Powder Snow 04


 二日連続でぎりぎり間に合った俺は、干場に突っ込まれつつも授業を受けていた。
 外を見ると雪が風に乗って凄い勢いで舞っている。明らかに今日中には降り積もり、根雪になるだろう。

 雪

 それは昔から俺を心躍らせる。
 いつからか俺をとりこにした雪は、冬になればすぐに会えた。
 幼い頃の俺は冬が来るのを今か今かと待ちわびていた。
 今思えば、それはあたかも恋焦がれた人に会えるという感覚に似ている。

 俺は「冬」という季節に恋していたのだ。

(何を馬鹿な事を……)

 気付くと俺はノートに落書きをしていた。何を描いているのか分からない。
 それは人のような輪郭を取っていて、どうやら光を発散しているらしい。シュールな漫画で見るような異星人みたいだ。
 その絵は、小学校から今まで描き続けていた物だ。
 雪が降る時期になり、授業中などに意識を雪へと向けているといつの間にか描いている。普通に考えればそれは奇妙で気持ち悪い事だったが、俺は特に感じない。その絵の対象が気味が悪い物ではないと自然に知っているから。

(それでも他人に見られたら嫌だな)

 そう思って俺は消しゴムで絵を消そうとし、動きを止めた。
 そして記憶を探り、中学時代から使っているメモ帳を取り出してページをめくる。
 目当てのページを見つけて、そこに書かれている物と今描いた絵を比べてみた。
 メモ帳には二年前に描いた絵が描かれていた。確かクラスの卒業旅行の計画を聞いていた時に描いてしまった物のはず。
 そして俺は動揺した。

(絵が、はっきりしてる?)

 二年前。そして今現在。
 絵は輪郭を以前よりも明確に現していた。より人間に近い輪郭を持っていたのだ。
 ぼんやりとしていた以前よりも絵はしっかりと人間の形を保っている。もう、異星人には見えなかった。

(どういう……ことだ?)

 流石にこれには驚くしかなく、少し気味が悪かった。
 いつもと何かが違う。それは俺の心に恐怖を植え付ける。
 俺は、必要以上の力を込めて消しゴムで絵を消した。その絵がもう二度と現われないようにという思いも込めて。
 紙は力の入れすぎで破れ、その音に何人かが俺を注目したので俺は軽くすみません、と言って流した。
 火照った顔に手を当てながら見た絵はほとんど残ってはいなかった。




 校門を出る時は、辺り一面雪で埋まっていた。
 外でやる部活――野球、テニス、サッカーなどは少なくとも今日は無理だろう。体育館の使用は十二月に入ってからだ。
 今日は十一月二十五日。思えば、もうすぐ一年が終わるんだ。

(早いもんだなぁ)

「早いよな」
「……干場」

 心の声に相鎚を打たれたのかと心配したが、どうやらそうではなかったらしい。
 干場はいつもの笑顔で俺の隣を歩き出した。

「なあ、今日ゲーセンに寄って行こうぜ。フォースソルジャーの新作出たんだよ」

 俺の聞きなれたゲームの名前が出て流石に聴き返してしまう。

「まじで? またバルダム出るのか?」
「出てるぜ。でもお前本当に一発屋だなぁ」
「何を言ってる? 一撃必殺レーザーこそ漢の証だろう!」

 俺の持論に干場はため息をついたが、さほど嫌ではないらしい。その話は流して干場は続ける。

「んで、今日行く?」

 俺は即答できなかった。のぞみの事があったからだ。
 のぞみは自分が家出娘で、男の一人暮らしの家に女が居ることがどういう意味と取られるかも分かっているから、誰が来ても出るなという事には従った。
 でも代わりに学校から直接帰ってきてくれと頼まれたんだ。
 のぞみは今時の娘にしては珍しく携帯電話も持っていない。
 家出するからにはそれ相応の理由があるはずで、友達などに知られると家出が失敗する可能性は高い。
 結局、のぞみが話せるのは今のところ俺しかいない事になる。

(考えれば厄介だよな)

 昨日は俺が折れたが、もし俺の家に居ることを両親にばれたりしたら俺はどうやって言い訳すればいいんだ?

「高階?」

 干場が怪訝そうに俺を見ている。俺は結局、断った。

「すまんな。また今度対戦しようぜ」
「ふーん……。オッケイ。じゃあな〜」

 早足で駆けていく干場に心の中で謝りつつ、俺は家に向かった。




 家に帰ると、電気は付いていなかった。時計を見ると午後四時。この時期になるともう日が沈みかける時間だ。実際に西の空には夕日が雲の間に消えかけている。
 俺は自分の鍵を使ってドアを開けた。

「ただいま」

 そう口に出して、口を押さえる。
 長い間出してなかった台詞を言ってしまう自分に動揺する。

(のぞみ……?)

 靴は、無い。
 そうか。あいつは……出て行ったのか。
 しばらく居させてくれとは言っていたが、結局忍びなくなったのだろう。
 別に構わない。
 のぞみ自身が別れの挨拶もなしに出て行くと決めたのなら仕方が無い。

(俺、寂しいのか?)

 そう思うしかない感情の流れ。
 確かにあまり俺の傍にいない人種の少女だったが、さっきも厄介だと思っていたじゃないか。
 居なくなって都合はいい――はず。

「都合いいのさ……」

 自分に言い聞かせるように口に出しながら、居間の電気をつけて中に入る。
 そこにはソファに寝ているのぞみがいた。

「……」

 こう、なんと言っていいか分からないまま俺はのぞみに近づいた。
 息は規則正しく刻まれている。服装は昨日のままにセーターにジーパン。暖房がついていないこの部屋では少し寒いはずだ。
 何となく、俺は彼女の顔に顔を近づけていった。
 朝とは逆の状態。
 俺は初めてこの少女の整った顔をじっくりと見た。

(綺麗、だな)

 最初に感じた感覚。
 赤嶺よりはそうではないが、内から来る美しさ。
 今、表面と内側のそれがのぞみには同居しているように思える。
 自然と俺の顔は、彼女に近づいていた。

「おかえり」
「!!!?」

 彼女の目が開かれ、突然洩れた言葉に俺は背筋まで電気が走ったかのように飛び上がった。そして急いで離れて息を整える。
 のぞみは欠伸をして背伸びをしながら体のだるさを取っているようだった。

「おかえり〜。もう退屈で死にそうだよ〜」
「のぞみ……帰ったんじゃなかったのか?」

 のぞみは首をかしげて少し考えてから、思い当たったのか手をぽんと合わせた。

「ああ! 靴は隠しておいたんだ。覗く人はいないとは思うけど靴を見たら誰かがいるかと思うでしょ?  それに暗くなって電気つけても同じ。望が友達と帰ってきたら怪しまれるよ」
「あ……そうか」

 思えば当たり前な方法に俺は気づかなかった。のぞみはまだ気だるいのか体を回し始める。

「今から……三十分ほど前かな。暗くなってきて、電気つけないままソファに座ってたら寝ちゃった」
「だからすぐ起きれたのか」
「まあね。あのまま眼を覚まさなかったらどうなってたのかなぁ?」

 のぞみの台詞に俺は慌てた。

「ば、馬鹿! どうにもならないぞ!」
「男は狼なのよ〜♪」

 変な歌を歌いながらのぞみは部屋を出て行った。流石に方向がトイレだけに、俺がついていくわけにもいかない。悶々とした気分のまま俺はしばらく待たなくてはいけなくなった。

(やっぱり厄介だよ……)

 俺は気を取り直して夕飯の支度に取り掛かろうとした。そして、材料がない事に気付く。

「そういや、朝に使い切ったのか……」

 見ると冷蔵庫の中には朝の残りが少しだけ残っている。一人暮らしだけに買いだめするのにも二日分くらいしか買っておかないんだ。
 普段なら学校の帰りにスーパーにでも寄って帰るんだが、今日は忘れていた。
 ペースが乱されてる。

(あいつが悪くないだけに、たちが悪いなぁ)

「夕ご飯の材料が無いの?」
「……そうだよ。誰かが朝に使い切ったからな」

 何となく、軽口で言ってから振り向くとそこには顔を強張らせたのぞみがいた。
 その反応があまりにも以外で、俺は動きを止めてしまう。
 どうして?
 どうしてのぞみはこんな顔をする?

「わ、わたし……」
「ごめん!」

 それはほぼ反射的な行動だった。
 自分でもどうしてかは分からなかったが、ここで謝らなければ二度とのぞみの笑顔を見れない気がした。

「悪い。少し言い過ぎた。ほんの軽口のつもりだったんだ。ごめん……」

 分からない。
 自分がどうしてここまで必死に謝っているのか。

「あ……い、いいよ。そんなに謝らなくても」

 のぞみも俺の行動が信じられなかったのだろう、かなり躊躇の色が口調に見えた。
 そうだろう。俺でさえも自分の行動が信じられないんだから。

「夕食の材料、買いに行こう?」
「ああ」

 俺は顔を上げて同意した。するとのぞみも笑顔を見せて嬉しそうにコートを取りに行く。
 だが俺はすぐに後悔していた。

(誰かに買い物しているところ見られたら厄介だぞ……)

 しかしあの場では同意するしかなかった。
 しばらくはのぞみは家にいるんだから、あのままだと気まずいまま過ごす事になりそうだった。仕方が無い。

(仕方が無い? 本当にそうか?)

 俺は一つの可能性に気づき始めていた。それは――

「望〜。行こうよ!」
「分かったよ」

 思考に決着をつけることが出来ずに俺はのぞみと外に出た。
 何故か、そのまましばらく『その事』を忘れる事になる――。




「今日はカレ〜♪」

 やけに嬉しそうにのぞみはスーパー内を歩いている。
 言葉に出している通りにジャガイモや人参を籠に入れている。俺はのぞみの後ろを歩いていた。
 見ていて思う。

(恥ずかしい奴だな)

 のぞみが通る場所の人々の視線がのぞみに集まっていく。
 そんなわけで自然と俺にも視線が集まっていた。
 人の視線に怯えるまで気にするほど繊細ではないはずな俺だったが、流石に辛いものがある。

「のぞみ。歌うのは止めろ」

 俺は前を行くのぞみの肩に手をかけて押さえると逃げるように場所を映す。

「え? え? どうしたの?」

 のぞみは全く訳が分からないと言った様子で俺は頭が痛くなる。
 どうしてここまで能天気なんだ?

「お前さぁ。自分の立場を分かってないだろ?」
「?」

 まだ分からないようで俺は思わず怒鳴りそうになったが、止めた。

「……お前。家出人だろ? 注目されたら知っている人がお前を見つけるかもしれないじゃないか」
「望さぁ……」

 のぞみはしかし、俺の言葉に反応しないで逆に言ってきた。
 予想だにしない事で俺は言葉を躊躇してしまう。

「凄く怒った顔するのに、すぐ冷めるんだね」
「……な、何言ってるんだよ。今はお前の事だろ」
「そうだね。ごめん」

 のぞみは舌を出して軽く微笑むと今度は鼻歌を歌いながら材料を探し出す。
 俺はため息をついた。それは、聞く耳をあまり持ってないのぞみに対する物じゃない。

(すぐ冷める、か)

 そうだよ。無駄な事は、俺はしない。
 のぞむには怒っても無駄だろう。
 でも流石に少しだけ自己嫌悪になって、気分が落ち込みそうになる。

「高階」

 かけられた声に俺は勢いよく振り向いてしまう。この場では絶対に聞きたくなかった声だからだ。
 視界に入ったのはやはりあいつだった。

「干場……どうしてここに?」
「ああ。母さんに買い物頼まれてな。お前はいつものように買い物か?」
「そうだよ」

 このまま話を続けていたらのぞみが戻ってくる。
 なんとか干場をこの場から離れさせようと口を開こうとした時――

「望〜。材料揃ったよ。早く帰って作ろうよ!」

 最悪の声が俺と干場の耳に届いた。

 俺達の所に帰ってきたのぞみが動きを止める。のぞみを見た干場も動きを止め、俺もどうしていいか分からずに動きを止めていた。
 三人が動きを止めたまま向かい合うという奇妙な光景がしばらくの間続いていた。




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