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● SkyDrive! --- 第九十六話 ●

 月島奏は試合の様子を観客席の最前列から見下ろしていた。
 二つのコートを使って行われてる団体戦は、ダブルスからスタートして今はシングルスにも入っている。
 既に一つダブルスは終わっていたが、二組目は激しい打ち合いを繰り広げていた。その打ち合いは試合をしている選手たちを除いて、周りの視線を一気に引き寄せていく。自分の視線の向かう先へと人々の目線が集まるのを月島は感じとっていた。

「やっほー。奏」

 ざわつきが大きくなる周囲の反応と届いた声。最初は無視していた月島だったが雰囲気に耐えられなくなり、視線を隣に向ける。既にすぐ傍にやってきた声の主は遠慮なしに月島の隣へと腰をかけた。

「有宮。自分の学校はいいの?」
「何よー、つれないわね。あなたも小夜子とか小夜って呼んでいいんだよ、奏」
「遠慮しておく」

 会話を続けても仕方がないと早々に判断して、月島は改めて眼下の試合を見る。ちょうどその時、スマッシュがコートに決まって気合いがこもった咆哮が響き渡った。

「しゃぁあああああああああああああ!」

 高い位置にいる月島の体が震えるほどの迫力。
 文字通り空気を震わせて不可視の波が抜けていく。叫んだ後に荒い息を吐きながらもその男子はパートナーに向けて手を掲げた。

「ナイスショット! 鈴風!」

 最初に咆哮した男子ほどではなくても高く声を張り上げて、隼人は賢斗の掲げた掌に自分のそれを叩き付ける。乾いた音が響き渡ると共に拍手が巻き起こっていた。

「ポイント! トゥエンティマッチポイント、セブンティーン(20対17)!」

 審判のコールに観客のざわつく質が変わる。それまでは興味本位でどこか珍しいものを見ているかのように面白半分だったものが、真面目な光を瞳に宿し、試合の行方を見守る。
 だが、その瞳たちの期待に応えるようにして吼えたのは、隼人と賢斗ではなかった。

「しゃおらああああ!」

 まるで爆弾が爆発したかのような音を立てたスマッシュが打ちこまれ、後を追うように吼えたのは第一シングルスとして試合に入った真比呂だった。じゃんけんで負けてサーブ権を奪われたものの、打ちあがったシャトルを躊躇なく相手のコートへと打ちこんでいたのだ。

「ラスト一本!」

 真比呂に呼応するかのように賢斗が吼えてサーブ体勢に入る。いつもならば限度を超えた咆哮を抑える役の隼人も賢斗の後ろで腰を落とし、サーブが放たれた後の展開に集中していて咎める様子はない。月島は隼人の姿を見て自然と笑みが浮かぶのを止められなかった。

「あのシングルスの男子がうるさいのは分かってたけど。まさかダブルスのちょっと太ってる男子までうるさいなんてね」
「……元々合唱部だったらしいし。声量はあるみたい」
「へーそうなんだ。じゃあ、もしかして高校から始めた初心者?」
「シングルスの井波君もね」

 初心者二人が熱を起こし、会場の一角は異様な空気に包まれていた。
 第四シードの鎌倉学園と無名校との試合が始まった当初は、特に誰も興味を引くようなことはなかった。前評判から神奈川は三強となっていて、第四シードは入れ替わるとはいえ、それでも一回戦から負けるようなことはまずない。各シード校の偵察人員が鎌倉学園の状態を確認するためにビデオカメラを回すか、まだ試合のない選手たちが何人か見学する程度の注目度。
 誰も栄水第一という無名の高校が勝つとは思っていなかった。
 少し前に部員がゼロになって休部になったところから復活したというのはどういうチームなのかという珍しさを餌に見に来る者もいたが、やはりその程度。
 そんな空気が徐々に変わり始めたのは、隼人と賢斗の奮闘だった。
 第一ゲームをギリギリでもぎ取った後での第二ゲームもシード校のダブルスを相手に一進一退の攻防を繰り広げている姿に、シード校を偵察に来ていた生徒たちも、興味本位で見に来ていた選手たちも引きつけられていく。
 第一ダブルスは善戦したが、鎌倉学園がストレートで取ったことで余計に隼人たちの試合が目についた。
 特筆した武器があるようには見えない隼人は自在にシャトルを打って相手にそう簡単に攻撃の機会を与えず、逆にネット前に上げさせて賢斗がプッシュを叩き込む手伝いをする。
 隼人が前で賢斗が後ろという陣形になっても、今度は賢斗がスマッシュを思い切り叩き込めるような段取りを整える。成功と失敗を繰り返しながらも徐々に点差をじわじわと広げて、遂にたどり着いたマッチポイントに見ている者は異質な興奮を得ていた。

「あの高羽君……だっけ。凄く上手くなったね」
「……そうだね」

 月島は初めて試合をした時を思い出す。まだ中学生らしさが抜けていなかった隼人との部内の試合。学校の外では全国に出なければほぼ負けはなかった月島が、学校内で負けた相手。男子とはいえ、全国区の自分と県大会にも行けなかった隼人を比べれば普通は負けることはない。
 でも、隼人は実力差を戦略で埋めきって自分を負かしたのだ。

「高羽君は、最初から上手かった。彼に足りなかったのは、自信と経験。それに……」
「自分、とか言っちゃう?」

 自分でもどう続けるのか理解していなかったところへの有宮の問いかけに、顔が自然と赤くなる。それが正解だと言っているようで否定しようとするも、すぐに諦めて息を吐く。

「自分とまでは言わないけど。きっと、私も含めて環境全部が高羽君にいいように働いたんだと思うな」

 眼下では試合が再開される。賢斗がショートサーブを放ち、プッシュされたシャトルを隼人がコントロールして打ち返す。
 ネット前には反応速く、プッシュした男子が既に構えていたために隼人は相手コートの奥へとシャトルを飛ばす。もう一人が追いついてラケットを掲げるとスマッシュをストレートに放ってきた。隼人はバックハンドでラケットを握り、打ち返そうと身構える。
 その瞬間、隼人の前に賢斗のラケットが差し出されてインターセプトしていた。

(――速い!)

 前衛での反応の速さに月島は衝撃で鳥肌が立つ。
 初心者として入ってきた当初の賢斗は、まだ体が絞れておらずに動きも鈍かった。
 しかし、隼人を中心にメニューを組み、その練習を信じてきた結果、賢斗の動きはもう初心者とは呼べないものになっていた。
 当人の気質もあるのだろうが、周囲の実力者との試合を素直に受け入れていき、真綿が水を吸うように吸収していった。バスケットボール部に入っていた真比呂とは異なり、合唱部という文化系で運動には縁がなかった分だけ、月島から見れば成長度は六人の中で一番あるように思える。
 更に、試合の中でも賢斗の反応速度は上がっていた。特に前衛では低い弾道で進んでくるシャトルを試合が進む度にインターセプトする機会が増えた。ただ当てるだけでプッシュを打ちこむことまではいかなかったが、攻撃の糸口を止められた形になる鎌倉学園のペアは攻撃のリズムを崩されて思うように試合を展開できず、代わりに隼人がコントロールして試合を支配していく。

「はあっ!」

 そして、ダブルスの試合を終わらせたのは、隼人のスマッシュだった。
 これまで試合中に打っていたものよりも一段階速く打ちこまれたシャトルはダブルスのサイドラインぎりぎりに落ちていいき、直前までの速度が頭へ刷り込まれた相手にはラケットを差し出すタイミングが遅れて取ることができなかった。

「ポイント。トゥエンティワンセブンティーン(21対17)。マッチウォンバイ、高羽・鈴風。栄水第一」

 審判の最後のカウントと共に試合の終了を告げる。そこから広がったのは観客席からの拍手。月島も有宮もつられて掌を打ち合わせながら対戦相手と握手をする隼人の姿を見る。離れていてもその表情がほっとして緩んでいるのが見えた。隣で喜んでいる賢斗といるからこそ対比されて目立つのは、この勝利が隼人にとって厳しかったものであるということの裏返し。

(まずは一勝おめでとう。でも、もう少し頑張って)

 隼人たちが勝ったことで一勝一敗。残り二勝しなければ彼らの団体戦は終わる。シードとすぐに当たって運が悪かったねと優しい言葉をかけられるだけのために彼らがいるのではないことは月島も分かっている。それでも隼人が見せた安堵は、自分の役割を理解していて、目的を達成できたことを示している。

(栄水第一の男子バドミントン部は……やっぱりあなたがエースだよ、高羽君)

 エースとして悩んでいた時期を抜けても隼人はまだ自分がエースとしてあることに懐疑的だ。しかし、月島のように近いようでまだ遠い位置にいる存在から見れば、栄水第一男子バドミントン部が隼人中心で回っているのは見ていて明らかだ。隼人と賢斗が勝利したと見るや、シングルスで戦っていた真比呂は更にギアを上げてスマッシュを連続して打ちこんでいく。力任せに相手の防御を食い破るかのような荒々しい攻めにこらえきれずにシャトルは相手側へと叩き込まれた。そんな無謀にも見える攻撃を続けても、真比呂は動きを止めない。疲れは確かにあっても、メンバーの中でも一番あるかもしれない体力を惜しげもなく使って攻めたてる。
 そして、ダブルスを終えたコートに入るのは第二シングルス。
 今ならば、六人の中で最も実力のある礼緒が、コートに立つ。

「おい。あいつどっかで見たことないか?」
「中学の時、あんな奴いた気がするけど……」

 市内大会よりも規模が大きいことで、礼緒を中学時代に見たことのある選手もいる。
 注目されることが苦手な礼緒だけではなく、ざわつきは試合をしている選手に少なからず影響を与えるはずだった。だが、外から見て礼緒には動揺は見られない。鎌倉学園も第二シングルスとして出てきたのはチームのエースであり、声援も自然と大きくなる。各校の偵察員も集中力を高めてこれから行われようとしている試合を見逃さないように身構えていた。

「ここってホント、いろんなものが見えるよね」
「そうだね。分かりやすいかも」

 有宮の言葉に初めて素直に返す。騒々しい真比呂と淡々とした礼緒の違いが見ていて面白いが、試合が始まった瞬間に空気が変わる。コートの外にいても感じ取れるのは鎌倉学園の第二シングルスの存在。

「あの第二シングルスの相手。全国大会で見たことあるね。勝ち進んだようには見えなかったけど」
「そうなん、だ」
「そ。さすがに強敵だけど、栄水第一のあいつはどうするのかな」

 恵まれた体格の礼緒でも全国レベルの相手との試合を経験したかどうかは分からない。月島も不安になりながらシャトルの行方を追っていく。互いにハイクリアを打ってコートの四方を走らせるような打ちまわしをしていたが、急に変化させたのは礼緒のほうが早かった。
 ハイクリアから唐突なドロップ。しかも、ふわりとした軌道になる通常のドロップではなく、ラケットを滑らせて鋭くネット前へと落ちていくカットドロップ。相手も礼緒のショットを読んで前に出てきたが、打ち返したシャトルはネットに阻まれて礼緒の側へは飛んで行かなかった。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 集中して試合を見ていた観客たちの中にざわめきが広がる。まだ序盤であり先に礼緒のほうが点を取ったことにはそこまでの驚きはないはず。まだ様子見の段階で、これから徐々に互いの戦力を把握していく作業。
 だが、何人かは明らかに礼緒のカットドロップのキレ味に気付いていた。背の高さと体格の良さからパワー型と錯覚するのも月島は理解できるが、その見た目とは裏腹に繊細なカットドロップが決まったことに脅威が見えたに違いない。

「あれを打てるってそうとうだよね。あの小峰って男子。見てないうちに凄く強くなってる」

 有宮の言葉にも月島は返さずに試合を見守る。
 礼緒のサーブで再開したゲームは相手の苛烈な攻めを生む。対峙している自身が一番に礼緒の底力を感じたと言わんばかりに上がるロブをスマッシュで打ち返していく。だが、礼緒もスマッシュが放たれるだけ反応してしっかりとコート奥へとシャトルを上げていた。コート後方にいる相手に向けてシャトルを上げるようにしても、軌道はぶれることがない。

「おぉおおああ!」

 咆哮してクロススマッシュが放たれたところで礼緒は半歩だけ前に出るとラケットを前へと突き出した。シャトルが斜めに当たり、そのまま威力を殺されてネット前へと落ちる。その瞬間だけ無重力になったかのようにゆったりとして、シャトルはコートへと転がった。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」

 今のヘアピンの処理がどれだけ難しいかを正確に把握できるのは、全国大会を経験したことがある選手だけだと月島は思う。隣にいる有宮は当然として、コートで向かい合っている鎌倉学園の選手も礼緒の脅威を感じ取ったのか、礼緒がシャトルを拾ってサーブ体勢を取る前に既にレシーブ体勢を取っていた。

「しゃぁああああ!」

 その隣のコートでは真比呂のスマッシュが決まって既に5対2と差が広がっている。礼緒の試合が始まった時からほぼ全員の意識が礼緒たちに集まった分だけ真比呂のことが意識から逸れた。その間も、スマッシュをがむしゃらに叩き込んでいたのだろう。

「あの二人。並ぶとほんと面白い」

 有宮の言葉に月島は心の中で同意する。
 どちらも体格に恵まれていて、たいていの選手は見下ろすことができる。大きな体格に含まれているパワーをラケットからシャトルに伝えて打ちこんでいく様までは同じだが、真比呂は粗削りな力勝負を仕掛けていき、礼緒はそれに細かい技術が加わっていた。
 礼緒は同じスマッシュに見えても速度を変化させたり、角度を微妙に変えることで相手に気付かせないまま打ち損じさせてチャンス球を無理せずコートへと入れていく。
 逆に真比呂は小細工なしの真っ向勝負。真正面から相手を貫いていくようにして、失敗と成功を繰り返していたが、徐々に人々の視線を集めていた。

「井波君。彼、化けるよ。このままいけば、全日本とかで活躍しそう」
「そこまで行ける?」
「うん。彼にその気があれば、だけどね〜」

 月島は有宮の言葉を聞き流しつつ試合を見る。二人とも序盤から飛ばしていたところから試合は中盤に入り、少しずつ巻き返されていく。
 初めての対戦で探り合いを終えたのか、相手も自身の力を発揮し始める。押していたところから盛り返されていく姿に周りが『番狂わせは起こらない』という空気になる。
 それでも、彼らの勝利を信じていたのは月島。
 そして。

「あの二人は、勝つよ」

 有宮小夜子。全国トップクラスの実力を持つ少女が口にしたことが切欠になったかのように、真比呂と礼緒は再び盛り返していく。
 そして――

「ポイント。トゥエンティワンシックスティーン(21対16)! チェンジエンド」
「ポイント。トゥエンティワンナインティーン(21対19)! チェンジエンド」

 二つのコートがほぼ同時にファーストゲームを終えてそれぞれエンドを交代する。最初の勝者としてシャトルを手に取りサーブ体勢を整えたのは、栄水第一の二人だった。

「いいぞ! 井波!!」
「小峰! 次のゲームもこの調子でいこう!」

 声を張り上げる隼人と理貴に疲労していても笑顔で応える二人。その光景を見ていると、月島は胸に熱が込み上げてくる。熱く、燃える思いは彼女の闘志にも火をつける。

「負けられないねぇ、先輩として」
「……そうだね」

 その日、試合が行われた体育館を駆け抜けたのは第四シードの早過ぎる敗退。
 そして新しく現れた強豪校の存在だった。


 栄水第一高校。団体戦一回戦突破。
 それは隼人たちの夢へ確実に踏み出した大きな一歩となった。
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