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● SkyDrive! --- 第九十四話 ●

 隼人はゆっくりとシャトルを打ち上げていた。
 誰もいない体育館に一人、ひたすら真上にシャトルを打ち上げる作業を繰り返す。鍛えてきたコントロール力によって、ほとんどシャトルをぶれさせることなく上空へと運び、真下へと落とす。
 その作業は体育館の扉が音を立てて開いた後でも変わることはない。ゆっくりと近づいてくる足音が間近に迫ったところで、手首を返して落ちてきたシャトルを足音の方へと打ち抜く。

「おっと」

 飛んできたシャトルにラケット面を当てて勢いを止めてから、純はそのまま中空でシャトルをからめとる。左手で掴んでからほっと息を吐いて、シャトルコックを摘まんで回しながら隼人に向けて微笑んだ。

「上手いだろ」
「ああ。上手くなったよ」

 自分の言葉使いが微妙に緊張し、鋭くなっていることを自覚して隼人は何度か息を吐く。しかし、緊張は解けることはなかったため、気を緩ませるのは諦めた。

「いよいよ明日、だな。県大会」
「ああ。今年の俺らの、通過点だ」

 隼人は『通過点』を強調する。
 目標ではなく、あくまでも通過点。まだクリアしなければいけない壁は高くて枚数も多いが、一つの壁を目標と言ってしまっては志も変わってしまう。

「俺らの目標は全国制覇。たとえ願いが叶わなくても……それは変わらない」
「そうだな」
「それには、全員の強い意志が必要だ。目の前の相手に勝つっていう、強い意志だ……そうだろ?」
「そうだな」

 純は同じテンションで隼人の言葉に返し続ける。機械的な動作が今の純の異質さを隼人に伝えていた。そして、自分が言おうとしていることがおそらくは正しいこともまた、理解できてしまう。
 純は部活の間も自分の調子の悪さを隠そうとはしていなかった。この二週間の終盤のキレの悪さは大会の前日まで戻ることはなく、全員が言葉にはしないまでも不安を抱いたまま帰宅の途に着いた。
 その後で、隼人が純だけを単独で呼び出したのだ。

「よく体育館開けてくれたな」
「一ゲーム分くらいだな。谷口先生のおかげだよ」

 話はここまでというように歩き出した隼人は、ネットを張っておいた隣のコートへと歩いていく。純は一つ息を吐いてから制服を脱ぐとラケットバッグから変わりのTシャツとハーフパンツを出して着替えた。更衣室ではないが、誰も他に誰も見ていないなら半裸になっても問題はない。

「ま、話す前に久々にシングルスでもしよう。十一点ゲームだ。ラリーポイントで。そのほうが手っ取り早いだろ」
「そう……うん。そうだな。手っ取り早い」

 純は含み笑いをした後でコートへと入った。ネットを挟んで向かい合うのはいつもの練習と変わらなかったが、互いにパートナーがいないというのは新鮮だった。ここ数ヶ月、純はダブルスのみに集中していて、隼人も賢斗や真比呂とのダブルスとして網目を通して純を見ていた。
 しかし、隼人には目の前に立つ『一人の純』というのは見覚えがある。

(部活に勧誘した時以来のシングルス、かな)

 自分からシングルスの試合を提案しているというのは過去と同じであり、当たり前だという言葉を飲み込む。
 シングルスのレシーブ位置に純が立ったことで、意識を集中させた。

「サーブは俺からな。じゃあ」
「イレブンポイントワンゲームマッチ、ラブオールプレイ」
『お願いします』

 純の試合開始宣言から流れるように互いに礼をし、すぐに身構える。サーブとレシーブ。互いの戦闘態勢が整ったのを見て、隼人はシャトルを打ち上げていた。
 隼人が打ち上げたシャトルは相手コートの最も奥に向けて落ちていく。ライン際に落ちるように調整したつもりだったが、実際にシャトルが狙い通りの地点に行くと隼人の顔に会心の笑みが浮かぶ。だが、純は迷いなく落下点の横に回り込むと右手を鞭のようにしならせてドライブでシャトルを打ち返してきた。
 コートの最も奥から空間を切り裂いてくるシャトルに隼人はラケットを差し出してネット前に最短の軌道で落とすも、奥から飛び込んできた純はしっかりとロブを上げていた。隼人はシャトルを追って後方に移動し、純の居場所をしっかりと見てからドリブンクリアで後方へと動かす。

(いくら強力なドライブでも、コートの奥からなら取れる)

 純の最も強力な武器がドライブだとは理解している。さらに純は、ここ数か月の間にシングルスの試合経験はない。シングルスの試合勘は完全に鈍っていると考えた上で、ダブルスのような速い展開にならないように高さを使った三次元の攻めを見せつける。

「はっ!」

 どんなに高く遠くにシャトルを飛ばされても純は愚直にドライブを繰り返す。その都度、隼人がネット前に打ち返して、それを純が拾い上げるというサイクル。このまま続けば前後への激しい動きを繰り返している純のほうが先に力尽きることは明らかだった。さらに、逆手にとってロブを上げれば前に飛び込もうとしていた純の裏をかけるかもしれない。だが、隼人はどうしてもドライブをヘアピンでしか返せなかった。脳裏に別の攻撃パターンが浮かんでも、シャトルを打とうとした瞬間にかき消されてしまう。

(鋭さが、どんどん増してる……下手に打ち返したら、チャンス球を上げてしまう!)

 十分に力を込めて腕を振れば打ち返せるはずのシャトル。しかし、隼人の中に広がるイメージはミスショットによって相手コートの中途半端なところに上がり、それをスマッシュで叩き込まれる光景だった。
 ドライブの一点突破が隼人のストックしている戦術を封じ込めている。

「くっ……」

 分かっていても打たずにはいられないヘアピン。しかし、隼人の予想通り、最初に限界が来たのは純だった。

「はっ!」

 前に飛び込んでロブを上げる。だが、シャトルはネットにぶつかって隼人の側に打ちあがることはなかった。シャトルがコートを転がり、二人の荒い息が激しいラリーの音が消えた空間に響く。

「はぁ……はっ……はぁ……はぁ……ポイント……ワンラブ、か……」

 息を整えつつシャトルを拾いあげると純は隼人へと手渡しする。ネットの前で受け取った隼人はレシーブ位置に下がっていく純に向けて告げる。

「これだけ打てるのに……どうして勝ちきれない?」
「分かってるだろ、もう」

 あっさりと答えて振り向いた純の顔には満面の笑みが広がっている。それは一つのことをやり終えた男の顔。試合はまだ1対0で始まったばかりだというのに、純から滲み出るのは達成感だった。

「今の俺は、お前をドライブで封じ込めた。それで、勝ったって思えるんだよ。思え……るんだ」

 純の顔は笑みに変わっている。しかし、隼人には笑顔から滲み出る気まずさが映っていた。自分の言っていることが自分勝手で、チームのためにならないということを理解した上で、思うことを止められない。

『どうせやるなら勝ちたいんだ』

 まだ部員が真比呂と、否定はしていたが隼人の二人しかいなかった時に最初に声をかけたのが純だった。そして、その時には確かに勝ちたいと言っていた。試合に勝ちたいと思っていたはずなのに、いつの間にか勝負にこだわらなくなっていた。
 その経緯は隼人にも分からない。
 しかし、既に想像はしていた。

(外山にとっては、順調すぎたのかもしれないな)

 純と理貴のダブルスは男子部員が六人となった時から既にエースとしての地位を確立していた。隼人と理貴。そして亜里菜の方針が一致して、早い時期からのエースダブルスを確立するために、純と理貴というダブルスプレイヤーに目を付け、育ててきた。その過程で練習でも、対外試合でも彼らは結果的に負けることはなかった。
 そして一番の要因かもしれないが、春から冬まで時が流れていく中で、純だけが挫折を味わっていなかった。
 賢斗も礼緒も。理貴も隼人も。そして真比呂でさえも思い通りにならない現実に打ちのめされ、立ち上がってきた経緯がある。しかし、純だけは五人のような辛い経験とは無縁で、自分の進む道をマイペースに進み続けていた。

(順調すぎて、勝つことよりも大事な物を見つけたってこと、か……見つけてしまった、なのかな)

 勝利よりも自分の意思を貫いての勝負にこだわる。それは、もしかしたらバドミントンを続けるために純が見つけた目的なのかもしれない。
 その目的を、他人が否定できるはずもない。

「さあ、早く次のシャトルをくれよ。高羽」

 純の言葉に促されて隼人はサーブ位置に移動してラケットを構える。対して純は、レシーブ位置に立つと前傾姿勢でラケットを突き出すようにして構えた。あからさまなダブルスでのレシーブ姿勢。前方に来るシャトルを叩き落とすための姿勢。だが、シングルスで前方に落とすというのは、隼人は考えていない。

「一本」

 静かに呟いてロングサーブでシャトルを飛ばし、コートの中央で腰を落として次のシャトルを待つ。純は腰を落としたままで後方へ体を飛ばすように移動すると、シャトルが落ちる場所よりもさらに外側で右足を踏みしめ、ラケットを思い切りサイドストロークで振り切った。

「だあっ!」

 シャトルが爆発したかのような音を立てて隼人の真正面へと飛んでいく。威力あるシャトルを取り辛い位置へと飛ばしてくるあたりに、隼人は純の勝負へのこだわりを見る。勝利を目指しての試合は忘れない。でも、満足してしまえば、精彩を欠く。

(満足……か……)

 隼人はラケットを立てて押し出すように返そうとしたが、右腕は動きを止めてシャトルを弾くだけ。制御されないシャトルは中空に飛んだ後でコートへと落ちた。

「ポイント。ワンオール……て。今の、ネット前に返そうとしたのになんで――」
「外山。お前……今のままで満足してるってことか」

 外山からのシャトルを受けている間に固まった一つの答え。答え合わせを求めるように尋ね、相手の反応を隼人は待った。
 しかし、純は言葉を返してくることはなく、サーブ位置に立って隼人がシャトルを渡してくるのを待つ。隼人は一つため息を吐いてラケットでシャトルを拾いあげると、軽く打って渡した。
 レシーブ位置を踏みしめてラケットを掲げた瞬間に飛んでくるシャトル。サーブ体勢を取った純が反則になるギリギリのタイミングでシャトルを飛ばしていたのだ。しかし、隼人は動じずにネット前へと落とす。隼人の迷いない動きが逆に純を動揺させて、ネット前に飛び込んでラケットを振り上げたがネットにぶつけてしまっていた。

「ポイント。ツーワン(2対1)」

 隼人はさらりと言って、純の傍に落ちているシャトルを自らラケットで引き寄せる。シャトルを左手に持ってサーブ位置に向かい、振り返ると既に純はレシーブ位置に立っていた。表情から感情を消して、隼人が打つシャトルに意識を集中しているように思えた。

「外山。お前のドライブ。もっと見せてみろ」

 囁くように告げて、隼人はシャトルを思い切り打ち上げた。

 ◆ ◇ ◆

 職員室の扉が開いた音に反応して、谷口は閉じていた瞼を開けて扉の方向に視線を向けた。自分の仕事はとっくの昔に終わって今は体育館を臨時で使っている隼人と純の試合が終わるのを待つだけ。仮眠を取っている間に昔の夢を見たのか、嫌な感覚だけが残っていた。内容は思い出せないが、おそらくは昔の、バドミントン部の顧問としての失敗だろうと考える。

「お疲れさま。その顔だと失敗したみたいね」

 失敗という言葉を自分で言うと胸の奥に痛みが走る。それでも歪んだ顔を見せずに生徒に向き合うのは、自分の中に警戒心があるから。礼緒に向けて自分の過去を話したのは、顧問の過去話を自分からばらすような生徒ではないと信頼しているからかもしれない。
 それを何人にも教えようとは思えないが。

「すみません。わざわざ体育館開けてもらったのに」
「いいのよ。部員のために時間を使うのが顧問だから」

 時間は使っても、必要以上に内側には入らない。言葉の外に自分の意思を明確にしているのが分かったのか、隼人は微妙な笑みを浮かべながら近づいてきた。

「外山君は、どうするの? 試合で、使う?」
「さすがに規定人数ギリギリでは無理ですし」

 実際に高校の試合では最低人数が五人。一人でも怪我をすれば棄権するしかない。だからこそ、エースダブルスの片方として試合前に復活してほしかったのだが、隼人の『説得』にも純は応じなかった。
 谷口は職員室の時計を一瞥してから隼人に再度質問する。

「予定より時間かかったみたいだけど、話したの?」
「それはそうですよ。バドミントンだけして、勝ったら試合に出ろ。負けたら出るな。そんなのスポ根漫画じゃないですか」
「熱くていいじゃない、スポ根」

 谷口の言い分に空気が緩み、隼人は少しだけ開きやすくなった口から言葉を紡ぐ。

「あいつは、勝利よりも勝負に飢えていた。自分がやりたいことを、チームの勝利ってことに向かわせられれば良かったんですが。そのあたりの感情は、誰かが言ったからどうにかなるってわけじゃないですしね」
「人の感情は、思い通りにはならないのよね」

 自分の中にある重たいものの一部が言葉に乗ってしまう。
 谷口の声のトーンに驚いた隼人の顔を見て、自分の声音に込められたものに気付き、頭を振る。

「こっちのことよ。でも、外山君がそんな状況で、全国行けるの?」
「行きますよ。先生が俺らを見捨てなければ」

 隼人の言葉の意味が分からずに谷口は首を傾げる。だが、その態度が意外だというように隼人のほうがより大きくはてなマークを頭に浮かべているのが谷口には見えた。

「どうしたの?」
「どうしたのって……男子バドミントン部が六人じゃないと駄目だって先生が言ってたじゃないですか。小峰が入部する時に」
「……まあいいわ。早く帰りなさい。戸締りは私が確認するから」
「分かりました。じゃあ、明日」

 そうだったかしら、と言おうとして喉の奥にとどめた代わりに出てきた言葉に隼人は素直に従って一礼し、職員室を後にした。足音が完全に遠のいたのを確認してから思い切りため息を吐き出す。

「あの子たちを見捨てるなんて……全く考えたことなかったな」

 男子バドミントン部として六人が集まってから、谷口は態度とは別に彼らの顧問としての自分を忘れたことはなかった。踏み込まなくても顧問は顧問。彼らが安心してバドミントンができる場所を作るために動くことは続けていた。
 男子バドミントン部として再出発した後も、彼らが本当のチームになるように六人でいることに意味があるように接してきたつもりだったが、思わぬところで綻びが出た。

「高羽君はもしかしたら気づいちゃったかもしれないけど……あの子も人に言いふらすような子じゃないでしょ」

 椅子から立ち上がって一伸びしてから、体育館の戸締りをするために歩き出す。職員室を出ると既に周囲は暗く、体育館だけは電気をつけておくように頼んでいたことで明かりが灯っていた。
 廊下を歩く間に谷口は純のことを思い出していた。いろいろと我が強かったり、キャラが濃いメンバーの中でも大人しい方で、あまり目立ったことはない。ただ、理貴とのエースダブルスとして出る試合にはこれまで勝利し続けてきた。練習試合でも、市内大会でも。純の果たしてきた役割は大きい。
 それでも、彼らの中でどこか線を引いてしまっていたのかもしれない。

『自分がやりたいことを、チームの勝利ってことに向かわせられれば良かったんですが――』

 残念そうに語る隼人の声が再生される。純個人の勝負ではなく『団体戦として仲間と共に勝利を掴むという、相手団体との勝負』という考えに至らないのはつまり、自分たちとの繋がりが薄いからなのではないかという思いがあったからだろう。

(そんなことはないはず。これまで、一緒に過ごしてきた時間が無駄なはずがない。きっかけがあれば気付くはず。外山君は気付く機会がなかっただけ)

 歩く間に外山に必要なことを考え、頭の中でまとめ上げる。
 一つの答えが出たのは体育館の扉の前。

「よし」

 小さく気合いを入れながら呟いて、扉を勢いよく開いた。
 その先に向かうべき道があるかのように。
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