Powder Snow 02


 彼女の体重がどのくらいなのか、俺には分からない。だが、少なくとも四十キロ以下という事は無いだろう。
 四十キロを越えた人を背負うのはなかなかに重労働だった。

「今、失礼な事考えてなかった?」
「考えてないよ……って、気付いているなら降りてよ」

 しかし彼女は俺が降ろそうとすると必死に首にしがみついてきた。首が締め付けられるので息が詰まる。自然と言葉も出なくなる。

「いいでしょ〜。女の子に優しく出来ない人は嫌われるよ〜」
「わ……わか……」
「なに? もっとはっきり言ってよ」

 限界だった。
 俺は肺に残った空気をしぼりだし、気合を入れる。
 彼女を強引に、しかししっかりと道路に立たせるように降ろした。

「ちょっと、大丈夫?」
「……死んだ爺ちゃんが見えた」

 彼女はジョークとでも思ったのか、けらけらと笑った。
 その笑みは悪意は無いんだろうけど、見る人によっては嫌な感じに映るだろう。俺は、その一人だった。

「じゃあね」

 俺は湧き上がる不快な感情をなんとか押さえつけて彼女から離れる。彼女はすぐに後を追ってきた。

「あれ? どうしたの?」
「……」

 どんどん不快感が増していく。なんだろうか? 今まで不快に思わない人間のほうが多かったが、ここまで苛立つのは初めてだ。
 初めて会ったのに。

(初めて?)

 その単語に唐突に違和感を覚えた。
 そう、初めてのはずだ。俺は追ってきた少女を振り返った。いきなり振り返ったのがいけなかったのか、彼女は驚いて後ろに飛びのく。

「もう……驚かさないでよ」

 俺は彼女の言を聞かないでじっくりと彼女を見つめた。自分の記憶の奥底を探る。しかし――該当者は出てこなかった。

「何? 人の顔じろじろ見て」
「なんでもない」

 俺は嘆息し、また歩き出した。彼女は今度は無言でついてくる。なんとなく、彼女を振り切る体力もなくなっていたのでついて来るままに任せた。

(まあ、いいか)

 いつの間にか雪はやんでいて、その様を見る余裕が無かったことに後悔を覚えつつ、俺はこの奇妙で唐突な来訪者を連れて家に向かった。




「うっわ〜。大きい家だね〜」

 彼女は俺の家に初めて来た友人達が揃えて発する言葉を、例外なく発した。
 子供の頃から聞かされてきた言葉だからさほど気にはならないが、やっぱりどこか気分が悪い。
 自分が何か特別な物に見られている気がして。

「で? ご飯は?」
「あんた、それしか頭に無いのか?」

 でもこの少女の感じは今までほとんど感じた事のない物だった。この家を見ても特に何も聞いてこない。
 普通なら、親は何をしているのか? など俺の家の事情を聞いてくるのに。そして、俺はそのたびに嫌々ながらも説明する。
 久しぶりに――そう、本当に久しぶりに感じた安心感だった。

(そうだな。干場以来だよな……)

 干場は俺の事を何も聞いてこない。俺が話した事実しか口に出してこない。俺の中に入ろうとせずに、こっちから言うのを待っている。
 俺が望まない事をけしてしない男。だから、あいつとは縁が切れない。

(この娘……本当になんなんだろ?)

 不思議なので問い掛けてみたい。この感情も久しぶりに起こった。他人の事を知りたいだなんて、あの時以来、三年ぶりか。

「ご飯は〜?」
「……待ってて」

 俺はキッチンに入ってエプロンをした。その姿を見て彼女は笑っているようだったが気にしない。これもまた俺の家に来た奴等と同じ反応――いや、違った。

 彼女は笑ってなどいなかった。

 俺を見て何故か遠い眼をしている。俺が笑っているんだと先入観を持っていただけだった。

(なんだ? あの目)

 何も分からない。現状をどう説明していいかも分からない。ただ、分かる事は、彼女を見ていると無性に気分が悪くなった。
 ここまで他人といて居心地が悪いなんて信じられない。
 頭を振って雑念を振り払う。更に勢いよく冷蔵庫のドアを開けた。

「今日は親子丼」
「親子丼! 大好物だよ〜」

 子供のようにはしゃぐ少女。そんなに好物なのか? 俺と同じく。

「俺も好きなんだよ、親子丼」
「本当? 一緒だね!」

 ああ、一緒だ。
 現金にも少しだけ気分がよくなる自分に戸惑いつつ、俺は料理を開始した。




 出来上がった親子丼を持って俺達二人はテーブルに向かい合わせに座っていた。
 六人ほど座るスペースがあるテーブルに二人は広すぎる感はあったが、それは他のおかずでカバー。
 親子丼の前には他にも味噌汁にほうれん草が並んでいた。

「おいしー!」
「喜んで貰えてよかった」

 一緒にいて気分があまり良くなくても、自分の料理を誉めてもらえるとやはり嬉しい。人間には生来、合わない人がいるというが、おそらくこの少女はそれだ。だからこそ、無碍に扱うわけにはいかなかった。
 別に彼女自身が悪いわけじゃないんだろうから。

「わたしも一人だからよく料理するんだけど、ここまで美味しくはないかなぁ」
「わたしも?」

 俺は思わず繰り返し、口を押さえた。少女は口を押さえた俺を不思議そうに見、後を続ける。

「うん。わたし、親が共働きでほとんど家にいないんだ。だから料理は自分で作るの」
「ふーん……」

 こういう話題になるだろうから、後悔したんだ。おそらく次の台詞は俺はどうなのかと言う事だろう。
 自分の話題に触れられるのは嫌だった。
 でも、彼女はそれから一心不乱に俺の作った料理を食べている。
 何も訊いては来ない。

(この娘……)

 嬉しそうに、俺の作った夕食を食べている少女。
 それを見て俺は――

「よほど腹減ってたんだな」
「うん! なんか凄くお腹空いてたんだ〜」
「もともと食べるんじゃないのか?」
「違うよ〜。わたし元々少食なの!」

 顔を膨らませて抗議してくる。顔――というか頬が膨らんでいるのは飯が口の中に入っているからだが。

「飯を食べながら話すなよ」
「君が話し掛けてきたんでしょ〜」

 と言って口を何度か動かし、牛乳で残りを胃に流し込んだ。感嘆に似た溜息をついて、少女は手を合わせる。

「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」

 俺もほぼ同時に食べ終わり、食器を片付ける。しかしその手をいきなり少女がふさいだ。何かと思って見ると、いきなり食器を取られた。
 きょとんとしているだろう俺に、彼女が言ってくる。

「夕ご飯のお礼。皿洗いぐらいするよ!」
「いや、でも……」
「やらせてやらせて!」

 彼女は余談を許さずに皿を両手で器用に持ってキッチンへと向かって行った。

(なんだかなぁ)

 まるで恋人同士な雰囲気だ。
 流石にそれは考えすぎだ。疲れるだけの関係はもうたくさんだ。

(やってくれるなら、寛ぐか)

 とりあえず居間のテレビを付ける。時刻は午後七時。
 つけたチャンネルでは物々しいセットの中央に良く見るアナウンサーが挑戦者に問題を出している。解答を出すのも正解不正解を言うのもかなり時間を要していて見ているとハラハラする。
 かなり好きな番組だ。
 十五分もした頃に彼女が俺の傍にきた。

「洗った皿、元の場所に戻しておいたよ。場所分からなかったから時間かかっちゃったよ」
「ご苦労様」

 ねぎらいの言葉をかけてから俺は立ち上がった。俺の行動にきょとんとした顔を見せている少女。

「じゃあ、送ってくよ」
「どこに?」

 何を言っているんだ、この娘は?

「あんたの家だろ。もう暗いし、女の子一人で夜道を歩かせるわけにも行かないし」
「あのさ」

 彼女は初めて弱々しい顔を見せた。
 それが俺にはとても辛く感じる。
 何故こんなに切ない? この娘は一体、何故こんな顔をする?
 その疑問はすぐに氷解した。

「しばらく泊めてくれないかなぁ」
「は?」

 いきなりの提案に俺は一瞬、頭が空白になる。
 何だと? 家に泊めてくれだ? しかも異性の家に?

「何故に平然と言えるんだ?」
「え?」
「俺だって男だぞ? と……年頃の……」

 それにどうして泊める側の俺が動揺しないといけないんだ? 平然と、というかあまり意味が分かってない様子の少女にまた怒りが湧いてくる。

「大丈夫だよ」

 その声は心底から俺を信用しているように思える。
 無条件に相手を信じているかのような。

「あーと、わたし、今ちょっと家に帰れない理由があるんだ。少しの間でいいから」
「……家出か?」

 俺の問には答えずに、手を合わせて拝むように俺に頭を下げてくる少女。しばらく無言で俺は立っていたが、結局ため息をついたのは俺だった。

「どのくらいだ? 期間は」

 顔を上げた少女の顔は嬉しさをはっきりと表していて、俺は照れくさくなって頬を掻いた。その手が下に引っ張られる。
 気付けば俺の手を彼女の両手が包んでいる。

「ありがとう! ご両親にはわたしから事情を話すから――」
「両親はいないんだ」

 俺の言葉に彼女は凍りついた。
 時が止まり、そして動き出す。

「両親は薬品会社で働いててね。今はアマゾンの奥地に薬の材料を採取しに行っているんだ。クリスマスまでは帰ってこない」
「そうなんだ……」

 彼女の顔は俯き加減になっているために俺からは見えない。
 でも少しだけ体が震えているのを感じた。

「あ、気にする必要は――」
「じゃあお世話になります!」

 少女は俺から少し離れて敬礼してきた。俺は呆気に取られて、口を開けていた。
 さっきまでなりを潜めていた不快感が甦る。

「あんた、少しは遠慮しろよ!」
「え〜。折角泊めてくれるって言うんだから遠慮する必要はないでしょ? 嫌なら言えばいいし」

 それは確かに正論だった。
 かまわないと言ったのは自分だし、嫌なら言えばいい。予感だったが、彼女に泊めないと言えばすぐに出て行っただろう。
 どんな事を思っていたとしても、行動したことが全てだ。

「分かったよ」
「では、よろしくぅ!」

 彼女が差し出してきた手を、俺は握った。
 初めて触れた彼女の手は少し冷たかった。おそらく洗い物の影響だろう。
 その冷たさに、俺は今まで忘れていた事を口にしていた。

「そういえば、あんた名前は? まだ聞いてなかったな」
「あ、そうだね!」

 そこで会話が途切れる。しばらくして俺が名前を言うのを彼女が待っているのに気付いた。

「あ、ごめん。俺は高階望。あんたは?」
「高階望」
「いや、あんたの名前――」
「高階望だよ」

 彼女の言っている意味を悟るのに少し時間がかかった。でも何とか理解する。
 とても信じられない事だったが……彼女は……

「同姓同名だね! これからよろしくお願いします!」

 この事を予感していたから、あんなに気分が悪くなっていたのかと疑った。
 自分と同姓同名の少女。
 これからの奇妙な同居人。
 前途多難になるような予感がして俺は肩を落とした。

「どうしたの〜」
「なんでもない」

 俺の心の内を知らずに彼女――望、は笑っていた。
 最初に会った時と同じような猫の瞳に笑みを浮かべて。




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