いつものように登校。そして教室に着く。 しかし気分は最悪だった。 それが顔に出ているのかクラスメイト達も怪訝そうな顔で俺を見ている。 そんな奇異の視線の中で俺は席に座った。 「おっはよ〜」 前の席にすでにいた干場が気味が悪いほどの笑顔で挨拶をよこした。 「……おはよう」 この憂鬱な気分の元凶が今この場では最も気分がよさそうなのがとてつもなく不条理だと思う。 だが仕方がない。 昨日、のぞみを見られてしまったことが全ての原因なんだから……。 「へぇ〜、なるほど」 干場は俺の作ったカレーを目を輝かせながら食べている。そしてその目をカレーとのぞみと交互に移しながら口は動きを止めない。 なんとも器用な奴だ。 「その歳で家出なんていろいろあったんだろうなぁ……。でもこんな獣と一緒の家なんて不安じゃない?」 「誰が獣だ、誰が」 「そんな事ないよ。望は優しいよ、少し無愛想だけど」 「誰が無愛想だ、誰が」 「あ、水を一杯くれ」 「自分で行け!」 干場はしぶしぶと言った顔つきで冷蔵庫に水を取りに言く。俺はどっと疲れが出てため息をついた。 干場はわざわざ買い物を済ませて家に帰ってからこっちに来た。 そこまで気になる気持ちも分からないではない。のぞみは俺達の周りの女子の標準からはかなり可愛いほうに入る。 そんな娘が俺と一緒にいるなんて、奴にとっては天変地異が起こったに等しい事に違いない。 「ごめんね、望」 「……しょうがないだろ。のぞみを責めちゃいない。あれで、干場は信用できる奴だ。公言はしないだろ」 俺は冷めかけたカレーを口に運ぶ。 干場にのぞみの事を説明している間、ほとんど食べていなかった。 腹の虫も飯を催促している。しかしすぐに気付いた。 のぞみがまた寂しげな目で俺を見ていた。 「どうした?」 「望。随分と……」 でものぞみは途中で言葉を切ってしまった。その真意が掴めずに、俺はしばらくのぞみに視線を向ける。結果的にのぞみと視線を交わす事になって、彼女の綺麗な顔が俺の視界に飛び込んでくる。 自然と、胸が高鳴った。 (何を、考えている? 俺は……) 俺は思ってしまった。このまま…… 「グラスの場所が分からなかったぞ、高階」 「……それぐらいすぐ見つけろよ」 俺は一瞬前までの感情を隠すように、よりドスを聞かせた声で干場に言った。のぞみはすでにカレーを口に運んでいてさっきまで俺と向かい合っていたなんて分からない。 干場に気づかれなかった事を安堵しつつ、タイミングの悪さに苛立つ自分が居る事に驚いていた。 (本当に、どうにかしちまったかな……) 俺は、のぞみを好きになりかけているのかもしれない。 誰にも心を開かないと決めたはずなのに。 誰の心にも入り込まないと決めたはずなのに。 俺はまた、あの痛みを味わう気なのか? 「んで、高階〜」 「なんだ?」 干場が言葉をかけてきてくれたのは正直、ありがたかった。このまま考え込んでいたら嫌な方向に思考が向きそうだったから。 だが干場の顔を見たら急に萎えてくる。 何か相談事を持ちかけてくる気だ。おそらく、のぞみの事と交換条件で。 「実はさ、ここにこんな物があるんだ」 干場が取り出したのは一枚のチケットだった。 「商店街の福引でさ、今日当たったんだよ。ウィズランド無料招待券」 「ウィズランドって最近オープンした全天候型遊園地だろ。よく当たったな。その幸運を他に使えれば良いのに」 「何気に酷い事を言っている気がするが、まあいい。こいつで今度赤嶺をデートに誘おうと思うんだ」 「頑張れ」 俺はカレーを口に運び始める。でも干場が俺の手を掴んできてスプーンが止められた。 「それでなぁ、協力して欲しいのだよ高階君」 「お前のデートだろ? どうやって協力しろってんだよ」 「この券は団体用なんだよ」 干場はチケットの表を向けて俺に見せてくる。確かにチケットには団体専用と書かれていた。 四名様無料……。 「四名?」 「そうだ。これはやっぱり遊園地。ご家族ご招待のためのチケットなんだ。それをこんな俺が当ててしまって円満な家庭の皆様には申し訳ないんだが……」 「だったら近所の家族にでも売れ」 「それはもったいないだろう」 俺は干場の意図が読めたので更にやる気が無くなった。しかし干場はおそらく、俺が断ったらのぞみの事を皆に言うだろう。 真実を歪曲させて支障がない程度に、しかしクラスの皆のネタにされるのは間違いない。 結論は、一つだった。 「ようは俺にもついて来てくれって事だな」 「分かってるじゃないかぁ、高階」 俺はこれ見よがしにため息をつきそうになったが、なんとか押し留めた。 「あっりがと〜! じゃあ、明日にでも俺は赤嶺を誘うぜ! これで四人揃った〜」 「……ちょっと待て! まさかのぞみも数に入れてるのか!!」 俺の言葉に干場はきょとんとしてのぞみを見た。のぞみも至極当然と言ったような顔で俺を見ている。俺はあまりの非常識さにめまいを覚えた。 「のぞみを連れていったら、赤嶺にもどういう関係か説明しなけりゃいけないだろが!」 「従姉妹とでも適当に言っておけよ。誰も知らないんだから大丈夫だって」 「わたし行ってみたい〜」 のぞみもすっかり乗り気だ。こいつは自分が家出人だと言う自覚がやっぱり足りないんじゃないだろうか? 人が多ければ多いほど、のぞみを知っている人に出会う可能性が高くなると言うのに。 「高階、考えすぎだぞ。人が多いからってのぞみちゃんが見つかるって思ってるのか?」 流石に干場は俺の焦燥の理由に気づいたのか呆れたように言ってきた。 「人が一杯いるから、人込みにまぎれて見つからないって。大丈夫大丈夫」 「大丈夫大丈夫」 のぞみも一緒になって頷いている。 俺はもうどうでもよくなった。 確かに心配しすぎている感はある。むしろ家出人なんだから、家の人に見つけてもらったほうが良いに決まっているのだ。 「分かったよ。赤嶺には従姉妹って事で」 「おっしゃあ! サンキュ〜」 干場は善は急げと言わんばかりに帰っていった。電光石火とは正にこの事か。 「望。赤嶺さんって?」 「干場が好きな娘さ」 「ふーん」 のぞみは何が可笑しいのか口を押さえて声を押し殺していた。そう言えば俺と干場の会話にもほとんど入ってこなかった。なんとなく彼女らしくない。 (彼女らしくって、何だよ) まだ知り合って二日目なのに、俺はどんな事が彼女らしい事だと言えるっていうのか? 結局、それからはずっと不快な気持ちのまま一日が終わった。 一日が経って、朝はのぞみとろくな会話をしないまま出てきた。自分がよく分からないが腹を立てているだけなのに、彼女に当たっているようで自己嫌悪になる。 とりあえず帰ったら謝らないとな……。 「高階! 例の件だが」 干場が声を潜めて耳打ちしてくる。間違いなく昨日の件だ。 元はと言えば干場のせいもあるので、嫌がらせの一つでもしてやろうと思った。 「どうした? こっぴどく断られたか?」 「いつになく毒舌だな……いや、なんとオーケーだった!」 「なんとって、成功すると思ってなかったのか?」 そう言いながら俺も赤嶺が干場の誘いを断るだろうと確信していた。確かに他の奴等と比べると話しているほうだが、休日に仲良く遊びに行く、といった関係ではない。 干場もその興奮が収まらないのか徐々に口調に熱が加わる。 「昨日帰って電話したんだよ。それで高階やのぞみちゃんが行くって言ったら、じゃあ行くって」 「のぞみの事、ちゃんと従姉妹って説明したんだろ?」 「ああ。もちろんだ。名前は言うの忘れたけど、従姉妹が行くってな」 おそらく本当だろう。だが、もし違っていた時の対策は自分で考えなければいけないだろう。また面倒くさい事が増えた。 「面倒くさいなぁ……」 「まあそう言うな。あそこは少し金が高いから、自腹切るには少し覚悟がいるだろ。タダで話のネタになると思えば」 「確かに」 確かに話題の遊園地だ。 それなりに楽しめるに違いない。のぞみの件は不安だが、途中から別行動を取れば純粋に楽しめる。 アトラクション自体は嫌いじゃないしな。 「分かったよ。それで、いつだ?」 「今週の日曜だ」 「随分急だな」 干場の行動力にも驚かされる。干場は俺の呆れた様子が自分を賞賛しているのだと勘違いしているのか、やけに胸を張って言う。 「ふっ。善は急げって言うだろう?」 「知っているか? 『善』ってのは良い事って意味なんだぞ」 「お前……俺が赤嶺をデートに誘う事が善ではないって言ってるのか!」 「大きな声でそんな事言わないで」 さっきから気付いてはいたが、俺達の後ろ立っていた赤嶺がとうとう口を出してきた。干場は背を向けていたために全く気付かなかったから、その声に笑えるほど動揺して振り向いた。 「あ、赤嶺……」 「恥ずかしいったらないわね。やっぱり無かった事にしていい?」 赤嶺の言葉に干場が泣きそうな顔になる。それには赤嶺も驚いたのか、顔を強張らせている。とりあえず、このままフォローしなければ本気で干場が泣きそうだったので入れる事にする。 「赤嶺。勘弁してやってくれ。俺達のアイドルと遊園地に行けるっていうのが干場は余程嬉しいんだ」 そう言った瞬間、クラス全体から殺気立った気配を感じたがあえて無視する。 赤嶺は髪を掻き揚げてため息をつく。少しの間黙った後に口を開いた。 「高階君に感謝しなさいね」 干場に言って、赤嶺は俺達から離れて行った。 結局、あまり憂鬱な気分は晴れずに、俺は歩いていた。 授業は徐々に気だるく、しかし大事な部分が俺の頭に入り、抜けていく。 この時期に受験に必要な物を詰め込もうとしても一部を除いては覚えるわけが無い。 まだまだ、大学受験なんて先の話なんだ (先、か……) ふと考える。 俺の先はどこにあるんだろうか? 人を信じる事を止めてからもうすぐ四年経つ。 このままじゃいけないとは思っているが、これと言って打開策も無い。 今、困っているわけじゃないが、何かが足りないという虚無感があるのも事実。 「ま、なるようになるか」 それよりも今はのぞみに謝る事が先決だ。 家の前に着いた事で現実問題のほうが頭を占める。 一度気合を入れてから俺は家に入った。 「ただいま!」 勢いをつけるためにいつもより音量を大きくする。しかし、返事は返ってこなかった。 また寝ているんだろうか? その可能性を考えようとしたが、それは微かに開いている居間のドアの奥から聞こえてくるテレビの音に消された。 そう。テレビが付いている。 テレビを見ながら寝てしまった事も考えられたが、何故か俺の心に焦燥感が生まれてきた。 「……のぞみ!」 俺は一気に居間のドアを開けた。 そこにはソファに縮こまって震えているのぞみがいた。 「のぞみ!」 「の、ぞ、む……」 俺はのぞみを見た瞬間、彼女を抱きしめていた。 どうしてそうしたのか全く理解できない。しかし、そうしなければいけない気がした。 いや、そうしたかった。 のぞみの体が冷えているというわけではなかった。しかし震えは止まらない。 俺はのぞみの背中や頭をゆっくりとさすっていく。 「大丈夫だ。もう、大丈夫だ。俺がついてる」 「う、うう……のぞ、む……」 たまに見せていたのぞみの、暗い感情。 それが今、はっきりと形をなして俺の前にあった。 俺はとりあえずTVを消そうとリモコンを探す。それはのぞみの傍にあり、俺は手にとるとすぐさまTVを消した。 熱血教師が生徒に何かを叫んでいる場面が、一気に暗く何も写らなくなる。 俺はしばらく彼女を抱いていた。 何のよこしまな気持ちも無く、ただのぞみを安心させてあげたかった……。 のぞみに何があったのか、結局彼女は語ってはくれなかった。 いつもの、しかしどこかぎこちない笑顔を向けて「なんでもない」としか言わないで。 俺はこの時初めて干場に感謝した。 遊園地はきっといい気分転換になる、と。 とりあえず付けっぱなしにしていたテレビを消した後に俺は食事を作った。のぞみはテーブルについて俺の様子を見ている。そして、俺は―― 「ごめん」 素直に、謝った。 |