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● SkyDrive! --- 第九十三話 ●

 賢斗と純の間を行きかうシャトルの流れを、隼人は賢斗の後ろから冷静に見ていた。
 いつ賢斗の前衛を突破されても問題ないようにラケットを構えて、腰を落としている。後方からドライブを打ち続ける純と、前衛でシャトルをインターセプトしていく賢斗。間に挟まれる形になった理貴は途中で割って入るタイミングを掴めていないために、ラケットを掲げたまま隼人と同様にシャトルの流れを見ていた。
 四人いるはずのコートには、今、二人だけが存在している。
 打ち合いを続けている純と賢斗は残りの二人を忘れているかのように、どちらかが落とせば勝負が決まるというレベルの打ち合いを展開している。隼人は自然とラケットを持つ手に汗が浮かんで力がこもったが、その度に力を抜くように意識する。いつか来るであろう時のために集中力を切らさない。
 だが。

「やっ!」

 二十回は往復したシャトルがほんの少しだけだが平行ではなく斜め上に浮いて、賢斗はネットを飛び越えたシャトルを正確に捉えてプッシュで叩きつけていた。けして簡単な軌道ではなく、打ち込むことができたのは自動的に賢斗の実力が増していることの証明となった。

「ポイント。トゥエンティセブンティーン(21対17)。マッチウォンバイ、隼人と賢斗……やったじゃん賢斗!」

 審判を務めていた真比呂が勝負を決めた賢斗に近づいて肩を叩く。照れくさそうに応じる賢斗も、オドオドとした様子はなく積み重ねてきた自身によって支えられているように隼人には見える。真比呂と共に初心者でありながらも練習についてきた賢斗は、既にダブルスなら個人戦でも自分と一緒に戦えると思えた。

(賢斗が好調なだけに……あっちの不安がはっきりとしたな)

 隼人はネットの向こう側にいる純へと視線を向けた。理貴に向けてすまん、と頭を下げて謝った後に試合の反省を始める二人。いつも通りの行動ではあるが、問題はここ三回の部活内での試合形式の練習で、純と理貴のペアに勝利がないことだった。他の四人は万が一を考えて組み合わせをいろいろと試していたが、純と理貴はエースダブルスとして力をつけてもらおうと固定で練習していた。しかし、即席ペア相手にギリギリまでいい勝負をするにも関わらず、最後には競り負けるというパターンが続いている。終盤になって純が必ずと言っていいほど相手に打ち合いで負けることが第一の原因だというのは答えが出ており、理貴もどうにかしようと打ちまわしを工夫している。
 逆に隼人は弱点を狙うことを賢斗にも真比呂にも教えていた。いくら調子が悪いとはいえ、弱点を攻めるのはバドミントンでは正攻法。特に初心者の真比呂と賢斗には躊躇なく弱いところを攻めるのを覚えさせたかった。
 それとは別に、純には弱点に付け込まれることで逆に弾き飛ばす力を得て欲しいという思いもあった。
 だが、結果的に三回の部活は思惑通りにはいかなかった。

(来週には、県大会か)

 本番まであと一週間の内に純の調子が復調しなければ、団体戦での全国出場に赤信号が点灯するのは間違いない。ただでさえ勝ち続ける可能性は少ないのに、数少ない勝算があるカードが切れないのは負けに等しい。
 コートの外に出て自分のラケットバッグからタオルを取り出し、顔を拭いていると誰かが近づいてくる気配がする。隼人が顔を上げると、谷口が笑顔を浮かべながら立っていた。だが、隼人にはどこか違和感を覚えるものだった。

「調子いいじゃない。高羽君」
「ええ……鈴風の調子が上がってきたんで、ようやく勝てるダブルスで算段がつきました」

 当の本人は水を飲みに行って席をはずしていたが、直に聞いたら慌てふためくに違いないと考えて隼人は頬を緩ませる。その様子を見ていた谷口は、逆に笑みを消していた。隼人も変化に気付き、更に理由にも思い至って先に言葉を発していた。

「逆に外山の調子が下がってますね」
「……何が原因かしら。調子が悪いとは思えないんだけど」
「原因……思い当たることは、あると言えば、あります」

 隼人の言葉に谷口は目を細めて視線を送ってくる。隼人の頭の中にあったのは初詣の時の純の様子だった。何かを言おうとして言わなかった純。礼緒や理貴ほどじゃないにしろ何かを胸の内に抱えているのかもしれないと思えたが、無理矢理口を開かせても意味はないと隼人は考えた。
 だが、結果として純は大事なところでミスするようになり、エースダブルスに赤信号が点っている。強引にでも聞いた方が良かったのかと考えてしまう。

「原因ねぇ。何か相談受けたってことね」
「ええ……でもどうしたらいいか」
「それは、高羽君がどうにかするしかないかな」

 谷口の言葉に含まれる冷たい響きに思わず視線を向けてしまう。顧問なんだからもう少し何かアドバイスがあれば、と思ってしまうが、高津の姿が脳裏をよぎって言葉を止めさせる。言葉の間隙を縫うように谷口は自分の意見を滑り込ませた。

「私が顧問としてアドバイスすることもできるけど。きっと外山君には届かないわ。高羽君が何か思い当たることを言われたんだとしたら、きっと彼はあなたを待っているんだと思う」
「俺を……ですか」
「そう。確か、外山君は井波君とあなたの、次に入ったのよね。なら、それなりに他の男子と違うこともあるんじゃないかな」

 アドバイスをしないように振る舞っていても、隼人には十分な指標となる言葉を谷口は告げていた。呆気にとられて谷口を見ていると軽く咳払いをしてから去っていく。心なしか頬が赤かったのを見て、隼人は息を吐いた。

(まだ壁があるけど。大分、近づいたんだろうな)

 隼人には不思議と予感があった。もし、純の問題が解決できたなら、谷口が自分たちとの間に築いている壁が取り払われて、栄水第一高校男子バドミントン部が完成するだろうと。

 ◆ ◇ ◆

 真比呂とのシャトルの打ち合いを終えて礼緒は顔を拭きながら壁際へと歩いていく。その間に耳に入ったのは、隼人と谷口の会話だった。聞くつもりはなかったが、ここ最近で一番の懸念である純の名前が聞こえてきたことで自然と耳をすませてしまう。
 結局、隼人にアドバイスらしきことを告げて体育館から出た谷口を、礼緒は少し遅れて追いかけることにした。
 静かに扉を開けて体育館の外に出て、ゆっくりと廊下を進んでいく。谷口が向かうとすれば職員室だとあたりを付けて歩き始めた礼緒だったが、実際に面と向かった時に自分が何を言うのかはっきりとしていなかった。
 しかし、胸の奥にわだかまっていたことがある。奥にもやもやと抱えていたことを改めて聞くチャンスだと思ったのも確かだった。

(ずいぶん前に思えるけど……まだ一年も経ってないんだよな)

 九ヶ月前だと思い浮かべると感覚的に数年が過ぎているように思えるが、一年も経っていない。栄水第一高校に入学して、バドミントン部に入ってからまだ一年未満。その始まりは礼緒にとって、とても印象に残るものだった。中学時代はプレッシャーに弱く、大きな体に注目され、期待された。しかし結果が出せず、やがてけなされる様になり、バドミントンが嫌いになった。そんな自分をバドミントンの場に強引にでも戻してくれたのは真比呂や隼人たちだ。
 でも、礼緒はすんなりと合流したわけではなかった。

「先生」

 過去を思い出している内に職員室へと歩く谷口の背中が見えて、反射的に声をかけていた。谷口が振り返った時の顔は、きっと無表情なのだろうと礼緒は思い、その通りの顔が視界に映った時に背筋に悪寒が走る。
 それは入部にひと騒動あった時に向けられた、全く笑っていない表情と酷似していたから。

「どうしたの、小峰君」
「ちょっと、聞きたいことが」

 少し距離があるところで一言告げてから大股で近づく。運がいいのか悪いのか誰も周囲にはおらず、廊下で二人、向かい合う。すぐ傍に移動すれば礼緒の方が身長は高く谷口を見下ろすくらいになるのに、礼緒は更に斜め上から見下ろされているような錯覚を得た。

(怯えるな。別に、変なこと聞くわけじゃないんだし)

 間を整えるために何度か呼吸をする間も、谷口は黙って礼緒の準備ができるのを待っていた。

「……先生は、俺らに線引いてますよね」
「そうね」

 あっさりと肯定する谷口は告げてから「あ」と何かを思い出したような表情をしてから続ける。

「小峰君には話してたのよね。たしか」
「はい。あの時、聞きました。部内で女子と団体戦をやる前の……部に入る前の話で」

 二人の脳裏には同じ光景が浮かんでいた。
 それは四月のある日。六人そろって谷口の前に初めて姿を見せた時。
 部内で女子との団体戦をするように言われて、名前だけ貸すつもりだった礼緒は試合に出なければいけないことになって逃げようとした。
 そこで、谷口に言われたことがずっと心の奥にあったのだ。

「『私ね、教師になりたての頃にバドミントン部の顧問をしたんだけれど。そこである失敗をしたの』」

 礼緒が記憶している九ヶ月前の口調を、そのまま再現するかのように言う谷口。そうして『過去を演じる』ことでしか今は自分の本心を言えないのならば、それでもいいと礼緒は黙って聞いている。周りからの視線を恐れて、自分の殻に閉じこもってしまう気持ちを、礼緒は知っていた。

「『私は二十四歳で……男子バドミントン部の副顧問になった。その年に入ってきた新入生の男子がね、私を好きになってくれたのよ。自慢じゃないけど、若い頃は持てたのよ』」
「……今も十分行けると思いますよ」

 言葉の合間にいれた礼緒の褒め言葉にも自嘲気味に笑って、谷口は過去に発した言葉を続ける。そこに今の自分の意思を差し挟むことなく。

「『もちろん、私も本気で好意に応えるつもりはなくてね。慕ってくれる男子に対してちゃんと教師と生徒として、バドミントンを教えることで返していたのよ。でも、一年くらいして』破たんした」

 急に言葉の中に感情が入ってきて、礼緒は谷口の目を見た。瞳は揺らめいて、過去の繰り返しが強制的に終わったことを礼緒に伝えてきた。

(先生も、前に進もうとしてるのかもしれない)

 いつまでも過去に縛られていては前に進めないということは、礼緒だけじゃなく男子バドミントン部全員が知っているはずだった。そもそもこの場で礼緒に過去のことを繰り返す必要もないはず。それでも、口を開いたのは、谷口なりの覚悟からきたのかもしれない。そう思ったからこそ、礼緒は口を挟まずに、次の言葉を待った。
 谷口の表情は歪んでいき、自らの傷口を抉り出す時の痛みのためか瞳が揺らめく。だが、小さく息を吐いた後には揺らぎが止まった。

「その男子は、初心者だったけど頑張ったから試合に出られたのよ。でも、やっぱりボロ負けしてね。それで、バドミントン部を、止めた」
「それは確かに……辛いかもしれませんが、それで先生が自分を責める理由には」
「なるわ。だって、最終的に出るように促したのは私だから」

 谷口の表情は再び崩れていた。それでも泣かなかったのは生徒に対して涙を見せることを嫌ったからだろう。谷口の中には教師と生徒という境界線がある。過去の経験から、特に強固な線があるのだろうと礼緒は思う。

「初心者だからと渋る彼に、私はいい経験になると思って薦めた。私はね、あの男子の好意を知ってて、私がそう言ったらあの子がその気になると分かっていて、勧めたの。私への好意で部活を続けていたとしても、練習や、試合で勝敗が絡むバドミントンをしていればきっと楽しくなるはずだと信じてた。でも……試合の後で、その男子は言ったわ」

 谷口は言葉を区切り、再び過去を再現するように口にする。
 それは彼女の言葉ではなく、礼緒の知らない男子の言葉だ。

「『先生好きだから続けてただけなのに……俺の気持ちを利用して試合に出して、恥かかせて。それが先生の答えですか』ってね。それで、次の日に彼は退部届を出したの」

 涙はやはり出ていない。しかし、声は濡れて頬を伝う涙が礼緒には見える気がした。それも耳から入ってきた情報が見せる錯覚であり、都合のいい想像だと分かっている。

(それでも……涙を流してないから泣いてないってわけじゃ、ないよな)

 震えることを拒んでいる声を聴いて、胸が締め付けられる。それでも、礼緒は聞き続ける。

「バドミントン以外を理由にして、あまり興味のないことを続けても意味はないわ。理由は、自分自身で見つけないと。別に部活は強制でもなんでもないんだから。そして、顧問はあくまでサポートをするだけ。深く入り込むなんて駄目よ」

 谷口は大きく息を吸い、そして吐く。胸の奥につかえていた思いを吐き出して満足したのか、表情も礼緒から見て明るくなっていた。

(言いたいこと言ったんだろうけど……結局、今の俺たちにもあまり関わらない理由じゃない。自分で気づいてて言ってない、んだろうな)

 礼緒は一つ咳払いをして、感じたことを素直に告げた。

「今の俺たちなら、多分、先生の恐れたことにはなりませんよ」
「……そう?」

 疑問符を投げるように語尾を上げて谷口は礼緒へと言う。礼緒は過去の自分を思い出して思わず笑ってしまい、笑みを消すことがないままに続ける。

「四月の時。俺は先生が心配した通りの状態だったと思います。でも先生に諭されて、考えて……自分で答えを出して参加しました。外山も、中島も、鈴風も。皆、それぞれ悩んだ結果、今、ここにいるんだと思います。最初の二人はもう答えを出してる状態でしょうけど。だから……そろそろ踏み込んできませんか?」
「踏み込む、か……そうね。私は怖がってるだけなんだと思うわ」

 壁に背中を預けて谷口は俯き加減で呟く。その言葉が聞こえたのは偶然で、谷口は礼緒に向けて伝えるつもりはなかったのだろう。
 結局は「怖がっている」ことに理由をつけたかっただけなのかもしれない。

「でも、男子部復活は嬉しかったし。私も、もっと協力しようと思ったんだけど……亜里菜がいるから大丈夫だろうって思ったのも事実なのよ。私が口を出さなくても亜里菜や高羽君。中島君が中心となって進めるのが一番いいいし、私も女子部をメインに活動するのは必要だし」
「でも、任せることと放置は違いますよ。それに……部活は、顧問も一緒になった上で、部活です」

 礼緒の言葉から谷口が不安げに見上げてくるのに耐えられず、視線を外してしまう。自分でも偉そうなことを言っているとは分かっている。だが、自分が一番後に仲間に加わって、弱い想いを仲間に支えてもらったという過去があるからこそ、最後のピースを埋める手助けをしたかったのだ。

「先生。俺と約束しませんか?」
「約束……」
「今、外山が多分、悩んでる。その悩みを、俺たちが解決したら、顧問として俺たちに加わってくれますか?」

 礼緒が言っている意味を分からない谷口ではなく、その申し出に首を縦に振るのを簡単には行わない。
 顧問としてこれまでも練習試合に同行したり、大会にエントリーしたりといくつもの雑事をこなしてきた。でも礼緒が言っているのはそうした形式としての顧問ではなく、心の底から部員たちに向き合う意味での顧問と言っているのだ。

「俺たちは外山の調子を復調させます。明日や明後日とはいかないかもしれないけれど、必ず。だから、今度の県大会は顧問として俺たちと一緒に全国を目指してください」

 礼緒は返事を聞かずにその場から離れた。何かを言いたげな気配が背中に伝わってくるが、あえて無視して体育館へと戻っていく。すぐに約束しろというのも酷で、何より嫌なことを無理やりすることの無意味さを知っている谷口を苦しめるだけ。だからこそ、答えを聞いていないという逃げ道を作った。

(でも、谷口先生も俺の言ったことは分かってる。もう、自分が関わっても大丈夫だって。後はきっかけだけだ)

 礼緒は右拳を握って左掌に軽くぶつけて気合いを入れた。

 選抜大会県予選大会まであと一週間。
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