モドル | ススム | モクジ

● SkyDrive! --- 第九十八話 ●

 全国選抜バドミントン大会神奈川県大会二日目。
 二日目も冬の寒さは体育館の外を冷やしていたが、内側は吹き荒れる熱気に包まれていた。外との寒暖差によって体育館の中へと入った選手や観客たちのメガネが曇り、慌ててハンカチやシャツの袖でぬぐう姿が散見される。
 それだけの熱気を起こしているのは、実は一つの高校が中心だった。

「はぁあああっ!」

 礼緒は吼えながら飛び上がり、ジャンピングスマッシュで相手選手の足元へとシャトルを叩きつける。打ちこまれた相手はかろうじて反応してラケットを差し出せても、ただ当てただけ。跳ね返ったシャトルはコントロールされずにネット前に浮き上がる。
 着地した礼緒は躊躇せずに前方へと突進し、プッシュで同じ場所へとシャトルを打ちこむ。チャンス球からの打ちこみに相手は完全に戦意喪失していたため、シャトルは邪魔されることがないままにコートへ着弾していた。

「ポイント。トゥエンティワンエイティーン(21対18)。マッチウォンバイ、小峰。栄水第一」

 試合を決めた後で礼緒は天井を向いてほっと息を吐く。
 団体戦の勝利を決定づけるゲームで無事に責任を果たしたことで肩から力が抜けると、どっと疲れが出たのかよろめいた。

「おっと。大丈夫かよ!」

 礼緒の右側から支えたのは一番に駆け寄ってきた真比呂だった。
 自分も少し前に試合を終えて勝利を掴んだ後で、声を張り上げて礼緒への応援を続け、最後は披露した礼緒を支えるという体力を披露する。

「サンキュ。さすがに疲れたから次の試合までは休んでるわ」

 真比呂に素直に言って礼緒はネット前まで歩いていき、全員がそろってから握手を交わしたところで審判が勝者を告げた。

「ポイント。3−1で栄水第一高校の勝利です」
『ありがとうございました!』

 各高校の選手たちの声が響き渡り、勝者の栄水第一高校は審判の元へと向かって勝利者のサインを書く。代表者の名前だけで良いため、隼人が自分の名前を書く間に全員の視線が集中する。

(鬱陶しい……って思うけど。さすがに気持ちは分かる)

 隼人は名前を書き終えると審判にスコアボードを返して歩き出す。栄水第一高校の六人がコートを横切って進んでいくのを見ながら、ざわつく観客は選手たちの言葉がとぎれとぎれに隼人の耳に入ってきた。

「遂にベスト4――」
「初出場だっけ――」
「たしか二年前にも出てたはずだけど――」

 休部した高校の復活劇。
 しかも、メンバーの誰もが一年生で、中学時代に有名だった選手はいない。それでも一日目を快進撃ともいえる活躍で進んできた隼人たちは二日目ともなれば偵察の的になっていた。
 特に、気になるのは第一シードの横浜学院のジャージを着ている偵察役の生徒たちだ。
 
「おうおう。バスケの時もああいうビデオ持って偵察とかあったもんな。懐かしい」
「どこもそうなんだろうな。ビデオも悪くないか……部費で買ってもらうか」

 真比呂が楽しそうに口にする言葉に隼人も同調してカメラを頭に思い浮かべる。
 会話を続けながらも歩みは止めず、試合をしていたコートの傍に置いていたラケットバッグを各自取り上げたところで、谷口が声をかけてきた。

「全国に出たら、私の実費で買ってあげるわよ」

 話を続ける前に谷口は全員を促してフロアから出る。
 体育館の入り口から続く共用スペースには他校の選手も何人かいたために、谷口は離れるように移動して窓際にある休憩コーナーで全員を集めてから言った。

「先に終わっていたから見れなかったでしょうけど、次の対戦相手は横浜学院に決まったわ」
「順当ってことですね」

 隼人の返しに谷口は力強く頷く。
 第一シードの横浜学院が負けるという波乱は準決勝までは起こるとは誰も思ってはいなかっただろうと隼人は考える。事前調査から今回のトーナメントの組み合わせ発表までで、第一シードを下すような高校はいなかった。
 実際に全て3−0。
 各試合でも2−0でストレート勝ちという完全勝利を続けながら、横浜学院は勝ち続けてきた。

「この会場にいる人たちは、次の試合も順当に進むって思っているでしょうね」
「俺たちが勝つとは思っていないってことか」

 真比呂は腕を組み、笑みを浮かべて谷口を見る。
 あくまでも自分たちは次の試合では引き立て役。この会場の、今年の選抜バドミントン大会県大会予選の主役は、横浜学院という第一シード。
 そこに、他校がどう挑むかということを期待していると言葉の外で語っている。

「そう。確かにあなたたちの快進撃は面白いだろうけど、ここで終わるのが一番綺麗でしょうね。一年生だけでいきなり県大会ベスト4だなんて凄い、ってね」
「……それは流石に癪だ」
「挑みがいがあるよね」

 理貴と賢斗が続けて口にしてから顔を見合わせ、笑いながら互いの手を打ち合わせる。
 最初は初心者ということもあり毒も吐いていたが一歩引いていた賢斗が、素直に闘志を前に出していることが嬉しい理貴。
 ここまで隼人とのダブルスで結果を出してきたことで少しずつ自信を積み立ててきた賢斗。
 闘志が体中に漲っているのは隼人から見ても分かった。

「だから、あなたたちの力を見せてあげなさい。私は、女子のほうにつかないといけないから井上さん。頼んだわよ」
「任せてください」

 亜里菜は拳を握って力こぶを作るように腕を折り曲げる。力強い言葉を受けて谷口は頷くと、真顔になって礼緒へ視線を向けた。

「だからね、次の試合。小峰君には第一シングルスをやってもらおうと思うの」
「俺が……第一シングルスを?」

 突然のオーダー変更に礼緒は呆気にとられた顔をする。だが、隼人はその配置にすぐ谷口の真意に気付いて続けていた。

「俺と井波を第一ダブルス、ってことですね」
「そう。理解が早くて助かるわ」
「なんだ? 俺と隼人が遂にダブルスでいくのか?」

 真比呂も興奮して大きくなりそうな声を抑えて隼人に問いかける。いくら人がいる場所から離れているとはいえ、作戦会議の内容をただ大きく流しては意味がないことは理解していた。
 隼人はここまで無言の純を一瞥して視線を合わせると、気付いた純は自分から逸らす。
 その様子に覚悟を決めて、一度目を閉じてから気合いを入るように瞼を開いて言った。

「第一ダブルスが俺と井波。第二ダブルスが中島と鈴風。第一シングルスが小峰。第二シングルスが井波。第三シングルスが俺ってことですね、先生」
「井波君に一番負担がかかることになるけど……耐えてもらうわよ」

 そう言って真比呂を見る谷口の顔に浮かぶ笑みは真比呂の背筋に悪寒を走らせた。

「横浜学院は序盤からオーダーは変えていないわ。変える必要がないくらいストレートに勝っているから当然なんだけれど。それに対して、私たちは奇襲をかける。井波君と高羽君のダブルスはきっと、相手の度肝を抜けるわよ」
「私もこの二人のダブルスは見たかったんだよね」

 亜里菜の言葉に真比呂は照れて頭をかく。隼人も内心は試してみたい衝動にかられていたが、その場合は残りのオーダーが限られるためになかなか自分からは言いづらかった。
 だが、今回の横浜学院戦ではオーダーを変えざるをえないと思っていたため自分で言おうとしたのだ。それを、谷口が先んじて告げてくれた。

(俺のことをかばってくれたってことは……ないですよね、先生)

 谷口の気遣いを自分の中で膨らませはしない。
 だが、今日の谷口を見ていると隼人は違和感が体の内側に広がっていくのを止められなかった。いつもよりも明らかに自分たちに踏み込んできている。
 選抜というこれまでとは規模が違う大会だからこそ隼人たちを気遣っているのかもしれない。

「ん? さっきのオーダー通りってことは、今回は純が出ないってことか」

 真比呂は遅れて気づき、隼人を見てから純に視線を移す。ばつが悪そうにうつむき加減の純へ向けるように谷口は言葉をつづる。

「昨日のうちに外山君には伝えておいたわ。この準決勝に関しては、今、高羽君が言ったオーダーが一番。外山君は体力を温存しながら応援していて」
「お、てことはつまり、先生……」
「もちろん、次の試合に勝って、決勝は外山・中島のエースダブルスで挑むのよ」

 何の迷いもなく告げる谷口と、うつむき加減の純。
 どちらも視界に入った隼人は、俯く表情が曇っていき歯を食いしばっているのが見えた。これ以上、純に精神的な面で揺さぶっても悪影響を及ぼすだけ。期待をかければかけるほど、今の純は叶えられなかった時の自分を想像して潰されてしまうだろう。

「先――」
「分かりました」

 隼人は考えもまとまらないまま谷口と会話して話を逸らそうとした。しかし、純は顔を上げて谷口に向き合って告げてから全員の顔をゆっくりと見回した。

「ごめん。昨日から調子悪いのはまだ良くはならないけど、次の試合は全力で応援する。それで、もし決勝まで行けたら……」
「もしじゃなくて、行くんだよ」

 隼人は真比呂がそう言ったのかと勘違いした。それだけ根拠のない自信に包まれた言葉を投げつけるのは真比呂しかいないと考えていたが、言葉の主は理貴だった。
 真比呂も隼人と同様のことを考えていたのか、一気に笑顔が顔全体に広がったかと思うと、純の手を引っ張って六人の中心へと持ってきていた。真比呂の行動に円陣を組む流れだと全員が把握するまで一分もない。重ねられた掌の上に真比呂が手を乗せ、最後に隼人が真比呂の手に掌を重ねる。

「よし、勝つぞ。栄水第一!」
『ファイト!』

 六人の声が強く周囲へと広がっていった。
 儀式にも似た円陣が終わり、全員が解散する。次の試合が開始されるまでの少しの時間は各自が好きに使うように谷口は指示して、思い思いに駆けていく。
 礼緒と真比呂はシングルスで疲れた体を少しでも休めるために一足早く観客席へと向かい、賢斗と理貴は公式戦で初めて組むということで、二人で作戦を練るために別行動を取る。
 谷口の傍に残ったのは隼人と純。そして亜里菜。
 去っていた男子の背中を見送った後で隼人は口を開く。

「これで良かったのか、外山」
「……ああ。今の俺が足手まといなのは間違いないし」

 隼人の問いかけに、顔を見ようともせずに俯く純。申し訳ないと思う気持ちを前面に押し出して必要以上の責めを防ごうとする様子には、隼人や亜里菜の言葉に耳を貸す気配がない。だが、谷口はそんな純の肩を軽く叩いて言う。

「大丈夫。昨日言ったことを考えていればおのずと答えは見えてくるわ」

 隼人と亜里菜は谷口の言葉の意味が分からず首を傾げる。純は谷口に視線を移して困惑していたが、谷口は笑みを浮かべて去っていく。背中を見送る間に隼人は純に向けて問いかける。

「なあ。昨日から微妙に先生の様子が変なんだけど、何かあったのか」
「俺に聞くなって。俺だってよく分からないんだから」

 昨日送ってもらった時に谷口が口にした『逃げていられない』という言葉は言わずにおいて、純もその場から離れていく。
 最後に残ったのは亜里菜と二人。
 隼人は嘆息してから亜里菜に向き合い、そして緊張に心臓が高鳴った。

(二人って気まずいな……)

 亜里菜が隼人へと告白して、答えを保留してからまだ二か月程度しか経っていない。全員がいる時は普段通りの受け答えが出来ていたが、二人きりになるとすぐに心臓が鼓動を鳴らす。
 ただ立ったままだと間も持たない。亜里菜はそんな隼人のことは気にせずに口にした。

「私たちはどうしようか。偵察ってやることもないし」
「あ、そうだな……どうしようか……」
「あー、もしかして逢引?」

 唐突に挟まれた第三者の言葉に隼人は息を詰まらせて咳き込む。
 驚いたこともあったが告げられた内容が逢引と不穏な気配。
 咳き込んだことでの涙目で亜里菜を見ると、頬を紅潮させて声を主に視線を向けていた。

「あ、有宮、さん」
「え」

 口にした言葉に混じる緊張感は、相手のバドミントンの実力に対する経緯もあるだろう。
 隼人も回復してから視線を向けると、手を上げて陽気な顔をして有宮小夜子が立っていた。テンションが高く軽いのは自分の中にある力への自信と、上に立つという覚悟の現れ。
 練習試合で直に会ってから、そのあり方は隼人には眩しい。
 視線を向けられた有宮は更に近づいて二人を交互に見てから言った。

「白泉学園の男子も、準決勝進んだよ」

 その言葉に、隼人は全身に電流が走ったかのように震えていた。
 自分の言葉に反応して硬直した隼人を見た有宮は、そこまで反応を示さない亜里菜に顔を向けると言葉を続ける。

「うちもね。第三シードを破っての準決勝ってことで凄く気合い入ってるの。栄水第一が勝ち進んだってこと伝えてあげたらもっとね。練習試合で負けたリベンジするって張り切ってるよ」
「……ほんと強くなりましたよね」
「調べたんだ」
「はい。それが私のとりえですから」

 有宮を前にして亜里菜は堂々と胸を張る。隼人たちが試合をしている間はマネージャーとして傍にいて、休んでいる時に相手チームが試合をしていれば偵察に向かう。谷口にも協力してもらって情報を仕入れて分析し、試合に臨む男子たちに有益なアドバイスをするために常に頭は動かしていた。
 当然、白泉学園高校が勝ち進んでいたことは知っていたが、目の前の相手に一つ一つ勝ち進むことが大事な男子には自分からは言わなかった。

「女子のほうは準決勝で負けちゃったんだけどね。だから、個人戦で私が優勝して、全国に行くわ」
「月島先輩がきっと勝ちますよ」
「ずいぶん信頼してるようだけど……私は負けないわよ?」

 亜里菜の挑発めいた言葉に軽く笑ってから有宮は手を振って離れていった。それまでの光景の一部始終を何も言えずに見ていた隼人は、行動の意味が全く分からずに肩を落とす。体は緊張から解放されて疲れてしまい、座り込むのをかろうじて耐える。自然と息も止めていたからか、体の中に酸素を取り入れると細胞が生き返るように思える。

「はぁ……あの人、何しに話しかけてきたんだよ」
「……きっと、激励だよ」
「激励?」

 亜里菜の発した言葉がピンとこずに隼人は同じ言葉を繰り返す。亜里菜は頬を緩ませて微笑んでから続ける。

「多分ね。隼人君に頑張れって言ってるんだと思うよ。言ってたでしょ。あっちの男子も練習試合のリベンジに燃えてるって」
「そう言ったけど。それってつまり」
「私たちを倒して全国に行くことが、白泉学園高校の男子の望みってことだから、決勝に進んでもらわないと困るんでしょ」
「ほんと、あっさりと言う人だな。でも、納得した」

 呆れ顔で言う隼人と笑う亜里菜。正反対の二人の間にある空気はしかし、同じ気配を漂わせている。表情は次第に落ち着いていって、色を無くす。次に発せられたのは気合いがこもった静かな声だ。

「そうだな。もう少しで掲げた目標にようやく足が届くんだ。そのあとがもっと大変だろうけど」
「ここまで来たなら、まず全国に行っておきたいよね」
「井上は……俺たちが勝つ確率はどれくらいだと考えてる?」
「隼人君が思ってるくらいかな」

 亜里菜の返答は自分の言葉で言わないだけ卑怯と捉える者もいるかもしれない。
 だが、隼人には十分彼女の想いは理解できた。隼人が一番今を分かっているからこそ、イレギュラーが必要なのだと。

(鍵は井波、か)

 準決勝までの時間は刻一刻と近づいていた。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2017 sekiya akatsuki All rights reserved.