Powder Snow 07


 十二月六日、土曜日

 ぼんやりと外を見ていると学校帰りの小学生が雪玉を互いにあてながら歩いている。
 学校帰りに雪合戦とは俺もよくやったものだ。
 あの頃は周りにある物全てが遊び場で、遊び道具だった。
 大人に、周囲に縛られる事なく自由に遊んでいた。

(のどかだなぁ……)

 俺は休めていた掃除の手を再開した。
 といってもほとんど掃除は完了していて、あとは机を戻すだけ。
 俺はモップを壁に立てかけると教室の後ろに下げていた机を運ぼうと手を伸ばす。

「高階」

 ここ数日間避けていた声。
 しかしこの状況では流石に無視するわけにはいかない。
 俺は極力不自然にならないように声の主に言葉を返した。

「何だ、干場?」

 いつも通りに見える干場の顔。
 久しぶりにこいつの顔を見た気がする。
 毎日顔を合わせてはいた。
 だが、俺は干場と会話するのを極力避けていたから、顔をよくは見ていなかった。
 今の干場はいつもの奴と同じ、特に変化の無い顔をしていた。

「高階。今日、時間あるか?」
「……あるぞ」
「なら掃除終わったら屋上にきてくれ」
「分かった」

 干場はそれだけ言うと教室から出て行った。
 ……もう逃げるわけにはいかない。
 干場には知る権利がある。
 あの日、あのウィズランドで何があったのかを。
 俺の目は自然と特定の人物に向かっていた。俺と同じように机を戻している赤峰に。
 赤峰もあの日から何も変わっていない。
 ただ、少しだけ俺と干場――正確には俺だけだろうが――から距離を置いた。
 それだけだ。
 そこまで考えて、俺はある事実に気がついた。

「お前も掃除だろ、干場……」

 見事に掃除をサボったあいつを、いつもと同じと取るか、それとも――
 なんにせよ、掃除を早く終わらせる事にしよう。
 俺は作業に集中した。




「ご苦労さん」
「お前も掃除だろ?」

 屋上は雪が降っているために今は続くドアは閉じられている。
 しかし入り口のあるこの場所は少し広い空間になっていて、静かに昼食を食べたい時などはいい場所となる。
 そして俺達は一年の時にこの場所を見つけ、土曜の、皆が下校した後のこの時間は全く人が来ない事を経験的に知っていた。
 だからこそ、干場もこの場所を選んだんだろう。
 誰にも邪魔されずに俺から話を聞くために。
 干場は俺の問いに答えなかった。俺もそれが本題じゃないから、流して問い掛ける。

「んで、なんだ?」
「分かってるんだろ?」

 干場は少しいらだった口調で言ってくる。しかし俺は逆に心が冷えていった。
 まるで俺の体の中にある熱が干場に吸い取られていくように。

「分からないよ、用件も言われないのに。俺はエスパーじゃないんだ」

 それは俺自身、少し驚くくらい冷徹な響きを持っていた。干場の顔が一気に赤くなる。
 体の震え。
 作られた拳が、あまりの強さに震えていた。

「……何が、あったんだ? ウィズランドで。赤峰の様子がおかしいのはどうしてなんだ?」

 干場は言葉を紡いでいる間に冷静さを取り戻していくのか、震えも止まり、顔も元に戻る。
 今度は本当に知りたいのだろう。干場の気持ちが痛いほどに伝わってきた。

「俺と別れてお前等を探してた赤峰が、合流した時にはすでにおかしかった。なあ、何があったんだよ高階?」

 俺はどう言うかを迷い、そして迷う必要が無いと結論が出る。
 そのままを言うしかない。

「告白されたんだよ。そして、フッた」

 干場が硬直する。
 顔色が変わり、そして瞬時に俺の胸座を掴んでいた。




 あの日のウィズランド。
 俺が赤峰をフッてから、再びのぞみを探し出した。
 赤峰は少し後ろから俺の後を全く会話が無いままついてきていた。
 その後すぐにのぞみが見つかり、そして干場が合流した。
 干場の携帯の電源が切れていたために二手に別れて俺達を探していたらしい。
 赤峰は目に見えるほどの焦燥は浮かんでいなかったが干場には分かったんだろう。
 高校二年になって同じクラスになってから、ずっと赤峰を見続けてきた干場には。
 だから、この手にはこれだけの力が込められているんだ。

「どう、して……」

 干場の口から声が洩れる。
 必死になって俺に対する罵詈雑言を押さえ込んでいる様子だ。俺はただ、干場に胸座を捕まれてじっとしているしかない。
 そしてついに干場は意を決したようで、口を開く。俺はこれから来るだろう罵詈雑言の嵐を一言も聞き漏らさぬようにと耳に意識を集中した。

「どうして、赤峰をフッた?」

 しかしかけられた言葉は、その問いは予想外だった。
 何を当たり前な事を言ってくるんだ? この男は。

「どうして? お前が赤峰を好きだって知ってるのに。他人の好きな人と付き合えるかよ」

 俺は干場の怒りを受ける覚悟をしていただけに拍子抜けして、少しうんざりした口調になっていた。
 だが干場は更に顔を赤くして言い放つ。

「俺の事は関係ないんだよ!」

 干場は俺を掴んでいる手を一気に引き寄せた。すぐそばに干場の顔がある。

「俺が赤峰を好きだろうと、赤峰がお前を好きなら、仕方が無いだろ? どうして、フッたんだ?」

 その瞬間。
 本当に突然だった。
 とてつもない怒りと共に、俺は干場の手を払っていた。
 払われた手を呆然と見つめる干場に向けて、俺は言っていた。

「それなら、俺が赤峰の告白を断ろうとお前の関与する物じゃないだろが。なんだ? お前が好きになるから、俺も好きになって当然だとでも言うつもりかよ? 赤峰がそこまでいい女だと言うつもりかよ!」

 干場が何も言えずに呆然と俺を見ている。
 その顔がまた俺の怒りを増幅させた。分かってない。こいつは何も分かってない!

 オレノオモイハトドカナイ……
 ダレニモリカイデキナイ……

 心に浮かんだ悪魔の囁きの呪縛を振り払うかのように、俺は声を荒げた。力の限り、喉の奥に錆びた血の味が広がるまでに。

「どうしてフッたかって? 俺が赤峰と付き合う気がないからだよ! 俺が赤峰を好きじゃないからだよ!! これで満足かよ!!!」

 息が荒い。
 頭が熱い。
 鼓動が激しい。
 だが逆に干場は目に光が戻っていく。

「高階、もしかして……」

 干場の口が動く。

「前の彼女の事、まだ好きなのか?」

 精神の最後の防波堤が砕け散った瞬間だった。俺の拳が干場の頬に吸い込まれる。
 床に倒れた干場に向けて俺は制御を失った声で言葉を投げつける。

「何も知らないてめぇが! 真島の事を言うんじゃねぇ!!!」

 なんとか立ち上がろうとしていた干場の腹に思い切り蹴りを見舞う。干場は口から苦鳴を洩らしてその場に崩れ落ちた。
 俺はその一撃で頭に上った血が落ち、徐々に息を整える。
 そして自分のした事に痛烈に後悔を感じていた。

(もう、終わりだな)

 俺は衝動に任せて屋上から逃げ出した。




 外に出ると雪が降り始めていた。俺は衝動に突き動かされて全力で走って学校を後にする。
 俺が走るほど、激しく雪は俺の体に纏わりついてきた。いつの間にかちらほらと降るだけだった雪は吹雪となって俺に襲い掛かる。
 走る事で熱を帯びていく体。
 すぐ吸い取られていく体温。
 それは体自体が融けていくようにも感じられた。
 でも、これでよかった。
 このまま俺自体を白く、何も無かったかのように消してしまってほしい。
 自分の弱さを認めたくなかった。
 しかし、認めざるを得ないだろう。

(過去の傷に触れられた事くらいで、我を忘れた……)

 傷つきたくなかったから、人に心を許す事を止めていた。
 しかしあれからもうすぐ四年だ。
 どうやら俺も徐々に立ち直ってはいたらしい。干場にこれだけ怒りを感じるのは、多分あいつを俺が思っている以上に信じていたからだろう。
 俺に一定の距離をおいても付き合ってくれる友人として。
 本当に自分勝手だが、俺はあいつはそのままでいてくれるんだと思っていたんだ。

(勝手だ。本当に勝手だ。自分の思い通りにならないだけで怒りをぶつけるなんて、ガキと変わらないじゃないか!)

 雪の中を休み無く走り続ける。俺の意思とは逆に、俺を覆おうとする雪を振り払いながら、俺を縛る何かを振り払おうとしながら走る。
 家が見えると自然と足が止まる。
 激しく心臓が脈打ち、足が鉛のように重い。
 頭の芯が熱い……。

(あつ、い……)

 体が熱い。だけど時折凄く寒気がする。
 視界までぼんやりとしてきた……なん、だ……?

(あ、れ……?)

 家のドアまで辿り着いてノブを開けようとする。しかしノブは回らない。
 そう言えば鍵は閉めてるんだっけ……。

「か、ぎ……」

 鍵を取り出そうと鞄の中を探ろうとしたが、体に力が入らない。
 俺はドアに寄りかかるようにして崩れ落ちた。




(……うん?)

 目覚めはあまり良くなかった。
 一瞬自分が誰で、何をしていたのか分からなくなる。
 とりあえず立ち上がって背伸びをしてみる。

(えーと……なんだっけ?)

 ここは星見中学の屋上で、俺は高階望。中一で……。

「何独り言言ってるの?」

 かけられた声に慌てて後ろを振り向くと、そこには女の子が立っていた。制服を着ている事からも、うちの中学の生徒だろう。

「何? 鳩が豆鉄砲に当たったような顔して」
「……真島。豆鉄砲に当たった鳩がどんな顔しているのか見た事あるのか?」

 ……そうだ。真島泉。
 同じクラスの女子だ。何か、記憶の混乱があるみたいでよく分からなくなってる……。

「どうしたの? 夏休みはもう終わったよ? まだ夏休みボケ?」
「……うるさいよ」

 話しているうちに徐々に記憶が……正確に言うと違うが、整理されていく。
 そうだ。これは、夢だ。
 俺の過去の記憶だ。
 そしてこの後に……。

「ねえ、高階君」
「なんだ?」

 急にしおらしく、顔を俯けてしまった真島。
 俺はゆっくりと真島が何を言おうとしているのかを待つ。そして――

「わたし、あなたが好きなんだ。付き合ってくれない?」
「……え?」

 急速に俺が別れていく感覚がある。
 いつの間にか俺の意識は夢の中の俺と分離していた。
 少し離れた場所から真島と俺を見ている。俺の顔が一気に赤くなって、返答に窮している様があまりに滑稽で笑いそうになる。でも、笑えない。

(ここで、俺が……)

「……いい、よ? 俺で良ければ」
「やったぁ! ありがとう!!」

 まるでなくした宝物を見つけたかのように嬉しそうに真島は喜んでいた。その前で恥ずかしさに顔を赤らめ、小さくなっている俺。
 でも少しだけ笑みを浮かべていた。これからあるであろう、自分が体験した事の無い生活への期待感が生まれているんだろう。
 確かに感じていた。
 テレビドラマなどで見る恋人同士の恋愛という物がまさか自分に降りかかるなんて、などと思っているんだ。
 それが、間違いの始まりなんだ……。

(ここで、断っていたら俺の未来はどうなってたんだろうな……)

 俺はそんな事を考えながら真島と俺のやりとりを見ていた。




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