Powder Snow 06


 十一月三十日、日曜日

 その日は晴天だった。
 屋内の遊園地よりもスキーをしたほうが気持ちいいんじゃないかと思うくらいに。
 しかし、思えば干場はスキーをほとんど滑れない。

「違うぞ、高階。俺は滑れないんじゃなくて、雪の景色を楽しむのが好きなんだ」

 干場の言葉を俺は無視して時計を見た。
 時間は午前十一時十分。
 待ち合わせの時間よりも十分過ぎている。

「赤峰まだかな〜」

 干場は待つ事を楽しんでいるかのように言葉とは裏腹ににやにやしている。どうやら完全に彼女を待つ彼氏に変貌しているらしい。

「来ないんじゃないか?」

 俺が言うと干場は殺気のこもった目で俺を睨んできた。どうやら顔には全く出していないが内心不安になっていたらしい。

「それよりもお前、のぞみちゃんはどうしたんだよ。いないじゃないか」
「のぞみは少し遅れるって言ってたからな」

 のぞみは今日、俺と一緒に出るのを嫌がった。
 それは俺の家から一緒に出てきたのを俺の知り合いに見られるからと、俺が嫌がっていた事もあったが、三日前の件以来、どこか俺はのぞみを腫れ物に触るかのように接している。
 仕方が無かった。
 出会って三日間で彼女の正反対な気質を見たんだから、俺ははっきりいって混乱していた。
 人の心に滑るように入ってきて、そしていつの間にか心を和ませてくれたのぞみ。しかし、あの時ののぞみは何かに心底怯えきっていた。
 あんな弱い部分があるなんて知りもしなかった俺は、彼女に接するのが怖くなっていたんだ。

「お待たせ〜」

 俺の思考をのぞみの声が中断させる。
 視線を向けると、のぞみが俺達のほうへと手を振って歩いてきていた。
 横には赤峰の姿もある。

「あっれ〜? のぞみちゃんに赤峰。どうして二人でいるんだ?」
「途中でこの娘と会って、そのまま一緒に来たの」

 赤峰は何を当然な事をという感じで干場へと言ったが、干場も俺も当惑するしかない。
 わけが分からずに赤峰が首をかしげていると干場が言った。

「だって、赤峰。お前、のぞみちゃんと会った事無いんだろ。どうして一緒に行くんだって分かったんだ?」
「のぞみちゃんって言うの? この娘」

 どうやら赤峰はのぞみの名前を知らなかったらしく、少し驚いてのぞみを見た。
 俺達もわけが分からずのぞみを見る。

「のぞみ――ちゃんから『赤峰さんですか?』って声、かけられて、高階君達と一緒に行くんだって言うからわたし……」
「のぞみ。お前、どうして赤峰を知ってたんだ?」

 俺も干場も赤峰の事をのぞみには教えていない。
 なのにどうしてのぞみは赤峰に声をかけることが出来たんだ?

「なんとなく、かな。ほら、雰囲気が遊園地行くって感じだったんだよ〜」

 のぞみは集中する視線が恥ずかしいのか顔を赤らめる。
 しかしこのままにしているのも意味が無いので俺は話を先に進めることにした。

「まあいいだろ、もう。のぞみ、ちゃんと自己紹介しろよ」
「あ、うん!」

 俺の助け舟にのぞみは顔を輝かせて喜んでいる。とても数日間ののぞみと俺の関係からは考えられない変貌ぶりだ。
 その事に俺は安堵を感じる。

(立ち直った、んだな)

 それならそれでよかった。
 あんなに弱いのぞみを、俺は何故か見たくなかった。
 友人が悲しんでいるのを見たくないという物ではなく、もっと根源的な何かが、のぞみの姿を否定していた。

「わたしは高階のぞみです。望の従姉妹で、今は遊びに来てま〜す」

 赤峰はのぞみの言葉に嘘を感じなかったようで素直に自己紹介を終える。
 そして干場がチケットを掲げた。

「さあ、これよりウィズランドへ旅立つぞ!!」
「お〜!」

 のぞみが干場に合わせてテンションを上げる如く叫ぶ。
 俺は干場とのぞみが先行する後ろでため息をつきながら歩き出した。

「はぁ〜」

 ふと隣で同じようなため息が聞こえて見ると、赤峰と目が合った。どうやらお互いに溜息が出るらしい。
 そのまま俺達は軽く笑った。
 空も晴れ。
 干場とのぞみのテンションも晴れ。
 俺達だけが曇りだった。




 ウィズランドは日曜だけあって家族連れが多く、かなり込んでいた。
 確かに出来たばかりで小奇麗にされており、アトラクションも多く面白そうな物ばかりだ。
 だが、俺は建物という限られた空間にいささか詰め込みすぎな感があるここは、息苦しさを覚える。

「まずはあれに乗ろうぜ! って、高階どうした?」

 干場は俺の顔の青さに気付いているのか、半笑いの表情で言ってくる。
 どうやらその真意まで気付かれてしまったらしい。

「望……もしかして、絶叫マシン嫌いなの?」

 のぞみが多少言いにくそうに言ってきた事に、俺は返答できない。そこに助け舟を出してくれたのは赤峰だった。

「だったら、高階君は休んでいれば? わたし達だけで乗ってくるよ。それでいいでしょ、干場君」
「じゃあ、望だけじゃ可哀想だからわたしも休んでるね」
「オッケイオッケイ大歓迎〜」

 干場はこの上も無く嬉しそうな表情をしながら赤峰と共に《フリーフォール》に向かった。ジェットコースターにさえ乗れない俺があんな物に乗れるはずが無い。
 俺は近くのベンチに腰掛けて悠悠と歩いて行く干場と嘆息を付きながら横を行く赤峰をぼんやり見ていた。

「悪いな。のぞみも乗りたかったんじゃないのか?」
「ううん。だって、干場君の恋を成就させるための企画なんでしょ? わたしはお邪魔虫」

 そう言えばそうだった。
 俺達はあいつに付き合ってきていただけ。
 別に、ここから別行動を取ってもいいのだ。

「じゃあ、若い二人に後は任せて、俺達は俺達で楽しむか」
「望も若いよ〜」

 のぞみは笑って俺の冗談に応える。それは昨日見せた弱々しい感じを全く感じさせない物だ。
 俺達は干場にメールを入れてから行動を開始した。

「まずはどうしようか?」
「そうだなぁ……」

 とりあえず自分でも乗れるものを探してみる。視界に飛び込んできたのは――コーヒーカップだった。

「じゃああれ」
「望、本当に嫌いなんだね。どうして行く事にしたの?」

 俺は答えずに向かう。のぞみは困惑しながらも後ろからついてきた。
 理由は言いたくは無い。
 最初は干場に借りを作りたくないと言う事だった。
 おそらく、断ればのぞみの事はクラス中に広がる事だろう。
 だが今……正確には前日から。

(こんなのもいいな、って思ったんだ……)

 過去に経験した甘酸っぱい感情。
 捨てたはずの物が近くに転がっていたので思わず手を伸ばしてしまった。そんな感覚だ。

「望〜!」

 気付くと、コーヒーカップを通り過ぎていた。
 最近はどうもぼんやりしている。

「今日は余計な事考えないで、楽しもうよ!」
(のぞみは、気遣ってくれてるのか……?)

 そんな考えが頭を過ぎって、俺は頭を振った。
 のぞみも言っていた。余計な事は考えるなって。

「そうだな」

 折角来たのだから、楽しまなければ。
 俺は自然に顔に笑みが浮かんでいた。心から楽しもうと思う、何年も忘れていた感情だった。
 俺はのぞみと共にコーヒーカップに乗った。




 時間が経つのは本当に早い。
 すでに時刻は三時を過ぎていた。
 干場達と別れて三時間、のぞみと一緒にいろいろ乗り物をはしごして、流石に疲れていた。

「のぞみも、どうしてあんなに元気なんだ……」

 のぞみも絶叫マシン系が嫌いらしく、俺達は極力その系の乗り物には乗らずに歩き回った。すぐに限定されてしまうかと思えたが、このウィズランドは本当に巨大で、家族連れの二ーズに応えているらしい。
 結局、昼食を取った以外は乗り物にずっと乗ってきた。
 俺はベンチに腰掛けて、のぞみが乗っているメリーゴーランドを眺めている。

「望〜」

 子供のように無邪気に手を振るのぞみに手を振り返す。
 ふと、どこかでこんな光景があったかのような錯覚に陥った。

(懐かしいな……どこだったんだ?)

 確か、どこかでこうして誰かに手を振った記憶がある。
 手を振った感覚はあったが、その情景も相手も何も浮かんでこなかった。
 また既視感、というやつだろうか?
 メリーゴーランドが止まる。
 俺はぼんやりとそれを見つめながら、のぞみがやってくるのを待った。
 少しして、のぞみが来ない事に気付く。

「……どこ行ったんだ?」

 ぼんやりとしていた頭を振って辺りを見回す。
 しかし、のぞみの姿はどこにも見えない。間が悪い事に家族連れが一斉に帰る時間帯に遭遇したのか、俺の周りは一気に大人数に支配された。

「のぞみ!」

 声を出してみるが人の波に飲み込まれて数メートル先にも届かない。俺も人の波に流されて元いた場所から離れずにはいられなかった。
 流れが収まって何とかメリーゴーランドまで戻ってきたが、のぞみはいない。
 どうやら完全にはぐれたらしい。

「この年になって迷子の呼び出しは嫌だぞ……」

 しかし最後の手段としては考えなくてはいけまい。
 俺はひとまずのぞみを探す事にした。
 俺達が辿った道筋を逆に進んでいく。
 そして――いきなり声をかけられた。

「高階君?」
「あ、赤峰……」

 見ると赤峰が一人でいた。
 俺を見つけてか、早足で近づいてくる。俺が干場はどうした、と聞く前に尋ねてくる。

「のぞみちゃんと一緒じゃなかったの?」
「あ〜、はぐれたんだよ……」
「駄目じゃない。高階君はのぞみちゃんの保護者でしょ」

 保護者という言葉に動揺したが、その説明は間違ってはいない。
 今、あいつが頼れるのは俺しかいないんだから。

「とりあえず、探しましょう?」
「あ、ああ……」

 赤峰と共にのぞみを探す事を再開する。
 結局、干場はどうしたんだ、と聞きそびれてしまった。

(あいつ、折角二人きりにしたのにどうしたんだよ……)

 これでは意味が無いなと思いつつ、俺は赤峰と肩を並べて歩く。
 午後のこの時間はデットゾーンらしく、人通りが少なくなった。
 時計を見ると午後三時四十分。
 家族は帰ってから食事の用意をする時間なんだろう。今、ここにはカップルのほうが多いに違いない。
 実際にのぞみを探しながら辺りを見回していると何組ものカップルと通り過ぎた。
 キョロキョロとしている俺を不審がって好意的な視線を向けては来ないが、こっちは真剣だ。構ってはいられない。

「ねえ、高階君……」
「何?」

 顔を見ずに赤峰の問いかけに返事をする。気配で、赤峰の歩調が遅れたのが分かった。
 俺は思わず振り返って彼女を見る。
 赤峰は少し俯きぎみで、言いにくそうに口の辺りに手を当てていた。

「どうした?」

 俺は少し声が強くなってしまった事を後悔した。
 早くのぞみを探したい感情に駆られている。しかし赤峰は俺の様子に気付かないのかゆっくりと言葉を口にする。

「のぞみちゃんって、本当に高階君の従姉妹?」

 その質問に俺は一瞬息が止まる。
 まさか嘘に気付かれたのか? だから干場と分かれてこっちに来たというんだろうか?

「本当だよ……別に嘘をつく理由は無いだろ」

 何とか平静を装って答えると赤峰もこれ以上は言えないと思ったのか潔く引き下がって話題を変えてきた。

「じゃあ、どうして高階君は……今日、ここに来たの?」

 俺は一刻も早くのぞみの話題から赤峰の気をそらすために答えようとした。しかし一瞬考える。
 突然何を言い出すのか?
 俺は赤峰の真意を測りかねた。まさか、干場の目的がばれてしまったのだろうか?
 一応干場には秘密を守ってもらっているんだ。何とかごまかそうとして俺は口にする。

「いや、だって楽しそうだろ。でも遊園地にすすんで行く歳でもないし……タダ券があるから来たまでさ」
「でも……」

 赤峰は何かを口にしようとしたが、言葉を収めると意を決したかのように顔を上げた。
 目には意志の光。
 俺はとうとう干場の目的がばれたのかと、苦言を言われる覚悟を決めた。

「わたし、高階君が好きなの……」

 しかし出てきたのは全く予想外な台詞。
 気付くと周りはちょうど人がいなくなっている。
 どうやら赤峰はこの時を待っていたらしい。冷静にそんな事を考えつつ、しかし俺は反射的に言っていた。

「ごめん」
「……え」

 そのあまりの返答の早さに赤峰も呆然としていた。
 それはそうだろう。俺自身も驚いている。
 たとえ付き合う気のない娘に告白されてもまだ考える時間は持つものだ。
 しかし俺は言われた次の瞬間には返していた。

「ど、どうし……」
「嫌なんだよ」

 何かを言おうとする赤峰を遮って俺は言葉を重ねる。
 赤峰の顔が悲しさに歪むのをずっと見続けながら、俺は最後の言葉を口にした。

「もう、嫌なんだよ。重荷を背負うのは」

 いつの間にか、再び人の流れが回復していた。
 少しだけ離れた俺達の間を他所に、男女の流れが過ぎていく。
 遠くで、四時を知らせる鐘――ウィズランドにある巨大な時計の音が聞こえた。
 やけに大きく、聞こえた。




BACK/HOME/NEXT