Powder Snow 08


 授業が終わって、ホームルームが過ぎていく。最後の授業からずっと寝ていた『俺』は、いつの間にか担任の先生がいる事に混乱しているようだった。

「いつのまに先生が来てるんだ?」

 隣の男子生徒に聞いている。確か名前は……久坂だったか?

「眠りこけてる間にな。数学、宿題出たぞ」
「まじ! 教えてくれ!」
「桃華堂のパフェで手を打とう」
「……了解です」

『俺』は財布の中身を確認している。
 確かこの時は十円足りなかったはずだ。実際に店に行って払おうとした時にやけに慌てた事を覚えている。
 俺は生徒達が座る後ろから教室を眺めた。
 中学一年の教室は少し古いから、冬は隙間風が入ってきて少し寒い。
 俺の記憶はかなり鮮明らしく、懐かしさが込み上げる。

(そう言えば、この後か……)

 そう思っていると『俺』の前に真島が現われた。思考の時間は意外と長かったらしくホ―ムル―ムは終わっていた。俺の夢だから、不必要な所はカットされたかもしれないが。

「高階君。今日、一緒に帰ろう?」
「え? これからちょっと……」
「いいよいいよ、高階。二人の世界を楽しんでくれ」

 そう言って久坂は『俺』から離れていった。それを寂しげに見送る『俺』
 確かこの頃は付き合ってから二月程経った頃だ。確か――

「帰ろう」
「……うん」

 この頃からだ。
 真島の事を、少しだけわずらわしくなってきたのは。




「今日の数学の宿題? いいよ。教えてあげる」
「頼むよ」

 結局、『俺』は久坂に教えてもらうはずだった宿題を真島から教えてもらう事になった。二人で桃華堂に入って名物の苺パフェを頼む。そう言えば学校帰りに寄り道は校則違反だったか。

「高階君、今週の日曜は空いてる?」
「日曜?」

 手帳を取り出して確認しようとする『俺』 覚えている。確か、日曜は友達と映画に行く約束が入っていたはずだ。ここまで鮮明に覚えているのはやはり……。

「日曜、わたしの誕生日なんだ。デートしてほしいな」
「誕生日、か……」

『俺』の思考が流れ込んでくる。
 正直、真島といる時よりも友達と遊んでいる時のほうが楽しい、と。

 真島は俺が好きな事はあまりやりたがらなかった。ただ一緒にいるだけでいいと言った性格らしい。だから、彼女は俺を求めた。
 学校で昼食を食べる時も。
 登下校も、家に帰れば電話で、そして休日も。
 終始、俺と一緒にいることを求めた。

 最初は嬉しかった。初めての彼女に浮かれていた事もある。テレビドラマのような綺麗な、気持ちいい恋愛が出来るだろうと思っていた。
 しかし、実際は違っていたんだ。
 思えば彼女も、初めて恋愛感情を持って、初めて彼氏を得た喜びで少し暴走していたのもあるんだろう。
 お互いが子供で、お互いの事を考えられなくなっていたんだろう。
 俺は、真島といる事が次第に苦痛になってきていた。
 嫌いになったわけじゃない。むしろ、クラスの女子で付き合うとしたら彼女しかいない。
 だが、この時期――二ヶ月も経つと慣れが出てくる。今まで友人と過ごしていた時間を真島に割く事で必然的に友人と遊べなくなる。
 もう少し大人になれば……今の俺くらいの歳になればうまく折り合いをつけることが出来るんだろう。
 この時の『俺』には出来なかった。

「……いいよ」

『俺』はしぶしぶ真島の提案に同意した。これから友人達に断りを入れるのかと思うと頭が痛いと思っている。
 その苦悩振りに全く気付いていないようで、真島は日曜のデートの事で浮かれていた。
 そうだ。完全に思い出した。

(その日曜日に……俺達は別れたんだ)

 周りの景色がそう気付いたと共に崩れていく。どうやら一気に日曜まで行くようだ。
 見たくはない。また、あの痛みが甦ってしまう。
 でも覚醒の予感は無かった。まだ夢を彷徨うように思う。

(感情では拒絶してても、頭では再確認したがってる?)

 そして俺の意識は光に包まれた。




「……階君。高階君?」
「ん? 何?」
「何ボーッっとしてるの?」

 俺は再び夢の中の俺と同調しているようで、目の前に真島がいる。時刻を見ると午後二時。これはデートを開始して、プレゼントを渡してから昼食を取った後だ。

「これからどうする?」
「あ、わたしこの映画観たい〜」

 真島が取り出したチケットは俺は友人達と観に行く予定だった映画だ。
 その瞬間、一瞬だけ友人達に罪悪感を感じたけど、結局行くことにした。

 瞬時に映画館の前まで進む。そしてここで……。

「あれ、高階?」

 かけられた声に振り向くと、一緒に観に行くはずだった友人達がいる。『俺』はかなり混乱していて声も出ないようだ。
『俺』の意識の奥底で俺はその動揺振りを感じて、居たたまれなくなる。

「お前、彼女と見る予定だったのかよ〜。なら仕方が無いな」
「お邪魔虫は退散しようぜ〜」
「お、おい! ちょっと……」

 中一の、まだ小学校を卒業して一年も経ってないガキの軽口。でも、この時の俺はかなり傷ついた。
 最初はちゃんと友人達と観に行くと決めていたのに、いつの間にか相手には彼女と行く気だったと思われた。
 映画を観に来たのは彼女の気まぐれだというのに。

「高階君? 入ろうよ」
「……うん」

 この時の映画の内容は覚えていない。この後に真島に言うことをずっと頭の中で整理していたからだ。




「真島……少し、一緒にいるの止めよう」

 俺の言葉に真島は激しく傷ついた表情をした。俺は慌てて言おうとする。でも真島は先に口を開いた。

「どうして? わたしの事嫌いになったの?」
「そうじゃないよ! ただ、自分の時間をもう少し持ちたいんだ。友達とも一緒に遊びたいし、この二ヶ月間は真島としかいなくて……俺、少し……」

 真島の目に涙が浮かんでいた。そして『俺』は気付く。
『俺』の言葉に真島が傷ついた事を。それによって『俺』は言葉を続ける事が出来なくなった。その沈黙が更に悪いほうに転がったらしい。

「一緒にいたいと思って何が悪いの? だって、好きなんだもの! 一緒にいたいもの!」
「だから……」

 真島に悪意が全く無い事は分かった。だから、腹が立った。
 純粋に彼女は俺の事を好きでいてくれるから余計に。

「どうして、0か1しかないんだよ。束縛、しないでくれ……」

 パンッ!
 乾いた音が響いた。
 真島の平手打ちが俺の頬に当たった事を認識したのは少し経ってからだ。

「酷い……」

 頭が真っ白になって何も言えなくなる。その沈黙に何を感じたのか分からないが、真島は去って行った。
 うなだれる『俺』の心は悲しくて、俺は感じたくなかった。しかし入ってくる。
 嫌いではない。むしろ好きだと思う。
 だが、互いに好きなはずなのにこんな結果を迎えてしまった。
 言いたい事を言おうとしただけなのに……。

「もう、嫌だよ……」

 そして、俺は心を閉ざした。




 目が覚めると部屋は暗かった。
 しかし月明かりが微かにカーテンの隙間から入ってきていたので、俺は起き上がると電気をつける。
 帰った時の服装のまま――と思いきやパジャマに着替えている。

(のぞみか!?)

 そうしか考えられないので少し気恥ずかしさを感じる。
 そうしている内に部屋のドアが開かれた。

「――あっ!」

 トレイにおかゆらしき物を乗せて持ってきたのぞみと目が合う。俺は一瞬硬直し、すぐにベッドにもぐった。

「お帰り望。心配したんだよ〜。音がしたと思ったら玄関のドアにもたれて倒れてるんだもん」
「あ、ああ……」

 俺が恥ずかしさに何も言えずにいると、のぞみはトレイを傍においていきなり顔を近づけてきた。
 そして自分の額と俺の額を合わせる。

「うん。熱も下がったみたいだね」
「……ありがとう」

 ようやく声を絞り出す。のぞみは満足したのか笑みを浮かべて俺におかゆを差し出してきた。
 口をつけるとすぐに喉に入る。体力がなくなっている今には最適な料理だ。

「望。何度か見に来た時、うなされてたよ。怖い夢でも見てたの?」

 おかゆを全て食べ終えたところにのぞみが訊いてきた。俺は椀をトレイに置き、嘆息する。

「あ、言いたくなければいいよ」
「中一の時の事だ」

 俺はのぞみに夢の内容――四年前の事を話した。どうして話してしまったのか分からない。だが、風邪で体力が減っていたのと、夢でちょうど見た事が関係しているだろうと思う。
 なんにせよ、俺は初めて第三者に事の顛末を話した。

 全てを話し終えて、のぞみはしばらく黙っていた。俺はその沈黙が嫌で言葉を続ける。

「自分の思っている事が伝わらない。伝えようとしても。それがとても辛くて……俺は人と深く付き合うのを止めた。深く付き合えば、自分の考えが伝わらない事に同じ痛みを受ける事になるから……。別に表面上だけ上手く付き合えば、そんなに傷つかない」
「でも、むなしいでしょ?」

 俺が思っていた事を、のぞみは言った。

「……いつも何かが足りない感じがしてた。今まで。そんな中で、干場は久しぶりに『友達』って感じがしていたんだ。でも、つまらない事でまた俺は失ってしまった……」
「まだ決まってないでしょ?」

 のぞみの言葉には強い意志があった。俺はそれが不思議で、のぞみを凝視する。

「今、望はわたしに話してくれた。だから、わたしは望の事が分かったんだよ。わたし達は違う人間だもの。考えている事が分からないなんて当たり前だよ。でもね」

 のぞみは座りなおしてから、ゆっくりと、はっきりと俺に言った。

「言葉で伝えても伝わらない。でも、それでも伝えるしかないんだよ。わたし達には言葉が与えられているんだから」

 その言葉はとてつもなく重い物に感じられた。俺はのぞみに尋ねようとする。

(お前も……)

 似たような経験をした事があるのか? だが、それは言葉にはならない。何故か、この時ののぞみには何も訊いてはいけない気がした。

「今日はもう休んで。明日になれば、なんとかなるよ。絶対、大丈夫だよ」

 温もりが俺を包んだのは次の瞬間だった。
 のぞみが、俺の体を抱いている。
 俺はあまりの恥ずかしさにのぞみを押しのけようとした。押しのけようとしたんだ……が、俺の意志を離れて体は反応しなかった。

「確かに気持ちは伝わりにくいかもしれない。でも、伝えないなら0と同じだよ。この事は、0か1じゃ駄目なんだよ? 0.1でも、0.2でも。少しでも伝える努力をしなくちゃいけないんだよ」
「そうだな……」

 俺は目頭が熱くなるのを抑えることが出来なくなっていた。
 視界が滲む。
 こんな弱った姿を、誰にも見られたくないのに。

「わたしは見てない。だって、望を抱きしめるんだから」

 その言葉がスイッチになる。
 俺は、泣いた。
 声を殺して、でも体を震わせて。
 涙がのぞみの肩口を濡らすが、のぞみは気にした様子も無く俺を抱いている。

 結局その日、夜明けまで俺達は一緒にいた。
 俺の涙が収まった後も、のぞみは俺を抱き続けていた。

 少しだけ、心の奥の氷が融けたような気がした。




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