この空に、手を伸ばす。
 ただ、それだけの行為なのに、どうしようもない無力感に包まれていたのはどうしてだろう?
 きっとそれはどうしようもない現実から逃れることが出来ないから、浮かんできた感情なんだろう。自分でもほとんど意識していなかったけれど、どこか居場所がないような気がして、ずっと青くなりたい、空に溶けたいと思ってきた私だからこそ、そう感じるのかもしれない。手を下ろして、私は前に続いていく道を眺める。
 朝の空気が気持ちよくて、こうして通学路を歩いている時間はまだHRが始まる一時間前。おそらく着いても八時前になるだろう。
 気分がいいことがあった次の日には、こうして人の気配が満ちる前の道路を歩きたくなるんだ。

『水島君の気持ち、半分分けてくれる?』

 その言葉を思い出すと顔が熱を持つのが分かった。今、思い返すととてつもなく恥ずかしいんだけれど、けして後悔はしない。むしろ言えた私のことを、今まで以上に好きになった気がしていた。それもそのはずで、今までの自分を好きだと思ったことが、あまりなかったのだから。
「あれ? 咲坂さん」
 思考の中に出てきた水島君がしゃべったような気がして、私は思わず周囲を見た。私がいる道へと続く横道から、水島君が出てきた。あまりのタイミングのよさに自然と緊張してくる。
「あー、まさか出会えるとは……おはよう」
「お、おはよう」
 声の震えが伝わらないようにしようとしたけれど、ちょっと準備不足だった。彼の顔が少しきょとんとして、それから柔らかい笑みに変わる。なんていい顔をするんだろう。今まで見てきたどの水島君よりも、より良く見える。
「咲坂さんもこんな時間に行くことあるんだね」
 歩みを止めなかったから、私達の距離はすぐゼロになる。それからは隣り合って学校を目指す。
 おそらく、人生で一番長い通学路になるかもしれない。
「なんかさー。いい事あった日の次の日って、やけに早起きしたくなるんだ。寝てるのがもったいないって言うか」
「あ、それ私も。水島君もなんだね」
 会話をしていくと、さっき思い出していた感情が塗りつぶされていくような感覚を覚える。届かない空。確かにそこに行くには、私の足は大地から離れないでいる。
 でも、今はそれでも良かった。
 少なくとも、ここを離れる理由なんて今はないんだから。
「今日は暑くなるのかな?」
「そうだねー。もう夏本番になるんじゃないかな」
 学校へと続く道。二人分の足音が聞こえる。
 届かない場所へと旅立つ日まで、まずは歩いていこうと思う。




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