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● SkyDrive! --- 第九十一話 ●

『……すまん。俺、もう部活辞めるわ』
『俺も』
『俺もだな。付き合ってられん』

 おい。待ってくれ。隼人はそう言ったつもりだったが言葉にならなかった。口はしっかりと開いているはずなのに、目の前の仲間たちには届いていない。
 礼緒と理貴。更に賢斗や真比呂までも離れていく。最後に隣に残ったのは純だった。

『俺は、どうしようかな』

 そう呟いて少し黙った後に、純は口を開いた――

 ◇ ◆ ◇

「……夢?」

 ゆっくりと目を開けた隼人は見知った天井を眺めたままで、しばらく呆然としていた。喉がからからに乾き、背中には冷たい汗が流れている。重たい頭をゆっくりと起こしていくと気怠さにふらついたが、テレビから聞こえてきた歌声によって我に返る。
 画面の左上にあるデジタル時刻が、あと四十分程度で全て0の表示に変わると示していた。

「なんか、凄く嫌な夢を見た気がするな……なんだったんだ」

 目が覚めた瞬間から夢の内容は霧散していき、正確に思い出せなくなっていた。ただ、大事な何かが自分の傍から零れ落ちていくような不快感に、背筋が震えている。半ば茫然としていた隼人だったが、再度時刻を見て約束を思い出した。どんなに気持ちが沈んでいてもやるべきことがあると体は動いた。

(もう少し早く行くつもりだったんだけど……昼間の掃除の疲れか……ギリギリ……まあ、いいか。みんな、同じように年越しの番組見てから来るんだから)

 汗をかいたシャツを脱ぎ、外行きの服装に着替えてからコートを羽織る。既に親は寝ているためできるだけ音を立てないようにして、準備を整えると玄関から外に出た。

「行ってきます」

 静かに告げて扉を閉めると、ちらほらと降っている雪が体にかかる。
 北の地方とは異なり雪が降ること自体が稀な神奈川の地域だけに、隼人には新鮮だった。コートの上からでも体に冷えを運んでくるようで、身震いした。

(もう……今年が終わるんだな)

 大晦日の一日、大掃除や年越しそばを食べるなどして感じてきたことを改めて思う。時計を見ると三十五分前。待ち合わせの神社についた時にはおそらく年を越しているだろう。
 十二月三十一日が過ぎ、一月一日になる。
 古い年と新しい年の境目にいるような心地になって、隼人は夢の中にいるようだった。少ないながらも降る雪が彩を添えて幻想的な気分に拍車をかける。積もらないという予報を信じて自転車を駆り、駅まで向かう道の中でも家族連れやカップル、友達同士に思える人々が進んでいく中をすり抜ける。
 初詣のために向かう場所というと、大小合わせればいくつかある。
 隼人は改めて時間が遅かったのではないかと後悔し始めていた。駅に近づくにつれて同じ目的でいるに違いない人々が列をなしていた。

(井波たちに遅れるって言っておかないとな……)

 携帯電話を取り出してメールを一通。念のため、集まる予定だった全員に送信した。

(男六人で初詣っていうのも、別にいいか)

 ほんの数日前に年内最後の部活を終えて「良いお年を」と別れたメンバーが再び集まることに、隼人は苦笑いを抑えられなかった。
 人の波に逆らわずに進み、電車に乗って揺られること三十分程度。
 ギリギリ年越し前に神社最寄りの駅につくと既にバドミントン部の仲間たちは集合していた。

「おー、隼人きたかー」

 真比呂の大きな声に導かれるように向かうと、そこには八人の姿。
 男子の五人に加えて振袖姿の二人とコート姿の一人。隼人は振袖の二人を見て、心臓が高鳴るのを自覚せざるをえなかった。

「こんばんは。高羽君」
「こんばんはー、隼人君」
「……こん、ばんは」

 先輩と同学年の女子から同時に挨拶をされて、敬語でもため口でも返すことができずに中途半端に言い返すしかなかった。更に言えば、日頃から目にすることがない振袖姿に心臓高鳴りっぱなしで頬が熱くなり、考えることができなくなって声もかすれてしまう。

(なんだ俺。完全に舞い上がってるじゃないか)

 自分の狼狽えぶりに恥ずかしくなり、二人から目を逸らすとちょうど真比呂と目が合ってしまう。
 真比呂はにやりと笑うと振袖姿の一人、月島の隣に並んで人並みから守る準備を整えてから「行きましょう!」と大きな声で告げて進みだした。隼人はちょうど合流したところですぐに追いかける形になり、最後尾にいた亜里菜と並ぶことになる。

「隼人君。やっぱり紅白見てたの?」
「ん? ああ……なんだかんだで他に見る物ないし。親が見てたから寝てもそのままチャンネルは変えなかったな」

 隣を歩く亜里菜の顔を見てから、すぐに前へと視線を戻す。
 告白されてから返事を保留にしてもらったのもひと月ほど前。
 部活をしている間は照れくささなどなくて練習に集中できていたが、時折会話がしづらい気持ちにもなった。だが、それを出すと亜里菜に悪いと考えて隼人は努めていつものように過ごそうと心がけた。その甲斐があってか、部活には特別に支障はなく、年の最後の練習までたどり着けたのだ。

(数日しか離れてないのに、やけに可愛く見えるよな……振袖も、あるか)

 元々、亜里菜のことが嫌いではないため、着飾って目の前に現れると可愛らしさに緊張してしまう。だが、可愛らしいということであれば前を歩く月島も同じだった。
 亜里菜は赤を基調にした着物で、雪の上に落ちる赤い実のイメージ。
 対して月島は青を基調にしていて、水面に映る月が隼人の中に広がった。

(やばい。どっちも、可愛い……なんなんだこれ。ここまで乱されるやつだったか俺は)

 部活が一区切りして、休みであることの反動かもしれないと隼人は頭を小突いて鋭く息を吐いた。体内の火照った空気を外の冷気を取り込んで冷まそうという試みはわずかだが成功して、隼人は周囲に目を向ける余裕ができた。
 前を歩く月島と真比呂。その先には月島についてきたのか野島密と、彼女をエスコートするように理貴と純。先頭は賢斗と礼緒が体格を生かして船の先端のように人混みをかき分けていった。

「ねえ。私と月島先輩。どっちが可愛い?」
「……え?」

 緊張で体温が上がっていた隼人は、亜里菜が静かに問いかけてきた言葉に反応できなかった。人混みを進んでいく中で亜里菜の言葉は隼人にしか聞こえていないらしく、前を歩く仲間たちは反応しない。聞こえない振りをしようとした隼人だったが、亜里菜は隼人の右手に寄りかかって近づいた。

「ご、ごめん。ちょっと歩きづらくて」
「そう、か。着慣れないと……辛いよな」

 隼人には亜里菜が本当によろけたのか、わざと近づいたのか理解できなかった。いつもなら素早く回転する脳も今の状況には完全に湯だっていて冷静な判断ができない。冬の空気の冷たさも、多くの人の熱気が今は消えかけている。

「意地悪な質問してごめんね」
「うぇ? あ、いや……意地悪なんてことは……」
「少しずつ、アピールはしてくから」

 そう言いつつ亜里菜は隼人の腕に寄りかかった体勢は崩さない。隼人はそこで亜里菜の頬が赤くなっていることに気付いた。寒さだけではなく、明らかな体温の上昇に隼人は一つの結論を導き出す。

(よろけたのは本当ってことか)

 最初は本当にからかうつもりで尋ねたが、その後によろけて隼人に寄りかかったことで気恥ずかしくなったのだろう。真実はどうあれ、そう考えると隼人はほんの少しだが落ち着いた。前を歩く仲間との差が少し広がったことで、亜里菜をサポートしながら足を進めた。支えなければという思いが隼人の中に冷静さを戻していった。

「隼人君。今度の選抜……良かったの?」
「良かったって?」
「個人戦の話。ギリギリ間に合ったのに、出なかったのは」

 亜里菜も気恥ずかしさから逃れるために別の話題を探したのか、ちょうど隼人がどうしようかと悩んでいた話題を持ち出してきた。
 三月に行われる選抜大会。
 その地区予選が十二月。県大会が一月と今年はタイトなスケジュールで行われた。隼人たちは無事に団体戦を勝ち抜いて、県大会への切符を取ることはできたが、誰も個人戦には出場しなかったのだ。
 今更言っても仕方がないことだと亜里菜が分からないはずはないが、それでも聞きたかったのだろうと考え、隼人は「うーん」と唸ってから亜里菜を一瞥して囁くように言った。

「団体だけで良かったよ」

 小さいながらも強い言葉。芯が通っていて、固い決意を滲ませる。

「十二月の地区予選前も話したろ。それに、冬休みに入る前にも、みんなと話した。いつか個人戦も出るとして、今年だけは団体戦に全て注ぎ込みたいんだ。個人戦まで体力を残してたら多分、いい成績は残せない」

 隼人の一番の懸念はやはり体力だった。部活が復活してから基礎打ち、試合練習以上に体力トレーニングには力を入れている。それは、秋に行われた校内のマラソン大会で体力が最もなかった賢斗が学年の中盤より上位でゴールしたことでも実証済みだった。体力強化の効果は確実に表れている。
 それでも、一年でやれることは限られている。必要だと考える体力までつけるには、まだ足りない。

「皆、俺が思ってるよりも団体戦だけでいいって言ってくれてさ。特に井波が問題ないって言うのはちょっと意外だったな。たくさん試合に出たいって言いそうなのに」
「ふふふ。それはね、隼人君」

 亜里菜は笑いをこらえきれないといった様子で、口元に手を当てて笑いを抑えてから続けた。

「真比呂君も、隼人君と同じで団体戦で勝ちたいんだよ」

 その言葉に隼人は返さなかった。自分の中でも、亜里菜は真比呂の気持ちを代弁しているのだと思えたから。
 人混みに疲れつつもゆっくりと進んでいき、やがて全員が大きな賽銭箱の前に立つと五円玉を投げ入れる。真比呂は一人、五百円玉を投げ入れてから思い切り大きな音を立てて手を合わせて目を閉じた。
 何を祈っているのか隼人は何となく予想がつきつつ、自分も目を閉じて手を合わせると祈った。

(全員が、怪我なく試合に臨めますように)

 勝利は自分で掴むものだから、神には祈らない。だから、せめてその手前までは神様に頼る。そんなことを考えながら祈りを終えると、他の面々はまだ顔を俯かせて手を合わせていた。
 一人、純を除いては。

(外山……?)

 純は隼人が見ていることに気付いて笑みを向ける。だが、その直前までの表情はこれまで見たことがないほど無表情だった。神に祈る皆から離れて遠くから見つめているような視線は、寂しさは感じずに淡々としている冷えたもの。視線上に隼人は入らなかったが、コートの中で体を震わせるには十分だった。

「お、隼人はとっくに終わってたかー」
「んあ? お、おう。そうだな」

 距離が離れていたために、純に理由を尋ねることはできなかった隼人は真比呂に押されるようにその場を後にする。次の参拝客が詰めてきている以上、とどまることは許されない。着物を着た女性陣を囲むようにしておみくじが買える場所に移動した隼人は、後ろからついてくる純にたまに視線を送った。純は最後尾で、前を歩いている亜里菜と話しているがおかしなところは見当たらない。

(さっきのは……俺の見間違いか?)

 ついさっき感じたことなのに錯覚と言ってもいいほどに、純はいつもの調子だった。振り向いていた隼人に気付いて、亜里菜と共に不思議そうに首をかしげてくる純に、隼人は「何でもない」とだけしか言えなかった。
 結局、全員でおみくじを引いて結果に一喜一憂した後で解散となった。

「なー、これからどっかいこうぜ」
「ダメ。夜も遅いんだからもう帰って寝なさい」
「月島さんがそう言うなら!」

 二年生の威厳を見せるように月島が胸を張って腕を組み、真比呂に告げる。といっても身長差に見上げる形になって真比呂には若干上目使いに見えたのか頬を染めて従っていた。

「じゃあ、ひとまず解散かな」

 一瞬だけ止まった空気を理貴が帰宅する方向へと流すと、もう真比呂も抵抗することはなかった。

「だな、理貴! じゃー皆、あけましておめでとう!」
『今年もよろしく』

 いきなり仕切った真比呂の「あけましておめでとう」に合わせて各自が新年のあいさつを交わして、各々帰宅の途に着きはじめる。帰る流れの中で、隼人は純の隣を狙って移動した。これまで何度かタイミングが悪く隣に移動できなかったが、遂に純の隣に立てたのだ。

(ふぅ……なんとか、だな)

 隼人は一度咳払いをして空気をリセットしてから純に言う。自分の見たものが本当なのかを確かめるために。

「なあ、外山。お前、賽銭箱の前にいた時……」
「見てたのかー。ま、仕方がないかな」

 純は隼人が告げる言葉の途中であっさりと口を開き、手を上げていた。発言を遮断はしても見返してくる瞳に隼人は石を感じ取る。
 その後、純は反応も示さないままに全員で神社の目の前まで来ると、各々の方向に去っていった。亜里菜や月島も「また学校でね」と隼人に声をかけて離れていき、残ったのはいつしか純と隼人の二人だけだった。

(……残ったっていうところか)

 意図的に残ることを選んだ、ということは話をするつもりだということ。隼人は純の次の行動を待っていると、純が口を開いた。

「……なんか聞きたいことあるんじゃね?」
「そうだな。何か、悩みとかあるなら聞くよ」

 隼人の言葉に純は答えずに歩き出す。隼人は後ろについて次の言葉が聞こえてくるまで追い越さないように歩を進めていった。このままいけば、最寄りの駅について純とは別れることになる。その道すがら、純は立ち止って道の端に寄った。他の参拝客が駅まで歩くのを邪魔しないような位置に立ち止ったのを見た隼人は、隣に移動する。

「皆、なんかかっこいいよな」
「……なにが」
「高羽も、理貴も、井波も、小峰も鈴風も。皆、まるで漫画の主人公みたいだなって思ったんだ」

 純が何を言いたいのか隼人には理解できない。だが、早急に答えを聞くのは逆効果だと判断して、純がしゃべるままに任せてみる。純も隼人のそうした考えを理解しているのか、自分の中にたまる思いを吐露していく。

「俺さ。お前達みたいに『背負うもの』っていうの? ないよなって思ってさ。もちろん、それを悪いと思ったことはないし、目の前の試合に勝とうって思ってやってきた。だから、別に卑屈になってるわけではないと思うんだよな」
「……確かに、卑屈な雰囲気はないな」
「だろ? でも……ちょっと、寂しくなってさ」

 純は自分の右手を見ながら、何度も閉じたり開いたりを繰り返す。考えをまとめるように、開いた掌を閉じる度に失っているものを取り込むようなイメージで。それでも足りないのか、純はため息をついた。

「今の俺はさ、試合には勝ちたい。でも、いい勝負が出来たらそれはそれで……満足なんだよ。理貴と組んで上手い具合に勝てるようになったからそう思うのかもしれないけど」
「外山。それって――」
「そろそろ帰るわ。んじゃな」
「あ、おい」

 純は隼人から逃げるように人混みに紛れていく。唐突な会話の終わりは違和感しか残らず、隼人は純が「逃げるように」ではなく「逃げた」のだと分かった。

(あいつ。相談しようとして途中で耐えられなかったか)

 相談すること自体に気恥ずかしさを感じて逃げるのかもしれない。だが、それは部活に誘った後からは隼人の中に生まれたものだ。当初こそ、自分からバドミントンの勝負を挑んで来たりしたが、仲間が六人そろった後からは基本的にダブルスのエースとして理貴と組み、練習でも隼人や理貴の指示に従いつつコツコツと力を磨いてきた。そこに自分で主張するということは含まれていない。

(選抜大会の前に、もうひと悶着、あるかもしれないな)

 夏から秋にかけての賢斗と礼緒の不調を思い出す。その時と同じような精神的な疲れならば、二人のようにケアしないといけないだろう。

「――しっ」

 選抜まであと一か月もない中で、どれだけ「チーム」としてまとまれるか。
 一つ気合いを入れなおして、隼人は歩き出した。
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