このような気持ちになるとはな)
 意識的に足を速めると光がより強くなる。それは電灯の物というよりも、正義の象徴としての光のようにゲイオスには思えた。光は彼にとって敵である『ヒーロゥ』達がまとう物。悪である彼の周りにあったのは暗闇であり、ほぼ無縁であったといっていい。そんな自分が光の中で死んでいく光景を想像したことでの、些細な戯言。誰にも話すことはないと飲み込んで、ゲイオスは光に包まれた。
「ゲイオス・ボルニファイズ」
 正確に名前を呼ばれるのはここで二度目だった。先ほどとは違い、光は眼を焼く。一瞬の痛みを堪えて瞼を開けるとそそり立つ壁が見え、視線を上に這わせていくと、三人の男が立っていた。
「おやおや。今、最も勇名を世に知らしめている『ヒーロゥ』三戦士ではないか。私との決戦時に、完膚なきまで吹き飛ばした記憶がある」
「……お前の力は強大だった。お前を倒せたのは運だと素直に認めよう」
 三人の男のうち、中央に立つ男が一歩前に出る。髪の毛ひとつない頭部から顔の半面を覆っている茶色。生まれつきではなく、明らかに最近つけられたという火傷の痕。他の二人も包帯で顔中を覆っていたり、右腕を吊るしているなど多数の傷が見受けられる。直前に参加した戦闘の凄まじさを物語っていた。
「お前は近年まれに見る悪だった。強大な力と、ただ世界を滅ぼさんとする邪悪な心。それを貫き通す意思力。敵ながらある種の敬意を俺はお前に持っていた」
「生の終わりに宿敵から賛美を貰うとは、感謝の念で身が潰れてしまうな」
 ゲイオスは皮肉を漏らすことなく伝える。中央の男はまだしも、他の二人は自身の矜持を傷つけられて襲ってくるだろうと彼は読んだ。だが、それは外れて虚空に消える。身体を微かに震わせた程度で、残る二人もゲイオスを見下ろしている。
 そこで初めて、ゲイオスはいぶかしんだ。
「お前のその誇り高さを、買いたい」
「……何だと?」
 真意を全く読み取れず、ゲイオスは困惑した。彼らの姿を初めに見た時は、処刑される自分を蔑もうと訪れたのだと思っていたが、そこには敵への敬意が感じられた。良く周りを見れば、処刑のための設備も処刑場へと続く通路も見当たらない。あるのはゲイオス自身が入ってきた通路と繋がる扉。そして、三人の『ヒーロゥ』達がいる場所の後ろへと伸びる通路だけだ。
「実はな、私達以上の強さを持つだろう者達がいる。我々が素質ある若者を集めて『ヒーロゥ』を育成することは、お前達も知っているだろう」
「ああ」
 組織名や指揮する者は違えど、悪の組織は過去から現在の時の流れに存在した。六十年前に源流が生まれ、そこから大きさを変え流れを変えながらここまできた。
『ヒーロゥ』は、その川に寄り添うように進んできた、正に影を生み出す光である。知らないはずはなかった。だが、ゲイオスの中では話がまだ繋がらない。光と影は交わらないものだ。
「……お前が死を望まないならば、その者達を育ててみないか?」
 回りくどく言うことを嫌ったのだろう。それまで話していた禿頭の男とは別の、身体中を包帯で覆った男がくぐもった声で依頼する。
 その内容を理解して、ゲイオスは顔から血が引いていくのを感じていた。
(この者達は……私が死を恐れていると思っているのか?)
 敵に敗北し、捕らえられたことがどれほど屈辱的なことなのかを目の前の三人は分かっていないのか。それとも分かった上でゲイオスの誇りを更に踏みにじる気なのか。後者ならば何も言うまい。自身が抱いていた「正義の戦士達」の印象は崩れるが、醜悪な部分を持たない者などゲイオスには絵空事の中にしかいない。敗者は辱めを受けても口をつぐみ、死んでいくだけ。
 だが、三人の瞳はゲイオスの表情から死への恐怖を読み取ろうとしていたのだ。それを悟った瞬間、ひび割れる音が彼の耳をつんざく。心の中で信じていた虚像が、完全に崩れた。
(私は、このような奴らに、負けたのか)
 絶望の次に訪れたのは静かなる怒り。ふがいなき者達に敗れた自分への怒り。堪えきれずわずかに洩れたそれは、ゲイオスの身体を震わせる。それを間違って受け取ったのか、声は力を増す。
「本来ならば死刑だが、超法規的措置として不自由なき生活を与えよう。監視付きだが。一人の男として生きるなら十分すぎる報酬だ」
 松葉杖に寄りかかって最後の一人が言う。その口調は追い詰められた者に対して救いの縄を垂らしているかのように、優越感を帯びている。
 ゲイオスの前にいる三人の『ヒーロゥ』
 現在、最も強く、最も気高く、穏やかに暮らす力なき人々に愛される者達。
 世界の破壊と再生という自らの欲望に従って敵対してきたゲイオスだったが、それでも相手に価値を見出していた。自分が蹂躙した先に手に入れる世界。そうさせまいと立ちふさがる障害。少なくとも闘っていた時は瞳の中に誇りを見た。色も方向も違っていたが、強さだけは認めていた。
(全て、虚像だ)
 怒りが急に消え、ゲイオスは笑う。俯いて『ヒーロゥ』達には見えなかったが、目は血走り不自然に口は歪む。それでも、視線を戻した時には微かな笑みが張り付いていた。
「ああ。私も命は惜しい。申し出を受けよう」
 満たされている空気が暖まる。先ほどまで冷たかった空間に暖気が流れると『ヒーロゥ』達は笑った。ゲイオスも今度は声を上げて笑った。

 笑顔の裏側に渇いた笑みを貼り付けて。


 ◇ ◆ ◇


 この世界、アークフェルドの歴史が紡がれて四千年。石を削り木を用いての生活から、機械文明の発達によって人々は安定した幸福な日々を送るまでになった。
 だが、連綿と続く歴史の中には必ず光と影がある。ささやかな幸せを望む人々を恐怖させてきた悪。悪は光を望む力ある者達に駆逐されてきたが消えることはなかった。そして現在から六十を遡る年に、今まで散発的に生じていた闇の霞が一箇所に集まり質量を持つまでに成長する。
 悪の組織『ベトレーダー』
 歴史上、初めて悪と呼ばれる者達が集まった組織であり、自らの欲望に従って計画的に人々を襲った。異能力を持つ彼らに通常の国家防衛機構は役に立たず、アークフェルドの中心国の首都が陥落寸前まで追い詰められた。
 そこに現れたのが後に初めて『ヒーロゥ』と呼ばれた男。
 サーフィス・マクレバリだった――


「ふん。面白みのない書き方だ」
 ゲイオスはベッドに横になって読んでいた教科書を放り投げた。放物線を描いたそれは離れた場所に鎮座している机の上に正確に着地する。落ちた教科書の下にはそれまでに読まれた他の教材が同じように置かれていたが、ほとんどずれていない。彼のいるベッドの横に同じ種類の本が詰まれていることから、先の動作を何度も繰り返してきたと推察するのは容易だろう。
「『ヒーロゥ』を養成する教材だからだろうが……我々のことをないがしろにしすぎている」
 ベッドから起き上がり、ゲイオスは特に意識せず部屋を見回す。あるのは机とベッドだけ。窓は一つで外には校庭が見える。白だけの縦長な部屋。目を開くだけで脳が侵されていくような錯覚を得る。
「崇高な思想とやらを詰め込むだけで、自分達が何と闘っているのか、何のために闘っているのかを知らない者は、脆い」
 自らが父に教えられた台詞を反芻する。悪の組織として何代目であるかはゲイオスの記憶には残っていないが、少なくとも『ファイズ』という組織は父から受け継いだ物だ。幹部は全て入れ替わったが、染み込んでいる信念は父と共有していた。
 教えられた中で核となることは二つだった。
 自らの望みを支える信念を持つこと。
 そして、敵に敬意をはらう事。
 自らの望み――ゲイオスならば世界を滅ぼしてその先にあるものを手に入れることだが、その目的を果たすことで至る場所まではけして平坦な道ではない。何度もくじけそうになる心を支えるのは想いの強さ。心に雄雄しく立つ一本の柱だ。
 また、誇り高き敵の存在を認識する。敵がいるからこそ、油断することなく自らを高めることが出来る。目的へと至った時の価値を、増やしてくれる。立場は違えど、敵もまた信念を持って闘うのだ。だからこそいつでも敬意を忘れず、尊厳ある死を与えなければいけない。
(そうだ。与えなければいけないんだ)
 そう教えられたゲイオスにとっては、今の状態は二重の意味で絶望していた。捕らえられて生かされている事と、敵を頼らずにいられない『ヒーロゥ』達のふがいなさ。依頼を受けてから二日。当初は暗い怒りに支えられていた心も、現在では萎えていた。
 自分達と『ヒーロゥ』の違いは考え方だけであり、他は同じくらいの高みにあると信じていた。組織化した悪と彼らの戦いは六十年続いていると投げ捨てた教科書にはある。
 六十年。けして短い期間ではない。
 人類の歴史が作られてからに比べれば微々たる物ではあるが、今、生きている者達にとっては手を伸ばしても届かない年月。そのような長い間に、悪は自らの信念を持ち続け、正義を掲げる『ヒーロゥ』はそれを失ってしまったのだろう。
 ゲイオスの目の前に見えるのは、灰と化した誇りだけだった。
「くだらん」
 部屋に嫌悪を霧散させて、ゲイオスは教科書を持つと部屋を出る。廊下に出て左右を見ても誰もいない。現在の状態が特殊であるため、住居も隔離されていた。
 移る視線を最後に自分の両手首へと向けると、金色のリングがはまっている。牢屋でつけられていたフェースドライブ減衰装置。ゲイオスの強大な力――フェースドライブと呼ばれる異能力――を四分の一に抑える物を更に小型化している。皮肉の視線しか持たないゲイオスには、それさえも『ヒーロゥ』の体たらくが生んだ玩具に見えた。
 右手に教科書を持って立ち上がり、ゲイオスは部屋を横切っていく。硬質的な響きを一定のリズムで刻む足。先ほど見回した時に力を広げて確かめた結果は、百人ほど居住できる建物であるようだ。それを今はゲイオスだけで利用していた。
(まあ、いい。『ヒーロゥ』の卵とやらを皆殺しにして、あざ笑ってから死ぬとしよう)
 すでに死だけを求めていたゲイオスは、薄暗い想いを胸に学び舎へと向かった。
 廊下を歩く間に先日語られた現状を反芻する。脳内に再生されるのは再構成した情報ではなく、語った本人の肉声だ。しかし禿頭ということは覚えていても、名前を思い出すことはない。
 相対した相手が名乗ったのならばゲイオスは忘れない。自分が殺すと決めた相手の名前は覚えておくと心に誓っているからだが、逆を言えばただ立ちふさがっただけで価値を認めなければ残らないということだ。
 記憶に残る映像の中、禿頭が告げる。
「受け持ってもらいたい生徒は三人。男が二人で女が一人だ。我々はお前達の活動を防ぐ合間に次世代の『ヒーロゥ』を育てているが、現在三人の現『ヒーロゥ』が彼らと関わった結果引退している」
「引退?」
 自分の尋ねた声も加わり、スムーズに廊下を進みつつも過去の会話を再現するゲイオス。まだまだ目的地へは時間がある。
「問題児三人は性格も困難だが、実力は相当なものだ。最初は『ヒーロゥ』になって数年のキャリアが浅い者が担当して全治一年。次はその彼を請け負っていた主任女性が引き継ぎ、現在は精神病棟へと入っている」
 ゲイオスは顔を驚きに染めて雰囲気を意図的に作り出した。禿頭の男は相手が予想しようがない情報を突きつけてその動揺に愉悦を感じる人種であると、ゲイオスは少ない会話の中で見抜き、望む役を演じる。
 結果、禿頭は自嘲気味に笑うと言葉を続けた。その自嘲が形だけだと知られていることを分からずに。
「三人目は『ヒーロゥ』の中でも年長で経験も実力もかなりの者だったが、やはり病院へ送られた。全治数ヶ月というところが初めの者とは違ったが。このように問題児はすぐに実力行使に出る。それにまず耐えられるものでなければ教育が勤まらない」
(つまり、お前達が無能だということだろう)
 その考えを伝えるのは楽だが、見苦しい言い訳や意味のない嫌悪を受けることもないとゲイオスは口をつぐんだ。今度は特に意図したわけではないが、禿頭は三人の問題児達を恐れたのだと解釈したらしい。
「大丈夫だ。力を抑えられているとはいえ、お前ならば、な」
 その後に続く言葉は広がった空気から読み取れた。
『死んでも構わない』
 語られなかった言葉。しかし、確かに放たれた言葉。ゲイオスの心に刻まれた言葉だ。
「お前達の正義など、その程度だ」
 吐き捨てたところで宿舎の出口へと着く。そこから少し離れた場所に『ヒーロゥ』の卵が孵化するための学び舎が見える。ゲイオスは試しに自らの力を空間に広げた。
 それは粘土を平たくする作業に似ている。最初に固まっていた固形を引き伸ばして広げていく。総量が多いだけ距離が伸びる。現在は四分の一に力が抑えられていたが、学び舎の入り口に届いた。
「――ぅ」
 息を吸い、一瞬で吐く。それだけの動作でゲイオスの身体は宿舎から消え去った。立っていた場所を取り巻く空気中の粒子が小波を立ててすぐに止む。
 そして、ゲイオスは学び舎の前に姿を表していた。
 瞬間的に長距離を飛び越える力。それは自らの闇の力が届く範囲でならばいつでも可能な移動手段だ。総量は減っていても、やれることは変わらないと確信してゲイオスは頷く。
(さぁ、いくか)
 脳裏にあるのは前途ある『ヒーロゥ』三人を惨殺した映像。そこで高笑いする自分。乗らない気分を想像の快楽だけで補い、ゲイオスは学び舎の中へと進みだした。
 彼を待つ教室へと。
 歩みを止めない彼に向けて「おはようございます」と甲高い声が突き刺さった。この学校には十五歳から二十歳までの『ヒーロゥ』候補が混在しているとゲイオスは聞いていたが、その中でも年少の者達がいる場所だとこの時点で分かる。元々子供というものは苦手だった。音を出さぬようにため息をつき、彼は自らの担当する教室の前までやってきた。他のクラスは喧騒が廊下まで出てくるというのに、目の前にある部屋からは物音一つ聞こえない。しかし、ゲイオスは気にすることなくドアを開けた。
「炎龍砲!」
 その瞬間、名前の通り龍の顔を模した炎が、ゲイオスの顔面へとめがけて飛んでくる。建物内で放つほど常識外なことはない。だが放った相手はそれを見越してゲイオスが油断し、かわせないだろうと思ったから攻撃を放ったのだ。相手の虚を突く間は絶妙で、確かに龍の顎はゲイオスの顔を飲み込んだ。
 ――ように見えた。
「え?」
 一瞬でかき消えた炎の先から間の抜けた声が聞こえる。ゲイオスから見れば幼い、女の子と言ってもいい女声。実際、彼が視界に入れたのは格好こそ学校指定の黒を基調にした服装だが、上着の上にあるのは金髪で大き目の瞳の娘だ。着飾れば同年代やその上を篭絡することは十分可能だろう。
「な、なん――」
 女性としての気遣いはあるのか、唖然とすることで口が開くのを避けたらしい。疑問の声を最後まで出さずに飲み込み、口元を左手で覆う。
「なかなか良い攻撃だが、相手が悪かったな」
 そう言ってゲイオスは右手を軽く振った。掌には微かに焦げ跡が残り、どうして顔が飲み込まれなかったのかを如実に語っている。
 動けない状態だったはずのゲイオスは、一瞬で右手を顔の前に持っていくと炎の龍を握りつぶしたのだった。その速度もさることながら、反応できる反射神経と、炎のエネルギーを相殺する力は、少女に警戒心を与えた。
「あなた……やるわね」
 少女は椅子に座っていたが、右拳を左掌に打ち付けて立ち上がる。両隣に座っていた男二人が口々に少女に声をかけた。
「ローザ。加勢しないぜー」
 坊主頭の少年が短い髪をむしるように掻きながら言う。ローザと呼ばれた少女と同じ服だが色は赤色であり、その下に隠された肉体は無駄のない筋肉を供えているとゲイオスは見た目から判断する。三人の中では最も強い力を感じとった。
「お前の次は俺がやろう」
 三人目は緑色の服を着た長髪の男だった。首の後ろで雑に縛られていたが、その荒さがまとっている雰囲気に合っている。髪の毛は藍色気味。腰にある二本の剣は刀身が反っている形のもの。長さがそれぞれ違っていた。
「あんたたちは黙って見てれば良いのよ」
「三人で来い」
 ゲイオスの言葉と同時に椅子が三つ、空を舞う。ゲイオスは一瞬で自らの力を開放し、足先に集めて引き伸ばした闇の力は椅子三つをなぎ払う。宙に浮いた椅子を更に蹴りつけると、崩壊する過程さえも見えずに消え去った。
「お前達程度なら三人一緒でなければ相手にならん。三人でも変わらないがな」
 椅子が消えた空間を目を見開いて眺めていた三人は、同時にゲイオスを睨みつける。鋭い視線がゲイオスの肌を刺激するが、快楽よりもむず痒さを覚えた。
(まだまだ力は弱い……だが)
「おっさん。泣いてもしらねぇぜ」
 坊主頭の少年が両拳を握り腰ために構える。呼吸速度を深呼吸から徐々に早くしていくと、身体を赤い力場が覆い始めた。
 赤い男の周りに広がるそれがゲイオスの肌を焼く。しかし、彼は気にせず自らの力場を開放した。引き伸ばして教室の外、全ての生徒達が学び舎へと入ったために無人となった広場まで達する。当然、広がった力は対峙する三人にも感じられる。
「な、なんだ?」
「この力――?」
 ゲイオスへと殴りかかろうと構えていた赤い男とローザはまとわりつく虫を払いのけるように手を動かす。一人、二本の刀を静かに抜いた男はゲイオスから目を離すことはなかった。
「――ふぅ」
 静かに息を吐く。脳内に想像した光景を現実世界に投影する。教室内にあった自分を含めた四つの身体は、力が届いた外の広場へと一瞬で移動していた。
「え!?」
 ローザの驚愕に染まった悲鳴。その刹那、ゲイオスは前に突き進んで拳を繰り出した。完全に反応出来ずにローザは口を開けたまま迫り来る拳を向かえた。
「この野郎!」
 届く寸前の拳、その甲に横から蹴りが突きつけられる。ローザの顔面を貫く代償に、右腕が吹き飛ぶ様を想像してゲイオスは引くと同時に後ろへと身体も下げる。眼前を抜けていく蹴りを見て、拳を蹴りつける足と一緒に首をへし折るための足を繰り出していたのだ。
「ケイジ・ルースシャフト」
 ゲイオスの紡いだ名前に赤き力をまとう男は動きを止める。その瞬間を見計らい、ゲイオスは男の目の前に詰めると両手で首を思い切りはさみこんだ。気道が詰まり、口から血痰が飛び散る。
「がはぁ!?」
「『ヒーロゥ』養成施設を立ち上げた伝説の『ヒーロゥ』バルト・ボスペルトの相棒だった男、レイズ・ルースシャフトの孫。その身体をまとう赤き力『シャフト・ドライブ』は攻撃力防御力スピードなど肉体の限界値を数倍に引き上げることができる。同世代にも年上にも負けたことがない」
 資料を読むように――三人を担当する際に与えられた資料を一読して覚えた知識――ゲイオスは紡ぐ。感情を差し挟まず、紙面に連なる文字を朗読するように語りながら、両拳を次々とケイジの身体へと叩き込んでいく。まるで感情と動きが途切れているかのように。
「げぼっ!? ぐ、ぐが!?」
 ゲイオスの右拳がケイジの左頬を真横に弾き飛ばす。しかしすぐに、もう一方の頬が反対側へと跳ね飛ばされ、脳が揺さぶられる。それを数回繰り返して浮き上がった胴体へと左の足が蹴りこまれ、ケイジは空を飛んだ。強制的に、重力を無視する力を加えられた身体は地面に叩きつけられて六回ほど転がったところで動きが止まった。
「これが、人生初の負けだ」
「このぉ!」
 苛烈な攻撃に仕掛ける隙を見出せなかったローザが、生まれた間隙に滑り込む。周囲に光球を十個発生させて、全てをゲイオスへと向ける。
「死ねェ!」
「死ぬ理由がない」
 指差した地点にゲイオスの姿はない。代わりに聞こえた声は真後ろから。自らの放った魔法の着弾による爆風に髪の毛を乱されつつも、ローザは振り向きざまに拳を突き出した。ゲイオスは難なく掴むともう一方の手も握って顔を近づけた。血を吐いて倒れている男と、刀を抜いて構えている男がいなければダンスを踊っているようにも見えただろう。
「ローザ・ベル・エリサリス。呪われたベルの名を持つ者」
「あなた――!」
 ローザがその端正な顔を険しくし、瞳に憎悪の炎が燃え上がる。それを沈下したのはゲイオスの頭部だった。ダンスを踊るように密着した状態から胸部上の力だけで繰り出された頭突き。あまりに原始的で、それだけに全く無防備に喰らってしまう。ローザは白目を剥き、潰れた鼻から血を撒き散らして沈んでいく。両手をつかまれているために膝をついてゲイオスの足にもたれかかる形となった。意識のないローザを見下ろしながらゲイオスは朗読を続ける。
「『魔法』――自らの持つ力を想像力と創造力を利用して現実世界に具現化させる技術を操る者の中でも、才能はけた違いである。性格は高飛車。世の男性を全て意のままに操れると信じ、それを実行している。血筋に問題あり。ベルという呪われた――」
「敗者に、それ以上の辱めは止めてくれないか」
 第三の声に反応し、ゲイオスはローザを無造作に放り出した。横から突き出される剣閃を紙一重で交わし、その刀身を掴む。高速の動きを封じられたことで突き手も動揺したのか刃が震える。力を込めて握っているはずの手からは血は出ていない。うっすらと闇色の力場がゲイオスの掌を覆っていた。
「ユーレ・スファルタ」
 刀から手を離し、背を向けてゆっくりと歩き出すゲイオス。無防備に見える背中だが、ユーレと呼ばれた少年は動かずに刀を心臓の位置へと向けた。
「『ヒーロゥ』としての身体能力値は最低にあたる。だが、その愚直なまでの剣術修練によって二刀の切れ味は歴代『ヒーロゥ』の誰よりも優ると言われるまでになった。ケイジやローザと違い、血は全く平凡なもの。寡黙で何を考えているか分からない。物事を選ぶ基準さえも分からない」
「分からないやつが愚鈍なんだ」
 ユーレは一度構えを解き、ゲイオスに告げる。歩き続けていたゲイオスはユーレへと身体を向け、真っ直ぐに瞳を見た。腕は前に組んだまま。
「俺は強くなる。この二刀にそれを誓った。強くなるためならばどんなことでもしよう。あなたがどんな人物かなど関係ない。俺の踏み台になれば、それでいい」
「何故、強くなろうとする?」
 ゲイオスの問い掛けはユーレを失望させたらしい。顔にあからさまな嫌悪を浮かべてユーレは吐き捨てる。
「強くなりたいからだ」
(下らん)
 心の中でゲイオスは一瞬で切り捨てる。言葉をどんなに飾っても、ユーレが言っていることは核がない。幹がないにも関わらず枝だけが肥大しているアンバランスな木と同じ。少し突付けば壊れてしまうような脆さだ。
「何がおかしい。実力の差で見下しているのか?」
(そして自分との力の差さえも正確に把握できていない)
 ゲイオスは腕組みを解いた。両手をだらりと下げ、目を細めてユーレを見る。その視線の意味を理解したのか、ユーレは顔を青ざめさせて後退する。唇の震えを強引に押さえ込もうと強く噛んだのか、血が微量流れる。
「何を、考えている? お前は――」
「何も」
 一瞬で広げる闇の力。広げた力で周りの空間を引き寄せたかのように、彼の身体はユーレの前に移動する。ゲイオスが空間転移を正確に、連続で行える人間という事実を目の当たりにして初めて、ユーレの瞳に恐怖の色が浮かんだ。
「お前の言う通りだ」
 言の葉に、腹部へと放った左拳に思いを乗せる。弱き者を粉砕するという思いはユーレのアバラを砕き、血反吐を吐かせた。その血が衣服を真正面から濡らすことも気にせず、そのまま左手を真上に掲げる。ユーレの腹に拳を埋め込んだまま。
「分からないやつが愚鈍なのだ」
 血がゲイオスの顔までも濡らす。頬を滴り落ちてきた血を舌で舐め取ると、ゲイオスは身体を反転させてユーレの身体を力を込めて投げ飛ばす。その軌道上には立ち上がって彼へと向かおうとしたケイジの姿があった。
「な――」
 身体同士がぶつかる鈍い音によって最後まで聞こえない叫びを背に、ゲイオスは学び舎とは逆の方向に歩き出した。出口――つまり、自分の住む隔離宿舎へと。
 しかし三人の瀕死体とは別の気配がやってきたことで立ち止まる。第四の気配は悲鳴じみた声でゲイオスを呼び止めた。
「何をやってるんだお前は!?」
 声に聞き覚えがある、と思い出すことが一瞬遅れる。だが、声の主を思い出すと笑みを浮かべて振り返る。顔が恐怖に彩られているのは問題児達が血の中に沈んでいることと自分の笑顔によるものだろう、とゲイオスは更に気分が紅潮した。
(ここまでの気分になったのは、捕まる直前以来だ)
 せまり来る敵をなぎ倒す時の衝動に、今この時に感じているものは似ていた。
「教育だ」
 自分の一言に唖然とする相手――問題児達の教育を要請した禿頭の男の、顎が外れそうになるまで開いた口の中に拳を叩き込みたい気持ちを何とか抑え、ゲイオスは続ける。
「お前がここの校長だったとはな……襟についている証はそういう意味だろう?」
「……そうだ。だからこそ、お前に教師を依頼したのだ。その結果が、これとは」
 禿頭の男は拳を震わせて倒れている三人を一人一人見回した。命に別状はないようだが、しばらく入院することになるだろう外傷。禿頭の男から噴出してくる殺意に心地よさを感じつつも、それに流されないようにするのはゲイオスには苦しい。
 それでも、彼は耐えた。彼の中に一つのある思いが生まれ始めていたから。
「あいつら、気にいった。依頼通り教えてやる」
 迫ってくる殺意が霧散したところで、ゲイオスは再び宿舎へと歩き出す。今度は声をかけられても止まりはしない。語ることはすでに語った。心の中に生まれた思いも形となった。あとは、実行するだけ。
(面白い……面白い面白い面白い! 私があいつらを育ててやる。最強の『ヒーロゥ』にしてやろう)
 つまらない者達を彼が描く『ヒーロゥ』に変える。悪が理想の正義を育てる。その茶番がもたらす快楽は、ゲイオスを虜にしていた。
「くくくく……はははははははははははははぁ!」
 高笑いが空を駆ける。
 こうして、ゲイオスの教師生活一日目は終わりを告げた。
 生徒三人に与えたのは、全治二週間の怪我だった。
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