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● SkyDrive! --- 第八十七話 ●

 ラケットを一回振るごとに、体が重くなっていく。
 それでもコートに立っている間は振り、足を動かし続けてたった一つのシャトルを追っていく。相手のコートにシャトルを沈めることができれば自分の勝ち。逆に沈められれば自分の負け。言葉にしてしまえばシンプルだが、試合が終わるまでの間にさまざまな攻防が繰り広げられる。

「らあっ!」

 コートを引き裂くような裂ぱくの気合いの下で、シャトルが隼人の足元に突き刺さる。打ち返した直後にインターセプトされたことで、硬直から体が解放される直前を狙い打たれた。狙ったのかたまたまなのかは分からない。
 隼人はゆっくりと息を吐いて今のプレイを意識の外に置いた。

(考えても無駄なことは考えない。シンプルに、次のシャトルをコートに落とすことだけ考えろ)

 審判が得点を告げる。24対23。高梨が一点リード。
 そして、シャトルを沈めた高梨からのサーブ。
 隼人にとって連続して不利なことが続くも、逃げるわけにはいかない。隼人がすべきことは、ここから逆転して勝つことのみ。本来、勝負がつくはずの21点を越えて、二人は延長戦に身を投じている。隼人はラケットを掲げてレシーブ体勢を取りつつ、頭の中に溜まった熱を外に逃がそうとゆっくりと呼吸をした。

(一つ一つだ。まずシャトルを相手のコートに落とす)

 高梨が気合いと一緒に打ち上げたシャトルはコートの奥に飛んでいく。落下点に追いつくのは簡単で、見極めもしやすい。ファーストゲームの最後に隼人に見極められたことを気にしているのか、きわどいシャトルは打ってこない。ただ、甘いというわけではなくスマッシュを放ってもほかのショットを放っても高梨は即座に反応してくる。ハイクリアやドロップなど防御や、ゆっくりとした攻撃のショットであれば隼人も更に対抗できるが、スマッシュやドライブを打とうものならカウンターでシャトルを沈められてしまう。隼人は過去の経験を活かしてシャトルをクロスに飛ばす。

(右奥からストレート……そこからクロスにあげて、またストレートスマッシュをよりきわどく前に落とす!)

 高梨も隼人の思考に合わせるように打ちまわしてくる。クロスに打てばストレート。ストレートに打てばクロス。意識してかあるいは無意識か。隼人も今は高梨のラケットから繰り出されるショットはほぼ読んでいた。しかし、背筋を走る悪寒は強くなる。

(絶対、最後に奥の手を見せるタイプだろ!)

 予想通りにストレートスマッシュを繰り出してきた高梨に対して、隼人は自分の中に構築されていたラリーの設計図を、壊していた。

「ふっ!」

 ヘアピンではなくロブを上げて前に出てきていた高梨を奥へと戻す。隼人は中央で腰を落とし、更に背中を倒してスマッシュの弾道でさえ真正面から突き進んでくる一撃に見えるようにした。

(ここで高梨さんが打ってくるのは……)

 高梨が自分から視線を外してシャトルを打つ瞬間に、隼人は動き出していた。右側に移動してラケットを差し出すと、まるでラケット面に吸い込まれるようにシャトルが飛んでくる。隼人はラケット面にシャトルが触れた瞬間にショックを和らげてネット前に落とすだけでいい。ストレートに飛んだシャトルはネットに触れながら落下していって静かにコートに落ちた。

「ポイント。トゥエンティフォーオール(24対24)」

 再び同点に追いついた隼人はシャトルを自ら拾い上げてサーブ位置に移動する。シャトルコックをつまんで軽く回しながら焦りを見せないように呼吸を整える。セカンドゲームだというのに体力はかなり消費していて、もしもファイナルゲームに入れば途中でガス欠になるのは間違いない。その焦燥感を悟られれば、高梨はそこにつけこんでくるかもしれない。

(焦るな。狙ったところに確実に。途中で計画が崩れたら、臨機応変に)

 なくなっていく体力と引き換えに、隼人の思考はシンプルになっていく。いろいろと策を考えて、サーブを打った後にはもうそれを忘れかけている。正確にはシャトルが飛んで来れば、サーブ前に考えた場所に打ち返している。体が、頭で考えたことを自然と実行していた。そのことを疑問に思う余裕はない。目の前からやってくるシャトルの一回一回が、打ち返すことを失敗しただけで点に繋がる。自分にできることを極力単純に考えて、余計なプレッシャーを感じないようにして試合を進める。

(クロスに来ればストレート。ストレートに来れば……)

 高梨のストレートのスマッシュに合わせてバックハンドで構えた隼人は前にドライブで打ち出す。これまでクロスヘアピンが多かったタイミングでストレートに返す。シャトルはまっすぐに突き進み、白帯にぶつかった。

(――っっ!)

 失敗に顔が歪みそうになるのを精神力で抑え込む。シャトルは白帯にぶつかった勢いでくるりと回転し、高梨のコートへと落ちていった。

「ポイント。トゥエンティファイブトゥエンティフォー(25対24)。マッチポイント」

 あと一点。コートの外から真比呂が叫ぶ声がやけに遠くに聞こえて、隼人は指を耳の穴に入れてほじる。つまってはおらず、真比呂の声が聞こえにくいのが自分の心臓の音が大きく聞こえることが原因だと気付いた。

(緊張してるか……さすがに……ラストだもんな)

 ここで失敗すればまた同点。二点差がつくまでは二人とも勝つチャンスがある。普段通り打とうと心がけても緊張はする。なら、その緊張とうまく付き合えないか。緊張をしないように、とは考えずに緊張したならすぐに力を抜いていけばいい。

「すぅ……はぁ……すぅ……はぁ……」

 あえて声つきで呼吸をする。高梨も隼人の取る行動の意味が分からず首をかしげて視線を向けてくる。
 隼人は最後に思い切り息を吐いてから、サーブ体勢を取って呟いた。

「さあ、一本」

 鋭い腕の振りと共に隼人は自分の失敗を悟った。シャトルは隼人が思い描いた場所の少し内側へと流れていく。プレッシャーを取るための脱力が体の支えを失うことに直結していた。

(くそ……諦めるか……いや、諦めない)

 腰を落として相手の出方を見る。最後まで諦めず、自分の中に蓄積したデータを使って次のシャトルを予測する。実力で負けていてもシャトルを追いかけることは止めない。
 隼人の脳裏に浮かんだのは、賢斗と真比呂だった。共に初心者でバドミントンを始めて、二人とも強くなっている。
 運動をするための下地がある真比呂に、練習を愚直にこなす精神力がある賢斗。
 二人の初心者の姿に、隼人は背中を思いきり押されたように思えた。

「はっ!」
「――っ!」

 甘い所へ飛んで行ったシャトルは、コートの中央ラインに沿うように落ちていく。そこからなら高梨はどこにもシャトルを打てる。左右と中央。更にハイクリアもあり得るだろう。全ての選択肢を思い浮かべても隼人はそこに光を見いだせない。
 だが、光は見えなくても隼人は前に飛んだ。ラケットを前に押し出すように。

(カウンターでネット前に落とせば、高梨さんは取れない……)

 全ての選択肢から自分で選んだところへとシャトルが飛んでくる。一気に目の前で大きくなっていくシャトルに対して、隼人はネット前に落とそうと右足をしっかりと踏み込み、上体を固定する。

「隼人ー!」

 真比呂の声が耳に飛び込んでくる。耳を右から左へと抜けていく声に、隼人はラケットを持つ手がほんの少しブレた。ネット前に落とすつもりだったシャトルが前に押し出される。シャトルが進む先には、ヘアピンを予測して飛び込んできた高梨の姿があった。

「うわっ!」

 高梨が驚きの声を上げる。ネット前に落ちようとするシャトルを叩こうと高速で飛び込んできた高梨にとって、僅かな力だとしてもプッシュで自分のほうへと飛んでくるシャトルにはタイミングが合うはずもなかった。前に突き出していたラケットを引き戻して、顔面に飛んできたシャトルを打ち返そうと窮屈な形になったが、そこが高梨の限界だった。
 甲高い音と共に隼人の眼前に上がったシャトル。完全に打ち損じた結果のシャトルに、隼人は腕を伸ばして飛び上がるとシャトルを届かせる。

「お……ああっ!」

 シャトルへと届いたラケットを思い切り前方に振って、高梨のコート奥へと飛ばす。角度をつけられなかったがシャトルは高梨から離れていき、追うには致命的な距離ができた。
 だが、高梨は諦めずに追っていった。

「おぉおおおおああああ!」

 着地した隼人はよろめいてしまったが、すぐにラケットを掲げて移動する。その掲げたラケットのすぐ下のネットにシャトルが突き刺さったのは、隼人が防御位置についた直後だった。

「……ポイント。トゥエンティシックス、トゥエンティフォー(26対24)。マッチウォンバイ高羽。栄水第一」

 シャトルがコートに落ちると共に、審判が告げる。
 隼人はゆっくりと掲げていたラケットを下していた。

(勝った……)

 コートの外では仲間たちが破顔して喜んでいる様子が見える。だが、隼人は心臓の音によって耳が完全に聴こえなくなっていた。緊張で張りつめていた糸が切れ、気を抜けば倒れそうになるのを堪える。視界も疲労で揺らめいていたが、ネット前に駆け足でやってくる高梨に合わせて隼人もネット前に立つ。二人で向かい合ったところで審判もやってきて、二人は同時に頭を下げた。

『ありがとうございました』

 静かな言葉。勝った隼人も負けた高梨も淡々と握手を交わし、高梨はコートを出て、隼人は勝利者のサインをスコアシートに記入する。自分の名前をシングルスで書き込み終えて、それが中学以来だと振り返ったのは記入を終えて去っていく審判の後姿を見ていた時だった。

(勝ったんだ……な……)

 審判から視線を外すと、そこには真比呂たちが立っている。全員が満面の笑みで、すぐに隼人に声をかけたいという思いを我慢しているようだった。ぼんやりとする隼人の様子から気持ちを酌んで止まっていたのだろう。
 隼人はその気遣いが嬉しく、笑って手を掲げた。

「やったよ」
「隼人ぉおおおお!」

 近づいてきた真比呂の右手が隼人の右手を大きく弾く。連続して純、理貴、賢斗、礼緒と右掌が乾いた音を響かせ、最後に軽いタッチで亜里菜が手を打ち合わせた。

「おめでとう。隼人くん」
「ああ……やったよ、井上。みんな」

 隼人は一度言葉を区切ると、右拳を天井に向けて振り上げた。

『優勝だぁあああああああああああ!!』

 隼人に続くように全員が拳を突き上げて、吼える。
 体の内から溢れる嬉しさを存分に表して、七人は全員で抱き合った。


 市内大会 男子団体戦優勝、栄水第一高校。

 それは部が復活してからわずか六か月目の出来事だった。


 ◇ ◆ ◇


「さて、みんな集まったわね」

 谷口が全員を見まわして口を開く。隼人たち男子部員と月島たち女子部員が一か所に集まって谷口を半円状に取り囲んでいた。客席兼控え場所に全員が集まるも広がりすぎると邪魔になるためコンパクトにまとまる。結果、隼人は真比呂と亜里菜に挟まれる形になる。

「じゃあ、これからミーティングを始めるわね。男子も女子も団体戦、お疲れ様。どっちも優勝なんて私も嬉しいわ」

 谷口は心底嬉しそうに笑った。女子団体のほうについていたために男子にはほとんど口を出せなかったのだが、それでも谷口は隼人たちを気にかけている。そう思える笑み。

「もしもの時は亜里菜に作戦をいくつか預けてたんだけどね。無駄になったわね」
「そうだったんすか! なんですかその作戦って!」
「ふふ。秘密」

 谷口の言葉に真比呂が反応する。だが、谷口は軽く受け流して話を進めることにしたらしい。もう一度全員を見まわしてから語る。

「この試合は市内大会で、高校生にとってはそんなに重要じゃないわ。でもね。あなたたちには無駄な試合なんてなくて、全部が糧になるの。インターハイとか選抜じゃないから本気出さないなんて言う選手はうちにはいらないからね。そこのところを、みんなはよく理解して、全力で勝ちを拾いに行った。それが、嬉しい」

 谷口の言葉にこもる熱はその場にいた部員たちに伝わり、少しだけ困惑させた。穏やかな口調の中に含まれる熱さ。それは、普段の谷口に触れているとほんの少し熱くて、火傷しそうなもの。
 だが、その違和感もすぐに本人が消し去る。両手を打ち合わせて空気を破裂させると共に部員たちの間に走る緊張も解していた。

「さて、これから明日にかけて個人戦ね。女子も月島と野島をはじめ、何人か。男子は、井波君と鈴風君が出るわね。月島はシングルスもダブルスも優勝以外は許さないからね。男子二人は一個でも勝つように」
『は……はい!』

 穏やかな口調に含まれる「もしダメだったらどうなるか」という不安感に顔を引きつらせる真比呂たち。谷口は終始にこやかにほほ笑みながらミーティングを終わらせるとスキップをしながら一人、去って行った。

「……なんだったんだ」
「さあ。嬉しかったんだろうな、たぶん」

 いまだに顔を引きつらせている真比呂に隼人は言う。ミーティングが終わって女子とも距離ができたところで、隼人は改めて男子と亜里菜を集めると頭を下げた。

「ありがとう。今日は。みんなのおかげで、勝てた」
「おいおい。なんで頭下げてるんだよ。隼人が勝ったからだろ!」
「いや……俺だけじゃ勝てなかったよ」

 隼人は顔を上げて真比呂を見る。
 最後の攻防で真比呂の声で躊躇してラケットを止めた結果、相手のバランスを崩すことができた。本人に言うのははばかられて、首をかしげている真比呂をほうっておいて言いたいことを続ける。

「改めて言うけど……俺は、エースになれるのは実力がある選手だって思ってた。みんなの信頼と勝利への願いを肩に背負っても潰れない強さを持ってる選手がなるもんだって。俺は、力も心も全然足りないと思ったから……皆がエースだって言ってくれて嬉しかったけど正直、無理だと思ってた」

 隼人の言葉に六人は言葉を挟まずに耳を傾ける。全員の顔にあるのは微笑み。仲間から穏やかな視線を受けると気恥ずかしさにむず痒くなり、首の後ろを意味なく掻く。それでも伝えたい言葉を探して、口にする。
 仲間たちへの感謝を込めて。

「でも、高梨さんとの試合でも思った。実力があっても、なくても。やることは変わらないって。相手より強ければ、油断して負けないようにする。相手より弱ければ、勝つために何をすればいいか探して全力でシャトルを打ち込むだけだった。俺は、ほんと、難しく考えすぎなんだろうな」
「そこが隼人のいいところだろ」

 真比呂からのチャチャが入っても自然と頬が緩む。隼人はもう一度全員を見まわしてから、しっかりと口にする。自分の決意表明を。

「栄水第一のエースとして、これからもよろしく」
『おおっ!』

 男子全員と亜里菜の声が同時に響く。
 この日、栄水第一高校男子バドミントン部は初めての公式戦で優勝をおさめた。

 目標の全国制覇に向けて、小さな小さな第一歩を踏み出した。
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