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● SkyDrive! --- 第九十九話 ●

 コートを挟んで立つ相手二人の身長の高さを見たことで体を固める緊張をほぐすために、隼人は何度も唾を飲み込んでいた。対戦相手の二人とも180センチを超えていて真比呂とほぼ同じ。顔つきも厳しく、自分たちを睨み付けてきて握手を交わしても表情を変えないままに去っていく。

「隼人ー。早くじゃんけんじゃんけん」
「あっ」

 背後から真比呂に告げられて手を上げると共に、相手のファーストサーバーが上から振り下ろすかのように手を動かしてじゃんけんが行われる。隼人は自分の出した手にほっとして審判からサーブ権を受け取った。

(じゃんけんだけでやけに緊張したな)

 雰囲気にのまれている自分を自覚して、何度も深呼吸することで徐々に落ち着いていく。第一シードの高校でダブルスを任されている二人は個人戦でも第二シードだったと思い出す。
 上背を生かした急角度のスマッシュとパワーで押してくる古賀と佐野。
 スポーツ刈りで肌が少し焼けている古賀と逆に、透き通るような白い肌の佐野。
 正反対に見える二人のプレイスタイルは全く同じで、防御をほとんど考えない超攻撃型のダブルスだった。

(どんな時でも、攻撃してくるタイプ。受け流すには、強すぎるか)

 まだほころびていない羽を軽く指先で整えながら隼人は情報を整理する。
 試合時刻となって横浜学院と向かい合った隼人たちは、オーダー表を交換しあって試合に臨んだ。
 隼人の予想通り、相手のエースダブルスは第一ダブルスに配置された。
 そこに真っ向から対峙するのは隼人と真比呂のダブルス。公式戦では初めての組み合わせに相手の中に走ったどよめきは見逃さなかった。ただし、対戦する本人たちは全くポーカーフェイスを崩さないまま。

(誰だろうと負ける気はないって顔してるよな。確かに、俺らは格下だからな)

 隼人は物思いを止めてサーブ体勢を整えて向き合う。バックハンドで持ったラケットヘッドをシャトルに押し当て、相手がラケットを掲げて身構えるのを待つ。
 審判は両チームのダブルスの準備が整ったことから、試合のコールをした。

「トゥエンティワンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 四人の声が重なって空間に響く。同時に賢斗と理貴のダブルスが始まったが、隼人の意識はもう目の前の相手に向かっていた。

(かなり分の悪い勝負なのは分かってる……苦しいけど、勝ってみせる!)

 一瞬だけ呼吸を止めてショートサーブを放つ。
 シャトルは白帯を超えて相手コートに放物線を描いて落ちようとしたが、ネットを超えた瞬間にファーストレシーバーの古賀がシャトルをヘアピンで落としていた。隼人のサーブの良さに強打は出来なかったが、それでもサイドラインに落ちていく厳しいコース。隼人はサーブを打った瞬間に右側へと足を伸ばしていて、シャトル追いついたところでロブを丁寧に上げていた。

「しゃぁああこいや!」
(なんだと!?)

 隼人の背後から聞こえた声に慌てて振り向くと、真比呂の姿が見えたことで下がるのを止める。動きの硬直は大きな隙となってしまい、シャトルに追いついた佐野のスマッシュが誰もいない逆サイドへと決まっていた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 最初の得点を簡単に取れたことで横浜学院の選手や、観客席で応援している部員たちも「ナイスショット!」「ラッキー!」と叫ぶ。声援を受け止めている二人は軽く笑みを交わして手を打ち合わせていた。
 対して隼人は真比呂に向けてジト目を向けつつ呟く。

「おまえなぁ。まだローテーション覚えてなかったのかよ」
「いや、覚えてるぜ。ただ久々だから忘れていただけだ」

 満面の笑みで応えて親指を立てる真比呂を見て、隼人はため息を吐いた。
 たとえ嘘でも認めないし、本当ならばどうしようもない。せっかくのファーストサーブでの得点をローテーションミスで落としたのは痛かったが、いつまでも引きずっていられない。
 隼人は自分から真比呂の背後に下がってレシーブ位置に構える。

「ほら。今度はお前がレシーブだぞ」
「おっとっと。そうだったなー。よっしゃ!」

 真比呂はサーブラインの前まで出ていくとラケットを掲げて身構える。
 身長と体格だけならば相手には劣っていない真比呂の視界はどうなっているのだろうと背中を見ながら考えていた隼人は、真比呂の姿を見てほんの少し違和感を得た。いつも練習で見ている真比呂とはどこか違うようなイメージは、口からすんなりと言葉を導き出す。

「おい、井波。気にするな。ローテーションも、俺がいる場所じゃないところにいけばいい。分かったな」
「お! 隼人も凄い指示だすなぁおい! 了解だ!」

 明るい声で答える真比呂はいつもの様子に見える。
 だが、先ほどとは明らかに空気が変わり、身構える姿は自信に満ち溢れているようだ。

(あいつ。やっぱり緊張してたんだな)

 ローテーションの失敗も緊張から生まれたものだったんだろうと隼人は考える。いつも勢いで行動しているようでいて、強敵を前にして緊張してミスをするような部分もあるのだと、いつの間にか自然と受け入れている自分に隼人は苦笑してしまう。
 四月に入学してから出会い、一緒に部活を作り上げてきた仲間の一人。
 自分から絡んでくる真比呂はバドミントン部の中で、最も一緒にいる時間が長かった。

(俺が上手く井波を操作してやるさ。あと……相手もな)

 佐野がショートサーブでシャトルを運ぶと、真比呂は前に踏み込まずにロブを高く打ち上げた。滞空時間が長いシャトルの軌跡を見ながら真比呂はゆっくりと後方へと移動し、隼人は逆サイドに腰を落として相手のスマッシュを待ち受ける。

「だらあっ!」

 シャトルに追いついた古賀は、ラケットを大きく振ってシャトルをスマッシュで打ちこんでくる。軌道はクロスでコートを切り裂くように突き進むシャトルを、隼人はバックハンドで持って前に突き出す。轟音を立てて飛んできたシャトルのラケットヘッドで受け止めると完全に勢いを殺してヘアピンで落とす。
 ネットを越えたところですぐに落ちていくシャトルに、佐野は触れることができずに見送った。

「ポイント。ワンオール(1対1)」
「ナイスヘアピン! 隼人ぉお!」
「うるさい」

 ネットの下からラケットでシャトルを拾い、手に持つ隼人。そして真比呂に軽く放って渡した。
 自分の番だと理解した真比呂は、ラケットをバックハンドに構えてシャトルをラケットヘッドに当てるとゆっくりと深呼吸を繰り返す。隼人が後方に腰を落としていつでもレシーブできる体勢を取ったのを確認すると、大声で「一本!」と吼えてからショートサーブを放った。

「ふっ!」

 ショートサーブを待ち受ける形になった佐野は、白帯よりもかなり上に浮いたシャトルをプッシュで冷静に二人が届かない場所へと落としていた。隼人も後方から一歩も動けずにシャトルが転がるのを見て息を短く吐く。

(ショートサーブの悪さは……想定内だけどきついところだな)

 転がったシャトルを拾いあげて羽を整える真比呂を眺めながら、心の中で独りごちる。
 シングルスプレイヤーの真比呂にはまだショートサーブの繊細さを教えることは出来ていない。いっそ、真比呂のサーブの間はロングサーブだけ打たせる手もある。だが、真比呂がシャトルを返してから隼人に近づいてきて口にした言葉に何も言えなくなった。

「隼人。すまん。でも、今後もショートサーブ、打たせてくれよ」
「……どうしてだ?」

 派手好きでスマッシュ以外はあまり練習もしていないような真比呂ならば、ショートサーブも窮屈だという理由でロングサーブを打たせてほしいと自分から言ってくるだろうと予想していた。しかし、全く正反対の言葉に隼人は単純に疑問を投げかける。

「お前とダブルスで勝ちたい。なら、ショートサーブに慣れる必要あるだろ。虫のいい話だけど、この試合の間に、身につけさせてくれ」
「おいおい……」
「お前の中でもう無理だ、と思う時まででいい。頼む」

 真剣な瞳で訴えてくる真比呂に、隼人は口を動かせずに頷いていた。
 真比呂は笑顔で次のレシーブ位置に着き、隼人もサーブを打ちとるために身構える。
 2対1でサーブ権は古賀へと移って、ネットを越えて気合いをぶつけられた隼人は一瞬身震いした。
 試合が始まって二組の間には三点が入っていたが、まだ誰も立ち位置が変わっていない。しかし、得点の仕方は違っている。

「一本!」
「ストップ」

 気合いを存分に押し出して吼える古賀に対して、静かに呟く隼人。
 ショートサーブで放たれたシャトルは、白帯を越えて前方のサービスライン上に向けて飛んでいく軌道を取っていた。隼人はインかアウトかという判断を全くせずに白帯を越えた瞬間にラケットでシャトルをプッシュする。
 ネットに触れないようにするため弱く打ち返したが、角度とコースがよく左端に飛んだシャトルを佐野がロブで上げる。
 サイドバイサイドに広がる相手を視界に納めながら隼人は少しだけ後方に下がり、前衛の中央に腰を下ろす。真比呂がどちらにシャトルを叩きこんでも、追えるように。

「ぉおおおおああああ!」

 真比呂の咆哮と共にシャトルがラケットによって飛ばされる音が耳に届く。同時に頭の上をよぎった影は、両側に広がった相手二人の中央へと遮るものなく叩きつけられていた。

「……ポ、ポイント……ツーオール(2対2)」

 審判のコールも震える。
 隼人でさえも起こったことがにわかに信じられずに、足を伸ばすと背後にいる真比呂を振り返った。
 視線の先には目を輝かせて震えている真比呂の姿がある。自分の打ったスマッシュが、これ以上ないほどの威力で決まったことに興奮していることは明らかだ。隼人も思わず頬を緩めてしまうが、試合中だと思いなおしてすぐに表情を固める。

「ナイスショットだったろ!」
「ああ。ナイスだよ」
「どんどん行くぜ!」

 感情を素直に爆発させる真比呂を見ながら隼人はシャトルを受け取る。サーブの順番が一巡してまた自分へと戻ってきて、心を落ち着かせるようにシャトルコックを摘まんでくるくると回す。
 回しながら、思考を回す。

(2対2。想定以上に状態はいい。地力の差を考えれば、大量リードされてもおかしくなかった。俺のヘアピンと井波のスマッシュが、いつも以上にキレてる)

 互いに立ち位置が変わらないままで得点を分け合っている。自分のサーブ権で得点できていないのは、流れに乗り切れてはいない証拠。試合の流れがまだどちらに傾くのか分からない状況だ。気を抜けば一気に持って行かれるかもしれないが、逆もありえる。

(とにかく我慢だ。攻めるのは井波に任せる。俺は、防御だ。俺なら、できるはず)

 バックハンドで掴んだラケットのヘッドにシャトルを軽く当てて、サーブ体勢を整える。深呼吸している間に古賀がラケットを掲げてレシーブ体勢を取ったのを見た隼人は、呼吸を止めてラケットを振った。隼人の呼吸のタイミングを取っていたであろう古賀は虚を突かれたように前に出る。ラケットヘッドが微かに下がり、プッシュはなくなったと判断してネット前の中央に足を踏み出したが、次の瞬間に、自分の右側へとクロスヘアピンでシャトルが放たれていた。

(――取れない!?)

 前に出たのはヘアピンを警戒したからだ。しかし、隼人の想像以上にシャトルはキレながらネットの上を横切って飛んでいく。目の前で横切っていくシャトルに対して意識は追いついても身体は追いつかず、切り返してラケットを伸ばした時にはもう打ち返せない位置までシャトルは落ちていた。

「くっ!」

 それでも諦めずにラケットを振ると、シャトルはネットの下を通って相手コートへと打ち返されていた。

「ポイント。スリーツー(3対2)」

 崩れそうになる体を、右足を踏ん張って何とか支えて隼人は体を止める。相手コートに返ったシャトルを一瞥してから、すぐに相手に背を向けて縦横に走るガットを整えながら深呼吸を繰りかえした。

(落ち着け。今のは、仕方がない。絶妙なタイミングだった)

 踏み出して、次の行動をとるために必要な一瞬の間に向けて飛び込むように打ち返されたシャトル。もしも意図的に打てるならば、最初から隼人たちには勝機はないことになる。あくまで偶然だと自分に言い聞かせていると、目の前で掌が叩きあわされた。

「!? お、驚かすなよ」
「隼人。ドンマイだ! リラックスしようぜ!」

 真比呂は全く悪びれることなく笑顔のまま。空元気というわけではなく心の底から笑って、緊張はしていないらしかった。一点目を与えた時に感じた体の固さは既に感じない。隼人から見ても、おそらく相手から見ても。

(最初は自分が緊張してたのにな。でも良かった)

 隼人は軽く笑って真比呂の手にラケットを触れさせる。隼人の行動が理解できないのか眉を顰める。

「ったく。まだまだピンチなのによく笑っていられるな」
「そりゃピンチだからこそだ」

 そう言って真比呂は前に出る。得点が入ったことで相手のレシーブはセカンドレシーバーの真比呂へと向かうことになる。隼人の前に出てラケットを構える前に両腕を回しながら顔を右側半分だけ向けて言った。

「安心しろ。俺が、皆を全国に連れてくぜ」

 真比呂の一言は隼人だけではなく相手のダブルスにも聞こえたのだろう。
 サーブを放つ佐野の顔が一際厳しくなって、ラケットを持って構える姿に気迫が乗る。ネットを越えてやってくる気合いは明らかに触れなくてもいい部分を触れたことで生じたもの。
 だが、真比呂の迂闊な部分を隼人は怒る気にはならなかった。

(あいつ……大口叩いて。ここまでくると笑うしかないな)

 いつでも何も考えていないように前に突き進んでも、冷静に考えていることもある。この試合中でどういう思考から大きなことを言いだしたのかは隼人には理解できない。でも、けしてできないことを口にしたという気配ではなかった。

(あのバカは、本気でこの試合を、勝つ気だ)

 勝機がないとは思っていない。自分の特性を最大限に使って、真比呂の力を引き出せばきっと勝てる。だが、それは薄氷を踏むかのように一瞬で崩れ落ちるはず。一時の油断も許されないという緊張の中で、それでも真比呂は落ち着くように言ったのだった。
 緊張で体が固かった真比呂をかばった隼人に対して、同じように。

「一本!」

 佐野からシャトルが放たれる。軌道は全く浮かずに白帯を越えて降りていく。サーブラインの外側という可能性は低く、真比呂も迷わずに高く遠くへロブを上げる。後方へ下がると、真比呂を追うように古賀がスマッシュでシャトルを放ってきた。胸部を貫くように飛び込んでくるシャトルを、真比呂は体を捻って躱しながら左腕を振りぬく。体勢を崩しながらも鋭いシャトルが白帯を越えていくと、佐野は顔面の前にラケットヘッドを咄嗟に掲げてシャトルを打ち返す。

「っふ!」

 ネット前にほんの少しだけ上がって落ちていくシャトル。そこにラケットを届かせたのは隼人だ。ネットに触れないように鋭く振って、佐野が動き出す前にコートへとシャトルを叩き落とす。一瞬の出来事に周りの時間が停止したような静寂が訪れた後で、審判が告げる。

「ポイント。スリーオール(3対3)」
「っし!」

 隼人は短く気合いを込めて右腕を引く。自分が考えた通りにまだ均衡は崩れない。我慢の時間と自分に言い聞かせながら自分のレシーブ位置へと立つ。

(まだ相手ダブルスは井波のショットについていけていない。我慢の時間だ……)

 スコアは3対3。まだ、第一ダブルスの試合は、始まったばかり。
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