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● SkyDrive! --- 第九十二話 ●

 全国高等学校選抜バドミントン大会。
 新年度に切り替わる直前の三月に全国大会が開かれるその大会は、インターハイ後に代が変わった各高校の新たな主力たちが戦うその年最後の舞台となる。
 勝者は自動的に次年度のインターハイでの優勝候補となり、目指される存在となる。
 あるいは、インターハイで優秀な成績を収めた一年や二年が、その存在感を改めて見せつける大会。
 はたまた、全く無名だった選手たちが自分を刻み込む大会。
 高校のバドミントン界を騒がせた三年生がいなくなった後の、次世代を担う者たちの戦場。
 そこに、隼人たちは挑んでいく。

「よし、集合!」

 谷口の言葉に集まる男子と女子。体育館のステージ前に背中を向けて立った谷口は周囲に全員が集まったことを確認してから告げる。

「新年も過ぎて、学校も始まって気が抜けているかもしれないけど、あと二週間後にはもう選抜の県大会よ。地区大会で優勝したことは、忘れるように」
「えー、忘れるんすか?」
「調子に乗らない。井波君は結局、あの時も負けてるんだから。まだ公式戦だと戦力になりきれてないわよ」

 谷口の鋭い視線に真比呂は大きな体を小さく竦める。隼人の他の男子たちは苦笑いをするしかなく、谷口の言葉からほんの少しだけ過去を振り返った。
 十二月の冬休みに入る前に行われた選抜大会の地区予選は、市内大会の組み合わせ通りに南星高校との試合となった。市内大会での勝利を一度忘れて改めて挑戦者として立った結果、隼人・賢斗組と純・理貴組。真比呂が負けた後の礼緒のシングルスによって優勝を決めて、県大会に歩を進めていた。
 神奈川県は、ここ数年は全国でも目立った活躍ができていないが、実力が高い高校はベスト4の四校に固まっている。
 冷静に考えれば、今回の隼人たちは四強にどれだけ迫れるか、という目標になる。

「第一シードの、横浜学院。第二シードの海星第二。第三シードの県立湘南大相模。第四シードの鎌倉学園。私たちはどこの山になっても、この高校の三つとは当たることになると思う」

 谷口の言葉を脳内で反芻し、省略された部分を補完する。
 二つの山に配置されたシード校。さらに二つの山は二つの区分に分けられる。
 順当に行けば片方のトーナメントを勝ち上がるためには二つのシード校を倒す必要があり、決勝で残り一校と対決する。

(もし……シード校じゃないところが来たとしても、それくらい強いってことだからな)

 隼人が自分の中で考えを固めている内に、真比呂と谷口は会話を終えていた。

「今度こそ勝って、全国に行ってやるっスよ!」
「その意気はいいけど、怪我しないようにね」

 谷口は真比呂の会話を区切って次に女子へと顔を向ける。いくつかの連絡事項の間に隼人は視線を純のほうへと自然に向けていた。

(外山のやつ……今のところ、おかしいところは、ないか)

 年越しの時に聞きそびれた純の悩みは、もしかしたらバドミントン部に影響があることかもしれない。そう思ってできる限り純と話す時間を増やしたり、時折話しかけやすそうな隙を作るなどしていた。だが隼人のそうした努力に反応することはなく、純は冬休みの部活も学校が開始された後の部活も去年通りに動いていた。

(俺の取り越し苦労ってことならいいんだけどな)

 深くため息を吐いて隼人は谷口の方を見直す。女子については団体戦も女子シングルスもダブルスも県大会に進めている。特に月島は全種目に出場しており、今後は疲労との戦いになると注意を促していた。夏ほどではないだろうが、締め切った室内でのバドミントンは暑くなるに違いない。

「よし、じゃあ、練習に戻ってね! 二週間、ビシバシ行くわよ!」

 谷口はより大きく声を出して全員を分散させる。男子も流れに乗って戻ろうとしたところで、隼人の背中に谷口が声をかけた。

「あ、高羽君」
「はい」
「男子の方の練習メニューは、亜里菜と考えておいたから。あとは協力してブラッシュアップしてね」
「分かりました」

 そう言って離れていく谷口の背中を一瞥してから、隼人は前に歩き出した。

(やっぱり、高津さんの言う通り踏み込んでこないんだろうな)

 男子バドミントン部の顧問を引き受けた割には表だって指導してこない谷口。以前にそのことについて尋ねた時には、隼人や亜里菜や理貴が中心となって練習メニューを考えている現状に大きく口を出す必要がないからと、言っていた。
 初心者には初心者の。自分たちのような中級者にはそれにあった練習を。
 亜里菜と共に下地を作って理貴とまとめ上げる作業は楽しく、自分にも合っていると自覚していた隼人には辛い作業ではなく、合ってもいた。だが、それでも谷口に顧問として意見を聞きたい時もある。
 なかなか踏み込まれない現実をどうするか。隼人は考えようとして頭を振った。

(その問題は今、悩んでも解決しないかもしれない。今は、まず二週間後の県大会だ。せっかくここまで来たんだから)

 隼人はコートに戻ると早速ノック練習に入る。たった六人のバドミントン部。メンバーは中学時代にそこまで名前を知られていなかった者と初心者二人。それが全国制覇という夢を掲げて一つ一つステップを踏んで進んできた。
 公立でも勉強と練習を両立させるために、できる限り自分たちで考えながら一つ一つの技術の向上をしっかりと行ってきた結果、県大会にまで進むことができた。本来ならば、一年目はそれで満足して二年、三年と続けていけばいいかもしれない。
 しかし、状況は刻一刻と変わる、次を考えずに、狙える時に狙おうと決めたのだ。組み合わせによって地獄となるかもしれないが、県大会に勝ち進んでそのまま全国へと進出する。そのための調整期間は隼人の集中力を上げていた。

「いくぞ! まずは外山からな!」
「おう」

 隼人の気合いの入った声に応えるのは特に気負っていない純の声。コートの中央に腰を落とした純に対してネット前や後方に向けてシャトルの乱打が始まる。隼人は球出しをしながら純の動きを改めて見ていた。

(多分、外山が一番無駄のない動きをしてるんだよな)

 前後左右にシャトルを打ち分けても純は上半身を崩さないまま追いつき、シャトルを打ち返していく。ダブルス用と言ってもいいドライブが武器ではあるが、それ以外に目立った武器はない。ダブルスも理貴が攻めの中心になっていて、純は理貴が上げさせたチャンス球を相手コートにドライブで叩き込むのが主な仕事。いまいち外から見ても印象が薄いかもしれない。
 だが、ドライブを打ち込むために落下点に移動する下半身の強さと、渾身の力で叩き込むための筋力をバランスよく備えた体は侮れるものではない。

(シングルスをやったら……実は俺らの中で小峰の次に強いんじゃないか?)

 隼人自身も改めてちゃんと見なければ良さが分からない純。それは自分で意図的に主張することを拒んでいるようにも思える。真比呂や礼緒。パートナーの理貴が目立てば、自分は脇役でもいいとでも言うような自己主張のなさ。それは、年越しの時に呟いていた言葉も関係があるのかもしれない。

(……いや、集中集中)

 シャトルの打つ速さと厳しさを徐々に速めつつ、隼人はノックの中で純を観察し続けた。

 ◆ ◇ ◆

 純の出番が終わった後に次々とノックを続ける。
 各自の長所と短所が異なるため、球出しも微妙に変えていく。隼人の武器は相手のことを考え続けて、適切な場所に適切な軌道でシャトルを打っていくこと。それには素早い思考と正確なコントロールが要求される。ノック練習は個々人の練習だけではなく隼人自身の練習に繋がっていた。
 四月当初からこれまでの成果として、ほぼ100%自分の狙った場所へとシャトルを打てるようになっている。どれくらいの力でどれくらいの軌道に打てばどこに飛ぶかを、頭だけではなく体も覚えていた。試合のように動きながらだと、その時々の状況から最適なショットが変わってくるため精度は劣るものの、いつか理想のシャトルを打てるようになるという確信がある。隼人は素早くラケットでシャトルを打ち続ける。

(井波はタイミングが合えばスマッシュの威力は全国区。小峰は、全体的にレベルが高い。もうシングルスだと俺らの誰も勝てないんじゃないか。中島はネット前に落とす技術と相手のバランスを崩す技術が高い。鈴風は前衛の動きはもう経験者と変わらないな)

 隼人はラスト一球を思い切り高く打ち上げた。コート奥に落ちていくシャトルを懸命に追って、飛びついたと同時にハイクリアを打ったのは賢斗。着地をしてから前に倒れそうになったが、踏ん張って支えると少し前に出る。

「はぁ……はぁ……ありがとう、ございました……」

 同学年でも律儀に礼をして賢斗はコートの外に歩いていく。その背中は隼人から見て、出会った当初よりもだいぶ痩せていた。体重が減ったという話は聞かないため筋肉がついて引き締まったということかもしれない。

(本当に皆。強くなったな。これなら、十分県大会突破狙えるぞ……シード校相手でも)

 隼人が内心で拳を握っているところに、背後から亜里菜が肩を叩いてから声をかけてきた。

「隼人君もノック練習やろうよ。私が打つから」
「ん? ああ。じゃあよろしく」
「うん。任せて!」

 いつもなら理貴が立候補するタイミングで、亜里菜が手を上げてくる。その違いは亜里菜から滲み出る気合いの強さが、冬休み前と異なって強くなっているからだと隼人は理解する。

(井上も、バドミントン諦めてないんだもんな)

 隼人は言葉に甘えてシャトルが散乱している場所の反対側に立って身構える。亜里菜は瞼を閉じて少しの間、ゆっくりと呼吸を繰り返している。その繰り返しも、息を吸った直後に亜里菜が言った「スタート」と響き渡った声に反応して動いていた。
 右斜め前から左後ろ奥。右端に打ち込まれたシャトルを鋭いロブで上げた後に左斜め前に飛び込んで正確なコントロールからヘアピンを打つ。常にシャトルを打った場所の逆サイドぎりぎりまで放たれるシャトルを、隼人は体に負荷をかけながらも拾っていた。
 自分自身は何が成長したのか。余計なことを考える余裕はなく、シャトルに向けて足を動かしラケットで弾き返す。ひたすらにラケットを振り続け、亜里菜がいるコートの四隅をできる限り狙っていく。
 苦しい姿勢からのショットこそ真価を発揮する。どれだけ苦しい姿勢でもシャトルをコントロールできればチャンス球を上げることもなく、相手の攻撃から身を守ると同時に攻めることができる。
 隼人の目指すコントロールの戦い。シャトルを一通り打ちきった後で、隼人はシャトルの軌跡が自分の理想に近づいていることをよりはっきりと自覚した。

(上手くなってる……間違いなく、俺も……。俺は、エースなんだ)

 市内大会の団体戦で手に入れたエースとしての自信。実力的には劣っていても精神的な支柱として立つ自分には、やはり最後に勝つための実力がいる。シングルスの一番の実力者である礼緒とは別の力が必要だと隼人は考えながら息を吐いた。

「っし。じゃあ、次からダブルスだな」
「しゃあ! 俺と礼緒がいくぜぇええ!」

 隼人と亜里菜がコートから出たところで入れ替わるように入る真比呂と礼緒。反対側のサイドには純と理貴。正ダブルスと最近調子を上げている二人の即席ダブルス。どちらも身長が高くロブで抜くには厳しいかもしれない。隼人は壁際で汗を拭きながら目の前の試合に集中する。

(井波と小峰なら、おそらく小峰が前衛で井波が後衛ってところか。どちらにしても、今の小峰に前衛守らせたらあいつらでもシャトルで抜くのが大変かもしれない)

 栄水第一バドミントン部の外山純と中島理貴。二人の名前は全地区予選での団体戦の優勝によって知れ渡るようになった。クジ運がいいのか悪いのか、大会の間は相手のエースダブルスと全て対戦し、全て退けてきた。個人戦にエントリーしたならば、ノーシードからの優勝も十分あり得たと周りは告げている。隼人はそこまで盲目的に信じてはいなかったが、十分可能性はあると考えた。

(それでも、俺らの目標は団体戦だ。そのためにも、もっと二人のダブルスは盤石にしないと)

 決められたダブルス――隼人と賢斗との試合だとまだパートナーの差が大きい。真比呂や礼緒と組んでならば脅かす可能性はあるかもしれない。そんな思いの中で、なら礼緒と真比呂はどうかと組ませたのは亜里菜の提案だった。新しい何かが二人の間で目覚め、化学変化を起こすかもしれない。

「じゃんけんしょ! しゃあ! 俺たちのサーブ!」

 大喜びする真比呂に苦笑いで応えた礼緒は前を向くようにジェスチャーで示すと真比呂の背後で腰を落とす。瞬間的に、隼人は背筋に悪寒が走っていた。試合の中で相手まで不可視の闘志を届かせるほどの気迫。
 この練習形式の練習での勝利を礼緒は気合いで示したのだった。
 礼緒の気迫に体が反応したのか、理貴と純は一瞬でラケットを掲げると腰を落として身構える。ファーストサーバーとして真比呂のサーブを受ける純はまだ腰を上げているが、ショートサーブに対していつでも前に飛び込めるように前傾姿勢になっている。真比呂はバックハンドでラケットを持ち、シャトルを軽く持って吼えた。

「一本!」

 次の瞬間、シャトルは強く弾かれて純の頭を越えて飛んでいく。腕の力だけでショートサーブをフェイントとして使い、相手の裏を突く。純はすぐに反応してラケットを掲げて移動したが、シャトルにラケットを触れさせる前に飛びのいた。
 シャトルは誰にも邪魔されないままコートに落ちる。サービスの限界ラインを軽々と越えて、シングルスのサービスラインのほぼ真上に落ちた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「あ、しまった」

 真比呂は頭をかいて背後にいる礼緒に謝る。シングルスとダブルスのサーブの違いはその距離。シングルスに慣れている真比呂にはダブルスの後ろが短く左右が広いサーブ範囲に感覚がついていっていない。

「どんまいどんまい。止めよう」

 真比呂に軽く笑いかけつつ、礼緒は前に出る。サーブ権が移って左側にいる理貴がサーブを打つためにシャトルを貰って身構えた。変わりに純は背後に移動してコート中央よりも少し後方で腰を落とす。理貴のショートサーブに苦しくなってロブを上げたなら、純の渾身のドライブがとどめを刺すための布石として放たれる理想形。理貴も自分たちのスタイルは十分に理解した上で、礼緒に向けてショートサーブを放った。

「ふっ!」

 ショートサーブが放たれたと同時に前に出る礼緒。白帯の上をほぼ浮かずに通る理想的な軌道に対してラケットを前に出し、斜め上にスライスするようにラケットを振ると、シャトルは斜め前に下降していく。サーブを打って前に出た分、理貴は反応が遅れてシャトルは背後に落ちようとした。そこに純が飛び込んでラケットをコートとシャトルの間に差し込む。

「――!」

 一瞬の硬直。そしてシャトルはネット前に飛んでいく。ロブではなくヘアピンを選んだ純は理貴と逆サイドに移動する。礼緒は再びネット前に飛んできたシャトルに対してラケットを差し出したがプッシュを決める余裕はなく、ヘアピンで落とす。
 ここまで来ると理貴のテリトリー。自分の力を発揮できる場所で、理貴はラケットを真横にスライスさせてヘアピンを打つ。スピンがかかったシャトルは空気を絡め取って不規則な軌道を描いて落ちていく。ネットすれすれを落ちていったことで礼緒もシャトルに触れることはできず、二点目が入った。

「しゃ!」
「ナイスヘアピン。理貴」

 軽くハイタッチをしてから場所を移動して、次のサーブ位置に着く理貴と後方で身構える純。
 いつも通りの二人に相対する、いつものような二人。
 だが、隼人は純のプレイに冬休み前までとは異なる何かを感じていた。それははっきりとしなかったが、確実にある。いつもこまめに皆のデータを取っているからこそ分かることかもしれない。

(井上も気付いてるかもな)

 審判をしている亜里菜へと視線を映すと、不安げな表情で純を見ていた。それで確信を得ると同時に、純の変化の正体を掴もうと隼人は集中する。

 選抜大会県大会予選まで、あと二週間。
 また少し、押し寄せる風が強くなっていた。
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