●● SkyDrive! --- 第九十話 ●●
「おし。集合ー」
隼人の号令に散らばっていた男子部員と亜里菜が一か所に集まる。体育館のステージ前に隼人を中心として扇形に集まった男子五人と、隼人の隣に立つ亜里菜と谷口。いつもと同じ光景だったが、隼人はほんの少し体を緊張させつつ全員に告げる。
「テスト明けってことで今日は無理しないようにしたけど、次からは一気に練習は厳しくなると思うから、各自、筋トレはしておいてほしい」
「別にテスト期間関係なくやってるからいいけどな!」
「お前はそれで追試になったらヤキ入れるからな」
「いつの時代の言葉だよ隼人……」
真比呂に対してきつい口調で告げた隼人は次に亜里菜の方を向いて問いかける。
「井上と、先生は何かありますか?」
「私は特にないです」
「私からは一つ」
一歩前に出て谷口は一呼吸置くと、隼人を含めて全員の顔を見て言った。
「これから十二月には地区大会。ここを勝ち抜くことはあなたたちならできると確信してるわ。でも、一月の選抜の県大会まで二か月もないわ」
谷口は一度言葉を切って男子と亜里菜を見回す。自分の言葉がしっかりと浸透したと、各自の顔を見て判断した谷口は息をゆっくりと吸い込んでから言葉を続ける。
「全国制覇というのは三年生のインターハイまでに立てた目標だけど、早くできることにこしたことはないの。その意味で、あなたたちの今年の最低ラインは、選抜での全国大会出場とするわ」
谷口の口から紡がれた言葉に、賢斗と礼緒は息を呑む。純と理貴は無表情で、真比呂は目を輝かせていた。対して自分はどうかと思い、ふと亜里菜を見ると視線が合い、咄嗟に視線を外した。同時に亜里菜も視線をずらしたようで相手の顔が揺れるのが分かった。
(……やっぱり、顔には出るのか)
心の奥から湧き上がってくる気合いは止められずに、顔が綻ぶ。
けして自分たちの力を過大評価しているわけではなく、いきなり出場して全国大会に行くというのは遠い目標に想える。だが、ここ数か月の真比呂と賢斗の成長度や、礼緒のシングルスプレイヤーとしての覚醒。純と理貴のエースダブルスとしての貫録の付き方。そして、自分の成長。
栄水第一男子バドミントン部の進化を客観的に見れば、全国大会に出場するということはけして夢物語ではないと感じていた。
(なんにせよ、十二月と、一月の過ごし方次第、か。練習メニュー考えないとな)
隼人が練習内容を考えている間に、谷口も言葉を続けていく。
「女子も団体戦での突破を目指してるからね。こっちと一緒に、練習メニューも組んで行こうと思うの。この二か月で、各自の苦手克服にするか、得意分野を伸ばすか……高羽君。井上。協力してもらうからね」
「は、はい」
「よろしくお願いします」
谷口の依頼に頷く隼人は、ふいに高津が言っていたことも思い出していた。
男子にも協力してもらうという単語がトリガーとなり、高津の表情と共に声が耳の奥に蘇る。
『もしできれば、その顧問も助けてやれよ』
『何かしら迷ってるんだろうさ』
できるだけ自分たちで考えさせようとする谷口。
どこか壁があるように思える谷口に対して高津は何か含みがあるようなことを言っていた。
そのことも、いずれは解決する必要があるのかもしれない。
「ひとまず、今日はゆっくり休みなさい。じゃ、解散」
『はい!』
全員で声を揃えて答えてから解散する。隼人はため息をついて歩き出すと、後ろから声がかかった。
「なあ、隼人。ちょっといいか?」
いつになく真面目な響きを持つ真比呂の声に振り替えると、声にそん色ない真面目な表情があった。
◇ ◆ ◇
真面目な表情の真比呂に連れられて、隼人はファーストフード店に来ていた。いつもはほとんど一緒にいる理貴や亜里菜もおらず、真比呂と一対一で対面に座っているのは久しぶりじゃないかと隼人は思い浮かべた。
最後に二人だった記憶はいつだったかと記憶を遡らないといけない。
「っし、じゃあ聞かせてもらおうか」
「何がだよ」
主語を全く話さないまま真比呂は隼人へと問いかける。何を聞かれているのかピンと来ない以上話しようもない。真比呂は「ふむ」と一言つぶやいて顎に手を当ててから改めて問いかけてきた。
「井上と何かあっただろ」
「……何もない」
「何かあったというのは分かってるから隠すな」
真比呂の言葉の強さは冗談を言っているようには思えず、一瞬だけ亜里菜が真比呂に言ったのかと考えた隼人はすぐに頭を振って否定した。見て分かるほどの違和感ということなのだろう。隼人は自分に言い聞かせてから問いかけた。
「まあ、確かに何かはあったが……それを井波に言う必要があるか?」
「ないな」
あっさりと否定する真比呂に肩透かしをくう。だが、真比呂は笑顔を見せて続けていた。
「でも、部員の悩みを聞くのは部長の役目だろ? 多分」
「そうかも、な」
互いに笑いあう間に隼人は胸の内にある『錘』がなくなっていくように思えた。
それはちょうど、亜里菜から告白を受けた日からできた錘。テスト期間も、終わった後もずっと心に絡みつき、重みを与え続けたもの。
今日は亜里菜との会話は普通にできた自信はある。だが、それでも真比呂は違和感を覚えたし、何よりも隼人はいつも以上の体力を消費していた。原因は分かっていても、それを解決するための一歩を踏み込めない。
「どうせ隼人のことだから井上から告白されて悩んでるんだろ?」
「何を……って、そうだよな。お前や中島とかは前からそう言ってたよな」
さすがに悩みの内容を相談するのは亜里菜に悪いと感じていた隼人だったが、先に真比呂が答えを言っていた。元々、亜里菜が隼人のことを好きだという主張をしていたのは真比呂が中心。二人の間の出来事というと恋愛絡みを想定するのはあながち間違いではない。
「そうか……井上。ちゃんと告白したんだな。で、お前はフッたか、まだ答えてないかってところだろ」
「お前、エスパーか」
「ちゃうよ。お前のことは分かる。多分」
「男に言われるとちょっと気持ち悪い」
「それ酷いぞお前」
会話のテンポが上がっていくと真比呂と隼人の顔にも笑みが浮かんでくる。
亜里菜や隼人と異なるタイプなのに、真比呂は隼人の思考を読むかのように言葉を予測しているようだった。
「そっか……まあ、その答え、ちゃんと出すまではぎくしゃくするよな。で、隼人は井上のこと好きなのかよ」
「好きか嫌いかと言われれば……好きだよ」
隼人は素直に自分の中にある気持ちを打ち明けることにした。
告白された時は素直に嬉しかったこと。告白された後も出会った頃からこれまでのことを振り返って、もし彼氏彼女の関係になればもっと楽しくなるのではないかと感じたこと。
しかし、どうしても「付き合う」というところには踏み込めなかったこと。
そこまで話を終えたところで真比呂はゆっくり頷いてから言った。
「隼人。月島先輩のこと、どう思う?」
「月島先輩……?」
これまで亜里菜のことを話してきたのに月島のことを持ち出されて隼人は困惑する。だが、真比呂は隼人の方へと顔を近づけると人差し指を立てて声を潜めた。
「お前は月島先輩のこと、好きなんじゃないかって思ってるんだよな」
「俺が? あの人はバドミントンの先輩として好きだけどな……お前みたいな好きじゃ」
「俺はそうは思わないんだよな」
真比呂の言は隼人の考えを無視した持論だ。だが、隼人はなぜか完全否定できない。亜里菜への返答をしようとした時に出てきた月島。正確には、一番初めに出会った月島のオーバーヘッドストロークの映像がまた浮かび上がる。
(あの時……俺は月島先輩を綺麗だと思った。俺の頭の中にあって、再現できないフォームをあの人はほぼ再現していた。あのフォームを……綺麗だと思ったんだ)
自分の中のきっかけが蘇る。真比呂に勧誘されるよりも、より奥底にあったバドミントンへの情熱の復活の契機。真比呂も見ていたであろう月島の練習は、隼人の中で朽ち果てかけた自分の理想を再度燃え上がらせた。
まだ自分はできることがある。中学時代でやれた気になっていたのは間違いだったと、強烈に感じたこと。後でいろいろと考察したことで文章化できるが、その時はただ胸の奥が熱くなった。
「月島先輩は……確かに好きだ。でもそれが恋愛感情なのかは、正直分からない」
「でも、そこがはっきりしないから井上の告白に返事ができなかったんだろ?」
「ああ。そうだよ」
月島のことに決着をつけなければ、亜里菜への返事はできない。だが、月島への感情が恋愛感情なのかは自分でも理解できない。憧れを抱いているだけかもしれないし、異性として好きかもしれない。その境界線を探れない。
「そうなら、ひとまず井上にはそう言った方がいいんじゃないのか? あいつも待ってるだけだとモヤモヤしちまうだろ?」
「それは……失礼じゃないか?」
「失礼じゃないさ。理由ははっきりしてるんだ。すっぱり言ってもらった方がいいし、何よりフラれるわけじゃないからな。井上はまだ月島さんより自分のことを好きになってもらう努力ができる可能性が残るんだから」
真比呂の言い回しにひっかかりを覚えて、隼人は真比呂を真正面から見た。笑っていた顔は再び真面目な表情となり、真比呂を見返している。ただ、向けられる視線が強くなったことに対しては気恥ずかしくなったのか頬をかきながら「なんだよ」と呟く。
「なあ、井波……もしかしてお前」
「ああ。俺は月島先輩にフラれたぞ」
隼人の中に積み重なった違和感。言葉の端々から見える隼人への羨望を感じて、まさかと思い問いかけようとした。だが、真比呂は言われるくらいなら自分からというように、率先して月島とのことを話していた。
「テストが全部終わった後さ。たまたま月島さんと帰り一緒になったんだよ。で、誰も周りにいなくなった時があって……勢い余って言っちまったんだ」
勢い余って、という部分が亜里菜と同じだと隼人は思う。自分の中の思いが抱えきれず、吐き出してしまうというのはどういう時だろうと考える。それだけ相手のことを思っていて、タガが外れてしまうような大きな感情を自分は持ったことがあるかと考えておそらくは、あったのだろうと思う。だが、それは小学生の低学年の頃くらいで、高学年や中学になる頃にはどこかに忘れていたのかもしれない。
(相手が好きだとして、その後のことを想像すると軽はずみに言えなくなるんだよな……きっと)
バドミントンの試合でも熱くなり、大声で声援を送ることはある。だが、それもタガが外れてということはない。あくまで自分をコントロールする中で最大の力を出すだけ。
「で、月島さんは言ったんだよ。『ありがとう。でも、ごめんなさい』って」
「そっか……残念だったな」
「ああ。すっぱりとフラれたよ。すぐには諦められないけど……多分、次に進みやすいと思う」
真比呂は一つだけため息をついてから隼人と視線を交差させる。試合に臨む時のような強いもの。そして、隼人に対してエールを送るように告げる。
「だからさ。お前も決められないなら決められないってすっぱり言った方がいいんだよ。ただ、後回しにするからにはちゃんと決着つけないと駄目だけどな」
「そうか」
改めて隼人は自分の中にある思いを整理する。
もしも月島がいなかったのなら亜里菜と付き合ってたに違いない。だが、自分の中に月島の存在が深く根付いていることは真比呂との会話で明確になった。恋愛感情なのか、ただ上級生の実力者に憧れを抱いているのかは自分でも分からない。
「だいたい言いたいことは纏めたか?」
真比呂は飲み物の容器からストローで一気に吸い上げる。ゴゴゴと大きな音を立ててからトレイを持って立ち上がった。隼人が気付かない間に、すでに自分の分は食べ終わっていたらしい。
「いつの間に食べ終えたんだよ」
「お前が悩んでる間にだよ。ま、井上はどういう答え出したからって部活にこなくなるとは思えないが……優しくしてやってくれよ」
真比呂は手でサヨナラを告げて歩き出そうとする。遠ざかりかける背中に隼人は問いかけた。
「井波。お前は……相談いらないのか? 月島さんに、フラれたんだろ?」
真比呂は隼人の問いかけには答えずに、振り向きもしないまま離れていった。後姿が完全に視界から消えるまで見送ってから小さく舌打ちをする。
「ったく。俺よりもお前の方が辛そうじゃないか。井波のくせに生意気だぞ」
届かない悪態をついてから隼人は携帯電話を取り出して、メールを送る。言うならば早い方がいいと自分に言い聞かせて気まずさを押し殺していた。
◇ ◆ ◇
亜里菜の家の傍にある公園は、既に人通りはなかった。夜八時にもなるともうあたりは暗くなり、ひとり歩きは危ないし風邪も引きそうなほど冷えている。
隼人も冬支度を完全には整えていないため、制服姿のまま体を揺さぶっていた。
「ご、ごめん! 待った……?」
公園の入り口から駆け足でやってきた亜里菜は既に私服に着替えて上にジャンパーを着込んでいた。髪の毛はほどいて背中に流しているが授業中にかけている眼鏡はない。バドミントンをする時と授業の時の境目。二人の亜里菜が混ざり合っているように見えて変な汗が掌に浮かんだ。
「そんなには待ってないよ。悪いな。夜遅くに家から出させて」
「ううん。私もこの先のコンビニに買い物に行くつもりだったから」
わざわざ財布を掲げながら言う亜里菜に隼人は微笑んで、一つため息をつく。決意を自分に促すための吐息。亜里菜もその呼吸で隼人を取り巻く空気が変わったことに気付いたのか、緊張に体を硬直させた。
一度、二人の間に冷たい風が吹き抜ける。隙間を埋めるように隼人は踏み出して、静かに聞こえるように言う。
「井上。この前の、返事だけど」
「は、はい」
顔を真っ赤にして隼人を見てくる亜里菜。表情は期待半分落胆半分というような、どちらの解答があっても落ち込まないようにしようとする努力を感じさせる。隼人は再度深呼吸して、自分の中にある思いを告げた。
「俺さ。まだ、答えは出せない」
最初に結論を告げる。亜里菜は隼人の言葉の意味を浸透させて、ほんの少し顔を歪める。聡い亜里菜のこと、隼人の言葉の真意を理解したのかもしれない。ただ、理解することと伝えられることは異なる。
隼人は逃げ出さないように両足を踏ん張り、しっかりと亜里菜の目を見て話し続ける。
「井上のこと、好きだよ。きっと付き合ったら、楽しくなるんじゃないかって素直に思ったんだ。でも……恋愛感情があるかと言われると、ひっかかることがある」
「……もしかして、月島先輩のこと?」
「ああ。俺の中に、月島先輩がいる。こっちも恋愛感情か、憧れかは分からないけど」
亜里菜の表情が泣き笑いのようになり、崩れる。隼人は胸を痛ませるが、だからと言って止まるわけにはいかなかった。苦しくても、思いをちゃんと告げる。
「考えたけど……まだ俺は考えるのが足りないらしい。だから、告白の返事は……保留にしてほしい」
隼人の言葉を聞いて亜里菜は視線を一度反らす。空を見上げた瞳は隼人から見れば悲しげに揺れていたが、涙は零れていなかった。
亜里菜が口を開いたのは隼人の体感ではずいぶんと時間が過ぎたように思えた後。実際には五分も経っていない。それでも、寒さが肌に沁みこんでくるくらいの時間はあった。
「うん。分かった。ありがとう。ちゃんと、考えてくれて」
隼人のほうを向いた亜里菜の表情はさっぱりとしていた。まだ想いを断っているわけではないという安堵からかと考えた隼人は、それが自分の願望だと悟る。できれば傷つけたくないという思いが見せる幻想かもしれない。自分に都合のよい考えは持ってはいけないと言い聞かせる。
「私も……もっと頑張って、隼人君のこと応援する。それで……好きになってもらうように努力するから、覚悟してね」
「……ああ」
「じゃあ、遅くなりすぎると親が心配するから」
亜里菜は軽く手を振って駆け足で隼人から去っていく。亜里菜の姿が先にあるコンビニの方へと消えていくのを見送ってから、隼人は体内に残った酸素を全て吐き出すように口を開けて息を吐いた。
「っぷはぁ……緊張、した……」
脱力して倒れそうになる体を支えて、空を一瞥してから隼人も自転車に乗って公園から出ていく。解決ではなく保留。それでも一歩だけ進めたのは自分一人ではできなかったこと。仲間の力を借りて、隼人は次のステージに進んでいく。
(高校一年の、最後の踏ん張りどころだな)
十二月から始まる選抜大会の予選。
年をこえて一月から始まる県大会。
その先にある全国大会に向けて進むように、ペダルを一回転する度に力を込めていく。
少しずつ変わっていく辛さから目を背けないように。いつか答えを出す時にも逃げないように。
「っし!」
怯える自分を叱咤するように鋭く呟いて、隼人は家路についた。
季節は秋から冬に移り、一年最後の大会に向けて進んでいく。
――Sky Drive! 第三部 完
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