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● SkyDrive! --- 第百話 ●

 シャトルがドリブンクリアでコート上空を切り裂いていく。
 真比呂が前衛から飛ぶように後方へと移動していく間に、隼人は前に詰めて真比呂の攻撃に備えた。コートの前衛に素早く移動してから腰を下ろしていつでもラケットを掲げられるように意識を集中する。
 腰を落としてじっとするだけで体力を消費して肩に重荷がのしかかるようだったが、歯を食いしばって勢いを殺す。

(耐えろ! もうひと押しだ!)

 心の底から込み上げる闘志が体の外へと噴き出すような錯覚。
 次の瞬間には真比呂からの弾丸スマッシュが空間を切り裂いて相手コートへと直進していく。左サイドのライン上に落ちていくシャトルに佐野がラケットを伸ばして追いつくと、隼人を一瞥してからクロスにヘアピンを打っていた。隼人は左側に移動していた体を左足一本で食い止めると右方向へと飛ぶ。

(予想……通り!)

 相手が自分を必ず見る、という信頼から取った作戦。自分が思った通りの位置へとシャトルを打たせた後は、静かにヘアピンでシャトルを落とすだけ。
 しかし、隼人が打ったシャトルはネットに平行になって落ちていくも、古賀が真下でラケットを置いて待ち受ける。

「――すっ!」

 息を吸ったのか吐いたのか分からない音と共に、シャトルはクロスで運ばれていく。本当ならば越えるはずのない白帯の上までシャトルが飛んだのを見ても隼人はとっさのことで動くことができない。

(……越えるな!!)

 心の中で怒鳴りつける。その願いが通じたのか、シャトルは白帯を越えないまま真横に流れていって古賀と同じ側のコートへと落ちていた。

「ポイント。トゥエンティシックストゥエンティフォー(26対24)。チェンジエンド」

 審判が得点とファーストゲームの終わりの宣言をする。
 隼人は右足で踏ん張った体勢から戻れずにコートに尻もちをつくと、深く息を吐いた。

「やったな! 隼人!」

 近づいてきた真比呂は、汗をかいた額を拭った手をハーフパンツに何度も擦り付けてから差し出してきた。一瞬躊躇した隼人だが、手を取って立ち上がる。
 そして、すぐにコートから出るとラケットバッグからタオルを取り出して汗を拭いた。

「まずは第一歩。お疲れさま」

 亜里菜が差し出してきたスポーツドリンクを無言で受け取り、喉の奥を潤す。答えないのは怒っているわけではなく、現状の把握と第二ゲームにすべきことを二分間のインターバルの内にまとめておく必要があったからだ。
 いくつか用意していたケースに当てはめ、やるべきことを迷わず行えるように。それを亜里菜も分かっていたから、真比呂のほうへ顔を向けて話しかけていた。

(第一ゲームを取れたのは大きい。でも、代償もある)

 視線の先には亜里菜と話す真比呂。普段から元気な真比呂だからこそ、明らかに体力を消費していることが分かるほどテンションが落ちているのは気がかりだった。最初からスマッシュを連打する力技で相手に攻撃の隙をほとんど与えない戦法を取ったからこそ強引に押し切れた。
 だが、延長に入って想定以上に試合が長引いてしまって真比呂の体力はかなり消費された。第二ゲームに不安が残ってしまう。

「大丈夫だぞ、隼人」

 隼人の内心の不安を感じ取ったかのように、真比呂は立ち上がって屈伸運動を始める。何度か膝を曲げて伸ばすのを繰り返した後で、隼人の肩を叩きながら笑いかける。隼人から見てその表情は強がりではなく、本当に余裕があるように見えた。

「俺が六人の中で一番自信があるのは体力だ。そして、お前がそれを見込んでやること言ってくれてるんだから、ぜってーに最後まで動いてやるさ」
「そのためにも一回座って! まだコート行かないで!」

 真比呂はラケットを持ってコートに入ろうとするが、亜里菜に止められて一度座らされると足にマッサージを受ける。
 くすぐったいのか身悶えしていた真比呂は亜里菜に睨まれて静かに足を揉まれるままになる。隼人は真比呂の様子を観察しながら、自分も椅子に座って足をさする。
 第一ゲームで消耗してしまったが、まだ余裕がある。肉体の疲労度もこれまではダブルスでしか試合に出場しておらず、パートナーである賢斗の健闘もあったため予想よりも動けていた。

(井波も空元気ってわけじゃない、か)

 疲れていてもまだ余裕があるという真比呂の様子を疑うことに意味はない。相手にも体力十分なところを見せておけば威圧にもなるだろう。隼人から見て相手二人もまだ余裕があるようで笑みまで浮かべていた。一ゲームを取られたとはいえ、取り返せる自信があるに違いない。

「……井波。第二ゲームだけど」
「おう。このままいくんだろ?」
「お前の意見が聞きたい」

 隼人が告げた言葉に真比呂だけではなく、亜里菜まで目を見開いて視線を向けていた。
 これまでだと亜里菜や理貴と共に会話をして、方針や作戦を決めた後にはほとんど変更はない。特に真比呂の特性を生かした作戦を与えた後は、それを最後まで完遂するように指示するくらいで意見を求めることはなかった。
 隼人も自分の言葉が二人を困惑させていることには気づいていて、咳払いをしてから続ける。

「思ったよりも第一ゲームは時間がかかって体力が減った。このままだと、後々困るかもしれない。だから、第二ゲームは相手の体力を減らしつつ、こっちはできるだけ動かないようにして相手に取らせようと思うんだ」
「それは駄目だろ」

 隼人の提案を真比呂が一瞬で分断する。亜里菜は隼人も真比呂も擁護せずに、ただ二人のやりとりを見ているだけ。隼人は口元を緩めて言った。

「じゃあ、どうする? 第一ゲームのまま攻めて、もし第二ゲームを落としたら、ファイナルでは一気に持ってかれて負けるぞ」

 隼人は自分の考えていることを素直に伝える。格上の相手に引いたら負けることを、真比呂は直感的に理解している。だが、隼人もこのまま押し切れなければ負けは確実だと理性が訴えてきている。どうすれば最善の手なのか。そもそも最善の手など今は選べないのか。自分では決められないところまで来ていた。

「なら、決まってるな」

 真比呂の言葉と共にインターバルが終わることを審判が告げて、コートに入るよう促す。真比呂は立ち上がって回答を告げる前にコートへと向かっていった。隼人もすぐに後を追おうとしたが、亜里菜が呼び止めた。

「どうする気?」
「……あいつの思うとおりにするさ。今回のキーマンだからな。手は一つ」

 一度言葉を切って、苦笑いしながら隼人は言った。

「体力が尽きる前に、攻めきるだけさ」

 作戦と呼べるほどの戦略もない。作戦というよりも方針。無謀にも取れる挑戦に対しているはずなのに、亜里菜から見た隼人の顔は笑顔が浮かんでいた。

「大丈夫。というか、これで無理なら負ける。できるなら勝つ。それだけさ。勝つためだけに、俺の頭を使ってみせる」

 隼人はそう言ってコートへと向かっていく。既に振り向くことはない。亜里菜が不安そうに視線を向けてくるのだと分かっていても、安心させることは出来ないのは理解していた。

(俺が全く安心してないんだから、井上を説得できるわけがない)

 心臓が激しく脈動していることを誰にも悟られるわけにはいいかない。相手のダブルスに対してはもちろんだが、パートナーの真比呂にも。真比呂の力を理解していて、可能性があるとも分かっている。真比呂を信じるということは嘘ではない。それでも、負ける恐怖に理性が何度も作戦を考え直すことを進めてくる。

(多分、個人戦のシングルスなら……体力温存したかもしれないな)

 仲間から離れてのシングルスならば。自分だけの闘いならば少しでも勝つ可能性があると、自分が信じる方向へと進んだに違いない。

(悔しいが、井波には何とかなりそうだってオーラがあるんだよな)

 サーブ位置に立ってシャトルを持ち、体勢を整える。背後では真比呂が腰を落として気合いを発散する気配が伝わってくる。遠慮なくサーブを打てという思いが背中を押すような錯覚は隼人の心を頼もしさをもたらす。
 隼人が失敗してしまってプッシュが打ちこまれれば、まず真比呂は取れないのだが。

「セカンドゲーム。ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 試合の再開に四人が声を上げて、瞬時にそれぞれ体勢を整える。斜め前の古賀は、隼人がどんなサーブを打ってきてもシャトルをコートへ叩き込むという強い意志をネットの穴から突き刺してきた。

「一本!」

 相手の気迫に負けないように声を上げてサーブを放つ。だが、体の緊張は抜けきらなかったのかシャトルは理想の弾道から上に外れて白帯を越えていく。十分厳しく、並の相手ならばロブを上げるか弱々しくドライブを放つのが精いっぱいだが、第一シードのダブルスという存在は並をはるかに凌駕する。

「おらああっ!」

 咆哮と共にシャトルが鋭く自分の横を通過した瞬間に、隼人は失敗から得点を覚悟した。だが、聞こえるはずだったシャトルの着弾音は聞こえずに、ロブが高く遠くへと放物線を描いていくのが見えた。

(――井波!?)

 慌てて右斜め後方へと移動して腰を落とす。真比呂も序盤と同じミスはせずに隼人に並んでコートの左半分を守るように腰を落とした。

「井波! もう半歩前!」
「おう!」

 隼人の咄嗟の指示を疑うことなく前に出た真比呂は、佐野の放ったスマッシュに自ら突っ込んでラケットを突き出す形になった。前に突き出たラケットヘッドが早いタイミングでシャトルを打ち返して、そのまま古賀に触れさせることなく床へとシャトルを運んでいた。

「ポイント! ワンラブ!(1対0)」
「っしゃああぉら!」

 真比呂は試合に勝利したかのように叫んで拳を振り上げる。ガッツポーズの体勢でしばらく体を止めてから、すぐに隼人に駆け寄って右手を掲げた。何を求めているかは一目瞭然であり、隼人は苦笑いしながら左手を叩き付けた。

「ナイスショット。井波」
「おうよ。どんどん指示してくれ。応えてやるよ!」

 真比呂の言葉に隼人の方は返す余裕はなかった。シャトルを打って渡してきた古賀の視線は険しく、大きな圧力をかけてくる。空気全体が重くなって肩にのしかかってきたかのようで、隼人は呼吸をするのも疲労感が襲ってくる。

(今の。井波の反応が良かったからまだしも……だいぶ体が温まってきたな)

 冷静に古賀と佐野の動きを脳内で再生する。
 一ゲームから徐々に汗をかくと共にキレが増していく動き。相手が内包する闘志を十二分に発揮できるように体が作られているかのよう。改めて第一ゲームを取れたことは運が良かったと隼人は思う。

「っし。井波。頼んだぞ」
「任せろ!」

 隼人の後方で腰を下ろし、次のシャトルを待ち受ける真比呂。隼人は思いついたことを試そうと、ショートサーブで対角線の最短距離を狙った。相手のフォアハンド側に打つのは気が張ったが、白帯ギリギリを越えていく軌道をなぞるように前に出る。
 佐野は掲げたままのラケットを前へと押し出してプッシュを放った。シャトルは向かってくる隼人をすり抜けるように右側のダブルスライン上へと落ちていく。
 しかし、落ちる前にラケットが差し込まれて高くロブが上げられた。

「おらあ! 落とさせないぜ!」

 打ち上げた真比呂はその場に腰を下ろし、隼人は飛ぶようにして左後方へと移動する。シャトルを追って移動した古賀は一瞬だけ隼人たちを見るとクロススマッシュを放ってきた。胸部を狙った一撃を、隼人はしっかりと奥へと返す。シャトルを打ち終えた古賀はその足でシャトルを追い、今度はストレートにスマッシュを放つ。隼人はシャトルが来るたびにしっかりと奥へと上げ、追いついた古賀はスマッシュで沈めてくる。
 三度、四度と続いていく中でも真比呂と佐野は動かずに自分の出番を待った。

(――ここだ!)

 七度目のスマッシュの時に、シャトルの弾道が初めて少し浮いていた。隼人は軌道の違いを見極めて一歩前に出るとラケットを更に突き出す。全部で一歩分ほどタイミングが早い状態でドライブを打ち返したが、シャトルの軌道上にラケット面が挟まれる。
 カァアン! と音が響いて真上に跳ね上がったシャトルは、そのまま佐野の左手の中へと納まった。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」

 審判のコールに舌打ちをしつつもシャトルを受け取る。我慢から一瞬の攻撃というのは、隼人の理想の試合展開。しかし、それでも佐野はあと一歩というところで割り込んできた。

「ふぅ」
「隼人。ナイスショットだ!」
「……サンキュな」

 真比呂の声を聞くと精神的な緊張から解放される心地がして、隼人は笑みを浮かべながら次のサーブ位置へと立った。
 再び見ることになった古賀の顔には、隼人へ向ける闘志よりも自分に向ける困惑の方が優っているように隼人には見えていた。
 実力差で言えば間違いなく数段の差はある。だが、第一ゲームは競ったとはいえ負けて、二ゲーム目も先手を奪われている。本来の実力差ならばありえないことに遂に自分自身に疑問を向け始めた様子を見て、隼人は笑みを表情に浮かべないようにこらえながら「一本!」と吼えてショートサーブを放った。
 既に相手は構えているため、考える余裕を与えない。隼人のショートサーブに反応して前に出た古賀は白帯ギリギリからヘアピンを放つ。隼人は踏み込んでからバックハンドでしっかりとロブを上げ、後方に下がると相手の立ち位置を観察するのを忘れない。
 隼人が打ち上げたシャトルに追いついた佐野が振り被る。その時、古賀の体は自分たちのコートの右側半分をカバーするために体を寄せている。必然的に正面が開けているが、踏み込んでカバーできる程度の余裕しかない。

(……ここ!)

 そこで隼人は放たれたスマッシュをできるだけ前で捉える。カウンターを放つ方向はストレートで佐野へでも、クロスで古賀へでもない。
 どちらに向かって打つとも言えない、二人の意識の真ん中へとシャトルを放っていた。

「はっ!」

 放たれたシャトルに反応してラケットを差し出した古賀は、シャトルの勢いに押されてロブを打ち上げる。隼人は勢いを殺さずに前衛の中央へと腰を下ろし、後方の真比呂のスマッシュを待ち受ける。
 激しい炎のように燃え上がる咆哮と共にシャトルが過ぎ去っていき、古賀は第二ゲームに入っても速さが落ちないスマッシュをどうにか打ち返すので精一杯だった。

「おらっ!」

 打てるシャトルは全てスマッシュで。
 攻撃し続けることを体現する真比呂に劣勢に追い込まれていく古賀と佐野。
 展開を変化させようにも、真比呂は馬鹿の一つ覚えのようにスマッシュを放ち続け、ロブを上げさせるためにネット前へと打っても隼人がプッシュやヘアピンを打ってどうやっても上げさせない。
 そうして次々と得点を重ねていく。隼人がヘアピンをミスしたり、真比呂がスマッシュをネットにひっかけて点を渡すことはあっても、ラリーの主導権は渡すことはない

「ポイント。エイトフォー(8対4)」

 序盤に差を更に広げて試合は中盤まで差し掛かり、隼人は深くため息を吐いて体内の熱を外へと逃してから、サーブをする真比呂の背後で腰を落とす。佐野に向けてのサーブをしようとする真比呂も大きく見えて、体に力が入っていない様子がはっきりと分かる。

「一本! 任せるぞ隼人!」

 気合いと共に打ったシャトルは白帯から少し浮いて、佐野が前に詰めてプッシュを放つ。真比呂の守備をすり抜けたシャトルも隼人はしっかりとラケットで捉えて、目指すところへと打ち返す。
 第一ゲーム全てと第二ゲームの今まで。ほぼ寸分変わらない、相手ダブルスの死角へとシャトルを打ちこむ。
 真比呂の肩を抜けるように飛んで行ったシャトルは佐野が捉えて再度プッシュを放っていたが、ほんのわずかに軌道と威力が鈍る。そこを捕えて隼人はドライブを打つと前に出た。

(最後まで、一点突破だ!)

 分析して得た唯一の勝機に向けて全力で打ちこむこと。
 真比呂がスマッシュを打ち続けるように、隼人もシャトルをコントロールし続ける。

 試合は第二ゲームの中盤を超えて、進んでいく。
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