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● SkyDrive! --- 第九十五話 ●

 朝の九時、というのに体育館の中は既に熱気に包まれていた。
 試合が行われるフロアの半分以上を埋め尽くす選手たちと、前に置かれた台に立って開会の言葉を話している大会委員長。
 全員の視線が集まる中で滞りなく演説を終えた委員長は、あっさりと壇上から降りて残り時間は大会についての注意事項が話される。
 誰もが早く終わってほしいと望んでいると感じたからなのか、諸連絡を終えた後で開会式は15分もかからずに終了する。

『それではこれより、全国選抜バドミントン大会神奈川県大会を開催します』

 マイクを使ってフロア全体に広がる大会開始の言葉と共に選手たちは解散し、各々の臨戦態勢に向かっていく。その中で、隼人たち栄水第一高校の面々は六人のみで最小人数から周りと比べて少し浮いていた。

「いやー、これだけいると壮観だなー。市内とか地区大会とかと規模違うよな。当たり前か」
「それはそうだろ。お前もバスケで経験あるだろ?」

 周りを見ながら感心している真比呂に向けて隼人がため息交じりに言う。当の本人はその通りであるにも関わらず物珍しげに周囲に視線を巡らせる。各地区の代表が出てきているというだけあって、人数は確かに多い。それだけに、団体戦は金曜一日と土曜の半分。その後はシングルスとダブルスというように三日間かけて行われる。これまで参加した市内大会も地区大会も、土日の二日間が最長だけに、三日間というのは栄水第一高校バドミントン部としては未知の領域だ。

「それでも、俺らは個人戦でないから他の高校よりは気楽だろ」

 隼人と真比呂を先頭に歩いていく六人。
 三番目に位置していた理貴が背後から真比呂を諭すように話しかける。だが、答えたのは真比呂ではなく理貴の隣にいた礼緒だ。

「俺たちは団体で全国を目指すって決めてるからな。それだけに負けたらそこで終わりだから気楽ってことはないんじゃないか……」
「そ、それでも。集中できるってところをプラスに考えようよ」

 理貴、礼緒。そして更に後方を歩いている賢斗というように連鎖して会話が続いていく。各人それぞれの考えがあるにせよ、言葉にはほとんど緊張は乗っていないと隼人は感じる。
 ただ一人を除いて。

(外山は特にコメントなし、か)

 歩いている間に背後を向くと不自然になるため、隼人はあえて振り向きはしなかった。声が聞こえてこないことだけで判断する。
 純は賢斗の隣を歩いているはずだったが、五人の会話に絡んでは来ない。朝、集まった時から普段通りの言動でいるが、ほんの些細な違和感によって隼人の耳には不協和音が聞こえる。前日に説得することもできず、かといって団体戦のメンバーから外せるわけもなく、最終的には戦力としては信頼しないということしかきない。
 チームの状態としては最悪だが、その状態からでも勝つ手段を見つけるしかないと隼人は覚悟を決めていた。
 フロアから出て自分たちの荷物を置いている観客席へと向かうと、顧問の谷口とマネージャーの亜里菜の姿が見える。隼人の覚悟は二人の微妙な表情に揺らぎそうになった。

(絶対、チームの組み合わせ悪かったよな)

 過去に自分も経験のある顔。一回戦から当たりたくない相手に当たってしまったという表情を二人はしていた。

「先生も井上も暗い顔してるなー。もしかしてシード校と当たったのか?」

 真比呂が妙に鋭い勘を働かせて二人に言うと同時にため息を吐く。自分の言葉が当たったと思った真比呂は笑いながら更に言葉を続ける。

「ま、仕方ないっしょ。月島先輩たちならきっと勝てるっすよ」
「……女子じゃなくて男子よ。シードに当たったのは」

 亜里菜が呆れ顔で真比呂に言い返す。返された側はそれでも笑顔を絶やさないままで、胸を張って言う。

「それならなおさら仕方がないだろー! どうせ、優勝するにはどこも倒さないと駄目なんだし」

 真比呂の強い言葉に周囲の他の高校が反応する。隼人は真比呂の口を塞ごうとしたが、先に後頭部を軽く叩いて黙らせたのは礼緒だ。

「痛ててて……なにす――」
「無駄に敵を作らなくてもいいだろ」

 周囲を見回しながら礼緒は声を潜める。隼人には視線が集まることでの気まずさが理解できた。特に、礼緒は練習試合や市内大会を通じて、試合中にみんなの視線をようやく気にしなくなったものの、試合以外の場面ではまだまだ緊張で額に汗を流していた。礼緒の様子に真比呂もようやく周囲からの注目を理解すると謝罪してから黙った。

「でも、井波君の言う通り、仕方がないところはあるわ」

 谷口が口を開き、男子たちのところに近づきつつ試合のプログラムを開く。団体戦のトーナメント表が載ったページを全員に見えるようにして、しばらく全員の反応を待った。

「えーと……俺らはどこに……」
「あ、あった。これって」

 まだトーナメント表を見慣れない賢斗が自分たちの高校名を探している間に純が見つけていた。六人の中でも一番早かったのは、単に探していた位置が近かったからかもしれない。

「第四シード。鎌倉学園。順番的には一回戦の中盤ってところね。コート面の数から見て……アナウンスが二巡目ってところかしら」
「なるほど。これ、順調に勝って行ったら第一シードと当たりますね」

 真比呂が指を自分たちの高校名からたどらせていく。準決勝のところまで指をなぞらせてから言うと谷口も首を縦に振る。

「ここ六年の神奈川県の一位から三位は、同じ高校ね。特に横浜学院は三年連続県代表。逆に言えば、第四シードは毎年変わってるから、鎌倉学園は一番勝てる可能性があるってことになるわ」
「いいじゃん。第四シードを倒して、勢いに乗って、第一シードも倒そう」

 真比呂は再び闘志を滾らせて、暑苦しい熱気を出す。隼人は隣でうんざりしながらもトーナメント表を再度眺める。

(先生や井波の言う通り、今の俺たちが一番勝つ可能性があるとしたら、第四シード。いきなり他のシード校に当たらなかっただけ、この大会中に成長する時間はもらったわけだ)

 準備はしてきたとしても足りないものはある。特にチームとしての試合経験が足りない栄水第一高校男子バドミントン部は、一つでも多く試合を重ねることが大事だ。もしも第四シードに勝ち、そのまま勝ち続けることができたなら、第一シードと試合をする時には居間よりも実力はアップしているかもしれない。

「でも、今のあなたたちから見れば格上なのは間違いないわよ。優勝も大事だけど、ちゃんと目の前の相手を全力で倒すように」

 全力という単語に純の体が一瞬震えるのを隼人は見逃さなかった。
 今の純に対して『目の前の相手を全力で倒す』ということは当てはまらない。自分が納得のいく勝負をすれば勝ち負けなど二の次になってしまっては、勝てる試合も取りこぼす。
 今の栄水第一に必要なのは勝とうとする意志だ。
 それでも自分たちより弱い相手ならば、全力をぶつけている間に勝てるかもしれない。しかし、県大会までくると誰もが強敵で、自分の全てをぶつけてもなお勝てるか分からない。今の純ならば途中で満足してしまい、勝利への執念がなくなってしまうのは間違いなかった。

「それでね。記念すべき一回戦のオーダーなんだけど」

 谷口の言葉に全員が視線を合わせる。いくつか組み合わせやオーダーを試してきたが最もしっくりくる形は既にある。ただ、不調が続いている純の様子だとオーダーを変えたほうがいいかもしれないと隼人は考えて、口を噤んだ。

「第一ダブルス、高羽君と鈴風君。第二ダブルスを外山君と中島君。第一シングルスを井波君。第二シングルスを小峰君。第三シングルスは高羽君でいきましょう」

 事前に提言しておいたオーダーが告げられ、隼人は曖昧な笑みを浮かべる。
 谷口も純が本調子ではないことを踏まえた上で、オーダーを変えないというのは隼人の考えでも同じこと。ただ、意味を直接伝えるのは勇気が必要だった。
 その勇気を軽々と超えて谷口は純と理貴に言った。

「今回のダブルスのエースは高羽君と鈴風君になるわね」
「え……」

 呆気にとられる純と表情を変えない理貴。だが純もすぐに理解して表情を元に戻す。いつもと同じオーダーということは、通常ならばエースダブルスとしては純と理貴が配置されていることになる。だが、後々のシングルスのことを考えるとこのパターンではダブルスを入れ替えることは難しい。

「外山君の調子が出ていないのは分かってるけど、試合のメンバーから外す余裕がないのも事実ね。そして、あなたたちの情報を集めている他校からしたら、もう外山・中島ペアは栄水第一のエースダブルスとして認知されているはずよ。だから、それを逆手に取る」

 谷口は一度言葉を切って純と理貴の顔をしっかりと見た上で言った。

「相手のエースダブルスをおびき出すために、今回は囮になって」
「……相手のエースダブルスにわざと負けろと?」
「わざとなんて言ってないわ。負けてもいい、と言ってるの」

 シード校は油断をしない。でも、初出場のような栄水第一を相手にエースダブルスを躱すなどはしないはず。谷口が亜里菜に目配せすると亜里菜はノートを広げて男子たちに見えるように掲げる。

「過去数年の鎌倉学園の傾向ですが、相手のエースを外すというよりも真正面からそれを倒すオーダーを立ててるの。エースダブルスにはエースダブルスを。エースシングルスにはエースシングルスを」
「だから今回は、エースダブルスである外山・中島ペアは確実にエースダブルスがぶつけられる」

 少しの間、黙って谷口を見ていた純はほっと息をついて笑った。口には出さなかったが隼人にも気持ちは分かる。
 今の純にとっては、負ける可能性が高い方が安心できるかもしれない。自分の全力を出しても勝てないかもしれないなら言い訳もきく。だが、隣で純を微妙な表情で視線を向けてしまう理貴を見ると何も言えなくなってしまう。

「純君と理貴君が勝てるのが一番だけど……もし負けたとしても、隼人君と賢斗君は勝たないと辛いと思う」

 亜里菜の言葉に全員の意識が隼人へと向かい、純は気配の裏に隠れる。絶妙なタイミングにわざと言葉を滑り込ませたと理解して、隼人は更に自分に注意を向けるように胸に右拳を当てて言った。

「俺と鈴風で一勝。井波と小峰で二勝が一番の目標ってことだな。やってやるさ。なあ、鈴風」
「う、うん……大丈夫……だね。頑張るよ」

 賢斗は急にかかってきた重圧に額に汗をかくも自ら拭い去って笑顔を作る。体は震えていたが恐れからのものではなく、武者震いだと示すように賢斗は隼人に鋭い視線を向けて告げる。

「なんだろ。今は、早く試合したいよ」
「いいじゃん。やる気がみなぎってる賢斗いいねぇ!」

 真比呂は豪快に賢斗の背中を叩いて咳き込ませた後に目の前に右腕を差し出す。全員が唐突な行動に呆気に取られていると真比呂は皆を見回しながら言う。

「ほらほら。腕出せって。円陣組んで、おーってやつだ!」
「唐突すぎなんだよ……お前」
「ほんとだな」

 それまで静観していた理貴が苦笑しつつ腕を最初に出す。一緒に純の腕を掴み、半ば強引に自分の掌に重ね合わせる。純は自信なく視線を理貴から外すが、理貴はあえて体を付けて純に行動させない。
 隼人と賢斗。そして礼緒は三人の様子を見つつ更に上に掌を重ねる。最後に触れたのは亜里菜と谷口の掌。

「いいか! 俺たちは挑戦者。一戦一戦、目の前の相手に全力をぶつけるぜ! 栄水第一、ファイト! っておい!」

 真比呂は流れるように言葉を紡ぎ、最後に腕を振り下ろしてから掲げる、ということをしたかった。
 しかし、全員が真比呂に従わず、一人で腕を振り下ろしてバランスを崩してしまった。
 全員が真比呂の動きに合わせないという結果に、苦笑してから大笑いとなる。それでも伸ばした腕は積み重ねたまま。

「おい、井波。お前が一番下でどうするんだよ」

 隼人はそう言って真比呂に掌を一番上に乗せるように促す。
 別に全員が真比呂に従わなかったからではなく、押し込む役が一番下に手を置いたまま全員を置いてけぼりにしていただけ。
 真比呂も気付いたのか照れ笑いをし、掌のピラミッドの上に右手を置くと改めて全員を見回してから言った。

「俺たちは挑戦者。一戦一戦、目の前の相手に全力をぶつけるぞ! 栄水第一!」
『ファイト! オウッ!』

 今度は全員が一つになり、真比呂に応えていた。


 ◆ ◇ ◆


「……ここにいたのか」
「高羽」

 隼人は観客席から出たところにあるスペースにぽつんと座る純の傍へとやってきていた。開会式から順調に試合は進み、もうすぐ栄水第一高校男子バドミントン部の公式戦が始まる。
 練習試合でも市内大会でもなく、学生たちがしのぎを削る大会。純ではなくても緊張するのは当たり前だと隼人は考える。

「緊張してるみたいだな」
「そりゃ、あれだけ井波が煽るからな」

 全力で目の前の相手を倒す。真比呂がかけた号令に反応した自分たち。気分も高揚して気合いを乗せたはいいが、周囲からはばっちりと様子を見られていた。実績のある選手がいるわけでもなく、一年程度とはいえ断絶していたバドミントン部がシード校に対して勝つというように気合いを入れるのは滑稽に映るかもしれない。それでも、真比呂には後悔もなく、むしろ後に引けなくなったと全員に笑顔を振りまいた。性格を十分に知ってしまっているため、苦笑するしかない。
 その後、解散となって各々で試合に向けて準備をする中で、純の姿が消えていた。

「俺はさ……やっぱ出ない方がいいんじゃないかって思っちまう」
「俺らを少しでも休ませるために頑張ってほしい」
「ストレートだな」
「試合も直前ってなると、やっぱり俺はチームの勝利を考えるよ」

 隼人は意図的に声を低くして言う。気配の変化に気付いた純が隼人と視線を重ねたところで、続きを口にした。

「外山と中島がエースを引き受けてくれれば俺たちの勝率は上がる。一回戦を勝てて、お前らが負けたとしても、シード校のエースダブルスに当たったんだから負けても仕方がないって周りはきっと思ってくれる。エースダブルスというのは疑われない。二回戦の相手がもし組み合わせの妙で勝ちを拾うタイプなら、二回戦のオーダーは俺らと外山たちを入れ替えればいい」
「なるほどな。井波や小峰への負担は大きそうだけど」
「あいつらならやってくれるさ」

 隼人の言葉には強い信頼が含まれていた。礼緒だけではなく真比呂にも信頼を寄せている隼人に、純は不思議に感じて問いかける。

「小峰はまだ分かるけど、井波は初心者だったんだぞ?」
「でもあそこまで成長した。正直なところ、あいつはこの大会でも化けるって思ってる。あいつに言うと調子に乗るから言わないけどな」

 人差し指を唇の前で立てて秘密というジェスチャーをする隼人に純は「分かった」と呟いて頷く。そして、隼人は純に向けて人差し指を突き出して、一言ずつしっかりと告げる。

「あと、外山もこのままじゃ終わらないって信じてるんだ。お前は絶対、この試合の中で復活する」
「そういう言い回し、お前、井波に似てきたぞ」
「止めてくれよ、そういうこと言うの」

 心底嫌そうに言ったところで体育館内にアナウンスが響く。
 それは、隼人たちの開戦の狼煙。
 自分たちで部を再開させて、目指した目標へと続く道への第一歩。

『続きまして、鎌倉学園高校と栄水第一高校の試合を始めます。選手の方は第一コートまで来てください』

 遂に彼らの挑戦が、幕を開ける。
 そしてその初舞台は衝撃と共に受け入れられることになる。
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